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 アフガニスタンにせよ、イラクにせよ、近年のアメリカの統治下となっている地域は、けっこうあからさまに占領政策に失敗した感があり、テロがあいついでいますが、そこでふと疑問になりました。
 1945年の終戦後、日本国内でアメリカ兵/アメリカ軍を狙ったテロの話というのをあまり聞きません。もちろん、ある程度存在していたとは思うのですが、ほとんど話題にのぼること自体ないなぁ、と。
 そこで質問です。

(1)実際に、1945年の終戦後に日本国内で、アメリカ軍に対して行われた個人もしくは有志の集団による、テロ行為というのはどの程度存在したのでしょうか。
(2)全体的には、たぶん、イラクやアフガンなどと比べるとGHQは治安維持に結果的に成功したほうだと思うのですが、日本人のテロ行為がそれほど盛んにならなかった理由として、どのような点が挙げられると思われますか。
(3)前の質問と関連しますが、日本人のアメリカ軍へのテロ行為があった、ということがほとんど語られていない理由としてはどういった点が考えられるのでしょうか。(単にわたしが全く知らないだけ、とは思いづらいので、「語られていない」ということ自体に何か意味があるのかもな、と。)

※質問者は、とくに「テロ行為」についてネガティブな意味もポジティブな意味も込めるつもりはありません。テロの定義は困難であり、ポジティブに捉えれば武力行使を含む思想的/政治的運動であり、ネガティブに捉えれば正統性のない暴力の行使=犯罪ということになります。が、この言葉自体がきわめて政治的に使われるので難しいのです、が…とりあえず、「国家の意志決定と直接関連していない意志決定によって、個人あるいは有志の集団が思想的・政治動機を達成することを目的として暴力的手段を行使すること」とでもしておきます。便宜的な言葉として使っておきたいと思います。

 ただ、ふと疑問に思っただけですので、お暇なときにでも教えていただければ。

A 回答 (7件)

(1)実際に、1945年の終戦後に日本国内で、アメリカ軍に対して行われた個人もしくは有志の集団による、テロ行為というのはどの程度存在したのでしょうか。


に回答します。

 終戦から約1年を経過した昭和21年8月13日、日本占領の実施部隊であるアメリカ陸軍第8軍の参謀長C・バイヤース少将が第8軍司令官のR・アイケルバーガー中将へ行った報告によりますと、米軍進駐後に反米行為で逮捕された日本人数は29人とされています。
 終戦から1年間、沖縄を除く全日本で29人ですから、ほとんど皆無といってよいのではないでしょうか。
 事例を一つ挙げますと、昭和21年4月28日午後9時ごろ、羽田空港に駐屯していた第802航空技術大隊の兵士二人が、蒲田の路上で元日本兵75~100人に襲撃され、木刀や木銃で殴られて負傷、駆けつけた第23防諜隊に元日本兵4人が逮捕されるという事件がおきました。
 被害者は殺されたわけではないのですが、この程度でも第8軍司令部や米憲兵隊が大騒ぎになったということですから、裏を返せばテロ行為と呼べるような、本気で米兵の殺傷や占領体制の転覆を狙った行為は起こらなかったということだと思います。
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この回答へのお礼

おお!ありがとうございます。

確かにあるにはあったんですね。まあ、でも確かにそれは仰るとおり「ほとんど皆無」という言葉で括ってしまってもいいだろうと思える規模ですね……。2.26事件のような大規模なクーデター事件ががほんの9年前の1936年に起こっていたということを考えると、この反応の薄さはやはり、ただごとではないという感じがしますね。確かに本気でテロ行為と呼べるような事態はなかったのですね・・・

お礼日時:2008/02/06 00:25

進駐軍に対するテロ行為がなかった原因



(1)天皇陛下の詔勅及びそのラジオ放送の威令が軍民によく届いた。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」です。

(2)終戦時、軍がまだ崩壊していなかったので、規律は保たれていた(一部に軍部隊の叛乱はあったが、すぐにおさまった)。

(3)米軍上陸作戦の前に降伏したので、政府の行政治安組織は健在であった。これをGHQが利用し、日本政府を通して日本国民に命令を出した。日本人戦犯もGHQの命令で日本の警察が捕まえた。
日本政府はほとんど無抵抗にその要求を受け入れ、国民に指令を出し、国民も概ねそれに服した。
左翼の指導する「米よこせデモ」その他の事件もあったが、進駐軍に対するテロはなかった。

