たしか、旧約聖書でしたっけ?
モーセなる人物が十戒で偶像崇拝を禁じてたような気がするのです。
はてさて、キリストの像や十字架、聖母マリア像、新旧聖書等。
これらは、偶像なのでは?
私の『偶像』の認識が間違っているんでしょうか…。
どうか、皆さんの回答、意見をおよせくださいませ。

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A 回答 (9件)

 おっしゃる通り、キリスト教は偶像崇拝禁止です。


 
 しかし、長きの迫害で、洞窟や地下都市に潜伏した結果、すがるものが必要になり、像を崇めるようになったそうです。トルコには、4世紀頃にキリスト教徒が住みつき、洞窟教会が今も残るギョレメ、イスラム教徒からの迫害に逃れるために作られた地下都市カイマクル、「妖精の煙突」が有名なユルギュップなどがあり、徐々に人々の心にキリストの像が欲されるようになったことが分かります。
 キリスト教の壁画というと、極彩色に彩られた美しい(異教徒でも拝んでしまいそうな)ものを思い浮かべますが、初期のものは丸や三角の記号です。その画像がないものかと検索して見たのですが、皆さん奇岩や派手な壁画に引きつけられるようで、みつかりませんでした(泣)。私は実際トルコで見ましたが、歴史の成り立ちを目の当たりにしたようで、大変感動しました。丸や三角が一番印象に残っています。ちなみにトルコは今はイスラム教徒国ですが、当時はローマ帝国が支配しており、キリスト教が国教と認められる4世紀末までかなり迫害されていたようです。その頃はキリスト教徒同士は魚の絵を暗号に使っていたようです。(確かイエスの頭文字をつなげると魚と同じつづりになるとかなんとか)

 蛇足ながらモーゼの十戒の箇所は「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。」ですね。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
なるほど、迫害の歴史が産んだ、必要悪だったのですね。ふむふむ。
あ、ギョレメ村の事は、私も何かでちょっと、読んだ記憶があります。
なるほど、わたしも見てみたいなぁ。丸や三角の絵(じゃないのかな)。きょうもあるです。
なるほど、十戒は、そうでしたか。
ん?人のためにはつくっていいのかな?
ともかく、ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:46

再びすみません。

ドンピシャではないのですが、近いものを見つけました。

それと、補足ですが、キリスト教は全人類と神との契約なので、この「あなた」や「自分」というのは一定の個人ではなく人類という意味だと思います。モーゼは単に「(神からの)言を預かる者=預言者」です。

参考URL:http://www.shugakusha.co.jp/bijutsu/isan/09.htm
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この回答へのお礼

再びありがとうございます(笑)
素晴らしい壁画ですね。
左下のは楽園のアダムかイブですね。色がすごく綺麗です。
なるほど、『あなた』は私達のことでしたか…
勘違いしてました。
ところで、今気付いたのですが、モーゼの言葉からすると、彫塑全体が禁止されている様ですね…
ミッキーの人形も駄目な訳です…
でも、絵画や名勝奇岩(自然のもの)は崇拝してもいいようだ。屁理屈かな。ともかく、大体は分かりました。
皆様、ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/10 01:31

キリスト教にも様々な派閥がありますね。


「偶像崇拝を禁止」するということを、かたく守っている派閥もあります。宗派と言った方が適切かな?
聖書をはじめ、様々な宗教の決まりを、どう解釈するかによって宗派が分かれているようです。
「いかなる偶像も作らないし、拝まない」人たちは、カトリックやプロテスタントの人を嫌悪しています。
こういう解釈の違いから各国で戦争が起きていることを考えると、宗教上の解釈論を展開するのが怖くなります。
どちらにしても、宗教を理由に戦争を起こす人たちは、神を語る資格があるのだろうか?と、悩みます。
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この回答へのお礼

アドバイス、ありがとうございます。
なるほど、キリスト教、と一括りにしたのが間違いだったのかも知れません。
なるほど、確かに、宗教戦争は勘弁してほしいですね。
あるいは、戦争をする為に神を語るのかも…。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:35

