痔になりやすい生活習慣とは?

どんな場所へ行けばいいのでしょうか。
明洞やソウル駅、光化門界隈は行ってきたのですが、他にも当時の日本家屋や、日本統治時代の道や建物が残っている場所をご存知の方。教えてください。

また、1910年の植民地になると言う条約(第3次日韓条約でしたっけ?)この条約は市庁横の徳寿宮で締結されたと言う話を聞いたのですが、この敷地の中にはいろいろと建物がいくつかあって、どの建物で締結されたのでしょうか?

ご存知の方。教えてください。

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A 回答 (2件)

>ソウル市内で日本統治時代の名残を見るには?



明洞付近に限れば、日本統治時代の建物はまず市庁です。ソウル駅、ソウル中央郵便局の前にある韓国銀行、その向かいの新世界百貨店(旧三越)なども日本統治時代の建物です。韓国銀行などは取り壊しの話があったのですが、立ち消えたみたいです。チョット離れると、鐘路のタプゴル公園。3・1蜂起の起点になった旧名パゴダ公園です。それ以外に伊藤博文が朝鮮統監時代に住み、植民地時代の朝鮮総督府の政務総監が住んだというコリアハウス(韓国の家)もあります。純韓国風の建物ですが(改修されているそうです)、風情があって一度は見る価値があると思います。伝統芸能も毎日公演していますので、公演を見るついでに行かれるのも良いのではないでしょうか。

以上、参考までに。
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年に1~2回は出張でソウルを訪問していますが、ロッテホテルやプラザホテルを定宿にしています。

 

すぐ近くに徳寿宮があるので、朝早く起きた時など朝食前に散歩しています。 古い韓国の情緒が感じられる公園です。 またウェディングドレスを着た花嫁が結婚式用の写真撮影をするのに、公園内でポーズを取っている事でも有名です。

日韓保護条約 (乙巳条約) が締結された建物、すなわち 「重明殿」 は、この公園の中にはなく、西に少し離れた貞洞劇場と、この公園の間に位置します。

http://tour.junggu.seoul.kr/japanese/culture/cul …

元々は徳寿宮の敷地内だったのですが、規模縮小に伴って、間に道路が出来てしまったので、この建物だけがポツンと離れた格好になっているようです。

ただ、戦前火災によりほとんど焼失してしまったため、現在の建物はその後に再建されたもので、オリジナルの構造とは少し違っているようです。

また、日本統治時代の日本家屋ですが、私が知っている範囲ではソウルより釜山の方が多いと思います。
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Q韓国人は日本の何に怒っているのですか?

頻繁に韓国人の反日のニュースでうんざりするのですが、日本の植民地時代に韓国人を殺戮したわけでもないし、結構インフラなんかの整備も日本は整えたのになんでそこまで怒っているのか残念ながら分かりません。その原因を知りたいです。そこを報道されてなるほど怒るのも理解できるとなれば甘んじて反日も受け入れることもできるのですが釈然としないのです。誰かその具体的原因を教えてもらえないでしょぅか?

Aベストアンサー

 善悪を離れて、客観的に見てみましょう。

 ポイントは、日本による朝鮮半島統治によって、「朝鮮民族」というものが、完全消滅する方向に進んでいたということです。これが最大の原因でしょう。

 現在の「朝鮮民族」による「韓国」と言う国の国民から見れば、民族消滅は、「韓国」・「朝鮮民族」の全否定にほかなりません。


<<歴史的背景>>
 ヨーロッパ列強は、アジア各国を植民地として支配したが、民族としてのアイデンティティは、そのままにして手を付けませんでした。
 それに対して、日本は朝鮮半島を日本の一部として、土地・人を完全に日本と一体化することを目指していました。

<<詳細説明>>
1、日韓併合前後の実態

 日韓併合は、1910年
 第一次世界大戦は、1914年から1918年
 関東大震災は、1923年
 世界恐慌発生は、1929年

<日韓併合までの韓国>
 朝鮮半島は「両班」と呼ばれる大地主が貴族として農地を所有し、中央政権を運営していて、国民の大多数は、この大地主のもとで、一生を農地と共に終える農民社会でした。
 つまり、朝鮮半島にすむ多数の人々を支配しているのは、国ではなく、「両班」でした。 

<日韓併合後>
 この朝鮮半島の貴族支配社会が、1910年日韓併合によって崩壊し、朝鮮社会に大変革が始まりました。

 広大な植民地や国土を持つ欧米列強に対して、狭い資源の少ない限られた国土しかない日本が、激烈な生存競争をして行くためには、限られた国土を徹底して開発し、土地を効率的に利用し、国民の力を結集しなければなりません。
 そこで、「両班」を消滅させ、土地に縛られた農民を日本国民として、直接政府の元に置き、社会資本を投下して、全土の経済開発を行いました。

 農業の効率化の過程で、潜在的な過剰人口を養ってきた両班を核とする農村共同体が崩壊し、食えなくなった農民が、第一次世界大戦の軍需特需とヨーロッパの工場の破壊によって生まれた、日本本土の爆発的好景気と労働力不足を背景に、朝鮮半島から日本本土へと移動し始め、またたく間に急増しました。