(4)進駐軍は、日本国民に苛斂誅求をするどころか、飢えている国民に大量の食糧援助をした。アメリカでは動物の餌であるとうもろこしが、援助物資の中にあって、悪口をいう日本人もいたが、カロリーの絶対量が不足していた飢えたる国民にとっては、大いに助かった。

(5)日本国民には江戸時代の300年治世の間に、次の精神構造が形成され、次の二つを上手に使い分けてきた。
A.長いものには巻かれろ
B.命より重いとされる道徳(武士道、義理人情、恥の文化など)
終戦時の天皇の詔勅(「耐え難きを耐え・・・」)により、Bの精神から起こる復讐心などは緩和され、敵討ちの義務感からも解放され、完全に「A.長いものには巻かれろ」になってしまった。

(6)国民は、マッカーサーと天皇が並んで立っている新聞の写真を見て、天皇は現人神でも絶対権力者でもないことを知り、「日本で一番長いものは何か」ということを知った。
http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/50nen17 …
↑写真のみ参考にしてください(記事は?のところあり)。
この写真を見た瞬間に、人々は現人神の呪縛から解放された。それほどショッキングな写真だった。

(7)アラブの自爆テロと旧軍の神風特攻は全然別物。
自爆テロ:殉教、死後は天国へ
神風特攻:武士道、恥の文化、名誉、長いものには巻かれろ
自分ひとり、特攻を拒否するような卑怯者には、なりたくなかったでしょう。

ま、進駐軍はあんまり悪いことはしなかったですよ。強姦などはありましたが、日本側も慰安所を作ったり、パンパンも出回ったり、良家の子女が悪いことされることは少なかった方だと思います。
MPもよく取り締まっていました。

占領地の国民に悪いことをした順番は(1)ソ連兵、(2)日本兵、(3)米兵 ですね。戦闘中であるかどうか、兵隊への補給の充足度などの違いもあったでしょう。

まあしかし、今の日本人はみんな「長いものには巻かれろ」になっちゃって、賢く要領よくなり過ぎてるんじゃないでしょうか。
おじゃましました。
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第一は日本軍の軍規を規律が行き届いていた事。


長年の戦争状態で国内の疲弊は極まり、厭戦感情を国民が持っていた事
陛下の玉音放送
アメリカ以上に危険であるソ連共産党軍の存在、ソ連の占領に比べれはアメリカに占領されるのが幸福と言っても過言ではない
アジア各地に赴いている軍に対しては宮家を派遣して説得した事
 陸軍少将 閑院宮春仁王 南方(サイゴン・シンガポール)
 陸軍大将 朝香宮鳩彦王 中国(南京・北京)
 陸軍中佐 竹田宮恒徳王 満州(新京)
日本には軍閥が存在しない事、政府が唯一軍を持ちそれ以外の勢力が無い
などでしょうか、
民主主義については、イラクやアフガンと違って明治から戦前まで普通選挙ではありませんが納税額による制限選挙を行っていましたからね。
戦後になって初めて民主体制を取り入れた訳ではないので国民には抵抗は少なかったはずです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
いやはや、よくよく考えてみると、あの状況でテロ/レジスタンス/反乱が無いっていうのは本当にすごいなぁ、と。
厭戦感情や、軍隊組織の一元化というのは確かにそうなんでしょうが、たとえば、降伏するのがもっとずーっと早い時期になっていて、アジア各域に派遣していた日本軍がもっと元気だったところもある場合には、その軍隊やら現地の総督府やらが、強引に独立みたいなことをしようとするシナリオとかがあってもよかったんじゃないかなー、とかも思ったりしたのですが、日本軍はそんなにきちんと命令系統に従う状態だったんですね。

ソ連の脅威は確かにそうですね。前に日本国憲法成立にまつわる裏話をけっこう延々と読んだことがありますが、極東委員会/共産圏とかへの警戒というのがGHQ政策の力押しを許容していたような節はありますよね。

たとえば、フランスやドイツでは、ナチ政権に対するレジスタンス運動(≒テロ)が起こっていますが、日本にいくらレジスタンス的な活動経験がなかったとは言え、あれだけ強い力を見せた軍隊の経験者がゴロゴロしていたのだから、やろうと思えば、やれただろうというか……全くなかったという方が何か不思議な気もしますね。そりゃ、ナチに占領された地域のユダヤ人と比べれば、GHQに占領された日本人の中に生まれる不満はそこまでのものではないかもしれないけれど…。うーん、まぁ、大規模なテロ活動にならなかったというのは、よくわかるのですが、全くなかった、と言われると、逆にびっくりなんですよね。

