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司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は御屋形、ある人は信玄公、ある人は信玄様とさまざまな呼び名で統一されなかったのには意味があったのでしょうか。

ある身分の人ならば織田様と呼び、ある身分の人は、弾正忠様と呼び、ある身分の人は信長様と呼んで良いなんていう規則もあったのでしょうか?

また農民とかならば、個人を特定するような名前自体存在しなかったのでしょうか。
小説で読んだ中では志乃とかお清とか名前はみかけたので、名前がないということはあるでしょうが、人々の命名規則等は存在したのでしょうか。
(苗字は名乗ってはいけないとか、こういう名前を使ってはいけないとか言う規則はあると考えています)
(また、将軍の姓を使った織田とかは名乗れなかったと思います)

苗字を名乗れるのは、どういう身分の人たちなのでしょうか。
小説の中で山崎屋とか商人の人々には名前があったと思うのですが、村里の人々での苗字はみかけませんでしたし。

質問がわかりづらいかも知れませんが、
1.身分によって相手を呼ぶときの名前に対し厳しい制約は存在していたのか。
2.庶民(農民、商人等)の人々の名前についてどういう命名規則があったのか。
(農民は名前のみ、商人は苗字(店の名前)のみ、武士は苗字+名前を名乗ることができたなど。)
3.また、命名規則があればどのような名前が多かったのでしょうか。
(農家の男なら五平、六平。女なら志乃、清など)
の3つ教えてください。
よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・



時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分の人たち、名主クラスです。

次に中大夫・平大夫・五郎大夫など大夫が付く人が10名・・・中介・江介・三郎介など介の付く人が6名、「大夫」や「介」は古代の令制の官位の呼び方ですが、すでにこの時代には農民が、一定の年齢に達した時、幼名から改名する際に使用していたようです。

新検校・惣別当・安寿など名の付く人が3名・・・「検校」や「別当」「安寿」などは、ご存知のように本来、寺院や荘園・官庁の役職名ですが、やはりこの時代ではすでに農民のレベルでも名乗っています。

次に、かい丸・牛丸と「丸」の付く人が2名・・・「丸」は本来、幼名に使用する文字ですが、牛飼いなどの運搬業に携わる人は、成人しても使用していたそうです。

平細工・孫太郎細工と「細工」と付く人が2名・・・彼らは手工業の職人だったと思われます。

残り24名は、この時代の農民の一般的な名前と言える物・・・藤内・源内・中江・孫太郎・孫二郎・彦二郎・平二郎・藤二郎・弥二郎・中三郎・惣四郎・孫五郎など、この中の「彦」や「孫」や「弥」は全国的に使用されている最も一般的な文字です。
「平」「源」「藤」「中」は貴族の姓を名前に取り入れています。
その後につく二郎や三郎というのは、お察しの通り、大抵は出生順の「○郎」と付けたようです。
彼らは、小百姓層の人たちです。

以上、先にも書かせていただいたように、これらの名前はすべて、中世の惣村の農民の名前・・・一揆の起請文の署名です。
女性の名がないのは、一揆の場合の署名は、一家の家長が代表して行う事が多かったためだと思われます。

長々と書いてしまいましたが、少しは参考になりますでしょうか?
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>戦国時代の人々の名前について



武田信玄は徳栄軒信玄について考えてみました。
「元服前」
武田勝千代

「元服後」
武田太郎晴信
武田大膳大夫晴信
武田信濃守晴信
源晴信
源朝臣晴信

武田=苗字・家名
勝千代=幼名
太郎・大膳大夫・信濃守=仮名(けみょう)・通称・字(あざな)
諱(いみな)が一般に使用されないために、通常相手を指すと
きに使用する名。
  太郎=輩行名(兄弟や親族間の順序を表す名)
  大膳大夫・信濃守=官職(大名の場合朝廷からの正式な任命が行わ
れることが多いが、一般の武士の場合「○○衛
門」などの大名からの与えられた通称や、私称
の官職もどきの名が多い。)
晴信=諱(いみな)=忌み名とも書かれ、親や主君等目上の者しか知ら
ない名。原則的には公式文章等でしか使用しない
          。元服時につけられるのが一般的です。
  晴=将軍「義晴」の一字を賜ったもの。「偏諱(へんき)」と言
    い、上位者から賜るが、名誉なこととされる。
  信=通字=家代々に使われる名の一字。武田氏の場合父が「信
       虎」、弟が「信繁」、子が「義信」のように代々「信」
       が通字として使われている。
源=氏(うじ)=武田氏は清和源氏出身であるため、氏は「源」。
朝臣(あそん・あっそん)=姓(かばね)=氏族に与えられた称号。身
                    分や職業を表す。
*元服後の正式な名乗りは次の形式であることが一般的です。