カトリック信者です。



カトリックでは、キリスト像やマリア像をいわゆる「偶像」として扱っていません。「偶像」というのは、像そのものを信仰の対象にすることで、たとえば仏像など(たぶん)が当たります。

カトリックのキリスト像やマリア像は、言ってしまえば「飾り」です。
神戸のカトリック教会が震災で全壊したとき、キリスト像だけが無傷で残っていたのを見た神父が、「キリストがなにもしないのは変。」と言いながらキリスト像にヘルメットをかぶせ、「あなたも復興作業しなさい。」としたことを見れば、「像をあがめる」からはほど遠いことがおわかりだと思います。

カトリック製品を扱っているお店では、バーゲンでマリア像が一山いくらで売られていますし、古くなった像をばんばん捨てます。

自分の愛するものを飾っておきたいという心理の現れが、キリスト像やマリア像です。言ってしまえば、動物好きの人がぬいぐるみを飾るのと大差ありません。いや、もっと軽い扱いかも...

新旧聖書も、聖書の物体そのものをあがめているのではなく、書かれていることを信仰しています。お経やコーランと同じですね。ですから、聖書だって古本に出してしまいます ^^;;

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

当事者の方、御回答ありがとうございます。
なるほど、像そのものが信仰の対象では無い。なるほど。
理解出来ます(仏像うんぬんはどうか?とおもいますが)。
では、偶像崇拝、というのは、崇拝の対象は何がしかの物体であり、概念や教えではありえない、ということなのですね。
ふ~む。では、キリスト教はイエスや唯一神がいなくても(概念として存在しなくても)成り立つのでしょうか?
むちゃくちゃ、参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:11

確か、キリスト教の場合は、偶像ではなく『聖像』であるという苦しい言い訳をしていたような。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、聖像ですか。
たしかに、苦しい言い訳ですね(^^;
ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:30

本場サウジアラビアに滞在してたたときに、モスリムの考え方を少し教わりました。



・聖書やコーラン自体を崇拝するアホなどいない。あれは本であって、そこに書かれている内容こそが神聖なんだ。
・空港の税関で、子供が持っている人形でも取り上げる。アウト。
・お店にミッキーマウスのお面が並んでたけど、あんなもの偶像とは誰も思わない。でも全身フィギュアは多分許されないだろう。

stomachmanの父が世界の人形を集めている。残念だなー、と言ったら「人形だけど、腹の部分が灰皿になっている」というのをプレゼントしてくれました。なるほど抜け道というのはあるもんだ。

・彼らから見ると、仏像やお地蔵さんを拝むのは、その像自体を神様扱いしている様に見える。そうじゃないんだよ、と説明したら、「へー。そうなのか... いや、そりゃそうか」と納得してました。一般人はあんまり深くは考えてないみたいですね。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます、stomachman先生。
なるほど、どうも私は偶像崇拝を根本的に勘違いしていた様ですね。
お面はよくて、全身フィギュアは駄目?
なんでだろう。人間にとって、顔は個人をあらわす物なのに。うみゅう。
しかも、ミッキーの人形も、崇拝に関係してしまうのですか?
???
ともかくも、聖書やコーランと偶像崇拝が直接関係ない事はわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:27

Yushimacさんの回答のとおり、布教のために偶像の利用が黙認されてきたものでしょう。

たとえば十字架は(イエスの彫像と組み合わせたものもありますがそれは除外して)本来はシンボルであり、偶像崇拝に当たるか当たらないかのきわどい線で考えられたものと思います。聖書を厳密に解釈する宗派では、十字架などを使っていないようです。
面白いことに、仏教も本来は偶像崇拝を禁止しています。いわゆる世界三大宗教いずれもがこの点では同じ教義を持っているのですが、ヘレニズム文化の影響のもと、おそらくはキリスト教と同じ理由で、仏教にも仏像が持ち込まれました。
それからこれは神道の例ですが、山や海そのものを御神体とする神社でも、その手前に拝殿を設けてあるばあいが多いのです。一見何もないところに向かって拝むのは、試してみればわかりますが、人間にとってはなかなか難しいもののようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、確かに、なにもない(景色)を拝むのは、むづかしそうですね。
浅学で、ヘレニズム文化がわかりませんでしたが、たいへん勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:17

