私は日本舞踊を習っているのですが、もっと勉強をしたいです。流派に関係なく勉強することができるでしょうか?出来ればお金のかからないところがいいのですが
流派の関係でなかなか思うようにいかないのです。確かに伝統も大事ですがそればかりにとらわれてはいけないような気がするのです.私は舞台に年2回たつことあります。踊りに関するいろいろな人とお話がしたいです。どなたかご存知であればよきアドバイスをおねがいします。

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A 回答 (4件)

居住市町村の文化センターには結構お教室がありますよ。

まずは地域の文化センター等に通い、上手になったらお教室を紹介していただいたらいかがですか?
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私は日本舞踊を習って23年になります。


もっともっと勉強したい!うまくなりたい!って気持ち・・・
すごく分かります!!
私の場合は幼い頃からずっと習い続けてきましたが、だんだんと立場が上になり、どうしてか、先生からも指導をうけることが、なくなりこれ以上自分が成長できない・・・!
いつも自分の踊ったビデオを見て、自分の悪いところをみてガックリしていました。
それでも、自分で勉強しなくてはと歌舞伎を観にいったり、研究をしましたがうまくいかず悩む日々でした・・・
しかしある舞台で、衝撃の先生と出会いました!!
自分の目指すところはここ!って強く思い涙がでました。
そして悩んだすえ、約20年教わった流派や先生を裏切った形にはなるかもしれませんが、私には人生で踊りしかない、これからもずっと・・踊りで生きていく!!ってその時、分かったし、その先生に弟子入りすることを決意しました。
今は、熱心にお稽古を受け、一から勉強しています。
多い時は舞台が月に3度あり、仕事との両立はハードですが、頑張っています。
私の周りには日本舞踊に関してなかなかお話できる方がいません・・・なんか私の気持ちばかり書いてしまいすみません・・・
でも一緒に踊りの世界にいる仲間として勉強したいって思われている事がすごく嬉しい気持ちになり、私のはげみにもなりました☆
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日本舞踊は、古典を習われているのでしょうか?


自分も日舞をやって17年くらいになります。勉強の方法が「受け身」の場合は、やはり習うのが良いでしょうね。自分は歌舞伎役者に知り合いがいるので、その人に質問したりする時もあります。(古典が前提での話ですが)
ネット上にある、歌舞伎役者のファンクラブは、たまに飲み会をしているようで、少しのご祝儀と参加費を払えば、その場に混ぜてくれるみたいです。
何かきっかけがあれば役者と知り合いになるのは簡単なのですが、歌舞伎座の楽屋へお邪魔するのも勇気がいるでしょう・・。
受け身体勢でない、技術の向上のさせかたは「自分で貪欲に吸収する」ですね。
例えば形が気に入らなければ、自分の目指すプロの舞踊ビデオを何回も見て観察し、自分でも鏡の前に立ってやることです。
演技力や感情の部分は、演劇論や(スタニスラフスキーメソッドなど)普段の生活での感覚を記憶することで、自分の糧になると思います。この場合、流派も関係ないです。古典の良さも追求し、自分なりの幅も広げて行くというカンジですね。
ちなみに自分は、誰もが必ず知っている流派で(名前はここで言えませんが・・笑)勉強しながら、某所地歌舞伎で主役をやっています。知り合いの演劇役者や舞台役者、バレリーナなど、芸術家連中の友人と良く話します。表現者には通じるものがありますので、日本舞踊家に限らず、様々な人から話を聞くのは、とても刺激的で役に立つと思います。これらのことには一切お金が掛かりません。
吸収の仕方はたくさんありますので、表現者としての技量を上げたいのなら、多方に好奇心を持って生活してください。
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流派に関係なく勉強するということに関してもう少し具体的に考えをお伺いしたいです。


私も日本舞踊を小さい頃から習い続けているのでお金がかかってしまう辛さは十分にわかります。私の家系は日舞には全く関わりがなく、決してお金に余裕のある家庭ではありません。舞台に立つには毎回相当なお金がかかりますよね。
先生によって、または流派によって月謝・舞台の金額も違ってきます。年に2回舞台に立つのはかなりハードだと思いますし、舞台経験は大事ですが、舞台をやるだけに稽古をするのはおすすめしないです。普通なら浴衣ざらい・踊り初めくらいで、舞台はあっても2・3年に1回とかではないでしょうか。
良い稽古場や先生についてはお答えする事はできませんが、流派を問わずに日舞の勉強がしたいのであれば、日本大学芸術学部がよいと思います。(演劇学科日舞コース)この学校は主に日本舞踊の創作舞踊について勉強するところですが、古典舞踊や歴史についてもやっているようです。いろんな流派の学生と先生がいる中で日舞の勉強ができるのはとてもいい環境だと思いますよ。興味があるのなら、まだまだお答えすることはできますが・・・

