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こんばんは。
旧日本帝国海軍は大和に代表される大鑑主砲主義で有名ですが、そうなった原因はなんなのでしょうか。

さかのぼれば日清戦争における黄海海戦の清国艦「定遠」「鎮遠」の脅威論あたりまで考えられるとは思いますが、その後WWIIにいたる約50年もの間、日本の最エリートである人たちが全く考えを変えないのは不自然だと思いますが。当然、歴史上異論もあったのでしょうが、大勢として大鑑主砲主義にいたった原因として、有力な説を教えてください。

あまり日本史には詳しくありません(ドイツ史専攻)ので、基本的な論文やその分野の学者名も併せて教えていただけるとありがたいです。

A 回答 (12件中1~10件)

おおむね#8さんがおっしゃっていることが正しいと思います。

個人的意見ですが、「航空機至上主義」こそ歴史的事実に対する誤認であると思います。

第二次大戦の太平洋、大西洋、インド洋、地中海、北海全ての戦役を含めても、作戦行動中の戦艦が航空機によって沈められたのはプリンス・オブ・ウェールズ、レパルス、武蔵、大和の4隻だけです(註・特殊な例としてローマがありますが)。プリンス・オブ・ウェールズとレパルスについては大戦初期で艦艇側も対航空機戦のノウハウがなく不慣れだったことと当時の日本海軍の航空隊の練度が極めて高かったぶんを差し引く必要があります。
レイテ沖海戦では、レイテ湾を目指す栗田艦隊に米軍は猛烈な空襲をしますがそれを止めることはできませんでした。結果として栗田艦隊はあの有名な反転をしますが、それは空襲の猛攻に耐え切れなかったゆえの撤退ではありません。

そもそも、戦艦の装甲は我々の想像以上に堅く、当時の急降下艦上爆撃機が搭載した250~500キロ爆弾では致命的な損害を与えることは不可能でした。250キロ爆弾に至っては装甲が厚いところに当たれば損害を与えることすらできませんでした。あとは大型爆弾を水平爆撃するしかありませんが、これで作戦行動中の戦艦に命中したという記録は私が知る限りはありません。
ドイツの誘導爆弾フリッツXがイタリア戦艦ローマを一撃で撃沈していますが、これは1.5トンという常識ハズレの大型爆弾ですし、イタリア軍のダメージコントロール能力は極めて低いものです。同じくフリッツXが命中したイギリス海軍のウォースパイトは沈没しませんでした。ちなみにウォースパイトは1913年に進水したという超熟女艦です。
プリンス・オブ・ウェールズとレパルスはいうまでもなく雷撃で沈められており、大和、武蔵も直接に息の根を止めたのは雷撃でした。つまり、戦艦は喫水線下に穴が空けられないと沈まないのです。

ひるがえって空母というのはとてつもなく脆弱なものです。エンタープライズという不沈艦もありましたが、空母戦には特徴があり、基本的には相打ちで終わるということです。空母は甲板は当たり前ですがフラットで装甲もほとんどありません(大鳳やイギリス空母を除く)。おまけに航空機用燃料、爆弾、魚雷など燃えたり爆発したりするものをわんさと抱えているのです。ミッドウェーのように、たった1発の爆弾が作戦不能になるほどの大ダメージを与えてしまうのです。大型空母と戦艦の排水量がほぼ同じであることに注目してください。空母はとてつもなく脆弱な存在なのです。さらに、戦艦は基本的に戦艦にしか沈められることはありませんが(例外・意外に潜水艦にやられてますが)、空母は単独ではあまりに脆弱なので駆逐艦を始め時には戦艦までが護衛についてやらねばなりません。
さらにさらに、ずっと後のフォークランド紛争ではアルゼンチン海軍の空母は悪天候のために航空機を発艦させることができませんでした。かように、空母の運用というのは難しくてリスクが大きいのです。

航空機至上主義というのは、現代でいえばミサイル至上主義みたいなものでしょうか。核ミサイルがあれば通常兵力は要らないというのは暴論の極みですよね。しかし、もしかしたら第三次世界大戦は核ミサイルのみの戦争であり、後の人から(もし人類が生き残ることができれば、ですが)「なぜ当時の人はミサイルを軽んじて通常戦力を保持したのか」といわれるかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。また、回答が遅れもうしわけありませんでした。

