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たしか、旧約聖書でしたっけ?
モーセなる人物が十戒で偶像崇拝を禁じてたような気がするのです。
はてさて、キリストの像や十字架、聖母マリア像、新旧聖書等。
これらは、偶像なのでは?
私の『偶像』の認識が間違っているんでしょうか…。
どうか、皆さんの回答、意見をおよせくださいませ。

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A 回答 (9件)

再びすみません。

ドンピシャではないのですが、近いものを見つけました。

それと、補足ですが、キリスト教は全人類と神との契約なので、この「あなた」や「自分」というのは一定の個人ではなく人類という意味だと思います。モーゼは単に「(神からの)言を預かる者=預言者」です。

参考URL:http://www.shugakusha.co.jp/bijutsu/isan/09.htm
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この回答へのお礼

再びありがとうございます(笑)
素晴らしい壁画ですね。
左下のは楽園のアダムかイブですね。色がすごく綺麗です。
なるほど、『あなた』は私達のことでしたか…
勘違いしてました。
ところで、今気付いたのですが、モーゼの言葉からすると、彫塑全体が禁止されている様ですね…
ミッキーの人形も駄目な訳です…
でも、絵画や名勝奇岩(自然のもの)は崇拝してもいいようだ。屁理屈かな。ともかく、大体は分かりました。
皆様、ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/10 01:31

 おっしゃる通り、キリスト教は偶像崇拝禁止です。


 
 しかし、長きの迫害で、洞窟や地下都市に潜伏した結果、すがるものが必要になり、像を崇めるようになったそうです。トルコには、4世紀頃にキリスト教徒が住みつき、洞窟教会が今も残るギョレメ、イスラム教徒からの迫害に逃れるために作られた地下都市カイマクル、「妖精の煙突」が有名なユルギュップなどがあり、徐々に人々の心にキリストの像が欲されるようになったことが分かります。
 キリスト教の壁画というと、極彩色に彩られた美しい(異教徒でも拝んでしまいそうな)ものを思い浮かべますが、初期のものは丸や三角の記号です。その画像がないものかと検索して見たのですが、皆さん奇岩や派手な壁画に引きつけられるようで、みつかりませんでした(泣)。私は実際トルコで見ましたが、歴史の成り立ちを目の当たりにしたようで、大変感動しました。丸や三角が一番印象に残っています。ちなみにトルコは今はイスラム教徒国ですが、当時はローマ帝国が支配しており、キリスト教が国教と認められる4世紀末までかなり迫害されていたようです。その頃はキリスト教徒同士は魚の絵を暗号に使っていたようです。(確かイエスの頭文字をつなげると魚と同じつづりになるとかなんとか)

 蛇足ながらモーゼの十戒の箇所は「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。」ですね。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
なるほど、迫害の歴史が産んだ、必要悪だったのですね。ふむふむ。
あ、ギョレメ村の事は、私も何かでちょっと、読んだ記憶があります。
なるほど、わたしも見てみたいなぁ。丸や三角の絵(じゃないのかな)。きょうもあるです。
なるほど、十戒は、そうでしたか。
ん?人のためにはつくっていいのかな?
ともかく、ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:46

キリスト教にも様々な派閥がありますね。


「偶像崇拝を禁止」するということを、かたく守っている派閥もあります。宗派と言った方が適切かな?
聖書をはじめ、様々な宗教の決まりを、どう解釈するかによって宗派が分かれているようです。
「いかなる偶像も作らないし、拝まない」人たちは、カトリックやプロテスタントの人を嫌悪しています。
こういう解釈の違いから各国で戦争が起きていることを考えると、宗教上の解釈論を展開するのが怖くなります。
どちらにしても、宗教を理由に戦争を起こす人たちは、神を語る資格があるのだろうか?と、悩みます。
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この回答へのお礼

アドバイス、ありがとうございます。
なるほど、キリスト教、と一括りにしたのが間違いだったのかも知れません。
なるほど、確かに、宗教戦争は勘弁してほしいですね。
あるいは、戦争をする為に神を語るのかも…。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:35

カトリック信者です。



カトリックでは、キリスト像やマリア像をいわゆる「偶像」として扱っていません。「偶像」というのは、像そのものを信仰の対象にすることで、たとえば仏像など(たぶん)が当たります。

カトリックのキリスト像やマリア像は、言ってしまえば「飾り」です。
神戸のカトリック教会が震災で全壊したとき、キリスト像だけが無傷で残っていたのを見た神父が、「キリストがなにもしないのは変。」と言いながらキリスト像にヘルメットをかぶせ、「あなたも復興作業しなさい。」としたことを見れば、「像をあがめる」からはほど遠いことがおわかりだと思います。

カトリック製品を扱っているお店では、バーゲンでマリア像が一山いくらで売られていますし、古くなった像をばんばん捨てます。

自分の愛するものを飾っておきたいという心理の現れが、キリスト像やマリア像です。言ってしまえば、動物好きの人がぬいぐるみを飾るのと大差ありません。いや、もっと軽い扱いかも...

