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卒論(修士も含めて)とどれくらい厳しくするかという話題がありましたが、逆にどれくらいを合格最低基準と思いますか?私的には本人の努力のあとが見られれば、卒論(修論?)は成果の有り無しは問われないものだと思います。しかし、病気も含めて出席日数が、研究室に来るべき日(研究室によって若干異なるとは思いますが)のおおよそ半分以下の人や、雑誌会や研究会を無断欠席するような人でも、就職が決まっていることが多いので、本人の将来を考えて多くの指導教員はA評価でその人の卒業させる傾向にあると思います。

A 回答 (8件)

卒論程度なら指導教員の判断で十分と思います。


僕の大学の教授は、修論でも論文投稿を求められた方でしたので、そこまで言われるなら、全国一律で修論なら論文集に1本以上掲載されたら合格にするとかの方が公平です。
でも修士だろうと所詮厳しい躾がないところで生きてきた人間なので、ポテンシャルの高い学生は入社しますが、最初から使い物になる学生は殆どおらず、会社でフルタイムで2~3年働いてもらって、やっと使い物になるものだと思っています。
あなたの気持ちは良く判ります。学校として、人としてあるべき言動・恥ずかしくない人間形成に、学校の良さを活かして教育を期待します。
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No.2です.



>勉強した形跡があまり見られなかった場合(中途半端な不登校やさぼりなど)はどうでしょうか。このような学生が急増していると思うのですが。社会にでてから、企業も本人も困るでしょうね。

状況はよくわかります.
しかし,そのような人が,大学出でござい と大手を振って歩けるほど,今の日本の社会は甘くないです.面接で片鱗でも見えたら,一発です.まず,就職できないと思います.
ですので私には,当初ご質問の,
>出席日数が、研究室に来るべき日(研究室によって若干異なるとは思いますが)のおおよそ半分以下の人や、雑誌会や研究会を無断欠席するような人でも、就職が決まっていることが多いので
は想像できません.決まらないのではないかと思えてしまいます.

それでも,実際に決まっているのでしたら,企業はその学生に何らかの期待を持っているのでしょうし,学生も次の進路に向けた試験を受けているのですから,卒業させてやったらいいのではないでしょうか? 実力を認定して単位を出して卒業させるという正しい姿ではないと思いますが,本来議論すべきことは,「どこまでなら卒業させるか」といったこととは異なり,もっと別のところにあるのだと思います.奥の深い問題だと思います.
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No5です。


うちの大学では、学生の卒論修論の評価は担当教官とは別の3名(評価委員的な別の教官)が発表を聞いて判断します。
つまり、担当教官は実際の成績表の評価にはほとんど関与しません。
というか関与できません。おそらく公平性やアカハラ等を考慮してのことと思います。

担当教官としては、この学生に卒論修論の発表をして良い、ということで
他の評価委員に対して「この学生は最低限はやってきたんですよ」という意思表示になります。
その後、どこまで発表会で評価をするかというのは中々難しく、
私も他の学生を評価する場合、日頃の態度や研究内容のすばらしさを
きちんと把握しているかどうか・・・。
しかし、たいていの場合、発表は担当教官がきちんと指導しますし、学生も発表ばかりはきちんとします。
そういう意味でA評価になることが多いです。
現状を想像していただければ幸いです。
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ライフサイエンスの大学教員です。



合格最低基準というものは、その分野によると思います。
私は実験の結果をもとに証明することを生業にしているため、文系の判断基準はわかりません。あくまで、私の分野での話ですが、