航空機に沈められた戦艦が四隻だけというのは、全く知りませんでした。確かに大和や武蔵の印象が強すぎて、事実を間引いて認識していたようです。極めて納得のいく回答です。ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/17 23:59

日本には必然的に大艦巨砲主義をとらざるを得なかった事情がありました。


1・米英に比し保有する海軍力を制限されていた。 この為質的に優秀な軍艦が必要となる。 
2・当時世界的に大艦巨砲主義が海軍の主流でこれに対抗する必要から同じ思想をとらざるを得なかった。  
3・それまでの海戦で戦艦の耐久力は認められていた。
4・日本の防衛には海軍は重要で、英国は40センチ砲より38センチ砲に傾いていたし、アメリカはパナマ運河による制約で艦の大きさを制限せざるを得ない為主砲の口径を制限せざるを得ない事情があった。
これに対抗するにはより大きい主砲で遠距離より砲撃出来ることがのぞましい。
この為大和級は46センチ砲を積むことになった。
5・戦艦の建造には5年以上の時日が必要でこの間の思想の変化、技術進歩は適用不能である。

これらの結果が大和級の大艦巨砲主義となった理由です。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。またお礼が遅れ申し訳ありませんでした。

先の回答者様からのご指摘の通り、2の認識が欠けておりました。もう少し勉強しなおそうと思います…あちがとうございました。

お礼日時:2008/01/17 23:52

雑多な書き方になりますが


1 真珠湾攻撃まで航空戦力が戦艦に対抗できると思われていなかった
2 信頼性のある魚雷(航空魚雷・水上艦とも)が第二次大戦開戦時、日本(酸素魚雷)しかなかった
3 戦艦対戦艦が海戦の決着をつけると考えていた
4 ワシントン海軍軍縮条約により、日本は戦艦の保有数を約7割に制限されていた
5 保有数制限のため戦艦1隻が確実に勝つための戦術を考えることになりアウトレンジ攻撃、命中率の向上、発射速度の向上、砲一発あたりの威力の向上を考えるようになり、主砲口径が大きくなった(大和級戦艦)

戦史・戦術を研究しているところは一般には聞きません
(もしかしたら防衛大学ぐらいではないでしょうか)
図書館などで、潮書房の「丸」という雑誌などを参考にしたほうがいいと思われます
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼が遅れもうしわけありませんでした。

戦史研究をしているところはありませんか…防衛大学は講義を聞きに行けませんものねえ。実は来年、自衛隊に一般幹部で入るので、それから実際に防衛大学の方に話を聞こうと思います。「丸」はすごく右翼っぽい雑誌程度にしか思っていませんでしたが…一度読んでみます。回答、ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/17 23:46

日本においては水雷戦隊の台頭もあるのですが、一番大きい航空兵力への転換です。

また、戦艦と空母は相反する存在ではありません。
制空権がどれだけ重要かなんて、二次大戦始まる前から世界中で研究していますし、世界中が知っています。
大勢として大鑑巨砲主義に至っていなく、大鑑巨砲主義者であっても制空権を軽視しているどころか重視しています。
つまり、敵制空権下で動くことなんて想定してないし、ナンセンスと思っているのです。
大艦巨砲主義に至ったいないので、原因も無ければ、有力な説も存在しないでしょうね。
参考となる書籍として、学習研究社「日本の航空母艦パーフェクトガイド」「帝国海軍艦上機・水上機パーフェクトガイド」などがよろしいかと思います。

蛇足ですが、日本人の自慢であるマレーの話においてチャーチルの回顧録を読んでも、「航空機で戦艦が沈んじゃった、超ショック」とは書いていませんしね。(沈んだことがショックであり手段は何でも構わない)
何故なら、イギリスは欧州戦線で独伊空軍の空襲で艦艇の損害を蒙っており(例えばヤルタの戦いでQE級2隻が大破)、航空機が危険な存在であることはすでに(勿論WW2前から)知っています。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。お礼も遅れてしまい、申し訳ありません。

確かに、戦艦と航空機戦力を別個に考えていたのは認識不足でした。おっしゃるとおり、質問で書いた大和が沈んだときのような、大量の航空機からの攻撃は戦艦の運用上想定していなかったのですね。逆に言えば、その状況に追い込まれた時点で戦艦は想定の威力を出せなかった=即戦艦の否定ではないということですね。

ありがとうございました。挙げていただいた書籍はどちらも参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/01/17 23:40