横レス失礼します。


下の回答にイスラム教について書いてありましたが、イスラム教では以下のような理由で偶像崇拝を禁じているようです。

「聖書に 触れられている項目で、コーランにおいて変更が くわえられれば後を採用する。聖書で触れられ コーランで触れられてなければ、聖書の法はイスラム の中に採用されるのです。」

イスラム教もユダヤ教・キリスト教と同系統の宗教ですので聖書に書かれている内容もコーランで修正されていない限りそれに従うようです。

参考URL:http://web9.freecom.ne.jp/~islam/abu/seisho.htm
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
リンク、みました。
でも、やっぱり疑問です。
聖書が偶像なら、コーランも偶像なのでは?(これは別の質問として、のせるべきなのだろうか?)

お礼日時:2001/02/06 23:55

おっしゃるとおり、それらは皆「偶像」です。


ですが、これもまたおっしゃるとおり、キリスト教(旧約聖書であったかは、わかりません)もそもそもは偶像崇拝を禁止していたはずです。キリスト教の歴史の中でも、一度広まった偶像崇拝を禁止しようとした時期があったはずです(8世紀?)

が、偶像が黙認されていった経緯というものもありまして、その一つが布教活動です。偶像崇拝のない宗教というのは、実体のないものであるだけに他者に広めるという点で難しい一面もあります。
特に、キリスト教の場合、様々な会派間の対立や、他の宗教との勢力争いなどのなかで、信者をより多く、確かに獲得するために偶像の使用が黙認されるようになっていったようです(と、言うことを歴史関係の講義で聞きかじった記憶があります)。

ちなみに、イスラム教はその発生から現在まで、厳格に偶像崇拝を禁止してきています。と、知り合いのエジプト人が語っておりました。

あやふやですいません。
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この回答へのお礼

アドバイス、ありがとうございます。
なるほど、黙認されていたのですか。
しかし…。イスラム教が偶像崇拝を厳格に禁止…?
ともかくも、ありがとうございます。

お礼日時:2001/02/06 23:45

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Qキリスト教はどうして偶像崇拝をするのでしょう?

教会にはキリストの磔像や絵がたくさんあります。
あれに祈っているようですが、どうしてキリスト教は、偶像崇拝をするようになったのでしょうか?
偶像崇拝をしてはいけないと聖書に書いてないのでしょうか?
イスラム教では厳格に禁止されているそうです。
キリスト経の歴史において偶像崇拝を推し進めたのはだれで、いつの時代でしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問者は、勘違いをされています。

キリスト教では、偶像崇拝は厳禁です。
現時点で、偶像崇拝をしているキリスト教の宗派はありません。

質問者の方は、キリスト教において、「神」の像を見た事が有りますか?
だれも見た事の無い神の形を、像にすることはできません。

でも、キリストの像を拝む事はありますし、十字架を拝む事もあります。
それが、像であったり、絵画であったりしますが。

もちろん、キリストの像や絵画を拝む事を禁止している宗派もあります。

キリストの像を拝むのは、キリスト教のカルケドンの公会議を認めるグループです。
これには、カトリック、正教会、プロテスタントなど、キリスト教会の80%以上が含まれます。

カルケドン派の教義では、「父なる神と子なるキリスト、そして聖霊は、一体である」とします。
この教義では、「神の像を崇拝する事は禁止されるが、子なるキリストを礼拝する事は、問題ない。」としています。

つまり、神自体の崇拝は禁止するが、子(人間)の形をとった、キリストへの礼拝は、問題ないといっています。

またカトリックでは、神へは崇拝、キリストには礼拝、聖人には崇敬、聖母マリアには、超崇敬を行う事になっています。

私は、キリスト教徒ではありませんので、実際に、崇拝と礼拝、崇敬の祈りの違いは、分かりませんが、キリスト教会の中で、区別されているようです。

当初キリスト教では、キリストの像を拝む事はなかったようです。
ローマ帝国内で国教とされたため、それまでのローマ帝国内の信仰(ギリシャ神話、ローマ神話、マトラ教など)と交わり、信仰の対象としての何かが必要になったため、それができるように解釈を変更する口実として、カルケドン派の三位一体が考え出されたと思います。

