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メンタルヘルスに書き込むべきか悩みましたが、
こちらの方が合ってる気がしたので、こちらで質問させて頂きます。

私も人間なので、たまに「うまくいかないなぁ」と悩むことは
多々あるのですが、そういう時は大抵「何かに依存している」ために
悪い状態に陥っているような気がします。

それが例えば、特定の人であったり、地位であったり、モノであったり、
職業であったり、自分の特性であったり。
「依存」するとバランスが悪くなるので、うまくいかないのでしょう。

で、そういう状態になると「どうやって抜け出そう」と考えるのですが、
これが難しくてうまくいきません。

安易な発想で申し訳ないのですが、麻薬中毒を例に
考えたりもします。
麻薬に手を出しても、最終的に「抜け出せる人」がいるわけですが、
そこには抜け出すコツがあるのでしょうか?
それとも、その人はただ”偶然”やめられたのでしょうか?
例えば「病院にいく」というコツ(方法)も考えられますが、
そもそも病院にいく気が起きない人が大多数でしょう。

今のところ、私は「そんなものない」という感じがします。
麻薬にしてもそうですが、抜け出せる確かな方法がないからこそ、
「手を出すな」といわれているのだとおもいます。

程度の問題を無視した質問かもしれませんが、
「依存」という状態に陥ってから本人の意思で抜け出す方法は
あるものでしょうか?
それとも「依存」に陥るのを防止する以外に手はないのでしょうか?

アドバイスやちょっとした感想などでも構いませんので、
ご回答お待ちしております。
どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (5件)

>麻薬に手を出しても、最終的に「抜け出せる人」がいるわけですが



「抜け出せる」というよりも「抜け出させる」んでしょうね、周囲の強力な制御によって。当人は、もはや自分でコントロールできないのですから、しかたがありません。それはもう断末魔の苦しさだそうです、禁断症状で。

>例えば、特定の人であったり、地位であったり、モノであったり、職業であったり、自分の特性であったり

そういったものに依存することには、そこに本人にとって何らかメリットがあるからですよね。そのメリットが、さしあたってデメリットよりも大きいと思える限り、そこから離れようとしません。
麻薬などは極端な激烈な例ですが、そういう薬物依存とは別に、通常の生活のなかでの一種の依存状態というものを考えるなら、そこから離れるきっかけとなるのは、メリットが得られなくなるか、メリットを上まわるデメリットが出現した場合です。

私が知っている人を例に出しますと、もうけっこうな年齢になっている人なのですが、これまで、まともに仕事をして自分で自分を養っていくという経験をあまりしてこなくて、若い頃は親がかり、親とうまくいかなくて家を出てからは他人の家に居候して(本人は同棲と言ってますが私に言わせれば同棲というのは対等な男女がするもので、食べさせてもらうためだけにしているのだから実質は居候です)やれ勉強だ趣味だと学生気分や芸術家を気取っています。けれども相手の人も決して心から受け入れているわけではなく、しつこい懇願に負けて、一人でいる寂しさよりはと渋々めんどうをみてやっているというような内実ですから、これまでも何度となく別れてくれと言われたようですが結局、必死に追いすがっては、よりを戻しています。
このまま続いていけば、年齢を重ね、いずれは相手が病気になったりして、自分が看病をしてやり最後を看取ったとしても、婚姻関係にないのだから死ねばそれまで、何のキャリアも保証もない年とった女が一人、世間に放り出されます。或いは自分が病身になったとき、すでに心が離れている相手が看病してくれるかどうか。
そうなったら最終的には、年老いた親の元に帰るか、兄弟姉妹や、その子どもに、めんどうをみてもらい、皆に迷惑がられながら人生を終えるのでしょうか。
いずれロクな末路にならないことは予見されるので本人としても内心に重い気分を抱えてはいるのですが、それを直視したくないためもあって、たいして才能も見込めない趣味の世界などに没頭している毎日です。しかも養ってもらっている相手とは暴力沙汰の諍いが絶えず。
そんな生活に劣等感や不安を感じないわけではないようですが、でもなかなか抜け出せないみたいです。まず、自力で稼いで生活していくという自信がない、その厳しさよりは、侮蔑されようが罵られようが殴られようが他人に養ってもらうほうを選んでいるんです。本当の意味でプライドがないんですね。だから、ますます、こういう勉強をしているとか、こんな習い事をしているとか、そういうところで虚勢を張ろうとするんです。費用は出してもらってですよ。よくしたもので、これが身につかないのですね。それを生かして仕事にするだけの才覚もない。単なる浪費です。
こういう人が、その依存しきった生活から抜け出ようとしても自発的には困難でしょう、自活能力がないのが、まず問題ですから。若い頃ならスタートの切り直しを図ることもできるのですが、年齢的に厳しい、これまでウリになるようなものを身につけてきていないということで、相手の身の上に何か起きて、どうにも養ってもらえなくなるまで、すがり続けるでしょう。ですから抜け出せるかと言うよりも、放り出されるか或いは持て余した相手の暴力がもっと酷くなって、命が危ぶまれるくらいにならなければ、ぬるま湯のなかから出ようとはしないでしょう。つまりデメリットがメリットを超えない限りは。