実験はやれば結果がでます。しかし、実験やっても「思った通りの結果でなく、かつ論文にのせられない」こともあるということです。
そのようなリスクがある現場ですので、卒論修論ではポジティブな結果が出なくても卒業はできます。そのときの卒論修論の発表の仕方は
「こういうことを考えたのですが、ダメでした。その理由にこういうことが考えられます」ということを延々述べる訳です。
これはサイエンスとしてはまったく意味がないかもしれませんが、卒論修論としては意味があります。これはその学生の能力ではなく、たまたまそういう実験を受け持ったというだけですから。
だいだい、この分野で研究を実験方法から覚えて、勉強をやっと始めたペーペーの1~2年でポジティブな結果を出せという方が無理に近いかもしれません。
実験結果がポジティブでなくても、その学生は実験の手技を覚えた、またその結果を考察する過程を何となく覚えた、そいういう能力がついたと思われれば卒論修論は合格です。
そこで、たまたまポジティブな結果が出たとします。しかし、はっきりいってそれは学生の力としては多くても3割、あとの7割は下調べをした教官と先輩学生の成果です。
そういう意味で、出席日数と作業量はかなり加味します。1週間実験をしてたまたま卒論修論になる結果がパッと出たとしてもその学生には何も力がついていませんから。
卒論修論を書く学生ごときが、「私の能力では半分の手間で仕上げられる」と言えるほどこの世界甘くはありません。また、それでは勘違い学生を作るだけです。
ちなみに、博士課程はポジティブな結果をたーくさん出して論文を書かないと卒業できません。
評価は担当教官がやるのはもちろんのこと、論文が国際的な雑誌に受からなければいけないので、そういう意味でも評価されてOKならば合格です。
ここで、博士課程の学生は大学からの評価「A評価」等ナンセンスです。手がけた論文がどのくらい良い雑誌に掲載されたか(IFなど)などで、
見る人は評価しますので。

さて、本題のどこまでなら合格と判断か、ということですが、私の身の回りの教官間の話ですが、
雑誌会や研究会を無断欠席するような人、実験をしない人、研究室を休みがちな人、パッと出の結果があるからって実験しないで立ち止まる人、
このような人はどうして大学に来たのかわからないというのが正直なところで、非常に困惑してます。
そのような人を説教して「人間性」を指導することをどうしてしなきゃいかんの?って大学教官である前に研究者であると考える私達は困惑なのです。
そういう人でも、就職が決まっていると、それをやめさせてまで卒論修論を受け取らないとして人生を狂わせることを私たちがやらなければいけないのか?ということです。
その「人間性」の指導をはっきり言って投げているところがあります。
そこらの指導は次のところ(会社)でお願いって感じで。多分、社会ではやっていけないだろうなぁと思いながら。

そういう意味で、質問者様のおっしゃるように、我々の評価うんぬん以前に、

>研究室に来るべき日のおおよそ半分以下の人や、雑誌会や研究会を無断欠席するような人でも、就職が決まっていることが多いので、本人の将来を考えて多くの指導教員はA評価でその人の卒業させる傾向にあると思います。

その通りです。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
ご意見の最後の点ですが、卒業はさせるものの、このような場合、A評価ではなくBまたはC評価とするべきではないでしょうか。就職や進学は決まっているのですから、そこには影響しないし、何のエビデンスも残さないのは良くないのではないでしょうか?きちんと(人間性も含めて)教育をしたにもかかわらず、このような結果になった場合、無条件オールA評価にするのは教員として間違ったことと思いますがいかがですか。

お礼日時:2008/02/14 08:51

卒論も修論も出席日数で計るのはナンセンスでしょう。

(講義もそうですが)
特に修論を他人の半分の手間で仕上げられるのであれば、それは能力が高いと見るべきですし。
どれだけサボろうが構わないのですが、能力があるのかどうかでしょう。
むしろ、これはいかんな、と思ったのは、頭の中身スッカラカンで研究成果だけ出たから修士です博士です、といった例で。
本当に研究能力だけでもあれば別ですが、あるのはせいぜい作業能力でしかなくて。
だから、評価云々の前に、きちんとした指導ができていないと。
出席日数だのの作業量を加味してしまうのは、指導者に指導力がないからです。
指導力があれば、結果が出る出ないはともかく、バカのまま卒業することはないはずです。

能力もなければ結果も出ていない場合、
卒論に関してはやる気が欠片もない者でもOK。
修論はNGだと思います。
野球を観る人とプレイする人は違うでしょう。
研究というのはあくまでプレイの方です。
ところが世の中、プレイに興味はないが観たいという人が少なからず居るのです。
そういう人の要求に大学は応えられていません。
真ん中より下の大学の事は知りませんが、プレイヤーである教員が、自己中心的にプレイを求めているだけのことです。
だから、卒論が必修ということが本当はおかしいです。
大学によっては八割方修士に進むようなところもあるのに、そこで残り二割に卒論を課す必要があるのかどうか甚だ疑問です。(勿論、進学組は卒論必修です)
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No1です.