イスラム教は、キリスト教が、本来のユダヤ教が持っていた本質から離れた事を批判し、勢力を拡張します。
しかし、その過程で、あまりにキリスト教のキリスト像礼拝を批判しすぎたため、行過ぎた偶像崇拝論が形成されてしまいました。
しかし、信仰の対象としての何かが必要である事には変わりが無いため、必要以上の聖典コーランへの信仰と、メッカのカイバー神殿への崇拝となってしまっています。

質問者は、勘違いをされています。

キリスト教では、偶像崇拝は厳禁です。
現時点で、偶像崇拝をしているキリスト教の宗派はありません。

質問者の方は、キリスト教において、「神」の像を見た事が有りますか?
だれも見た事の無い神の形を、像にすることはできません。

でも、キリストの像を拝む事はありますし、十字架を拝む事もあります。
それが、像であったり、絵画であったりしますが。

もちろん、キリストの像や絵画を拝む事を禁止している宗派もあります。

キリストの像を拝むのは、キ...続きを読む

Q【旧約聖書と枕草子に詳しい人教えてください】旧約聖書と枕草子にカキ氷の記載があるそうなのですが、どこ

【旧約聖書と枕草子に詳しい人教えてください】旧約聖書と枕草子にカキ氷の記載があるそうなのですが、どこに記載があるのか教えてください。

旧約聖書のどこですか?

枕草子のどこですか?

Aベストアンサー

枕草子のみですが。

http://blog.goo.ne.jp/orange_no_siori/e/1dd33c1dd20aa7c873a12335019a174e

Q偶像崇拝は、なぜ、いけないの?

素朴な疑問です。
偶像崇拝は、なぜ、ダメなのでしょうか?
そもそも、ここでいう《偶像》とは何なのでしょうか?

人や動物などを象(かたど)った、直接、礼拝や信仰の対象となる造形物。
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では、抽象的なオブジェ、もしくは、シンボル(石や記号など)ならば、偶像にならない(ハテナ)?
具体的な造形物は偶像でないけれど、
手足のある人間の姿をした神さまは、偶像にならない(ハテナ)??

ボンクラなわたしには、
偶像というものが、どういうものであるのか、さっぱりわかりません。

特定の宗教を攻撃しようとする意図は、まったくありません。
偶像崇拝を否定する宗教がより高度で洗練された宗教であるとも考えていません。
宗教の優劣をつけるつもりは、毛頭ございません。
ただの素朴な疑問です。
なぜ、偶像崇拝はダメなのでしょう?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

神の姿を写し取るという行為自体があたかもヒトが神を創っているかのような不敬な行為に当たるため。

また、神は絵や像に宿るわけではなく普遍に存在しているので、そういったものを信仰の対象にすることは意味を成さず、更に、もしそれを容認した場合、絵や像を傷付けることが今度は逆説的に神を傷付けることに結び付くことになるので、その様な不祥事によって神を冒涜するような事態が生じる事を避ける必要があるため。

まぁ、神という概念は人がその精神的な拠り所として創出せざるをえなかった空想上の存在なので、神が禁止する云々という話自体が本末転倒な話ですよね。

Q新約聖書と旧約聖書について質問があります

新約聖書と旧約聖書では一神教と多神教の違いがあると思うのですが、具体的に聖書内でその違いを記してあるパートはありますか?
その違いを探さなければいけないのですが、一通り探したのですが正直分からなかったのでどなたか教えてもらえませんか?