参考URL:http://www.art.nihon-u.ac.jp/theatre/top.htm
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Q韓国 伝統 ジュエリー の 本

チャングムの誓いなどのに良く見るような、
韓国の古い伝統的なジュエリーの本を探してます。
参考として良く見れるものを探しています。
アマゾンなどで探してもなかなか見つからないのですが、
どこで探すことができますか?

Aベストアンサー

これとか面白そうですよ。

http://tinyurl.com/nkl9vn

韓国といっても、歴史は長いですから年代をもう少し絞り込まないと、韓国、伝統、ジュエリーなんて言葉では、みやげ物しか出てきません。
朝鮮王朝、装飾品や衣装などの言葉で探してみてください。

Qトルコと熊本の伝統音楽について。

今学校課題で調べていることがあるのですが、まったくといって資料が見つからないので、質問させていただきます。

トルコの伝統音楽(「メフテル」?)と酷似した音楽が熊本県の伝統音楽として伝わっているという話について、詳しくご存知の方いらっしゃいませんか?
以前、NHKドラマの「阿修羅のごとく」や、ビートたけしの出演していたCMなどで使われていた曲なのですが・・・。
トルコ音楽についてはなんとか少し手がかりを得られたので、特に熊本県の伝統音楽についてご存知の方、ぜひよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

トルコの方は古い陸軍行進曲「ジェッディン・デデン」です。

Q芸術論(伝統との葛藤について)

例えば、
カメラが発明されるまで
絵画は、ありのままを写し取る実用性が強く、
写真の台頭により、芸術性を求めるようになりました。
現代においても
書は、パソコンの普及により、
実用性ではなく芸術性に傾きつつあります。
このような例や、
伝統文化が時代にもまれる例を
教えてください。

Aベストアンサー

 
  「絵画」とか「書」というのは、最初は実用目的であったのですが、考えておられるような意味の「実用目的」とは歴史的には少し違います。絵画で、写真のような肖像画などを描いたのは、「或る特定目的」に従ってで、絵画の実用性や芸術性はもっと広く多岐に渡ります。また「書」にしても、「筆を使って文字を書く」というのは、明治時代か江戸時代ならともかく、昭和になると、段々実用的には減っていたはずです。また、「筆で文字を書く」ことを、「書」と言っていたのではありません。「書」というのは「書道」で、世界的に、文字の装飾的な美や芸術性を追求した「書の芸術文化」というものがあります。単に「美しい文字」を書くのが「書」ではなく、そこに味わい、風趣のあるものを求めたのが中国の「書」ですし、日本の「書」もまたそれに連なります。
 
  それはとまれ、「伝統文化が時代にもまれる」というのは、現代の日本のように、色々な時代や地域の文化、芸術などが、一覧的に眺めることができ、並列されるような状況では、各時代の様式の違いとか、地域による、やはり様式の差などということが、全体の多様性に埋もれて見えなくなっていると言うことがあるかも知れません。「表現形式の多様性」とは、そういえばそうですが、かなり皮相的な見方です。
 
  「伝統文化が時代にもまれる」というような問題については、「不易流行」という芭蕉の芸術論の考えの言葉を元に、「芸術」についての考え方の回答で、過去或る程度詳しく述べたことがあります。以下の参考URLのわたしの回答を参照してみてください。
 
  >質問:芸術/アートとは?
  >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=200293
 
  「芸術」というのは、色々多様性があるので展開の余地があってよいなどというものではないとも云えます。それは、芸術というもののエッセンスが分かっていない者の考えでしょう。つまり、真に芸術に値するものは、実は、「伝統」あるいは「伝統様式」との凄まじい葛藤あるいは対決姿勢において成立するのだとも云えるからです。すでに確立された様式の真似をして、それらしい作品を造るのは、所詮、芸術とはあまり縁のない人の趣味でしょう。芸術は、芭蕉の芸術論がそうであるように、もっと真剣な、伝統と切り結ぶような何かなのです。
 
