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よろしくお願いします。
幼少期のこと(小学校に入るくらいまで?)
について質問です。
幼少期に起こったことについてあまり記憶がないのは
生物学的に証明されているのでしょうか?

以下、私の個人的な体験談です

1.犬に泣かされた記憶はあるのに犬が大好き!
写真をみると犬と仲良くしているところが移っているのに
全く記憶がない。

⇒昔祖母が飼っていた巨大なコリーに髪の毛の匂いをかがれ
怖くて泣き出した記憶は今でも鮮明にあります。

しかし、今の私は犬が大好き。
上記のような経験があれば犬を嫌いになっても良いと思うのですが
嫌いになりませでした。

不思議だと思っていると、犬と仲良くしている写真が
出てきましたが全く記憶にないです。

泣かされた記憶しかないのです。記憶喪失の一種なのでしょうか?


2.母国語をどうやって勉強したのか?

皆さん経験かと思いますが、
母国語の勉強過程をどうして覚えていないのでしょうか?

英語を勉強していても大変なのに
良く単語などを覚えられたな、と
不思議です。

人間の頭は幼少期が一番働いているのでしょうか・・・?


わかりづらい質問ですいません。

回答を頂ければと思います。

A 回答 (3件)

こんにちは。


古い記憶はどうして思い出せなくなるのか、このようなことはまだほとんど解明されていません。ですが、幼児期の記憶が不確かなのは、それは思い出すための「順序」や「手掛かり」といったものがはっきりしていないのがその原因として考えられます。
我々が何かを思い出すとき、それには何らかの「切っ掛け」と、それを意味のある出来事として理解するための「脈絡」が必要です。
まず、「何時、何処で、何があった」、このようなものはひとつの出来事に対して「連想記憶」の関係にあります。そして、これらは「筋書き(陳述記憶)」というものに対応しますので、このうちの何れかが切っ掛けになれば、それはひとつの出来事として繋がります。
では、幼い頃はまだ物事をきちんと整理して考えることができませんし、自分に与えられた状況を常に正確に把握しているというわけでもありません。このため、そこでは「連想記憶」や「手掛かり記憶」といったものの位置付けが元々不明確なため、これを上手く思い出すことができないのだと思います。

「犬が好き」というのは、これは「大脳辺縁系の情動反応」であり、大脳皮質の学習結果ではありません。
この大脳辺縁系に学習される「情動記憶」といいますのは「好き・嫌い」の反応を発生させるためのものです。ですから、情動反応そのものは大人になっても再現されるのですが、これは大脳皮質の学習記憶とは違い、その学習の基となった体験を頭の中に思い出すということができません。このため、通常我々には自分の情動反応の結果からその原因となる体験を特定するということはまずできないです。
もちろん、大脳皮質の中には思い出せる記憶というものが幾つも残っているわけですから、その中には思い当たるものが見付かるかも知れません。とはいいましても、情動反応といいますのはある程度の期間を掛けた複数の体験である場合が多く、それを特定するというのは精神カウンセラーのような専門家でも極めて困難なことです。
余りにも鮮烈な体験であったために一回の体験で学習されてしまう、このような「PTSD」といいますのは「重度の心的外傷(トラウマ)」でありますが、少なくとも質問者さんが巨大なコリー犬に迫られた体験の方は特にトラウマにはなっていないということですね。もちろん、そんなに簡単になるものではありません。そして、質問者さんが犬を好きになった経緯といいますのはまた別なところにあり、覚えていないのは別に記憶喪失でも何でもありません。

言葉というのは日常に無数の体験から獲得されるものであり、喋るというのはその使い方を覚えるということです。
赤ちゃんが「ママ」と繰り返すのは、最初は母親の口真似です。では、やがて「ママ」という「聴覚情報」と目の前の母親の姿という「視覚情報」との関連付けが行われますと、赤ちゃんは母親を見て「ママ」とやるようになります。そして、二歳を過ぎますと外界の対象に対して「表象能力」というものが獲得されますので、言葉を教えれば赤ちゃんは自分でその組み合わせを覚えるようになります。
このように、そもそも最初は言葉というものを全く知らないのですから、我々は母親から「私がママです」と言われてそれを理解したというわけではありません。ですから、それが論理的な記憶として頭の中に残っているわけがないんです。また、例えば「犬」という言葉にしましても、あれが犬だと直接教わったのか、あるいは誰かがそう言っていたのを聞いたのかはいちいち覚えていませんよね。

