俗曲の一つに「かんちろりん」があり、手元の二番の歌詞は次の通りです。

下にいろ下にいろと あの行列はサ
大阪でサ カンチロリン
大阪でサ 難波でサ
木村長門守の 上使上使

「木村長門守の 上使上使」は何を意味していますか。「行列」という語から判断して木村長門守自身が使者なのだと考えます。その場合、誰の何の用件で何処へ出向く途中だと想定されますか。恐らく何かしら虚実入り混じった有名な話が伝わっているのだと思います。
よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

他の歌詞を見ないと断言できませんが、木村長門守重成が慶長19年大坂冬の陣の和平交渉に、徳川家康の陣所に上使ととして赴く行列を言うものと思います。


この交渉で誓書の家康の血判が薄くて分からぬと、再度目の前で家康に血判を押させたとの話があり、その勇気をたたえられています。
ただ残念ながら、上使も血判も伝説で事実ではありません。
和平の上使は京極高次の母常光院、二位の局等で長門守ではありません。
夏の陣で長門守が壮烈な戦死を遂げた事から、このような伝説が生まれたと言われています。
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この回答へのお礼

お蔭様で、よく分かりました。一種の判官贔屓なのですね。
個人としての印象ですが、この何十年かの極端な経済至上主義以前の日本人は敗者への眼差しが温かかったように思います。
常光院、二位の局は記憶しておきます。

有り難うございました。このお答で十分ですが、寄稿の準備をされている方があっては、いけないので午前中は締め切らないでおきます。またの機会にもよろしくお願いします。
なお、手元の歌詞の一番は大久保彦左衛門の名があるものの、特に故事に触れているとは思えませんでした。

お礼日時:2008/02/17 07:41

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Qアナウンサーになるには?

タイトルの通りです。
アナウンサーになるための下記の事を教えて下さい!

・アナウンサーは何学部何学科ですか?
・アナウンサーになるには日本史と世界史のどちらを取れば良いのですか?
・アナウンサーに数学は必要ですか?

上記の事を教えて下さい!
回答お待ちしております!!

Aベストアンサー

>アナウンサーになるため

 一口にアナウンサーといっても、ラジオ局やBSやケーブルテレビの局やNHKなどもアナウンサーが存在するわけですが。もしかして地上波民放テレビ局に限定してませんか?


 と、ひとしきりツマランつっこみを入れたところでご質問にお答えいたします。まあNo.2様の仰る通りなんですがね。

>・アナウンサーは何学部何学科ですか?

 関係なし。まあ理系は珍しいでしょうが。

>・アナウンサーになるには日本史と世界史のどちらを取れば良いのですか?

 どちらでもOK。舌噛みそうになる海外の固有名詞に慣れるという意味では世界史有利か?

>・アナウンサーに数学は必要ですか?

 必要なし。職業柄知的なイメージのほうがいいに決まってるのに、バラエティ番組やクイズ番組での数学関連のバカさ加減を見ると、おバカキャラを演じているとも思えません。


 まあ色々書きましたが、民放テレビ局がアナウンサーに最も求めているのは「容姿」なんだろうなあとここ10年くらいの新人アナを見ていて思う次第です。

 蛇足ですが、容姿が関係なさそうなラジオ局のアナウンサーも最近は容姿重視で選んでいるようです。でなけりゃあんなに噛みまくる(それでいて容姿は中々)ヤツ採用するはずがない。採用にかかわったやつらは何やってんだかとリスナーとしては思うわけです。

>アナウンサーになるため

 一口にアナウンサーといっても、ラジオ局やBSやケーブルテレビの局やNHKなどもアナウンサーが存在するわけですが。もしかして地上波民放テレビ局に限定してませんか?


 と、ひとしきりツマランつっこみを入れたところでご質問にお答えいたします。まあNo.2様の仰る通りなんですがね。

>・アナウンサーは何学部何学科ですか?

 関係なし。まあ理系は珍しいでしょうが。

>・アナウンサーになるには日本史と世界史のどちらを取れば良いのですか?