  武田「太郎」源(朝臣)晴信

  「」の中は、任官すれば官職名が入ります。一般の武士の場合は上
  記の通称が入ります。
  (朝臣)は使用しない場合もあります。
出家後
  法諱=信玄。別号=徳栄軒。院号=法性院。道号=機山。
  法性院機山信玄大居士・
信玄は出家後には徳栄軒信玄と名乗ったようです。

以上参考までに。
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フルネームで呼ぶのであれば、織田信長は


「織田(名字)上総介(官位)平(姓)朝臣(天皇の臣下を表す)三郎(通称)信長(諱)」
となります。名字は「地盤を持つ地域」で呼ばれるのが普通で、信長は「織田庄」に地盤を持っていました。官位は本来は「朝廷から授かるもの」で、戦国時代は「自称」が多くはなりました(信長の上総介も自称です)。
姓(かばね)は官位同様朝廷より賜るもので、勝手に名乗ることは「本来は」許されないものでした。信長の本来の姓は「忌部氏」と言われます。
通称は普段用いられる名前。家族や兄弟間ではこの通称が使われました。かしこまった場所でなければ、主君が呼んだのもこの通称だと言われています。
諱はかしこまったときにだけ使われる名前です。天皇に拝謁するときなどです。

ですから通常、配下の者が「信長様」などと言う事はありません。特に「ストレートに名前を呼ぶことはとても失礼なこと」でしたので、よほどの身分でもなければ、諱を呼ぶことはあり得ません。
一般的には名字、または官位に敬称として「様」をつける。ただ、臣下(一時的に指揮下にはいる配下と、主従関係を結ぶ臣下とは異なります)であれば「御屋形様」や「殿」などと呼んでいた事でしょう。家督を継ぐ前であれば「若、若様」。家督を譲った後であれば「大旦那様」や「大殿」など。

武家の同輩同士が呼び合う場合、親しい間柄であれば通称。そうでなければ「名字、または官位」。これは主が呼ぶ場合も同じです。ただ同輩と異なり、「様」や「殿」などの敬称は略していた事でしょう。

庶民では諱までつけることはほとんどありませんでした。ただし、名字を禁じられていた訳ではありません。公の場で名乗ることは出来ませんでしたが。そのために多くの庶民は江戸の世で「名字を忘れ」、明治になってから新たに名字を作った者も多くいました。
越後屋などは「屋号」で、名字でも姓でもありません。
通称は「自由につけること」が出来ました。例えば「~兵衛(ひょうえ)」「~之介(丞、佑、輔なども同じ)」と言う官職であっても、通称では使う事が出来ました。ただし、大和守と言った「国主を表す官位」だけは江戸幕府の統制下にありました。
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1.まず信長とか光秀とかいう実名は親か主君くらいしか呼べません。

ふつうは目上からでも上総介とか十兵衛とか呼びます。目下からは織田様、明智様とかですが、家臣なら殿様、御屋形様(大名クラス)ですね。(上級の家臣ならば○○守といった受領名を許されることもありました。)
2.命名規則があるわけではありません。
この時代は武士と農民・商人に明確な区別はありませんので下層庶民は別として苗字を持っている人はたくさんいました。
ただ男性については身分によって名前は多少違いました。
何とか兵衛とか名乗るのは上級の庶民か武士で、何吉といったような名前は下層の庶民というのが普通です。
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Q戦国時代の武将達の名前

昔の人達って苗字と名前の間にもなにか入っていますよね。
例えば、
「馬場美濃守信春」でいう
美濃守の部分です。
美濃って地名ですよね。
それでみんなそんなふうに地名がついてるのかと思えば、
本多忠勝は、
「本多平八郎忠勝」
高坂昌信は、
「高坂弾正昌信」
になっていました。
これは一体どういう風に決まるのか、また、どんな種類があるのか、わかるかたどうかお教えください。お願いします。

Aベストアンサー

官職については、延々と同じ質問が出ているので。コピペ状態はさすがにあれですから、下のURLを見てください。美濃守はこれです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2280400