プラトンの哲学(洞窟の中の話)と新約聖書または旧約聖書の観点の違いも教えてくれると助かります。

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

違いですよね。聖書に違いがあるのか。もちろん、新約にはイエスキリストが出てくるので、それが目印になります。ですが、旧約も新約の一神教なので、多神教ではありません。旧約では神一人、新約では、神とイエスと聖霊。だから多神教という表現がでてきたのでしょう。福音書にはイエスの話がでてくるので、読まれれば、違いがわかるでしょう。まあなんといっても、「汝の敵を愛せよ」につきるでしょう。これは旧約にはありません。新約のが高度です。旧約は敵は殺せです。新しい契約のなので、更新されたと考えてもいいと思います。
プラトンは、知っている範囲内でいえば、イデアでしょう。観念論。理想世界ですね。アリストテレスは現象世界を対象とした。プラトンは形而上の世界。つまり理念ありきです。ですから神がいるとかそういいきっているわけではない。救いがあるとかそういう世界ではありません。

Q偶像崇拝

偶像崇拝
偶像は崇拝しなくても作るだけでダメなんですか?

Aベストアンサー

別に作るだけで終わっているのであれば
問題はないでしょう。
でもそこらへんは宗教や宗派によっても
違うとは思われますけどね。

Q新約聖書と旧約聖書の違いを教えて下さい。

新約聖書と旧約聖書の違いを教えて下さい。

こんばんは。
新約聖書と旧約聖書ってありますよね?
あの二つはどこがどう違うのか、
具体的に、簡単に教えて下さい。

Aベストアンサー

旧約聖書はユダヤ教の聖典です。
ざっくり言えば,神とユダヤ教徒との約束事です。これを守ります,と神と約束をします。

しかし,ユダヤ教が長く続いて問題が出てきたために,「このままではダメだ!」と思った神が,神の子イエスを遣わして新たに契約しなおしたのが「新約聖書」です。
(契約・約束なので「旧約」「新約」というわけです。)

しかし,前からユダヤ教を信じてきた人から見れば,「なんか『新しい』とか言っているけど認められない」となります。
ですから,ユダヤ教徒は「旧約聖書」とは言いません。「新約聖書」は信じていないからです。
一方,キリスト教としては,前のものを全部アウトにしたわけではありません。旧約聖書でうまく行かなかったところを改訂した,という立場なので,キリスト教を学ぶ場合には新約だけでなく旧約も読まなければなりません。

ついでなので触れておくと,聞いたことがあると思いますが,イスラムの聖典「コーラン」があります。
これは,さらに後になって「ユダヤ教もキリスト教もダメだ!もう一度契約しなおしだ」と思った神が,ムハンマドに言わせたものです。
「コーラン」では,旧約聖書も新約聖書も,前の預言者たち(当てる「予言」ではなくて,神から預かってきた人なので「預言」と書きます)を通じて神(アッラー)と約束したのに,あいつら守らないじゃないか,だからこれが最後だ,としています。
(キリスト教に対しても,イエスは「神の子」ではなくて預言者の一人だといいます)
こちらも,旧約・新約の改訂版という立場なので,コーランを読むには旧約聖書や新約聖書の知識がある程度必要になります。

さらに余談ながら,ユダヤ教では食べるものに対して非常にやかましい規制がありますが,コーランでは,
「だがユダヤ教の人々には、(回教徒より規定を重くして)爪牙をもつ動物は一切御法度にしておいた。(中略)これは、彼らが不遜だからその報いじゃ」(6章147節,井筒俊彦訳)
と説明しています。前のバージョン(旧約)の変更理由を説明した一例です。

この「改訂」の考え方を,乱暴なたとえで言えば,
旧約:原作のライトノベル
新約:ライトノベルを元にしたコミック
コーラン:アニメ化作品
または
旧約:原作のコミック
新約:コミックのテレビドラマ化
コーラン:ドラマから作られた映画
と考えると分かりやすいかもしれません。
やっぱり最新版(アニメ化作品/映画)をよく知りたいなら,前のもの(ライトノベル/コミック)を読んでみる必要がある,というわけです。

旧約聖書はユダヤ教の聖典です。
ざっくり言えば,神とユダヤ教徒との約束事です。これを守ります,と神と約束をします。

しかし,ユダヤ教が長く続いて問題が出てきたために,「このままではダメだ!」と思った神が,神の子イエスを遣わして新たに契約しなおしたのが「新約聖書」です。
(契約・約束なので「旧約」「新約」というわけです。)