 どちらでもOK。舌噛みそう...続きを読む

Q羽柴(筑前守)秀吉などの「〇〇守」の意味

歴史の中で出てくる名前に「〇〇守」などといったものを目にするのですが、この役職は誰から与えられたもので、その根拠は何なのでしょうか。また、その役職を与えられた者にとっての職務とは何なのでしょうか。

Aベストアンサー

 
歴史に出てくる、例えば「筑前守」などは、律令制における公家官職で、地方官の長のことです。律令制の官職では、省庁には4等官というものが置かれ、「かみ・すけ・じょう・さかん」という4官があります。大体、この名前ですが、漢字は違った字を使います。

地方官の「国」を治める官職は、国司と呼ばれますが、この場合の四等官は、「守・介・掾・目」ということになります。江戸時代には、大名や大身旗本に対し与えられる称号として、正式に朝廷が任じました。大名・旗本のなかには、例えば、江戸初期に下馬将軍と呼ばれ権勢をふるった、酒井雅楽頭という人物がいますが、この場合、雅楽寮という官庁の長官(かみ)は、「頭(かみ)」と呼びます。忠臣蔵に出てくる、浅野内匠頭(あさの・たくみのかみ)も、国司ではなく、内匠寮の長官で、頭(かみ)という漢字を使います。

それはとまれ、律令制において、日本全国は朝廷の領土となり、朝廷は日本全国を、「国」という単位に分け、国を統治する官職として、国司の四等官を置いたのです。この場合、「守」とか「介」は、現在の県などの行政に当たる県知事などとは違い、「行政・司法・警察」など、権力を一手に掌握した官職でした。(更に、徴税なども監督しましたから、税務署長官も兼ねています)。

平安時代では、この官職は、現実の統治権力を持っており、受領階級と呼ばれる、中級貴族が、守や介を交互に任官し、彼らは、領国で、絶大な権力を持って、大金を賄賂や様様な方法で獲得しました。(国司の三等官や四等巻の目は、普通、地元の人間を任命しました。守や介は、京に済む中級貴族が任命され、任国に普通は赴きました)。

しかし、鎌倉幕府が起こると、頼朝は、名目を設けて全国の国に守護を置き、幕府任命の守護と、朝廷任命の国司の二重統治になりますが、次第に守護が実権を握り、国司は名目的なもの、名誉職になって行きます。しかし、「称号」としては、意味を持っていたのです。室町幕府も守護制度を置き、応仁の乱の後の混乱では、守護が独立勢力となって、守護大名となります。戦国時代のはじまりになります。

国司の官職名を、有力武士や大名が勝手に名乗ったりし始めます。例えば、織田信長は、「上総守」を自称します。しかし、東国三国、つまり、上総・常陸・上野の三国は、伝統的に親王が守になることになっており、臣下は、介になるのであり、実質的に、これらの三国では、次官の介が、守の役割を果たしたのです。

臣下であって親王などでない、信長が上総守を名乗るのは、信長がよほど無知であったか、または何か意図があったのかも知れませんが、とまれ、織田上総守などと名乗れば、「馬鹿か」ということになるのが、一応、当時の教養人の常識でした。上総介も上総守も、官職として存在したのです。ただ、上総守などは、一般の人間・臣下はなれないのです。三国は、皇族の親王のための領地だったのです。

上総守は信長の自称ですが、最後には、正二位右大臣になりますが、これは、天下人となった信長が、朝廷から引き出した正式の官職です。信長はまた、自分の部下の武将にも、朝廷に意向を伝えて、様様な官職に任官させます。例えば、羽柴秀吉は、従五位の筑前守です。羽柴筑前守は、これは朝廷の与えた正式な官職です。

秀吉は信長逝去後、親しかった政治公家の京極菊亭大納言を通じて、正五位近衛少将の官職を朝廷から授かり、それに続いて、どんどん昇進し、関白太政大臣にまで昇ります。

戦国時代も末期になると、信長の例のように、朝廷の権威を利用して、官職を部下に朝廷を通じて与え、権力の正統化を行うようになります。家康の三河守や内大臣、また秀吉子飼いの武将の官職などは、すべて朝廷が授けた正式なものです。