「食べ物の好き嫌い」や「異性のタイプ」といった個人の好みといいますのは概ね「生後三歳までの人格形成期」にその基礎が作られると考えられています。この時期、脳内では新しい神経細胞同士の接続がたいへん活発に行なわれます。大脳辺縁系の情動学習がこれと関係しているかどうかははっきりと言えませんが、言語学習といいますのはこの時期に最も強化されると考えられています。
人間の脳内には「言語中枢」という特別な組織があります。ですが、我々は生まれたときから日本語を喋れるわけではありません。この時期、脳内では神経接続の形成がたいへん活発に行なわれるわけですが、日本に生まれた我々は専ら日本語に接するため、言語中枢の接続は日本語に対応できるように形成されてゆきます。このため、このようにして接続された言語中枢を使って英語を覚えようとしますと、それはどうしても外国語ということになってしまいます。
このように、言語学習には「学習臨界期」というものがあり、それを過ぎますと母国語の学習はできなくなります。これには実験データというものがないのですが、概ね五歳くらいまでに二ヶ国語の基礎が出来上がりませんとバイリンガルにはならないそうです。
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この回答へのお礼

大変詳しい回答ありがとうございます。
すごく大雑把にいうと、情動をつかさどる部分と文脈をつかさどる部分に分かれていて、その連携のメカニズムについて自分でわかることは難しいということですね。

回答ありがとうございました。
大変勉強になりました。

お礼日時:2008/02/12 00:01

こんにちは、シロウロです。



>不思議だと思っていると、犬と仲良くしている写真が
出てきましたが全く記憶にないです。
泣かされた記憶しかないのです。記憶喪失の一種なのでしょうか?

シロウトですので、想像するだけですが...
仲良くしている状態が質問者さんにとって「普通の状態」だったのではないでしょうか。なので記憶の表層には残っていない。泣かされた件は「異常な状態」として記憶の表層に残っている(突出している)のではないでしょうか。
私も小さい頃よく遊んでいた友達でもケンカしたことばかり覚えています(^_^;)

>2.母国語をどうやって勉強したのか?

私は今、3歳になったばかりの男女双子を育児していますので、ちょうどその過程を目の当たりにしているところですよ(笑)
話始めの小さな子供達は、耳から入った言葉を「そっくりそのまま真似っこする」ことから始めます。大人が英語を勉強する時に単語帳を見て、単語と意味とをセットで覚えようとするのとは全く違います。意味などお構いなしに真似する。
ウチの息子は最初、大人が自分に言う「○○だねー」の「ねー」だけをオウム返しに真似していましたよ。また、これは本当に不思議なのですが、1歳半頃の子供は宇宙語を喋ります。独りで、よくもまぁそれだけデタラメが長々と言えるものだと関心しますよ。
「#&+`~*〜、 ×>/&%っとぅぬぁ!あっぱ=z#_,;Lんーねー?」
何を言っているのかサッパリ不明なんですけど、そのイントネーション、抑揚、間の取り方などが正しく「日本語のそれ」なんです(笑)大人同士が自分の前で何か言っている時に、彼にはそんな風に聞こえているのでしょう。例えが古くて恐縮ですがタモリさんのデタラメ中国語みたいです(^_^;)
それからバカの一つ覚えです。何か一つ気に入った言葉を覚えると100回でも200回でも繰り返して言ってみます。使うところが正しくても正しくなくてもおかまいなしです(^_^;) ウチの娘はとにかく何でも「カッコイー♪」というのにはまっていました。ですが、子供はそれを発した時の大人のリアクションをとても敏感に見ていて、最終的には正しい使い方(場面)というのを習得してしまいます。
正しくても間違っていてもお構いなし、言いたくて言いたくてとにかく言う!大人の語学習得と最も違う点というか、大人には真似できない点はココだなぁと思いますよ(笑)

>母国語の勉強過程をどうして覚えていないのでしょうか?

母国語の習得過程だけでなく、3歳未満の記憶というのはないか、あっても曖昧模糊としたイメージのようなものではないですか?子供の頃でもハッキリした記憶が残っているのは、言葉が完成されてからではないですか?私は、言語を確立することと記憶に留めることには何らかの関係があるからそうなんじゃないかと思っているんですけど、どうでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大変勉強になりました。
確かに言語を覚えてないから体験を思い出せない
というのはあるかもしれませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/12 00:03

こんばんは。



ご質問の内容は、大脳生理学的にも、生物学的にも証明されていません。そもそも、人間を実験台にして研究を行うことは倫理的に許されていません。

しかしながら、私見から仮説を述べさせていただくと、
1)幼少期にあっては、顕在意識よりも潜在意識の方が優先的に働いているので、潜在意識にしみ込んだ記憶が優先的に思い出される。
2)潜在意識に入り込む記憶とは、辛い経験であったり、悲しい経験が多いのですが、人間が成長するに従って、それは自分自身が働きかけた相手に対して問題があったという風に解釈できるからと言えます。
3)母国語に関しては、これまた謎が多いのですが・・・遺伝的なものよりも、周りの大人達や友達の真似をして覚えたということだと思います。

3については、実際に思い出してみれば分かると思いますが、始め自動車などを見て、音を聞いて・・「ぶーぶー」とか言いますよね。それを、親が直してくれて、「自動車」と言うんだよという感じで覚えたのだと思うのです。

そんな風に記憶が修正されながら、言語を取得したと思いますよ。

では。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/12 00:04

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