しかし,前からユダヤ教を信じてきた人から見れば,「なんか『新しい』とか言っているけど認められない」となります。
ですから,ユダヤ教徒は「旧約聖書」とは言いませ...続きを読む

Qキリスト教の偶像崇拝について

キリスト教では偶像崇拝は禁止しているとのことですが、教会の祭壇にキリストが十字架にかけられた像がある写真をよく見ます。
また、絵画でもキリストを描いたものがたくさんあると思うのですが、キリストの像を拝むことやキリストを描くことは、偶像崇拝とは異なるのでしょうか?
キリスト教のことをよく知らないので、その区別があまりよくわかりません。
すみませんがお教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>キリスト教では偶像崇拝は禁止しているとのことですが・・・
これについては、他の回答者の方が十戒で説明されいておられますが、なぜ十戒にそのように書かれたのかについては、若干説明が必要かと思います。

当時の様子は旧約聖書にも描かれていますが、モーゼに従って旅を続けていた人たちの周りには、色々な神を信じてその姿を像として作り崇めていた人たちが大勢いました。平たく言うと、このようなことをしてはいけない。という意味でした。
その後に、像を拝むのは、神様の教えに背くことになる(異教徒になってしまう)と考えるようになりました。

尚、神様は像を拝むことを禁止するのと同時に、自分の姿を描いても作ってもいけない。と言いました。
神様というのは唯一絶対ですから、他のものは神様でもなんでもないことになります。
ここで問題になるのが、キリストです。
キリストは神の子として、人間界に出現しています。
聖書の神学論では、神は唯一なのになぜキリストがいるのか?という点について延々と議論を続けています。(三位一体論)

キリスト教を勉強すると言うよりも、お伽噺を読むつもりで、旧約聖書を読んで見て下さい。なかなかよく出来たお話です。
新約聖書はあまり面白くありません。

聖書にしろ、お経にしろコーランにしろ、信じるか信じないかが問題とされていますので、現代風の理論的な整合性を求めると支離滅裂になってしまいますから注意して下さい。桃太郎や千と千尋の神隠しに理論的な整合性は必要ありません。
難しく言うと、科学は合理の世界を扱い宗教は非合理の世界を扱います。世の中には非合理な事柄が沢山あります。

>キリスト教では偶像崇拝は禁止しているとのことですが・・・
これについては、他の回答者の方が十戒で説明されいておられますが、なぜ十戒にそのように書かれたのかについては、若干説明が必要かと思います。

当時の様子は旧約聖書にも描かれていますが、モーゼに従って旅を続けていた人たちの周りには、色々な神を信じてその姿を像として作り崇めていた人たちが大勢いました。平たく言うと、このようなことをしてはいけない。という意味でした。
その後に、像を拝むのは、神様の教えに背くことになる(異教徒...続きを読む

Qユダヤ経典におけるモーセの十戒

モーセの十戒の内容はプロテスタントとカトリックで内容が違うようです。そこでユダヤ教におけるモーセの十戒の内容が知りたいのですが、詳しい人がいたら教えてください。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

あくまで、私の認識の範囲でお答えしたいと思いますが
日本においては、プロテスタント・カソリックの違いはあっても、日本聖書協会の聖書が一般ですので、その内容に差異は無いと思います。
関係ないかも知れませんが、私が常々疑問に思っているのは、出エジプト記3章のモーセが神の名を聞く下りで、神は「わたしは、有って有る者」と答えているのが、どうも日本語では理解できません。
英訳では「I am who I am 」や「I am what I am」、「 Iam because Iam」などの幾つかのテクストがあります。それは、ヘブライ語の「ヤハウェ(YHWH) 」が存在を表す動詞から派生したものであり、神自身には名前はなく、存在そのものであるということからの異本ではないかといわれています。
私には、その位の差異しか思い当たりませんが、