家康は将軍となって江戸幕府を開き、源氏の氏の長者、武家の統領として、臣下に当たる大名や大身旗本に、それぞれ朝廷を通じて、官職を授け、大名も旗本も、基本的に、代代、その官職を継ぐことになります。例えば、土佐の山内家は、藩祖が対馬守で、代代、山内家の当主は、対馬守ということになります。

「守」というような官職は、一種の大名や大身旗本の「称号」となったもので、本来、律令制では、一国に、同時に複数の守などが任命されているのはおかしいのですが、山内対馬守の例のように、代代、称号を名乗る者がおり、対馬守は知りませんが、越前守とか伊豆守などは、複数の人がその称号を使っていました。

これらは、従五位(下)相当で、先に挙げた、雅楽頭や内匠頭なども、従五位(下)です。しかし、御三家と云われる、尾張、紀伊、水戸の三つの家は、当主は、尾張と紀伊が大納言、水戸が中納言で、大納言は普通、正三位、中納言は、従三位でしたから、これらは、官職だけでなく、朝廷での位も高かったのです。

江戸時代になると、武士などが、勝手に、公家官職を名乗ることは禁じられました。また、職人で、例えば、日光東照宮を建築したような、業績のある者には、官職を与えて、顕彰したというようなことがあります。
 

 
歴史に出てくる、例えば「筑前守」などは、律令制における公家官職で、地方官の長のことです。律令制の官職では、省庁には4等官というものが置かれ、「かみ・すけ・じょう・さかん」という4官があります。大体、この名前ですが、漢字は違った字を使います。

地方官の「国」を治める官職は、国司と呼ばれますが、この場合の四等官は、「守・介・掾・目」ということになります。江戸時代には、大名や大身旗本に対し与えられる称号として、正式に朝廷が任じました。大名・旗本のなかには、例えば、江戸初期...続きを読む

Q昔は、サッカーの試合放送でゴールしたときアナウンサーはどう叫んだのですか

サッカーの試合の放送で、アナウンサーが、「 ゴーーーール!! 」 と叫ぶのは、日本テレビの船越雅史アナウンサーが始めたのですか。
それとも他のアナウンサーが始めたのですか。

「 ゴーーーール!! 」 と叫ぶのが始まった以前は、試合の放送のアナウンサーは、ゴールしたとき、どういう叫び方をしていたのでしょうか。

Aベストアンサー

#1さんが言われるように、南米では昔から多いですね。

『ゴ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ル!!
 ゴルゴルゴルゴルゴル、ゴ~~~~~~~~~~~~~~ル!!』

みたいな。いつまでやっとんねん、という感じですが(笑)。

日本では昔、1980年代前半くらいの高校サッカーでは、点が入った時に
『ゴ~~~~~~~~~~ル!!』と長々絶叫するのが定番でした。
というわけで別に船越アナが始めたのではなく、南米流を参考にしたのか
高校サッカーを参考にしたのかは存じませんが、そういう昔からあるものを
取り入れたという感じではないですか。

それ以外では『入ったー!』とか『決まったー!』とか叫ぶ人もいましたし
もっと冷静に『決まりました、見事なゴールです』みたいな人もいましたし、
まあ人それぞれ様々だったと思います。

Qお寺の名称の「山」と「院」と「寺」はどういう意味ですか

 お寺の「山」と「院」と「寺」はどういう意味ですか。
先日、千葉県の重俊院というお寺に行きました。重俊院というのは通称で、正しくは森川山重俊院出羽寺というそうです。森川出羽守重俊の菩提寺なのでそこから名をとったそうです。そのまんまやんか・・・。さて、お寺の名称には○○院と○○寺と○○山がありますが、どうちがいますか。すべての寺には○○山○○院○○寺という「山」「院」「寺」がセットになった「正式名称」のようなものがあるのでしょうか。でも法隆寺には「山」も「院」も聞いたことがないです。

Aベストアンサー

○○山○○院○○寺というな名前をそれぞれ山号、院号、寺号と言います。この中で実は院号だけは少し別枠で考えていただくとして、普通は寺の正式名称は○○山○○寺という形で表します。