ご質問


「旧日本帝国海軍は大和に代表される大鑑主砲主義で有名ですが、そうなった原因はなんなのでしょうか」
は事実誤認です。

ご質問が
「全ての海軍が大鑑巨砲主義を採用したのは何故でしょうか」
なら、その答は
「航空機が発達する以前は、戦艦が海上における最大の戦力だったから」
です。合理的な話です。

No1さんが指摘されるように、アメリカは第二次大戦開始後も多数の戦艦を完成就役させております。多数の戦艦を建造しながら、それ以上に多数のエセックス級正規空母、インディペンデンス級軽空母、ボルチモア級巡洋艦、アトランタ級防空巡洋艦などを建造し、B29、P51、F6Fといった多数の航空機を建造する国力があってのことですが。当時のアメリカの国力は、「アメリカ以外の全ての国の国力を合わせたもの」に匹敵するか上回っていましたので、そのような離れ業が可能でした。

アメリカが建造したアイオワ級高速戦艦は、1990年代まで戦闘力を保った状態で保管され、朝鮮戦争や1990年の湾岸戦争では艦砲射撃を行いました。戦艦による艦砲射撃は、核兵器以外では最強の部類に属します。

アイオワ級戦艦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4% …

アメリカ以外の列強は、第二次大戦開始後は戦艦の建造を停止しています。戦艦を建造しながら戦争を行う国力がなかったからです。

戦勝国になったイギリスやフランスは、「第二次大戦の終結後」に戦艦を完成させています。質問者様はこの事実をどう解釈しますか?

イギリス:ヴァンガード(1946年完成)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1% …

フランス:ジャン・バール(1949年完成)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3% …

同じく戦勝国になったソ連も、独裁者スターリンの命令で第二次大戦後に戦艦を「複数」建造していましたが、スターリンの死(1953年)で中止されました。

こうした「諸国海軍史」を総括的に学べる本としては

世界の戦艦―砲力と装甲の優越で艦隊決戦に君臨したバトルシップ発達史
出版元:学研
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81 …
をお勧めしておきます。絶版書ですが、アマゾンのマーケットプレイスで購入可能です。

なお、
「たとえばイギリスでは主砲口径40センチ(ネルソン級)→36センチ(キング・ジョージ5世級)と、遠距離砲戦を否定するような動きになっています」
キングジョージ5世級の主砲が14インチであり、それより古いネルソン級の16インチより小さいのは、軍縮条約の縛りによるものです。「遠距離砲戦を否定」したものではありません。

イギリス海軍では、14インチ砲装備のキングジョージ5世級を「攻撃力不足」と考えており、それに続く新型戦艦として、16インチ砲搭載のライオン級4隻を建造決定し、2隻について建造を開始しましたが、第二次大戦勃発のため建造余力がなくなり、建造中止・解体しました。

ライオン級戦艦
着工したが建造中止:ライオン(Lion)、 テメレーア(Temeraire)
予定のみで着工せず:サンダラー(Thunderer)、コンカラー(Conqueror)
http://military.sakura.ne.jp/navy3/uk_lion.htm
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。また、お礼が遅れ申し訳ありませんでした。

ご指摘の通り、事実に誤認がありました。先入観から、歴史学でやってはいけない現代の価値観からの評価をしていました。
戦艦の優位性が否定されたというよりも、コスト対効果で製造されなかっということですね。
例示されている二艦がその後60年に両方前線からひいているのは、ミサイル技術などの発達で戦術思想の転換が行われたからでしょうか。アイオワも62年に改修案がだされているようですし、戦艦時代の終焉は60年あたりまでは引き伸ばせそうです。