あと、本来的に律令制にもとづく、官位官職については、以下のURLを参考にしてください。

http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/index.html

http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kanitop.html


また、平八郎は、通り名というものです。当時、名前(忠勝など)と言うのは諱(いみな。忌み名)と言うものでして、家族か目上の人以外は基本的に呼んではいけないものでした。

おおよそ元服時に名と一緒に決めることが多いのですが、つけ方はいくつかあります。
まず、太郎次郎系。これはそのままです。現在にも続いていますが、通り名の代表ですね。
そして、又左衛門、とかいった「官職名のもじり」です。もともと左衛門というのは、衛門府という役所の右左の左なのですが、それをもじったものですね。まあ、官職もどきともいえます・・・
ちなみに、こちら二つはだいたい一族で続けて名乗っている場合が多いですね。なお、高坂は「源五郎」を名乗っています。弾正忠は、官職名です(本当は大忠と少忠に分かれるのですが)。

官職については、延々と同じ質問が出ているので。コピペ状態はさすがにあれですから、下のURLを見てください。美濃守はこれです。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2280400

あと、本来的に律令制にもとづく、官位官職については、以下のURLを参考にしてください。

http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/index.html

http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kanitop.html


また、平八郎は、通り名というものです。当時、名前(忠勝など)と言うのは諱(いみな。忌み名)と言うもので...続きを読む

Q侍や忍者でかっこいい和名を教えてください

私は今小説を書いているのですが、キャラクタの名前が中々思い浮かびません。
そこで侍や忍者でかっこいい和名を教えてください。

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Q昔の武士の男の子の、○丸という名前

森蘭丸とか牛若丸とか、昔の武士の男の子には「何とか丸」のような名前が多いと思います。
世阿弥が藤若とか鬼夜叉…とか、源義経が遮那王とか牛若丸とか、
その時によって呼び名が変わったと読んだことがあるのですが、
こういう幼名のあった男の子は、武士に多いのでしょうか?
身分の低いお百姓や職人、商人の子には、こうした幼名は付きませんでしたか?

また、この「何とか丸」という名前ですが、今、牛若丸と蘭丸くらいしか思い出せません。
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Aベストアンサー

昔の子供や船に、何々丸とつけたのは鬼(災い事)にもっていかれないためにです。昔は今ほど栄養状態もよくなく医学も進んでいませんから子供が立派に元服まで成長するのは大変だったのですね。

ではなぜ、「~丸」とつけるのか?
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鬼は、臭い匂いを嫌い近づいて来ないので、魔除けとしての意味があった、という説があります。

Q昔の名前のつけ方

山田風太郎の小説を読んでいて、江戸時代の男性の登場人物で、采女という名前(苗字ではない)が出てきました

wikipediaで采女を調べてみると、朝廷に使える女官の事だとわかったのですが
それならば何故男の名前として采女という名前が出てくるのでしょうか

また、その他にも江戸時代の名前と言えば、熊五郎だとか、八兵衛、お縫、修理ノ助など、
子供の将来への期待をこめて名前をつける現代の私から見ると何を考えているのかわからない名前がよくありますが
その当時の人々はどういう理由で名前をつけていたのでしょうか

解答お願いします

Aベストアンサー

>大名や地位の高い剣豪などの名前と比べ、安直な名前に思えていましたが

幼名は竹千代、などやはり縁起や長寿を願ったような名前が付いていますよ?
家康はいみなであり、普段使う名前ではありません。
幼名以降の名前も変化しています
高い地位の人はいみな、字、姓や氏などかなり複雑な名前で
時期によっても変化しますので調べてみるとおもしろいですよ

ここで述べると長ったらしい話になるので割愛しますが…。

いずれにしても親が長寿や立身出世、安定した願いをこめてつけたというのは
今の時代と変わらないのではないでしょうか。
今は生きること、食べることへの危機感がないので
愛されるような名前とか、風光明媚だったり人との関係とか自然を入れる人も多いですね。
心、愛、優、空、海…が近年好まれてると思います。
これも人とのつながりが生きていくのに重要な時代だからというのもあると思いますけど
いずれにしても子供の幸せ、健康、安泰を願っていることとは変わりませんね。
昔はそれを病魔や悪鬼を避けるために縁起を担いだというだけで。

秀吉の子供などは、捨て子はよく育つという縁起をかついで捨丸としたところ早死にしたので
次の子には縁起物を拾ったという拾丸、という名前が付いています。
縁起だけじゃなくて実際にわざと捨てて拾う真似までして。
これも今の感覚で漢字だけ見ると捨てたの拾ったのってなんだ?と思うかもしれませんが
やはり子の長生きを願った縁起が担がれています。