  現在のように、サンプルがたくさんあると、模倣エピゴーネンが幾らでも成立する訳で、芸術が伝統と切り結ぶということの意味も分からなくなっているのかも知れません。
 
  芸術というのは、伝統様式が存在する所に、それに対する反テーゼ、総合テーゼとして成立するものだとも云えます。対決しなければならない伝統の「意味」が分かっていない者には、あれこれ、色々な世界のスタイルを混ぜ合わせて、それらしい一見新しいようなものを造ると、それが芸術創造だという錯覚になるのかも知れませんが、そういう単純なものではないのです。
 
  芸術の「才能のある人」というのはいます。しかし、そういう人が大成するには、若い時の思いつき的な才能の発揮ではすまないで、古典の研究、古典との対決という課題が出てきます。「新しいもの」とは、「古いもの・既存のもの」に対し「新しい」のであって、芸術の表現媒体が多様に拡大されたとしても(例えば、カメラになったとか、映画とかビデオとか、電子音楽編集とか)、それが直ちに芸術に繋がるのではないのです。アマチュアが趣味で色んなことをしますが、それは芸術というには、質がありません。浮世絵と西欧の抽象絵画を総合して新しい芸術を造ったなどと言っても、そんなことは、素人でも試みることができるのです。そういうことをして「芸術」が成立するかどうか、という問題があります。この課題を越えるには、浮世絵の伝統様式や、すでに伝統となった西欧の抽象絵画の様式と徹底的に対決せねばならないでしょう。
 
  対決の出発は、まず、それらの伝統様式をよく研究するということです。自分が乗り越えようとしているものが何か分からないで、そのものを乗り越えることができる訳がないのです。単に、浮世絵調の絵に、抽象画のテクニックを適用してというだけなら、それは、単純な混ぜ合わせで、それでどうかと言うことです。北原白秋のような言葉の使い方で、現代散文詩のようなものを造ってみて、それでどうなるのか、というようなことです。
 
  芸術の展開の歴史を見ると、文化や社会の要請や、技術の進歩なども要因として重要ですが、前時代の主流「様式」を研究し尽くして、それを取り入れた上で、それを乗り越えるという操作が何時でもあることに気づくのです。「乗り越える」という時、それは、空間の把握方法の革新的な創造・発見であったり、色彩の使用法の、従来の様式の枠には収まらない使い方などです。しかし、これらの創造的様式は、ただの思いつきレベルでは、伝統を乗り越えるところまでは行かないのです。
 
  伝統の様式は、それなりの歴史の重みの上にあるので、それを乗り越えようとすると、芸術史の全体を前提にした、あるいは、世界や人間の把握の方法における新しい、十分な重みと「感動性」を持った芸術様式を構築せねばならないのです。
 
  新しい芸術様式の確立者は、伝統と切り結ぶとはこういうことで、伝統芸術は、常に、新しい才能ある者の挑戦を受けているとも云えるのです。また、このような挑戦を受けて、容易に屈しないからこそ、伝統様式として、古典として存在しているのです。
 
  中世やルネッサンス期の絵画や、日本だと(このあいだ……数ヶ月前……TVでやっていたのですが)「源氏物語絵巻」の科学的調査と、元の姿の復元という作業が、近年行われています。「非破壊検査」を行って絵画などを調べることのできる技術が開発されたので、どういう風に絵画を制作したのか、すでに古くなって画面からほとんど消えてしまった部分や、また、塗り潰されていたので分からなかった制作順序や、制作の方法などが解明されています。
 
  この調査結果などを見ると、「普通は見えない部分」で、もの凄い努力がなされているというか、伝統の技法を十全にマスターした者が、その技法の上に、新しい自分の技法を創造しているということが如実に分かって来ます。絵画などをぱっと見る時、そこに感動」や「感銘」が起こる時、それは何故だろうか、という疑問が出てきます。文学などでもそうで、何故、素晴らしいと思ったのか、反省して考えると、色々理由が出てきますが、実は、そのような理由の発見を越えた次元で、作者は精緻かつもの凄い努力でスタイルを造っていることが、研究していると分かって来るのです。
 
  どういう技術・技巧を駆使したかが分かるのは、当の芸術家だけだという場合もあります。もっと後になって、解析の技術が進んで来ると初めて何であったかが朧に分かるということもあります。
 