お礼日時:2008/02/05 22:21

『昭和史七つの謎』の中の第6話「占領下で日本になぜ反GHQの地下運動はなかったか」(保阪正康著 講談社文庫)が参考になるかもしれません。


http://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8F …

これによると、占領軍に対する直接的なテロ行為は殆んどなかったようです。
その理由を一言で表せば、「天皇の意思」によって占領を受け入れたため、ということです。いわゆる「玉音放送」で、終戦の詔勅(ポツダム宣言受諾)を国民に肉声で伝えることによって戦後の占領がスタートしたのです。
つまり、占領軍に抵抗することは、天皇陛下に逆らうことになるので、無血で進駐できたわけです。本書では、これが「天皇主権の軍事主導国家」だったことの証左であると指摘しています。一つの史観でしょう。実際にGHQや日本政府は、随所で「天皇の意思」を政治的に利用することで、国内の秩序を保っていたのです。

また、日本には組織的にレジスタンスを行う発想がなかったことも、反GHQの地下運動が起こらなかった理由に挙げています。
さらに、戦中に“鬼畜米英”などと言われていたわりには、実際の占領軍の態度は概ね友好的で、GHQが指令した民主改革も国民の要請に合致していたことから、あえてテロ行為に出る必要がなかったものと思われます。

この回答への補足

あ、面白そうな参考文献ありがとうございます。amazonでポチってみます。

いままでの話をまとめると

(1)玉音放送と、人間宣言の効果はやっぱりすごすぎた。GHQも天皇利用で戦略かためた。
(2)GHQの政策は、なんだかんだで国民の支持率が高かった。
(3)占領軍による問題はいろいろあったとは言っても、なんだかんだで概ね友好的だった。

 ということでしょうか。
 まぁ、(1)はよく知られていることではありますが、(2)と(3)と、改めて言われると、ちょっとすごい話だな、とも思うんですよね。それって、つまり、明治維新以降の約80年かけて、国家のマネージメントの方向性としては大枠では、アメリカと同様の「近代国民国家」という枠組みの中にきちんと収まった空間をつくれていた、ということですよね。で、その国民国家を作り上げるための装置として天皇という変数が非常に有効に機能する空間になっていた。(逆に、<国民国家>の範疇としてグレーゾーンだった、韓国や台湾、満州、沖縄といった地域はこのとき切り離されてしまっている、というのも面白いですよね。)

補足日時:2008/02/05 18:14
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この回答へのお礼

(続き)

 そもそも、イラクだってアフガンだって、アメリカの兵士がそもそもにおいて友好的でない、とはあまり思えない。むしろ、積極的にアメリカの兵士に憎悪をむけて、憎悪の連鎖を作り出す、最も感情的になってしまわざるを得なくなっているのは現地のイラクの人々や、アフガンの人々だろうという気がするですよね。そりゃ、あんなことされたら、身近な米国人に憎悪を抱くのも当然といえば当然。むしろ、日本人が東京大空襲みたいな悲惨な目に遭いながら受け入れたことのほうが脅威的だなぁ、と。天皇の言葉って、そんなに、すごかったのか、と本当に関心する。アメリカ人が「概ね友好的」な手をさしのべてきたときに、敵として扱わなかった日本人がすごい。
 と、同時に、民主化政策が当時の日本人にウけた、というのも非常に面白い話だなという気がしていて、そりゃGHQの宣伝戦略(「洗脳」?ですかねw)が上手かったというのもあるのかもしれない。けれど、結局は明治大正昭和初期と、80年かけて近代国家をつくってきたわけだから、政治的、社会的な「良い政策」の在り方が、大まかななところでは交換可能なわけですよね。イスラム世界の社会制度と、アメリカ的社会制度、という二つのものに比べると、1945年の日本の社会制度/政治理念と、アメリカ的社会制度/政治理念はそこまで大きく乖離していなかったんだよなー。そりゃ、まー確かにそういうものかもな、と。
 これが、江戸時代の日本をアメリカが占領していた、というのならば大分、事情が変わっていたのでしょうが。なるほど、そういうことだよなぁ、とか思ってしまいました。

お礼日時:2008/02/05 18:19

イラクは米国政府が一方的に勝利宣言をしただけであり、戦争は終わっていません。


アフガニスタンも内戦は終結していません。よって戦争状態です。

ドイツの場合は9月まで抵抗が行われていますが基本的にデーニッツによって降伏がなされたため大掛かりな抵抗運動は起こっていません。先述の抵抗とは戦闘状態が続いていた地域があっただけのことです。