庶民でも厄年の子や病弱な子などを一度捨てて拾う形式を取る場合もあるというので
そのあたりも庶民も同じじゃないでしょうか。
はたから見ると奇妙でも、現代でも画数が悪いといって奇妙な字を名前に使ってみたり
改名したり、普段使いに別の字を使ったりする人もいますから。

>大名や地位の高い剣豪などの名前と比べ、安直な名前に思えていましたが

幼名は竹千代、などやはり縁起や長寿を願ったような名前が付いていますよ?
家康はいみなであり、普段使う名前ではありません。
幼名以降の名前も変化しています
高い地位の人はいみな、字、姓や氏などかなり複雑な名前で
時期によっても変化しますので調べてみるとおもしろいですよ

ここで述べると長ったらしい話になるので割愛しますが…。

いずれにしても親が長寿や立身出世、安定した願いをこめてつけたというのは
今の時代と変わらな...続きを読む

Q平安時代の庶民の名前

 執筆中の小説に平安時代のキャラを出そうと思っているのですが、当時の庶民(貴族以外)がどんな名前だったのが全然わかりません。

 部曲の廃止とかで名字は勝手に名乗っていたらしい、とか、庶民の女性は「~女」が流行っていた、男性は「~右衛門、~左衛門、~兵衛」がほとんどだった、までは調べられたのですが、そこで行き詰まってしまいました。

 直接教えていただけなくても、参考となるサイトのURLを貼っていただくだけでも構いませんので、ご助力の程、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは、初めまして。
中古文学&平安時代にハマって◎◎年の専業主婦です。
平安時代の庶民の名前・・・との事ですが、まず女性名については
『日本の女性名』角田文衛著を読まれると大変参考になると思います。
皇族貴族から遊女まであらゆる階層の女性の名前を紹介しています。
ある程度の規模の公立図書館もしくは大学図書館に蔵書されているかと思いますので、確認してみてください。ちょっと前に復刊されたのですが、それは大変高価で豪華な装丁がされています。20年ほど前に刊行されたものは上下(上巻ですよ)に分かれていて手頃で読みやすいので、こちらをお薦めします。(ネット検索できる図書館はたくさんありますよ)
男性名に関してはこれといってご紹介できる専門書は知らないのですが、「~右衛門、~左衛門、~兵衛」は少しばかり年代が下るのではないでしょうか?(室町時代以降位かな・・・と。専門家ではないので余り適当な回答を差し上げてはいけませんが)貴族といっても天皇周辺の大貴族から六位以下の下人や位官を賜っていない者まで様々です。また庶民にも平安京に住む下層の貧民もいれば、京より遙か遠くの地方在住でも実際は大規模な土地保有者で非常な富豪である者(負名・田堵といいます)もいます。
角田文衛氏の『平安人物志 下』の<大春日兼平>という章に、長徳二年(996年)に京で強盗を働き逮捕された者の名簿の一覧がありました。そこには<藤井国成><田辺延正><伯耆?吉><津守秋方><能登観童丸>などといった名前があげられております。仰るところの<庶民>かどうかは確認できませんが、位官については明記がないので官人では無いと思われます。
余り詳しい資料をご紹介できなくてすみません。

こんにちは、初めまして。
中古文学&平安時代にハマって◎◎年の専業主婦です。
平安時代の庶民の名前・・・との事ですが、まず女性名については
『日本の女性名』角田文衛著を読まれると大変参考になると思います。
皇族貴族から遊女まであらゆる階層の女性の名前を紹介しています。
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Q江戸時代に名字(姓)を持っていた農民、商人はいましたか?

江戸時代まで名字(姓)が許されたのは、貴族、武士だけだと学校では習いました。一般庶民が名字を持つようになったのは、明治時代からだと思いますが、本当に江戸時代に名字を持っていた農民、商人はいなかったのでしょうか?

一部の有力な農民、商人の中に名字を持つ者はいなかったのでしょうか?もしいたら、それはどういう理由から持つことを許されたのでしょうか?