内容が違うとはどういうことでしょうか?
もう少し、補足してください。

Q偶像崇拝について。

たしか、旧約聖書でしたっけ?
モーセなる人物が十戒で偶像崇拝を禁じてたような気がするのです。
はてさて、キリストの像や十字架、聖母マリア像、新旧聖書等。
これらは、偶像なのでは?
私の『偶像』の認識が間違っているんでしょうか…。
どうか、皆さんの回答、意見をおよせくださいませ。

Aベストアンサー

 おっしゃる通り、キリスト教は偶像崇拝禁止です。
 
 しかし、長きの迫害で、洞窟や地下都市に潜伏した結果、すがるものが必要になり、像を崇めるようになったそうです。トルコには、4世紀頃にキリスト教徒が住みつき、洞窟教会が今も残るギョレメ、イスラム教徒からの迫害に逃れるために作られた地下都市カイマクル、「妖精の煙突」が有名なユルギュップなどがあり、徐々に人々の心にキリストの像が欲されるようになったことが分かります。
 キリスト教の壁画というと、極彩色に彩られた美しい(異教徒でも拝んでしまいそうな)ものを思い浮かべますが、初期のものは丸や三角の記号です。その画像がないものかと検索して見たのですが、皆さん奇岩や派手な壁画に引きつけられるようで、みつかりませんでした(泣)。私は実際トルコで見ましたが、歴史の成り立ちを目の当たりにしたようで、大変感動しました。丸や三角が一番印象に残っています。ちなみにトルコは今はイスラム教徒国ですが、当時はローマ帝国が支配しており、キリスト教が国教と認められる4世紀末までかなり迫害されていたようです。その頃はキリスト教徒同士は魚の絵を暗号に使っていたようです。(確かイエスの頭文字をつなげると魚と同じつづりになるとかなんとか)

 蛇足ながらモーゼの十戒の箇所は「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。」ですね。

 おっしゃる通り、キリスト教は偶像崇拝禁止です。
 
 しかし、長きの迫害で、洞窟や地下都市に潜伏した結果、すがるものが必要になり、像を崇めるようになったそうです。トルコには、4世紀頃にキリスト教徒が住みつき、洞窟教会が今も残るギョレメ、イスラム教徒からの迫害に逃れるために作られた地下都市カイマクル、「妖精の煙突」が有名なユルギュップなどがあり、徐々に人々の心にキリストの像が欲されるようになったことが分かります。
 キリスト教の壁画というと、極彩色に彩られた美しい(異教徒...続きを読む

Q十戒のモーセ

書き込みはここでいいのか不安なんですが、
昨日「十戒」を見てしまいました。
モーセって実在の人物なんですか?
居たかもしれないし、居なかったかもしれない人?
ラムセス2世はエジプト黄金期のファラオとして
実在した人物ですよね?
その彼がコテンパンにやられてるのも納得いかない。
まぁ映画なんで細かいことはいいんですけど。

Aベストアンサー

 
モーセは、歴史的に実在したと考えられます。ただ、どういう人物であったのか、正確に分からないということがあります。複数の人間が重ねられているのかも知れませんが、多分、単独の人間です。

エジプトに、紀元前14世紀頃、ユダヤ人が住んでいたか、立ち寄って居住していたことは事実で、これは「アトン讃歌」と「旧約聖書・詩篇」のなかの詩の類似性から論証されます。

その後、12世紀頃には、ユダヤ人は、パレスティナに来ていたことは歴史的に確認できるので(通説では。異論もあります)、13世紀か14世紀にエジプトから出てきて、カナーン(パレスティナの一部)に移住して来たことは間違いありません。

実は、それ以前のユダヤ人はどこにいたのか、これは歴史的な証拠がありません。アブラハムなどは、伝説の人物になります。日本だと神武天皇にもなるかも知れません。

モーセは、聖徳太子ぐらいに当たるかも知れません。聖徳太子は、実像が曖昧で、そういう人物が存在したことは事実ですが、歴史的にどういうことだったのか、よく分かりません。聖徳太子の方が色々な記録に残っているので、モーセよりも、存在は確実性が高いですが。

