マザーグースの有名なうたで「誰がこまどり殺したの」というのがありますよね。
あれを誰かが大阪弁で訳していたと思うのだけど、
誰がどこでそんな訳をしたのかが思い出せない。教えて!

誰がこまどりいてもうた
ワイやとすずめが吐きよった
ワイが弓と矢でもって
クックロビンをいてもうた

たしかこんな感じだったと思います^^;

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A 回答 (1件)

小林信彦著「唐獅子株式会社」(新潮文庫)に、全訳が出ています。


今、横山やすしに関する文庫の新刊が売れてるから、
書店でも置いてるかなあ…

この小説の中で、ダーク荒巻という人が、
社内報に載せるために訳したことになっています。

この小説は全編パロディ(筒井康隆が解説で丁寧に種を明かしてます)ですが、
ほとんど面白さが古びてないところが凄いんですよ。

この小説家は、他にもすごい作品がいっぱいあります。
これが面白かったら、「素晴らしい日本野球」「ちはやふる奥の細道」を読みましょう!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうbaianさん!
そうか、小林信彦さんやったのか。
小さいころに読んではちゃめちゃな組長らに大爆笑したことを思い出しました。
baianさんの教えてくれはった作品、必ず探し出して読んでみますね!

お礼日時:2001/02/06 22:48

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どのような楽器に私たちは張られた絃なのでしょう、
どんな奏者が私たちをひいているのでしょう。
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 - - - - - - - - - - - - - - -

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- - - - - - - - - - - - - - - -

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http://kuradan.hp.infoseek.co.jp/siryou/wagafurukihi.htm
接尾語の「な」には否定の意味もある一方、次の歌に示すような肯定的な使い方もあるようです。

  秋風は涼しくなりぬ馬並めて
     いざ野にゆかな芽子が花見に(万葉集巻一〇ー二一〇三)

 「雪はふる」の場合は、「帰る所もないので、死に場所を求めて海か野に行こう」なのか、それとも「海にも野にも自分が死ねる場所はない」のか、どちらをとるべきでしょうか?
 それから”すぎこし方なかへりみそ”の接尾語の”みそ”についての解説も併せてお願いいたします。

Aベストアンサー

 終助詞(学校文法では「接尾語」には分類しません。)の「な」が禁止の意味を表すのは、動詞・動詞型助動詞の終止形、ラ変型活用語の連体形に付いた場合です。
 
 「行く(文語では四段活用)」は終止形が「行く」ですので、「行くな(ゆくな)」が禁止の言い方になります。

 これに対して、終助詞「な」が動詞・動詞型助動詞の未然形に付いた場合は、「~したい、~しよう」という自身の希望・意志もしくは、他人を誘う「勧誘(~しようよ)」を表します。

 質問者が引用されている万葉の例の場合は、はこの用法に該当します。「行く」の未然形が「行か」だからです。(「馬並めて」ですから、「みんなで」ということで、勧誘でしょう。)
 
参考:yahoo辞書(大辞泉)
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%A4%CA&dname=0na&dtype=0&stype=0&pagenum=51

 達治の詩も「ゆか・な」ですから、ここは後者の用法です。ここは自身の意志を示すと考えればよいと思います。


 中央公論社の「日本の詩歌」の『三好達治』(解説:阪本越郎)には、該当の詩に、「海にも山にも行きどころのなくなった詩人は、終(つい)の栖(すみか)を雪の中に見出だした」として、一茶の「これがまあ終の栖か雪五尺」を参考に引用しています。

 ここでも「海にも山にも行きどころのなくなった」とあるわけですが、文法的には「死ねる場所はない」ととるのは無理があります。そこで私はこう考えたいと思います。

 「海にも行こう、山にも行こう」というのは、海もしくは山を望ましい場所として列挙しているのではないのです。どちらも安らかに暮らせる場所でも、死に場所として適切なところでもないのです。だから結局どこへいっても同じ。海にも山にもこだわってはいなくて、野でも川でもいいのです。ただ、例として海と山をだしただけなのです。
 
 「どうせ私には行くところはない、だから海にでもいってしまおう。あるいは山にでもいってしまおう。どこへいったところで同じだ。もちろん帰るべき所もない身となったからには、故郷も安住の地ではないのだ。」……こんな感じではないでしょうか。


 なお、「なかへりみそ」は、「な・かへりみ・そ」と三つの単語に分かれます。
 「な」が副詞、「そ」が終助詞で、間に動詞の連用形(サ変・カ変動詞は未然形)をはさみ、禁止を表します。「~するな、~してくれるな」という意味です。

 「過ぎこし方」=「過去」ですから、「な・かへりみ・そ」で「(過去を)振り返るな」というような意味になります。自分自身に言い聞かせる言葉でしょう。

 終助詞(学校文法では「接尾語」には分類しません。)の「な」が禁止の意味を表すのは、動詞・動詞型助動詞の終止形、ラ変型活用語の連体形に付いた場合です。
 
 「行く(文語では四段活用)」は終止形が「行く」ですので、「行くな(ゆくな)」が禁止の言い方になります。

 これに対して、終助詞「な」が動詞・動詞型助動詞の未然形に付いた場合は、「~したい、~しよう」という自身の希望・意志もしくは、他人を誘う「勧誘(~しようよ)」を表します。

 質問者が引用されている万葉の例の場合...続きを読む


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