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体育会系が声高に言う「協調性」って、「人に合わせる」というより、「人を体育会系のやり方に合わせる」って気がするんですけど、これは本来の意味での協調性とは違うと思いませんか?
ボクは、体育会系は子ども時代から体育会系同士のコミュニティで育ってきているため、体育会系の価値観でしか物を思考できないと思ってます。特に、小・中学校時代は頭脳よりも腕力がモノを言う時期ですし、体育会系は何というか、集団の中でリーダーのように振る舞うことが出来ていたように思えます。彼らは体力のある仲間と群れて集団で過ごしていましたし。子ども時代をそのように過ごした結果、彼らは体育会系のコミュニティの中での価値観でしか物を見られない、若しくは自分たちと違う考え方をする人を数の原理で従わせようとするような人間になっていると思うのですが。
質問に答える上で注意して欲しいのですが、私のこのような考えを見ると、私の考えを深く思考しない段階で「体育会系に苛められていた奴が責任転嫁してるだけ。」と決めつけてくる人がいるのですが、回答する際には是非そのような先入観に囚われないようにお願いいたします。

A 回答 (8件)

私が今まで出会ってきた体育会系には本当にろくな奴が居なかった。


いっそ体育会系は全員死ねば良い、と本気で思っていたし、今でも思っている。

まず、何か有れば凄んだり、怒鳴ったりすれば良いという、単細胞か、と突っ込みを入れたくなるような思想。ほんとこいつら先進国である日本に於いて生きる価値無し。将に非国民である、と私は本気で思う。

また、これは体育会系というか体育教師だが、道理に合わないことを尤もらしく説教してきた時に、それを親切にも合理的に指摘してやったら、笑って誤魔化された。あの無恥さには開いた口が塞がらなかった。私が今話している相手は仮にも「教師」だよな・・と。すなわち、コミュニケーションの出来ない体育馬鹿が仮にも人の上に立つな、とこう言いたい。

こいつらは自分達の野蛮な価値観を押し付けているだけで、相手を理解しようと言う気持ちに欠ける。そんな人間に協調性等有って堪るか。よって、答えは「無い」。
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 お山の大将になりたがる輩…なんてのは、体育会系に限った事じゃないと思いますけどね。


 逆に『やるべき事をやってれば』、その様な輩はグダグダ文句つけてきませんからw

 少なくても時間前行動が前提の体育会系の方が、集団行動には向いてますし^^;)
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おおよそ、その通りだと思います。



但し、横からは接しづらいが、上からは使い易い存在でしょうね。
また、厳格な規律が求められる組織にはぴったりですが、軽い雰囲気が望まられるコミュニティでは疎ましがられる存在でしょう。

体育会が求められる市場と求められない市場は確かにあるかもしれません。
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体育会系での協調性に対するイメージって、それがたとえ違う意見であっても自分が納得した上で人に合わせるのではなく、有無を言わせず従うって感じがありますからね・・


なので、上に立つ人の考えが間違っている場合はマズイと思います。
まぁ~どんな形であれ協調性はある?のかもしれませんが、多方面でかなりの問題を抱えているのは確かでしょ。
おかしな考え方でもそれに従う事が協調性だって事になるとしたら、ちょっと危険ですよね。
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 団体行動が得意なんじゃないかと思います。

後ハキハキした感じで見た目に良い印象をあたえる。そうゆうのが得意な人が体育会系として残っていって、不得意な人は排除されていくのかなと思いました。中学の部活でも精神的に体育会系では無い人は(運動能力など別にしても)クラブに適応出来ずに辞めていった気がします。まあ自分はそうゆう所に向かないという事が分かっただけでもクラブに入った価値はあるのかなと思っています。

 団体行動が得意だから集団レイプや集団暴行事件を起こしたりする時もあるのかなと思ったたりしました。

 
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>体育会系って本当に協調性があると思いますか?



ちょっと質問者さんとは捉えかたが違いますが、
体育会系。先輩の言うことには絶対服従
→ 多少、理不尽なことであっても受け入れる経験がたくさんある。

後輩にとっては多少理不尽でも、自らのリーダーシップで
多数の人間を率いていかねばならない、責任感やリーダーシップも
そういう中で醸成されます。

数の論理で従わせる。。というのは体育会系ではありません。
体育会系は一人の圧倒的なリーダーシップで多数を従わせる
ことができるのが、体育会系だと私は思っています。

そういう意味での見た目の協調性は、そういう文化のないところで
育った人よりはあるようにみえるでしょう。
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官僚組織に通じるものがあるので協調性はあるでしょう。


この長所と欠点は通じるものがあります。

駆け上がるときは良いでしょうが、下降し始めると大変な協調性ですね。
体育会系の思考は否定しません。
ただ、やりすぎは薬は毒にでもなる。というくらいですね。
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体育会系だと就職の時に有利だと言いますが、僕も身近にそんな新人の人を見たことがあり、「ああたしかにこういう人は、組織の中で重宝されるなあ」としみじみ思ったことがあります。


体育会系の人の特徴として、目上の人に対しては、絶対服従、という感じです。実際はそうではないことも多々あるとしても、そういう基本があると思います。それから、自分が先輩と後輩の両方を経験しているから、人に使われる、人を使う、これをいちおう経験しています。特に新人の時には、自然に周りの人に謙虚な態度をとれるのは、接していて気持ちがいいです。
これらを指して、体育会系は協調性がある、と言うんだと思います。

でも、部活では、濃い人間関係なので、いじめも多発しますし、活動の目標は最初から決まっているので、目標自体を問い直す、みたいな根本的な思考というか、ゼロから価値を作り出す創造性というものを鍛える機会がないと思います。したがって、自分の組織に、そういう毛色の違った奴が入ってきた時には、そういう発想を理解するのは難しいでしょうし、根本的な目標に懐疑の目を向ける奴は危険分子として、いじめの対象にしたりするでしょう。そいつに組織の既存の目標に従わせるためには、「自分たちと違う考え方をする人を数の原理で従わせようとする」ということも起こってくるでしょうね。

だから、ある組織の活動目標がガッシリと固まっている場合は、体育会系の人たちは、重宝される、いい組織人になれるんじゃないでしょうか。でも、近代企業というのは、目標自体をたえず見直し、イノベーションにあわせて組織自体も変わっていかなくてはならない、という時に、そういうメンバーは、ひょっとしたらブレーキになる場合もあるかもしれませんね。
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