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<敷居について>古くからある神社や建物に敷居がありますが、踏まずに跨がないといけないのは知っているのですが。どういう理由で踏んではいけないのでしょうか?踏むと何かあるのでしょうか? お詳しい方、お教え下さい。

A 回答 (6件)

こんばんは



敷居を踏むと
家の主を踏むのと同じ意味があると聞いています

確か大黒柱と敷居がつながっているそうなので
そういうことなんでしょうね
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この回答へのお礼

分り易くて助かりました。有難う御座いました。

お礼日時:2008/02/06 01:23

(1)敷居は場所と場所の境界線上に辺り神聖な場所であり、その部分を踏みつけるのは作法として良くない為、マナーを守らせるようにするためという説。


またそのマナーを守らないような人は社会でうまくいかないため出世できないという説。
(2)いつも踏んでいると建付けが悪くなるので、それを防ぐためという説。
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この回答へのお礼

なるほど~色んな説があるんですね。勉強になりました、有難う御座いました。

お礼日時:2008/02/06 01:25

http://allabout.co.jp/family/seasonalevent/close …

このサイトがとても分かり易いです。
いくつも理由があるようです。

大リーグの松坂投手はマウンドに行く際、ラインは絶対に踏みません。
軽く飛び上がりまたぎます。
敷居と考え踏まないのだと思います。
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この回答へのお礼

野球選手はラインを踏まずに跨ぐ選手が結構いますよね。
ご紹介いただいたHPも参考になりました。有難う御座いました。

お礼日時:2008/02/06 01:29

いろいろと理由の言われはあると思いますが、それが日本の作法だからだと思います。


畳のヘリを踏んじゃダメ!って、私の世代ではまだよく言われました。
茶道などにはしっかりとそれが受け継がれています。
茶道の作法でご挨拶をする時に扇子を自分の前に横にして置くというのがあります。(流派によっても違うのですが)
これは一線を引いて相手を上げ、自分を下げて謙る意味があり、昔のお殿様が一段高い所に座していた時の「段の下」を意味するそうです。
神社では特に境界と言う物にこだわります。結界を張るという事があるように何かを分ける境界は神聖なものなのでしょう。
もちろん敷居をまたいだ後の神社の敷地内全部が神聖な場所です。
踏むと何かあるのか?
あると言えばあるのでしょう。そういう不作法な者は人から顰蹙を買ったり信用されなかったりして、自ら己にわざわいを呼び込む事にもなろう…という事でしょう。

実質的には敷居は日本家屋において大切な部分です。
いつも踏みつけられたら傷みも早く修理が大変です。敷居がすり減ったら戸がはずれてしまいますからね。
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この回答へのお礼

確かに神聖な神社で敷居を踏むのはいわくがあって気をつけるべきでしょうね。
気をつけたいと思います。
有難う御座いました。

お礼日時:2008/02/06 01:33

 もうすで多くの方の回答で納得されているかもしれませんが、少しお話させていただきます。


確かに、 日本には「敷居を踏むと出世しない」や「畳の縁に立ってはいけない」「仕切りの上に立つのはその家の主人の顔を踏みつけるようなものだ」というようなことが言われます。
 私もそこまで詳しい専門家ではありませんがちょっと前に聞きかじった面白い学説を紹介します。「敷居」とは空間と空間を繋ぐ境目を示しています。ゆうなれば、次元の狭間であり非常に危うい空間とされるそうです。例えるならばドラえもんのどこでもドアなんかがいいように思います。古代の人たちは、敷居などの何かの境界線の部分に空間と空間を繋ぐ力があると考えられていました。普段日常的に使うドアも異空間(違う部屋・場所)と異空間(違う部屋・場所)を繋ぐという意味では、どこでもドアと同じ働きをしているといえます。
 ですから、空間と空間の境目である「敷居」の部分は不安定な空間とされて、あまり立たないほうがいいとされているようです。不安定な空間に立つということはいつすいこまれるからないブラックホールの上に立っているようなものと考えられたのでしょう。それから、いろいろな迷信や信仰が生まれてきたと言うことのようです。

 余談ですが、ムラと外の世界の境界線上には、よくお地蔵様が置かれています。これももともとは「塞の神」というムラの境界線という不安定な部分を守る役割を果たしていた石の像が、仏教が伝来してくることで地蔵様という形となっていったようです。このように、日本人の「自然宗教(自然を崇拝する宗教ではなく、自然発生的に生まれた民間信仰のこと)」は「境界線」というものを恐れ畏怖するというものがあるようです。

 私も聞きかじった程度の知識を披露いたしましたが、読みにくい文章であるかもしれませんが文意を読み取っていいただきたく思います。
 合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

色んな説があるようですが、地蔵さんがその様な意味を持っていたとは・・・また一つ勉強になりました。
大変分り易く、参考になりました。
本当に有難う御座いました。

お礼日時:2008/02/06 01:37

はじめまして、


ANo.1~5マデに回答されていますが
、私の考えは、昭和の戦後といっても、まだ50年前は、住宅の外部の出入り口が、アルミサッシでなく、木製の建具であった時、敷居は、良い家で、石、普通の住宅は、木の敷居です、その様な敷居を泥足で又靴、草履で踏むと、建具が小石、泥、などで敷居の溝、ゴマが動きにくくなり、ねじ込み鍵などの、戸締りが出来なく、困るので自然と、敷居をまたいで出入りをする、当たり前の事でした。建物の室内も、その延長線と考えると、無理無く、納得できます。戦前の日本の庶民の住宅で、出入り口は、木製の引き違い戸ですから、今のような、ドアも、無論アルミサッシュなどアリマセン、硝子も戦前は、高価過ぎて一般庶民は手が出ません。僅か50年前の日本の住宅はそんな程度ですよ。
∴戦前に敷居のある家に住めるのは、お金持ちでした。
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この回答へのお礼

貴重な歴史話有難う御座いました。
戦後生まれの僕達は、平和ボケとか贅沢すぎるのは納得出来ますね。
使い捨てなんて言葉は愚の骨頂で、敷居は勿論、物を大切にし続ける気持ちを忘れたくありません。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/06 01:42

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