2、韓国併合の背景

 日本は、当時一等国と呼ばれたイギリス・アメリカ・フランスに比べて支配地域が遥かに小さいため、イギリスなどのように植民地を未開発のまま薄く搾取する政策を取るのでは、これらの国に対抗できませんでした。
 そのため、支配民族のレベル向上による独立運動激化のリスクを知りつつも、占領地を徹底的に開発することで、日本の国力向上を目指しました。(独立運動激化:有名な例としては、ナポレオンが、ドイツを勢力圏としてフランスの革命思想をドイツに広めた結果、ドイツ人のナポレオン=フランス排除の機運が盛り上がりました。)

 ですから、イギリスがインドで藩王などの旧支配者を温存し、間接支配の形を取って、イギリス支配によるインド社会の変化を出来るだけ小さくして、波風の立たない体制を作ったのに対して、日本は、朝鮮の支配階級で大地主でもあった「両班」(ヤンパン)を崩壊させ、朝鮮人を日本人として直接日本政府の中央集権体制のもとに置き、教育制度も完備しました。
(尚、この政策は、民族として過去の歴史のない台湾では、相当な成功を収めていました。1000年以上もの歴史のある民族に対して適用できるか、かなりの冒険でした。)

 その結果、韓国は封建的な隷属社会から脱皮して、個人が社会全体を把握して行動する近代社会に急速に移行していきました。
 つまり、一人一人が、社会性のない両班隷属民から、国家というものを意識した個人へと脱皮していった結果、日本に対する朝鮮ナショナリズム(=反日運動)も裾野を広げていきました。


3、韓国併合の評価
(=評価は、個人の価値観の影響が大きい。私個人の評価と見てください。私は出来るだけ客観的に見ようと意識しています。)

A.朝鮮半島全体でみれば、日本の資本により開発が進んだが、社会システムが大きく変わったので、個人レベルでは、大損したり生活苦に直面した人も多数出た。

B.もともと指導者・知識人階級でもある「両班」階層が日韓併合で没落したため、朝鮮半島の伝統・独立性を守る反日運動の中核となった。(=元の支配者層なので、没落したとはいえ、教育程度は高くリーダーシップも持っていて、社会に対する影響力は大きかった。)

C.農村では食えなくなった人々が多数日本に流入し、今日の在日問題の原因の一つとなった。

D.相当根深い反日運動にもかかわらず、日本人化政策はかなり進んだ。
 朝鮮志願兵部隊がアメリカ相手に、「天皇陛下万歳」と叫んで突撃した例もあるように、日本人化が進んでいて、あと二十五年(一世代分)日本との併合状態が続けば、「朝鮮独立」はなかったのではないかという評価もあるようです。
 → 韓国からは大反発を食らい、日本の国益にもならないということで、日韓双方の学者は、あまり大きくそのことを指摘することはないですが。(著書のどこかに、二~三行書き加えてある程度。)


<戦前の日本による朝鮮半島への社会資本(インフラ)投資について>
 大局的に見て、日本の戦前における朝鮮半島に対する投資を大きくクローズアップし、今の韓国の現状はその投資に依っているとするのは、現実と異なると考えます。

 日本が作ったインフラは、韓国の場合には朝鮮戦争で壊滅状態となり(北朝鮮はある程度残った。)、朝鮮自身が日韓併合前から持っていた家屋や水路なども大きな被害を受け、社会資本としては日韓併合以前のレベルからの出発となっています。
 ですから、戦前の日本の投資による整備されたインフラが、韓国の成長の基盤になったという事実はありません。(注:朴政権以降の日本の投資は、韓国の経済発展の原動力の一つになっています。)

 優良な鉄鉱山・炭鉱のあった北朝鮮は、韓国以上に投資が大きく、朝鮮戦争後もそれがかなり残っていましたが、現在は『超貧乏国』です。
 また、アメリカの爆撃で、壊滅的打撃を受けた日本が、10年程度で戦前の生産レベルを回復しています。

 日本が朝鮮半島に残した本当の復興の原動力は、目に見える『財産』ではなく、その土地に住む人間の『意識改革』です。
 今の韓国の発展をもたらしたのは、日本による、朝鮮の伝統的社会システムの破壊です。日本の支配によって、朝鮮の封建社会は崩壊し、個人中心の近代社会が生まれました。
 これは、日本による上からの改革=破壊と創造です。農民社会のぬるま湯に浸っていた韓国社会の個人個人を、近代社会の中に引きずり出し、苦痛を与えながら、発展への意識改革を根付かせました。

 客観的な歴史認識としては、朝鮮伝統社会の破壊によって、韓国は発展できる国民国家に生まれ変わったのですが、この意識改革は、日本の国家としての総合力を向上させる目的で行われたと言えます。
 また、このような上からの改革ですから、『破壊を感謝しろ』とは政治的に言えるはずもありません。

 日本が根付かせた改革にどれほどの意味があったかは、独裁政治によって意識改革を封印してしまった結果『超貧乏国家』になってしまった北朝鮮と現在の韓国を比較すればわかると思います。

 善悪を離れて、客観的に見てみましょう。

 ポイントは、日本による朝鮮半島統治によって、「朝鮮民族」というものが、完全消滅する方向に進んでいたということです。これが最大の原因でしょう。

 現在の「朝鮮民族」による「韓国」と言う国の国民から見れば、民族消滅は、「韓国」・「朝鮮民族」の全否定にほかなりません。


<<歴史的背景>>
 ヨーロッパ列強は、アジア各国を植民地として支配したが、民族としてのアイデンティティは、そのままにして手を付けませんでした。
 それに対して、日本は朝...続きを読む


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