モーセが歴史的人物と考えられることは、ユダヤ人がエジプトを離れたのは歴史的事実で、その指導者がいたというのは、別に無理な想定ではないからです。複数の人物が重なっているかも知れないというのは、複数の指導者の業績をモーセ一人に集めている可能性もあるからです。

モーセという名は、エジプト語が起源で、「……の息子」という意味の「息子」部分が、モーセに当たります。「神の息子」だったのか「誰かの息子」だったのか、「誰か」の部分が消えているのです。そこから、モーセが、エジプト人の養子だったという「聖書」の記述に信憑性が出てきます。

ラムセスという名は確か、「ラーの息子」というような基本的意味があったはずです。「太陽の息子ラムセス」という小説がありますが、ラムセスの名そのものが、「ラー(太陽神)の息子」の意味があった可能性があります。この「ラ+ムセス」の「ムセ」の部分の「ms」が、丁度モーセに当たるのです。

ラムセス2世の時に、ユダヤ人がエジプトを後にしたという可能性はあります。ユダヤ人の一神教は、イクナートンの「アトン一神教信仰」を継承したのではないかという説があり、イクナートンの第18王朝が滅びて、亡国のファラオとして、イクナートンは、第19王朝では無視されます。

ラムセス2世は、第19王朝三代目のファラオで、第一代の治世2年、第二代セティの十数年に較べると、60年ほど王位にあったラムセス2世は、第19王朝最大の王で、彼が、エジプト新王国時代の黄金時代を創ったファラオとも言えるのです。

ユダヤ人がアトン信仰を継承していたとすると、第19王朝のファラオたちのイクナートンに対する仕打ちは、不満であったでしょう。アトン信仰が否定されたことも不満であったということになります。

ユダヤ人がエジプトを後にしたのは、ラムセス2世の時代だということは、大いに考えられます。ただ、ラムセス2世は、「聖書」が記述しているファラオ(パロ)の像に一致しません。どこか歪められているか、伝承で話を作った可能性があります。

モーセが、エジプト貴族の養子になり、貧しいユダヤ人と自分が同族であることを知り、困難を越えて、ユダヤ人のエジプト脱出を指導したという可能性は高いです。

モーセが何か、奇跡に出会い、ヤハウェの呼びかけと召命を受けたという可能性も高いです。ユダヤ人には、強力な指導者がいたと考えられるからです。

しかし、その他のことは、すべて歴史的に証拠がありません。モーセが実在したというエジプト側の記録がないというのも、記録に足らない出来事だったからでしょう。意図的に記録から抹消したということではないと思います。

ヒッタイトと戦って、これを撃退したラムセス2世のエジプトは、世界帝国となっており、当時の最大最強国家でした。少数のユダヤ人脱出程度は、記録に残らなかった可能性が高いのです。

モーセがエジプト人貴族として、ユダヤ人の指導者として、ラムセスと会見した可能性はあると思います。しかし、「聖書」に書かれていることは、ほぼフィクションでしょう。何かの史実を反映しているのかも知れませんが、エジプトのファラオが、有象無象のユダヤ人に敗北するなどということはありません。

ラムセス2世は長寿を保ち、その木乃伊は、現在も存在していて、彼の誇り高い相貌を今に伝えています。

「聖書」に描かれているようなモーセはいなかったかもしれませんが、その元になる人物はいたと思われます。これをモーセと呼ぶのは、妥当だと思います。実在した人物でなければ、その名がエジプト起源であることの説明が付かないからです。
 

 
モーセは、歴史的に実在したと考えられます。ただ、どういう人物であったのか、正確に分からないということがあります。複数の人間が重ねられているのかも知れませんが、多分、単独の人間です。

エジプトに、紀元前14世紀頃、ユダヤ人が住んでいたか、立ち寄って居住していたことは事実で、これは「アトン讃歌」と「旧約聖書・詩篇」のなかの詩の類似性から論証されます。

その後、12世紀頃には、ユダヤ人は、パレスティナに来ていたことは歴史的に確認できるので(通説では。異論もあります)、1...続きを読む


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