するどい回答、ありがとうございました。書籍は早速注文させていただきました。

お礼日時:2008/01/17 23:33

いろいろと原因はあります


・日露戦争の日本海海戦での戦艦の大活躍
・東郷平八郎が長い間、海軍最高顧問(元老的位置)として君臨
・大艦のほうが予算がたくさん取れて官軍の存在感が増す
・外国よりも大きい大砲を持つことが安心感につながる
・飛行機の攻撃力の無さと信頼性の無さ(当時の技術では)
・飛行機はガソリンなど維持費がかかり貧乏国日本には荷が重い
などなどですね
しかしながら、根本的な原因は「人事」です
大艦巨砲主義を叫ばなければ「出世本流」に乗れないと
いうことです
へたに 航空機優先 など言おうものならたちまちにして
海軍省や海軍軍令部などの中核組織からはずされてしまいます
それが怖いので、「航空機有利」を気づいていた人でも
それを口に出せないということです
結局は「戦艦に乗り」「航海仕官か砲術仕官」しか最高幹部に
なれないわけですから、そんな軍人ばかり集まっている
ところでは「大鑑巨砲主義」しか存在できないわけです
さらには
海軍の顧問(退役した元将軍たち)のなかには、日露戦争を
経験した人が多いですし、将官クラスの人事はこの人たちが
決定したりしますから、この人たちにとって耳ざわりの良い
ことを発言しておくことも大佐から将官へ出世するためには
大事なことであるわけです

数少ない航空機派の山本五十六大将と大西滝次郎中将は
海軍幹部ではありますが、中央組織(東京)ではなく、現場司令官
という位置です(法的には海軍大臣・軍令部長の部下)
ある意味では、中央から遠ざけられて敬遠されていたと
いうことになります
山本の部下で航空機派の源田実も海軍一の頭脳と言われながらも
少将になれずに大佐止まりになっています




 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。また、お礼が遅れ申し訳ありませんでした。

非常に説得力のある回答です。組織の根幹は人事ですから、そこを大鑑主砲派に占められている組織は、全体がその風潮になるのも当然の流れですね。回答、ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/17 23:18

まず、大鑑巨砲主義の前提となる遠距離砲戦思想ですが、きっかけは第一次大戦のユトランド沖海戦でした。

ドイツ側が仕掛けた遠距離砲戦(当時の想定の倍、2万メートル)において、横からではなく上から飛来する大落角砲弾に対し、戦艦の側面装甲が役に立たない事実が判明しました。
その後、各国とも遠くへ飛ばせる主砲の開発に躍起となり、巨砲を乗せるための大鑑が必要になりました。日本もその動きに乗ったわけです。ただし米英では「遠距離砲撃は当たらない」という極めて常識的な結論に至ったらしく、たとえばイギリスでは主砲口径40センチ(ネルソン級)→36センチ(キング・ジョージ5世級)と、遠距離砲戦を否定するような動きになっています。
日本では「乗員に猛訓練をほどこし、精神力で当てる」という必勝の信念があったようですが、現実に太平洋戦争で発生した諸々の海戦において、異常なほどの命中率の低さを歴史に残す結果となりました。
なお、遠距離砲戦において弾着を視認するのは困難なので、必要とされたのが航空機です。大鑑巨砲主義と空母建造は当初セットだった点も指摘しておきます。(空母として建造された世界初は、日本の鳳翔)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼が遅れ申し訳ありません。

ご指摘の戦艦と空母がセットであった、この認識も欠けておりました。戦艦のみで勝てるはずはありませんね。するどいご指摘、ありがとうございます。

お礼日時:2008/01/17 23:14

■二次大戦前



世界的な戦争の主役はあくまで列強(一次大戦後に戦艦を建造できたのは米英日仏独伊、他に加えれば露)であり、
その中でも海軍国の主流(戦艦を作れる国)は大艦巨砲主義を捨てていなかった。
# 作れない国は他に活路を見出すしかないわけですが、そういう国はまぁ空母も作れませんからたいてい雷撃に走ります。

一つに、純粋に軍事的な話として、*艦のみで直接砲戦をする限り*
「戦艦を倒せるのは戦艦だけ」という考え方は誤りではないこと。
# 飛行機や小型艦の雷撃(魚雷)強化が戦艦の価値低下につながります。

戦艦は、自分の砲のサイズに耐えられる装甲を持つのが基本です。
また、艦体が大きいと発射の反動も抑えやすく、大きな砲が積めます。
大きな砲は威力も大きく、反動が押さえやすいためより遠くまで飛ぶし、精度も上がる。(小型艦で大砲を撃つと揺れで精度が落ちる)
つまり、ライト級を相手にしたヘビー級格闘家のような戦いが可能です。
速度が遅い欠点がありますが、戦艦の制海は「沈まない最強の大物がドンと居座っていること」が重要で、
小回りは艦隊に随伴する駆逐艦などがいます。

当時、一次大戦などを受けて空母の必要性は認識されていましたが、
それは必ずしも戦艦の必要性を否定するものではまだなく。
(索敵への有用性や、機動打撃自体は認識されていたものの、戦艦の優位を覆せることは二次大戦まで実証されず)