新旧聖書も、聖書の物体そのものをあがめているのではなく、書かれていることを信仰しています。お経やコーランと同じですね。ですから、聖書だって古本に出してしまいます ^^;;

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

当事者の方、御回答ありがとうございます。
なるほど、像そのものが信仰の対象では無い。なるほど。
理解出来ます(仏像うんぬんはどうか?とおもいますが)。
では、偶像崇拝、というのは、崇拝の対象は何がしかの物体であり、概念や教えではありえない、ということなのですね。
ふ~む。では、キリスト教はイエスや唯一神がいなくても(概念として存在しなくても)成り立つのでしょうか?
むちゃくちゃ、参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:11

確か、キリスト教の場合は、偶像ではなく『聖像』であるという苦しい言い訳をしていたような。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、聖像ですか。
たしかに、苦しい言い訳ですね(^^;
ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:30

本場サウジアラビアに滞在してたたときに、モスリムの考え方を少し教わりました。



・聖書やコーラン自体を崇拝するアホなどいない。あれは本であって、そこに書かれている内容こそが神聖なんだ。
・空港の税関で、子供が持っている人形でも取り上げる。アウト。
・お店にミッキーマウスのお面が並んでたけど、あんなもの偶像とは誰も思わない。でも全身フィギュアは多分許されないだろう。

stomachmanの父が世界の人形を集めている。残念だなー、と言ったら「人形だけど、腹の部分が灰皿になっている」というのをプレゼントしてくれました。なるほど抜け道というのはあるもんだ。

・彼らから見ると、仏像やお地蔵さんを拝むのは、その像自体を神様扱いしている様に見える。そうじゃないんだよ、と説明したら、「へー。そうなのか... いや、そりゃそうか」と納得してました。一般人はあんまり深くは考えてないみたいですね。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます、stomachman先生。
なるほど、どうも私は偶像崇拝を根本的に勘違いしていた様ですね。
お面はよくて、全身フィギュアは駄目?
なんでだろう。人間にとって、顔は個人をあらわす物なのに。うみゅう。
しかも、ミッキーの人形も、崇拝に関係してしまうのですか?
???
ともかくも、聖書やコーランと偶像崇拝が直接関係ない事はわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:27

Yushimacさんの回答のとおり、布教のために偶像の利用が黙認されてきたものでしょう。

たとえば十字架は(イエスの彫像と組み合わせたものもありますがそれは除外して)本来はシンボルであり、偶像崇拝に当たるか当たらないかのきわどい線で考えられたものと思います。聖書を厳密に解釈する宗派では、十字架などを使っていないようです。
面白いことに、仏教も本来は偶像崇拝を禁止しています。いわゆる世界三大宗教いずれもがこの点では同じ教義を持っているのですが、ヘレニズム文化の影響のもと、おそらくはキリスト教と同じ理由で、仏教にも仏像が持ち込まれました。
それからこれは神道の例ですが、山や海そのものを御神体とする神社でも、その手前に拝殿を設けてあるばあいが多いのです。一見何もないところに向かって拝むのは、試してみればわかりますが、人間にとってはなかなか難しいもののようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、確かに、なにもない(景色)を拝むのは、むづかしそうですね。
浅学で、ヘレニズム文化がわかりませんでしたが、たいへん勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/08 00:17

横レス失礼します。


下の回答にイスラム教について書いてありましたが、イスラム教では以下のような理由で偶像崇拝を禁じているようです。

「聖書に 触れられている項目で、コーランにおいて変更が くわえられれば後を採用する。聖書で触れられ コーランで触れられてなければ、聖書の法はイスラム の中に採用されるのです。」

イスラム教もユダヤ教・キリスト教と同系統の宗教ですので聖書に書かれている内容もコーランで修正されていない限りそれに従うようです。

参考URL:http://web9.freecom.ne.jp/~islam/abu/seisho.htm
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
リンク、みました。
でも、やっぱり疑問です。
聖書が偶像なら、コーランも偶像なのでは?(これは別の質問として、のせるべきなのだろうか?)

お礼日時:2001/02/06 23:55

おっしゃるとおり、それらは皆「偶像」です。


ですが、これもまたおっしゃるとおり、キリスト教(旧約聖書であったかは、わかりません)もそもそもは偶像崇拝を禁止していたはずです。キリスト教の歴史の中でも、一度広まった偶像崇拝を禁止しようとした時期があったはずです(8世紀?)

が、偶像が黙認されていった経緯というものもありまして、その一つが布教活動です。偶像崇拝のない宗教というのは、実体のないものであるだけに他者に広めるという点で難しい一面もあります。
特に、キリスト教の場合、様々な会派間の対立や、他の宗教との勢力争いなどのなかで、信者をより多く、確かに獲得するために偶像の使用が黙認されるようになっていったようです(と、言うことを歴史関係の講義で聞きかじった記憶があります)。

ちなみに、イスラム教はその発生から現在まで、厳格に偶像崇拝を禁止してきています。と、知り合いのエジプト人が語っておりました。

あやふやですいません。
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この回答へのお礼

アドバイス、ありがとうございます。
なるほど、黙認されていたのですか。
しかし…。イスラム教が偶像崇拝を厳格に禁止…?
ともかくも、ありがとうございます。

お礼日時:2001/02/06 23:45

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