やっぱり誤解されましたね(笑)

>結局ほとんど何もしなくてもエスカレーター式で卒業修了させた方が良いということでしょうか

そりゃ駄目です.あくまで,先生も人間だから本音ではそうなんでしょうというだけのことですよ.普段から研究会とかディスカッションとかがあるのでは.卒業前にそういったことをちゃんとしなくてはならない.あまりに変な内容だと,卒研発表で他の先生が気づくでしょうし.合格不可にすべきです.

お礼(というか補足)を読んでいて,そういう学生が急増していると言われますが,質問の意図はそういう学生が増えつつある環境に疑問があると言うことですか.質問の内容だと,審査基準を聞いているのだと読めますが.

>教育ということを考えると疑問が残ります。
教育ということを考えて,本当にそう言う学生が多いなら,ここでの質問は,全く別の問題になります.審査基準を厳しくすればとかいう単純な問題ではありません.企業に就職する学生とちゃんとコミュニケーションできる環境になっていないな.

学生の意見をちゃんと聞く,こっちの意見をちゃんと伝える.就職後どのような環境が待ち受けているのか,それに対する大学の研究にどういう意義があるのかを,ちゃんとコミュニケーションできないと駄目ですね.

大学生なんだし,普通に勉強する習慣くらいあると思いますが.でも大してメリットない事に努力払う人なんていないな.そうではない,研究が将来的に意味があることをちゃんと教育せんと.そこが一番の問題であって,卒研発表なんて,本来最後に行うただのチェックに過ぎないはずなんですが.
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この回答へのお礼

ご意見、全くの同感です。ありがとうございました。研究を通しての教育(目的、方法論、結果の解析などに関する議論)がとても重要だと思います。しかし現実には、これがうまく行かないケースがとても多く、教員と学生のコミュニケーションが出来ていないことが多いと思います。私的には学生のほうに問題児が増えているためと思いますが、教員に問題がないわけではありませんね。今回このような質問をさせていただきましたが、(解決策は分からないものの)現在の日本の高等教育のあり方を大変危惧しています。

お礼日時:2008/02/13 14:33

企業の人間です.


昔からそうですが,大学院を修了すると,「研究した」と思いがちで,その筋の専門家になったように勘違いしがちですが,学生時代は「研究の(やりかたの)勉強」をさせてもらっただけではないでしょうか? そういう意味で,勉強のあとが見られれば合格なのだと思います.恩師の背中を見て研究のやり方を勉強する というのが学生の姿だと思いますが,いかがでしょう??
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。「研究の(やりかたの)勉強」とのご意見全く同感です。勉強した形跡があまり見られなかった場合(中途半端な不登校やさぼりなど)はどうでしょうか。このような学生が急増していると思うのですが。社会にでてから、企業も本人も困るでしょうね。

お礼日時:2008/02/13 12:37

結論から言うと,指導教官がよいと言えばO.Kです.



他人が見ても,専門的な内容など殆ど分りません.だから,普通そういったことは指導教官が判断するのです.

>本人の努力のあとが見られれば、卒論(修論?)は成果の有り無しは問われないものだと思います。
はい,そういうものです.研究はやってみないとわからない.努力に比例して結果が出る保障ないんです.だから,研究テーマによって結果がまるで違うため,テーマをふる指導教官に最も責任が伴います.

それに普通(誤解を恐れずに本音を言ってしまうと),卒業できずに長い間研究室に残られると,就職も難しくなりますよね.そんな状態で残られると当然その学生も研究する気が失せてしまう.だから指導教官も面倒だと考えるものですからね.
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この回答へのお礼

早速のご意見ありがとうございます。後半のご意見ですが、結局ほとんど何もしなくてもエスカレーター式で卒業修了させた方が良いということでしょうか。教育ということを考えると疑問が残ります。

お礼日時:2008/02/13 12:30

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