他の方の回答にもありますが、軍人は保守的です。平時は戦時にかなわないことを一番知っています。
そして戦時の失敗は敗戦につながります。ゆえに実戦証明(Combat Proven)を大きく考え、契機なしに方針を変えません。

そして次に、戦艦の価値は政治的にも重要であったこと。
戦艦は一兵器の枠を超えた国家のステータスで、外交上の発言力から違います。
艦載機を含む空母保有も評価はされていましたが、力の象徴「戦艦」は別格でした。(持てる国の自負も含め)

そして、政治価値のベースでもありますが、世界で数カ国しか建造運用できないほどの、その一隻の値段の高さ。
大枚叩いて買った戦艦を多数持つ国が「やっぱ戦艦は駄目です」となると過去の判断が問われかねません。

■二次大戦開戦後

プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを航空機に撃沈された際の、
英国首相チャーチルの衝撃「戦争の全期間を通じてこれほど直接な衝撃はなかった」(回顧録)も、
開戦当初、戦艦はまだ航空機には負けないと考えられていたが故です。
大艦巨砲が否定されるようになったのは、この撃沈劇と日本の機動艦隊運用が発端であり、
後世からみておかしいと思うことも当時は通説ということは多々あります。

それはそれとして、日本海軍が航空優勢も失い敗戦色が濃くなってからも戦艦に走った背景には、
守勢に立つと「航空機は防御力がない」いうジリ貧さもあったと思われます。
「操縦者個人の技量によるところが大きい」という点も重要で、
既に航空機の熟練操縦者が減っていましたから、どんどん飛行機は落とされるのです。
大量生産体制の弱い日本が、米国と同じ土俵での勝負になったらどうしようもありません。
活路を見出すには、速度や、質、頭脳など、数以外の部分で勝負しなければいけません。
零戦なども当初質では優勢にありましたが、数を覆せるほどの差ではなくなっていましたし、
費用対効果も悪いです(高コスト+撃墜がかさみ、更に操縦者の錬度低下…)。

ああなってしまうともう、追い詰められた狂気/妄信の要素もあるのかも知れませんが、
起死回生の一発を狙うには「数を覆す決定的な性能差」が必要であり、
目先の航空機でそれが叶わないなら、一か八か再度戦艦による大艦巨砲の夢よもう一度、
というところにあるようにも思えます。
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この回答へのお礼

丁寧な回答、ありがとうございます。お礼が遅れ申し訳ありませんでした。

大戦中の詳しい経過までは知りませんでしたので、Wikipediaでマレー沖海戦について見たところ、日本軍側の未帰還航空機がわずか3だったんですね。ワシントン会議でも言われていたような政治・外交的な意味も含んだ戦艦の代償としては、衝撃的な結果です。それでも、日本側にはそれにすがる必要性があったと。いくら考えても勝てそうにありません。

私の認識では、大戦で戦艦の必要性が否定された程度にしか考えていませんでした。もう少し勉強してみます

お礼日時:2008/01/17 23:10

すべての国がそうでした。

理由も簡単、敵より遠く弾を飛ばせば勝てる。すると砲が大きく重くなり、大きな船が必要だった。
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この回答へのお礼

回答、あちがとうございます。またお礼が遅れ申し訳ありません。

ご指摘の通り、「すべての国がそうだった」という認識が抜けていました。日本だけの通念でないのは当然ですね…するどいご指摘、ありがとうございます。

お礼日時:2008/01/17 22:48

アメリカ海軍ついでに日本海軍の方向転換を書けば


大和型三番艦の予定だった110号艦は、ミッドウェーの敗戦(1942年6月)を受けて、空母になることに方向転換。
アメリカのエセックス級空母(大戦後半の主力空母)は、開戦前に発注されています。

つまり、日本海軍は、戦艦よりも空母だと方向転換したが、アメリカ海軍は方向転換しなくても予定通りの発注に基づき、戦艦も空母も造っていたということになります。
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この回答へのお礼

早々の回答、ありがとうございます。お礼が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。まさかこんなに回答があるとは…

示唆に富んだ回答、ありがとうございます。確かに軍隊は失敗が許されない性質上、保守的になるのも当然の流れですね。

お礼日時:2008/01/17 22:44

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