このように、依存から抜け出すには、デメリットがメリットを圧倒する状態になって初めて、当人が行動を開始できるかどうかが分かれ目だと思います。当人にとって依然、何らかのメリットが少しでもあると感じられるうちは、抜け出そうとはしないのではないでしょうか。
やがて、はた目にもデメリットが大きくなってからでは、周囲が強制的に働きかけなければ本人の自力では身動きが取れなくなると思います。まるで、お湯に浸かったまま溺死する蛙のように。

自分で判断するには、目先のメリットと将来的なデメリットを天秤にかけることができるかどうか、何より、その将来的な展望が持てるかどうかが重要でしょう。それが持てない場合には目先のメリットに埋没してしまうと思います。或いは、それが目先のものか将来的に展望が持てるかどうかの判断力。
周囲の助言は重要ですし、依存状態から抜け出せなくなった場合にも周囲の助力が必要になります。ですから周囲の賢明なアドバイスは判断力の乏しい人には、ことに必要ですが、また判断力の乏しさゆえにアドバイスを受け入れなかったりもします。おまけに似た者どうしで共依存になってしまったりしたら、抜け出すどころか泥沼ですね。

>麻薬にしてもそうですが、抜け出せる確かな方法がないからこそ、「手を出すな」といわれているのだ

あらかじめデメリットを遠ざけ、将来性を確保するという点で、共通していると思います。堅実な姿勢を崩してしまってはいけないということでしょうね。私自身も、反省が必要だと改めて思いました。
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この回答へのお礼

お礼遅くなりました。

知人の方にしても、その生き方に疑問を持っていなければ
構わないでしょうが、悩みながらも抜け出せないのであれば、
本当に気の毒に思います。


>賢明なアドバイスは判断力の乏しい人には、
>ことに必要ですが、また判断力の乏しさゆえに
>アドバイスを受け入れなかったりもします。

確かに、仲間がいれば常に大丈夫とは言えないですね。
やはり依存から立ち直れるかどうかは「素質」による
部分が大きいような気がします。

お礼日時:2008/01/26 00:11

色んなものに依存すれば良いと思いますが、眠れなかったり、体に支障をきたすようであれば病院にたよるのもいいですし。

ただ、1つに固執して頼ってしまわなければ何も問題ないと私はおもいます。人間ですからもちつもたれつで!
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この回答へのお礼

お礼遅れました。

人間ですからしょうがないんですけどね。
私も普段「依存」のことばっかり考えてるわけでは
ないですし(笑)
でもバランス良く生きたい、と常々思うのは本当です。

お礼日時:2008/01/26 00:41

何かに依存したいという気持ちを持つ理由の一つとしては自分の


無力さではないかと思います。

自分の無力さを埋め合わせるために何かの力を借りたくなる。
もちろん自分の出来ないことを自覚して何かの力を借りて解決したり
することは悪いことではないでしょう。
問題となるのは自分の出来ないことを対外的に隠したいために何かの
力を借りていることだと思います。