ご教授願えませんか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「誰でも苗字は持っていたけれど公的には使えなかった」というのが私の見解です。(全く持ってなかった人もいたとは思いますが)
その証拠のひとつに江戸時代の墓を見てください。俗名は苗字付きで書いてあるはずです。その他、手紙など私的な文書には使用は可能だったでしょうが、売買証文など公的なものはだめでした。
藩に多額の献金をするなどの功績があると苗字が御免になることがあります。庄屋や大商人にも許されていますが、庄屋とか大商人という理由だけで許されたわけではないようです。古文書を見ると苗字なしで署名している庄屋もいます。
その許され方も「一代限り」とか「永代」といった区別がありました。
商人は一般に「屋号」を使いますが、苗字が使えないのでその代わりに屋号で呼びあったという研究者もいます。
教科書に書いてあるような江戸時代の「常識」はいい加減なものですね。私もあきれています。

Q戦国時代の服装

戦国時代~安土桃山時代の服飾に触れている資料を探しています。武士だけでなく、女性、庶民や僧侶などまで網羅しているものはないでしょうか

Aベストアンサー

やっぱり、このサイトじゃないでしょうか・・・
有名なので、もうご存知かも知れませんが・・・

http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000100

Q戦国時代に乗っていた馬

戦国時代に武将たちが乗っていた馬はテレビとかでみて知っている 大きなものではなく
ずっと体の小さな馬だったと聞いたことがあるのですが 本当ですか?

だとしたら 迫力なくてしょぼい気がしますが…

Aベストアンサー

毎度どうもね。

諏訪湖の辺りだったかな、場所はちょっとうろ覚えですが、あの武田家の領地から戦国時代の馬の骨が出土したそうです。かなり丁寧に埋葬されていたそうで、馬といえども大切に扱われていたことがうかがえるそうです。
その大きさは、ほぼポニーと同じ。幕末の写真を見ても平均身長150センチの時代にまたがったら足がつきそうなほどだったので本当に小さかったようですね。
また、戦国時代当時は蹄鉄がありませんでした。だから、ワラで作った沓を履かせていたようです。ゆえにあまり無茶はできません。実際問題、当時の宣教師が残したものには「ヨーロッパの騎士は戦闘になると馬に乗るが、日本の武士は戦闘になると馬から降りる」と書かれてあります。馬ってのは基本的にかなり「高級な乗り物」なんです。皮膚が弱いので衛生状態をよくして世話してやらないとすぐ皮膚病になるし、水をちゃんと飲ませてやらないと便秘になってフン詰まりで死んじゃう。はっきりいえば、人間より手間がかかるんです。

さて、その日本の馬のしょぼさが明治近代陸軍の最大の問題になります。馬が小さすぎて物資や大砲を引っ張る駄馬はもちろん、騎兵馬がどうにもならない。しかも日本の馬というのは当時去勢されてなかったそうで、優秀な軍馬を集めようと明治陸軍が馬を一堂に集めたら、牡馬が一斉に盛ってしまって収拾がつかない大混乱になったと記録に残っています。
そのため、日本の内国産馬の育成の奨励のため競馬が行われるようになりました。JRAは元々は優秀な軍馬を育てるために発足したのです。
日露戦争でも、コサック騎兵で有名なロシアの軍馬に比べると日本の馬はかなり見劣りしたそうです。そのせいか日露戦争では騎兵同士の会戦というのはほとんど行われていません。日本軍があえて回避したようです。遡って日清戦争のときは「騎兵がしょぼい」のが悩みだったようです。
なにしろ、幕末の日本馬でもポニークラスなのに、それよりやや時代が古いナポレオンの軍隊の騎兵馬ときたひにゃ体重が800キロくらい(ちなみに今のサラブレッドが500キロくらいです)、こんなに大きな馬は日本ではばんえい競馬くらいです。重さ800キロが時速40キロくらいで突っ込んでくるんですから、ほとんど軽自動車が突っ込んでくるようなもんですわ。それを肉体で受け止めるスコットランド歩兵もどうかと思います。ワーテルローのネイ将軍の突撃は、さぞや迫力があったと思いますよ。

毎度どうもね。

諏訪湖の辺りだったかな、場所はちょっとうろ覚えですが、あの武田家の領地から戦国時代の馬の骨が出土したそうです。かなり丁寧に埋葬されていたそうで、馬といえども大切に扱われていたことがうかがえるそうです。
その大きさは、ほぼポニーと同じ。幕末の写真を見ても平均身長150センチの時代にまたがったら足がつきそうなほどだったので本当に小さかったようですね。
また、戦国時代当時は蹄鉄がありませんでした。だから、ワラで作った沓を履かせていたようです。ゆえにあまり無茶はできませ...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

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例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html


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