#2の方の言う通りですが
寺号はその寺の名前です。建立者や開祖が名前をつけるのが普通で、その寺を造るにあたっての気持ちがこめられます。

山号はその寺院のある場所を示すことが原型です。昔の中国では仏教寺院は山の中に立てられるのが普通で、その山の名前をとって山号としました。やがて平地に建てられた寺院も山号をつけるようになります。

で、山号+寺号が正式名称となる場合が多いのです。しかしまあ、日本では成田山など特別な場合を除いて寺号だけで寺を表すのが普通ですし、法隆寺・興福寺・東大寺など奈良時代以前に建立された寺に山号はありません。

さて、院号ですが、「院」というのは大きな寺などの中にある付属した施設や建物の名前です。本山など大きな寺だとその寺の系列の末寺があったりするわけですが、その中で本山と同じ境内の中にあるものを普通は院と言います。その寺の住職などが引退したあとに暮らすためのものであったりするわけで、山号+寺号+院号とするか、寺号+院号でその院を示します(ご質問の場合は人の名前を元にしているので順番が少し異なるようですね)。

なお、法隆寺については上にも書いたように山号はなく、#1の方のお答えになっている
「聖徳宗総本山」というのは山号ではありません。

○○山○○院○○寺というな名前をそれぞれ山号、院号、寺号と言います。この中で実は院号だけは少し別枠で考えていただくとして、普通は寺の正式名称は○○山○○寺という形で表します。

#2の方の言う通りですが
寺号はその寺の名前です。建立者や開祖が名前をつけるのが普通で、その寺を造るにあたっての気持ちがこめられます。

山号はその寺院のある場所を示すことが原型です。昔の中国では仏教寺院は山の中に立てられるのが普通で、その山の名前をとって山号としました。やがて平地に建てられた寺院も山号をつ...続きを読む

Qアナウンサーについて

アナウンサーのお仕事についておうかがいします。
英会話講座などで司会をされているアナウンサー(例えばNHKの「ニュースで英会話」の、講師ではなくアナウンサーの方など)、また料理番組で先生の補佐をされている方々はフリーアナウンサーになるのでしょうか?もしそのようなお仕事に転職をする場合にはどのように採用が行われるのでしょうか?TV業界については全く無知ですので、どなたか詳しくご存知の方教えていただければ幸いです。また、フリーアナウンサーになっている方々の職歴はやはり元々どこかのTV局でアナウンサーをされている方が多いのでしょうか?
宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

アナウンサー、特に女子アナの世界はあまり詳しくはありませんが、
フリーか局アナか…は、いろいろですよ。
どういう人を充てるか…は、番組の雰囲気だったり、
単に予算や人繰りの問題だったりします。

なり方はいろいろみたいです。
アナウンススクールなどで学ぶ人もいれば、
なってからのトレーニングで実力を重ねる人もいますしね。
正社員や契約社員で放送局に所属する人は、
北海道から沖縄まで、各地の放送局に活躍の場を求めます。
中には都道府県をまたいで、転職を重ねる人もいます。
地元の民放局でも、アナウンサーとは地元出身でないことが多いです。
あと、NHKなんかは全国区の転勤ですね。
有名女子アナなんかも、最初は地方の局で修業しているみたいです。
あとは、東京のプロダクションに所属して、
仕事があれば放送局などに派遣されるような人とか。
フリーかどうか、ですが、正社員はともかく、
契約だったり、派遣だったりする人たちもいますから、
どっからがフリーというほど、境目は単純じゃありませんね。

休みの日には、結婚式とかイベントとかの司会のアルバイトをしている人もいます。
それを副収入にできるかと、司会の収入中心に生計を立てるかとでは、
それこそ雲泥の差があります。

一部上場の正社員をなげうって、不安定な契約のオーディションを受ける人とか、
そういう人たちがゴロゴロいる世界です。
よく定年が30歳とか言われますが、その辺までにこの世界で生きる道を見つけるか、
「元女子アナ」の経歴を生かして、結婚など第2の人生を選ぶか、
ある程度見通しを付けた方がいいかもしれませんね。

アナウンサー、特に女子アナの世界はあまり詳しくはありませんが、
フリーか局アナか…は、いろいろですよ。
どういう人を充てるか…は、番組の雰囲気だったり、
単に予算や人繰りの問題だったりします。

なり方はいろいろみたいです。
アナウンススクールなどで学ぶ人もいれば、
なってからのトレーニングで実力を重ねる人もいますしね。
正社員や契約社員で放送局に所属する人は、
北海道から沖縄まで、各地の放送局に活躍の場を求めます。
中には都道府県をまたいで、転職を重ねる人もいます。
地元の民放局でも...続きを読む

Q「甲陽軍鑑」の「相討ち」や「相鑓」とは、どういう意味ですか?