自分は無力であってはいけない。
そう思えば何かの力を使って偽った自分で自分を維持させたいと
思いたくなるでしょう。
地位や学歴やお金やブランドや力があると思うものであれば何でもいいのです。
そしてそれに頼ることによってより自分の無力さをより強く感じなけ
ればならない状況に自分を追い込んでいくのです。

自分は無力であっていいと思えるのならば,必要なことは誰かにやって
もらえばいいし,自分で出来るようになってもいいでしょう。
今の自分でOK。
もちろん、それが何かに依存している自分であってもいいのです。
いまの自分を受け入れ、そこから新たな一歩をいつも踏み出していく
その繰り返しだと思います。
いまの自分は本当の自分でないと思っていては,どこから一歩を
踏み出していいかが分からないのです。
つまり,スタートラインに立つことが出来ていないということです。
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この回答へのお礼

お礼遅れました。

「無力」が原因である、というのに同意です。
できない部分を補うために何かで取り繕おうと
躍起になってしまうのでしょう。


>それが何かに依存している自分であってもいいのです。

依存しなければ生きていけないのであれば受け入れるしか
ないと思いますが、依存しない可能性があるのであれば、
私は抜け出したいし、またそうならないようにしたいです。

お礼日時:2008/01/26 00:37

薬物に関しては、体がそれを摂取しないと、具合が悪くなるようになるので、依存というか、それを摂取しないととても辛くなるので、なかなか断ち切れないようになる。



例えば麻薬中毒で運ばれた人が禁断症状が出始めると、体がガタガタ震えだし、呼吸は乱れ心臓も変化し苦しみますよね。
それで治療として麻薬を打ちますよね。
もし打たなかったら、心臓停止してしまうので。

麻薬は耐性があるので、中毒のレベルがひどいと、多量に摂取しないと効かなくなるんですね。
そうまでなると、体はもうボロボロになっていますので、耐性を少しづつ減らしていく作業をするわけです。
禁断症状がひどい状態の人が、いきなり麻薬を止めたらその人死にます。


>そういう時は大抵「何かに依存している」ために
>悪い状態に陥っているような気がします。
>それが例えば、特定の人であったり、地位であったり、モノであったり、
>職業であったり、自分の特性であったり。

抽象的でわからないのですが、、、
例えば 社会的立場が高い職業につくとか、社会的に求められる仕事をがんばってやるとか そういう心裡を 昇華 っていいます。

地位とか立場に固執し、それを得ることで満足感を得るってのを昇華っていうんです。

別に悪いことじゃないんですが、悪い状態に陥ると思っている理由はなんでしょう?
具体的にそれを希求した結果 どう悪いことになったのでしょうか?

例えばAをしないと社長とかリーダーとかになれない。
それでAは悪いことだと知りながら、リーダーになるためAをした。
しかしAをやった以上、リーダーになったがAの行為に対して代償を支払わなければならなくなった。
最初からリーダーになろうという野心を持たなければ、こんなことにはならなかったのに。

こういうことでしょうか?

もし、社会的地位が高いのを良いという価値観なら、それはあなたの個性ですので、それはそれでいいと私は思います。
他では得られない快感があるわけですよね。


中には社会的な地位に固執せず、普通を選ぶ人もいます。
安楽型なわけで、釣り馬鹿日誌の浜ちゃんみたいなもの。
社会的地位を望んでいないが、幸せな人生を送っており、他人に「不真面目」と低い評価を受けていても、気にしない。
しかも社長のスーさんに うらやましがられている。


浜ちゃんの性格だと、社会的地位は得られないし、貧乏なのでスーさんのように豪華な暮らしは得ていないし、沢山の部下も持っていないが、スーさんにとって、憧れの人生なわけです。


でも、スーさんの性格だと浜ちゃんのような生き方はできない。
浜ちゃんしかできないわけです。
部下は表面上社長のスーさんを敬っているが、仕事だからそういう関係になっているだけで、本気でスーさんを愛しているわけじゃない。
でも、彼はその人生にしかならないわけです。
だったら その状態を受け入れるしかないんじゃないかと。