  キーファーという画家がいて、わたしは、この人の絵の実物は見たことがなく、本などの印刷複製でも見たことがなく、jpegの画像で見たのですが、何か意味不明な変な絵なのですが、凄まじい「戦慄感」が見ているとあるのです。何故、「戦慄感」が起こるのか、知人と話したのですが、これは、元に、見ると恐ろしいような絵が描かれていて、それをほとんど塗りつぶす形で、上に別の絵を描いているのではないかと、いう考えがありました。また、絵の具に「血」を混ぜているのではないかという話にもなりました。
 
  意識は、何か分からないのですが、無意識は、見えないはずの塗りつぶされた絵を見ている、あるいは、血がキャンバスに塗られていることが分かる、ということで、意識に、「理由の分からない戦慄感」が生まれるのではないかということです。こういう技術は過去にもあるのですが、使い方が、独特なのだとも云えます。誰かがそれを真似をしても、キーファーの絵にはならないという所がおそらくあります。(何か別のことを、もっと分からない所でやっている可能性があります)。
 
  ここでキーファーや、また別の現代画家であるイェイツなどは、過去の伝統と切り結んで新しい自分の様式を作り出したと云えるのです。「芸術の多様な可能性」という言葉はあっても、真に芸術の名に値するものは、そう安易には創造できないのです。
 
  >伝統文化が時代にもまれる例を
 
  これは、以上に述べて来た、芸術の新しい創造が、伝統様式との切り結び合いだということよりも、むしろ、伝統芸術や伝統文化が、通俗的多様化や、新しい表現媒体によって、その本来の価値が見えなくなって、エピゴーネンやイミテーション作品や、大部分ごみとなるような、皮相な、新しい試みなどが氾濫して、本来の伝統とは何だったかが分からなくなる事態でしょう。現代において起こっていることがこういう事態でしょう。印象主義とはこういうもので、シュールレアリスム絵画はこういうものだ……と誰でも分かったような気分になって、しかし「固有の創造的意味・芸術的意味」は閑却されるという事態でしょう。
 
  時代が経過すれば、偽物は淘汰されて消え、本来の伝統が残り、また伝統と本当に切り結んで創造を行った芸術が、新しい伝統として残っているのです。こういうことの繰り返しだとも云えます。
  

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=200293

 
  「絵画」とか「書」というのは、最初は実用目的であったのですが、考えておられるような意味の「実用目的」とは歴史的には少し違います。絵画で、写真のような肖像画などを描いたのは、「或る特定目的」に従ってで、絵画の実用性や芸術性はもっと広く多岐に渡ります。また「書」にしても、「筆を使って文字を書く」というのは、明治時代か江戸時代ならともかく、昭和になると、段々実用的には減っていたはずです。また、「筆で文字を書く」ことを、「書」と言っていたのではありません。「書」というのは...続きを読む

Q「伝統」はそれだけで売りになること

歴史的建造物とか、道具とか、地域が伝統色を残しているその地域全体とか、歴史的遺産とか言うことで、観光資源あるいは骨董的価値になっていますよね。でも、それが現役のころは、まったく自然に役目を黙々とこなしていた建造物であり道具であり地域であったのです。それが、その歴史が終わって、現代から切り離された歴史的な存在になったところで、いきなり観光資源や骨董という日常性からはなれた第2の価値が付与されるというのは、なにか腑に落ちないもの、なぜなんだろうという疑問を感じるのですが、自然なことなのでしょうか。

それから、歴史的威光に感じる、郷愁感とか安堵感、あるいはその壮麗な感じとかの情緒感というのは、先天的なものなのか、あるいは歴史的な流れで現代の感覚からそうなっているのか、どうなのでしょうか。たとえば、古い駅舎にSLが来るなんていうのは、どうもそれ自体で郷愁、あるいははまった風景、あるいはなにか情緒感あふれるという雰囲気をかもし出す、当時はそれが普通だったのに。それは、普通でなくなったからその感覚があるのか、あるいは普通だった当時から情緒はあったのか?

現代現役な「今」を感じさせるものも、将来的にはそのような歴史的遺功になるものでしょうか?