「甲陽軍鑑」を覗いていましたら、次の文章がありました。
「合戦せり合いに、相討ちは非儀なり(中略)相討ちは必ず無用なり。子細は鑓をあはするに、相鑓と云事はなく候。」
教えて頂きたいことは、次の項目です。
1.「相討ち」とは、どういう意味ですか?
2.「相鑓」とは、どういう意味ですか?
3.なぜ、相鑓はないのですか?

Aベストアンサー

相討ちは、1人に複数で戦うこと
相鑓は、1人に複数で槍を持って戦うこと
卑怯ってことじゃないですかね。多分。

Qキャスターとアナウンサーのちがい

日本テレビの 「今日の出来事」が 
井田由美アナウンサーから 小栗泉キャスターに
かわるそうですが、
アナウンサーとキャスターって どうちがうのでしょうか? 所属する部がアナウンサー部と報道部というのは
わかるのですが、業務上どういう差があるのかしら。。
と ふと疑問に思いました。
 (アナウンサーは原稿を読んでニュースを伝える
キャスターは取材などにもかかわる。。。とか?
アナウンサーは 芸能もこなすけど、キャスターは
報道オンリーとか?)

Aベストアンサー

キャスターとはテレビで、解説を交えた報道番組などを主宰する出演者。だそうです。
アナウンサーとはテレビやラジオ放送で、ニュースを報じたり、司会・実況放送することを職とする人。競技場・劇場・駅などの告知係をもいう。放送係。放送員。アナ。だそうです。
キャスターは報道番組を中心に出演するみたいですね。

Q「上総介」とか「相模守」って?

歴史小説を読んでいると、武士を「上総介(かずさのすけ)」とか「相模守(さがみのかみ)」などと、「○○介」とか「△△守」と呼ぶのをよく目にします。

この「○○介」「△△守」って何なのでしょうか?。苗字でも名前でもないようですが・・・。

このように呼ばれる人はどんな人なのでしょうか?。「介」と「守」には何か格の違いのようなものはあるのでしょうか?。

○○や△△の部分は地名や国の名前が多いようですが、これは何か意味や決まりがあるのでしょうか?。必ずしもその武士の出身地や住所とは一致していないようなのですが・・・。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

古代の律令制では、各国に国司が置かれ、国司の長官を○○守、次官を○○介と呼んでいました。
現代で言えば、知事、副知事のようなものだと思います。
実際には本人は現地に赴任せず、代理人を送って治めさせたことも多かったそうです。

その後、武士の台頭とともに、朝廷の任命する官位・官職は有名無実化し、戦国時代には、各大名が自分免許で勝手に○○守、○○介を名乗っていたようです。

その後、江戸時代には、武士の官位・官職は幕府から朝廷に願い出て与えられることになりましたが、やはり名誉称号的なもので、実体はありません。○○の国名と実際の領地との間にも、関係はありません。同じ○○守を同時に二人以上名乗っていても構わなかったらしく、すでに他の人が名乗っている○○守であっても、希望する者は申請するようにと、幕府がわざわざ通達を出したことさえあるそうです。しかし実際には、例えば陸奥守は代々の仙台藩主が名乗ると言うような慣例は、ある程度あったようです。

ところで、上総守、常陸守、上野守などは、必ず親王が任ぜられることになっていました。織田信長でさえ上総守でなく上総介を名乗ったのは、そのためです。忠臣蔵の敵役の吉良上野介も、身分は国持ち大名並みの格式でありながら、上野守でなく、上野介を名乗っています。
歴史上、上野守、常陸守などの名前がほとんど出てこないのは、このような事情もあると思われます。