もし、自分が浜ちゃんとして生まれ変わったら。
ノー スーさんの人生は今の通りに人生しか無かった。

浜ちゃんもそう。
そういう人生にしかならなかった。

しかも両者はその人生を受け入れているところに、幸せがあると思えるんですね。

オイディプスの人生は、予言されていたが、彼はその予言を知らず、後で知って予言通りの人生を歩み、父を殺し母と交わってしまったと知り、悲劇を味わうわけです。
このままだったらオイディプスは悲劇のままですが、オイディプスはその悲惨な人生を自分の人生だと容認したんです。
そうすることで、彼は自分の人生を肯定し、同化し、安楽の気持ちになった。

「こんな人生 自分の人生じゃあない」と否定している限り不幸なんです。

依存 つまり 自分の欲望から抜けられるかって考えるより、自分のありがままを受け入れるのが、安楽に結びつくように思います。

地位に固執し、社会的立場に固執し、その結果 悪いことも起こったが、それでもこれが私の人生 と受け入れるってできないですか?
それ この世に一つしかない あなただけの人生なんですけど。
所有者はあなたですので、あなたが受け入れなければ誰も受け入れないので、その人生は彷徨うことになります。
主人に拒まれてしまって、、、
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この回答へのお礼

お礼遅れました。

「依存」することが、必ずしも悪い結果を招くとは
思わないですが、バランスが崩れることで、周りが
見えなくなり正しい判断ができなくなる、という
ことが言いたかったのです。
少し言葉が足りませんでした。失礼しました。


>地位に固執し、社会的立場に固執し、その結果
>悪いことも起こったが、それでもこれが私の人生
>と受け入れるってできないですか?
「悪いこと」は、起こらない方がいいことだからこそ
「悪いこと」と呼ぶのだと思います。


脱線しますが、似たようなことで
「ナンバーワンにならなくていい。
なんたらかんたらオンリーワン♪」
という歌詞に表されるような考え方がありますが、
私は否定的です(歌は好きですが)

「オンリーワン」「そのままのあなたでいい」というものは
もちろんなくてはならない考えですが、
それは言うなればセーフティネットのようなもので
「ナンバーワン」になれなかった人のための心の受け皿に
過ぎないのだと思います。
最初から「オンリーワン」を受け入れるのを許せば、
何もしなくてもいいよ、と言うのと同じですから。


私は、あと10年くらいは、自分の人生を受け入れないで
生きていこうと思ってます。

お礼日時:2008/01/26 00:29

こんにちは!!


 仕事で、本物の依存者にかかわっている者です。

 まず最初に申し上げますが、文面を読む限り、ご質問者様はいわゆる「依存症」の人ではありません。だれでもなんかに興味や関心を持って暮らしていますよ!まずは安心してください。ただ、摂食障害にならないよう注意する必要はあります。

<「依存」に陥ってから本人の意思で抜け出す方法はあるものでしょうか?
 99%ありません。

<それとも「依存」に陥るの防止する以外に手はないのでしょう
 依存症にならないのが最善ですが、なってしまったら回復するしか方法がありません。

 依存症は本人の意思ではまず止められません。アル中がいい例です。医者にいって入院しても、その期間だけは大丈夫ですが、次のステップに進めないと、回復はむつかしいです。

 依存症からの回復には、「仲間」の協力が必要です。自分の意思では回復できないことを素直に認めて、お互いに回復を願う仲間と「止められないけど、止めないと人生がダメになるので、どうしたら止められるだろうか」と仲間と考えることを長期間継続することです。お互いの相乗効果が出てきて、一応の効果が認められています。専門的には認知行動療法の中の「グループ・ワーク」の手法です。

 結論として、一人では回復できません。同じような仲間と力を合わせれば可能になります。
 これ以上のことを知りたいときは、追加質問で何を聞きたいのか書いていただければ回答いたします。
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この回答へのお礼

お礼遅くなりました。

「グループワーク」
なるほど、やはり仲間の協力が不可欠ということですね。

専門家のご意見ありがとうございます。

お礼日時:2008/01/26 00:05

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