歴史的建造物とか、道具とか、地域が伝統色を残しているその地域全体とか、歴史的遺産とか言うことで、観光資源あるいは骨董的価値になっていますよね。でも、それが現役のころは、まったく自然に役目を黙々とこなしていた建造物であり道具であり地域であったのです。それが、その歴史が終わって、現代から切り離された歴史的な存在になったところで、いきなり観光資源や骨董という日常性からはなれた第2の価値が付与されるというのは、なにか腑に落ちないもの、なぜなんだろうという疑問を感じるのですが、自然な...続きを読む

Aベストアンサー

ノスタルジーとか思い出とか歴史的な価値とか、いろんな価値基準があるのです。
歴史的な価値というのは、現在と地続きです。今の文化の基礎となった物を学びたいという気持ちが価値に繋がります。
古いものはどんどん無くなるので、現存している物は希少価値が産まれます。

中途半端に古いとただの中古品で価値が落ちるだけ、それが時を経ると骨董品となり価値が産まれます。

とはいえ、それを価値があると考える人が少なければ、古くて良い物でも価値は高くなりません。

おもちゃなんかは「思い出」で価値が出ていますね。
その思い出を持っている人が購買層からなくなれば、価値が一気に下がることもあるでしょう。

私が小学生のときに現役だった聖徳太子の紙幣や、五百円札はその額面を上回る価値が出ていますね。

Q保育園の踊り「ラッセラー」のタイトルを教えて下さい

再投稿です。娘が保育園で習っている以下の曲のタイトルを調べています。先に質問した際にいくつか回答を頂きました。本当にありがとうございます。ただ、まだタイトルまでは辿り着けずにいます。以下の曲をご存知の方がいらっしゃいましたらご連絡お願い致します。

♪そーれ、ラッセラー ラッセラー ラッセ ラッセ ラッセラー

(1)祭りの太鼓がどーんとなりゃ
腹に響くよ体も弾む
みんな集まれ輪を作れ
明日はきっと晴れるだろう
※大地をがっちりつかまえて
宇宙を目指して飛び上がれ
それ ラッセラー ラッセラー ラッセ ラッセ ラッセラー
ラッセラー ラッセラー ラッセ ラッセ ラッセラー

(2)踊りの波がじゃじゃっと揺れりゃ
汗が飛び散る心も弾む
みんな集まれ声を出せ
明日はきっと晴れるだろう


(3)子供の瞳がきらっとひかりゃ
夢が膨らむ力もこもる
みんな集まれ智恵を出せ
明日はきっと晴れるだろう


(4)父ちゃん母ちゃんご近所さん
歌え踊れや命を燃やせ
みんな集まれ腕を組め
明日はきっと晴れるだろう

再投稿です。娘が保育園で習っている以下の曲のタイトルを調べています。先に質問した際にいくつか回答を頂きました。本当にありがとうございます。ただ、まだタイトルまでは辿り着けずにいます。以下の曲をご存知の方がいらっしゃいましたらご連絡お願い致します。

♪そーれ、ラッセラー ラッセラー ラッセ ラッセ ラッセラー

(1)祭りの太鼓がどーんとなりゃ
腹に響くよ体も弾む
みんな集まれ輪を作れ
明日はきっと晴れるだろう
※大地をがっちりつかまえて
宇宙を目指して飛び上がれ
それ ラッセ...続きを読む

Aベストアンサー

難儀されてますね?見つかりそうで、・・・・歌詞が解っていても、著作権の関係で掲示できない?から検索ヒットしないのか。

歌詞以外の手がかりになりそうなことで
収録ソースは、カセットテープなのか?CDなのか?
(それが解ったとしても、候補が半分?に減るだけ・・・)

「手詰まり」とは思えないので、今後の方策として
●その1
歌詞の 「ラッセラー・・・」が、青森のねぶたを連想させるので
こちらのBBSに投稿してみる↓
http://www.nebuta.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=6456;id=
で、ねぶた通の方々のお知恵を拝借。

●その2
>大正15年創立以来、このジャンルに携わってきました
と謳っている、この文言を信じて・・・・・下記のサイト
http://www.hoitto.gr.jp/eikoudo/hoikuenyouchien.htm#hurituke
にメールで問い合わせ。

下記URL>出来るだけお探しします
に期待を込めて・・・・
http://www.interq.or.jp/japan/groovy/index.htm
にメールで問い合わせ

難儀されてますね?見つかりそうで、・・・・歌詞が解っていても、著作権の関係で掲示できない?から検索ヒットしないのか。

歌詞以外の手がかりになりそうなことで
収録ソースは、カセットテープなのか?CDなのか?
(それが解ったとしても、候補が半分?に減るだけ・・・)

「手詰まり」とは思えないので、今後の方策として
●その1
歌詞の 「ラッセラー・・・」が、青森のねぶたを連想させるので
こちらのBBSに投稿してみる↓
http://www.nebuta.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=6456;id=
で、ね...続きを読む


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