日本の場合は天皇陛下のご聖断によって戦闘行動を停止しました。それに逆らうことは逆賊になります。(ご聖断を知らなかったは除きますが…)

以前テレビでマッカーサー来日の際に警備に着いた日本兵がマッカーサーに背中を向けていたのは抵抗の証という放送をしていましたが、こんな恥ずかしい番組はありません。警備行動は守る対象に対して外向きに立つのは当たり前です。陸軍は大本営通達によりマッカーサーの警護を命令されたのであって抵抗することはやはり逆賊になります。
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この回答へのお礼

 あ、はい。イラクもアフガンもアメリカが勝手に言ってるだけなのはその通りです。たしかに戦争終結を、日本側から宣言したのとは確かに比較対象としては違いますね。
 その論点は重要です。
 そう考えると、フセインや、タリバンのオマル氏が終結宣言していたところで、どこまで変わっていたか、という疑問も浮かんできますね。イラクはまだしも、アフガンの場合は、単に無秩序な軍閥割拠状態が再来しただけっぽい感じもしますが。

 ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/05 17:55

アフガンやイラクでは政府がなくなった。

第2次世界大戦でもドイツやイタリアはそうです。日本は最後まで粘ったので(と1部の人は思っている)政府は残った。
米軍に対抗する勢力がなかった。当時の共産党幹部の1部は「解放軍」と呼ぶお粗末さでした。

米軍的には兵士の恋愛は自由という建前だから米軍基地の周囲に酒場や女性が集まっても自由です。日本軍は軍が女性調達し連れ歩いた。日本や中国や朝鮮半島や台湾から女性調達し日本や中国や朝鮮や東南アジアに送り込んだほどです。東南アジアではオランダ人女性も調達された。
女性襲うのは自由恋愛とはいえないが日本、の警察も周辺住民も見て見ぬ振りしたから何もなかったことになる。

ソマリアでは米軍がやりたい放題状態だった。米軍ヘリ撃墜し、米兵の銃乱射で多くの現地人は死んだが最後は殴り殺し、車で引き回し、橋から吊るした。映像は世界に配信されびびッた米軍は逃げ帰った。石油もない国だからもうちょっかい出すこともない。

日本では米占領でも米軍協力でも利益という勢力があったわけです。それに軍部支配天皇支配の制約から自由になった面もある。女性の参政権はやっと実現した。政党も一応自由化された。
華族士族の特権は廃止され、地主の特権も廃止し多くの小作農出来た、家長の特権も廃止(兄弟や息子娘の収入まで管理しおじおばの結婚まで許諾権限、本人には兵役義務なかった)、知事の任命もなくなった。
質問のような方法で米軍に反対する理由がないわけです。

軍人の1部は責任問われたが政治家の大部分は生き残り、官僚も公務員も教師も警察も検察も裁判官もNHKも新聞も産業界もたいして戦争協力の罪は問われなかった。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/05 17:51

テロ行為や攻撃があったとしても、それはごく一部の反抗勢力の可能性があり、そのため語られていないというよりも、全体的にはなかった(目立たなかった)とされて問題ないのではないでしょうか。



日本人側も、東条が首相を退くころは、対外的には作戦の責任を取らされた形にみえますが、彼の言動を追った書籍をみると、彼は天皇の信頼があったものの、「自分がやることうまくいかない。辞めたい」ともらしており、周囲が他に首相が勤まるものがいないので留まるようにと、動いているのがわかります。この頃(1944年以降)、すでに一般の日本人たちにも戦況が思わしくないと考えるものもいたと思いますし(大陸とのビジネスは続いていたので、情報は動いていた)、生活も大変で、戦争を終わることを望んでいた人は多かったと思います。これは、前後憲法草案をつくりに来たアメリカ人チームが、日本人は戦争が終わったことを喜んでいた、と述べていることからも想像できます。

また、マッカーサーが厚木に降り立ち、東京か横浜か忘れましたが車で中心部へ移動するときつきそったアメリカ人が手記を残していますが、「車を走らせると道の左右にはときおり日本人がおり、私たちが近づくと後ろをむいて(車に背をむけて)頭をうなだれてみせる。これは抵抗の意思がないことを示そうとしているようにみえた」みたいなものを読んだことがあります。

民間レベルでは、戦争がおわってよかったと思う人が多かったのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
東条がやめたがっていた、という話は初耳でした。

お礼日時:2008/02/05 17:50

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