以上は地方官の○○守、○○介についてですが、中央の官職では、発音は同じ「かみ」、「すけ」ですが、漢字が違います。「かみ」は「頭」、「すけ」は「輔・助・佐」など。いろいろあったようです。
古語辞典の巻末付録に、昔の官職一覧表などがあって、見てみると面白いですよ。

古代の律令制では、各国に国司が置かれ、国司の長官を○○守、次官を○○介と呼んでいました。
現代で言えば、知事、副知事のようなものだと思います。
実際には本人は現地に赴任せず、代理人を送って治めさせたことも多かったそうです。

その後、武士の台頭とともに、朝廷の任命する官位・官職は有名無実化し、戦国時代には、各大名が自分免許で勝手に○○守、○○介を名乗っていたようです。

その後、江戸時代には、武士の官位・官職は幕府から朝廷に願い出て与えられることになりましたが、やはり名誉称号的な...続きを読む

Qアナウンサーって

アナウンサーになるためにはやっぱりいい大学とか行かなくちゃいけないんでしょうか?
みんなアナウンサーってあたまいいですもんね・・・。
アナウンサーになるにはどうしたらいいんでしょうか?
教えて下さい。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

 アナウンサーになるには、放送局の職員にならなければなりませんので、希望する放送局のアナウンサーの採用試験に合格しなければなりません。ほとんどの放送局は、受験資格に4年生の大学卒業を条件としているようです。その他、詳細は下記URLを参照してください。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7175/ana.html

Q明智惟任日向守光秀などの「○○守」の命名者など

明智惟任日向守光秀、羽柴筑前守秀吉など「○○守」という名前(正確には、官職の名称でしょうか)がありますが、戦国時代においては、この名前は誰が命名したのでしょうか。

また、ドラマなどを見る限りでは例えば筑前守秀吉が筑前を統治したことなど一度もないように見えますが、「○○守」という名前を名乗っていることと実際にその「○○」の国を統治したかどうかあるいはその「○○」の国から金や物を納めさせたかどうかとは、戦国時代には、何の関係もないのでしょうか。

Aベストアンサー

前にも同じようなものがいくつかありますが(定期的に同様の質問が出ています)・・・前に書いたものを多少編集して載せます。

まず、本来的に守職というのは、その地に赴いて政務を行うのが役目です。
古来いわゆるそこに赴任する人に与えられていました(厳密に言うと、与えられるとそこに赴任することになります)。いまでいうところの支社長みたいなものでしょうかね。ただし、官職によっては親王のみがなれるものがありまして、その際は次官である介(スケ)が実質統治する場合がありました。

ついでにいうと、お金を稼ぐなら守がよい(賄賂とか税収をピンハネしたりとか、結構潤っていた人が多い)ということでわざわざ官位としては四~六位程度であまり高い位ではない守にしてくれ、という人までいました。もっとも、人気のない国はあり、これは簡単に言うと金銭収入が低い国です。そういうところに限って官位では高い位にあります。


しかし、武家の台頭により実際に任地に赴くことはまずなくなり、戦国時代にはただの箔となっています。武家の台頭とともにただの箔になったのです。厳密に言うと、守護とか地頭とかいう「守以外の長官」がでてきてからですね。

さて、戦国時代以降ですが、この時代多くの武士は官職を名乗っていました。
しかし、正式任官と、いわゆる僭称(勝手に名乗っている)の2種類がありまして、戦国にはほとんどが僭称となっています。正式任官している人のほうが例外です。
特に七位程度だと9割以上は僭称なのですが・・・守となると一応は正式任官している人が多いです。
しかし、それは大名クラスの話で、守職でも結構な人数が僭称しています(北条家臣団なんかは守職が山ほどいます。でも大名以外は任官していません。僭称です)。

織田信長を例に挙げますが、これは僭称です。最初上総守と書いていたのですが、すぐに上総介と変えています。非常にいい加減ではありますが・・・こういうものです。
つまり、勝手に名乗っていただけ、ということです。
僭称となれば、ただ名乗っているだけですから当然職務はありませんし、こなす必要もなければ義務もないのです。

・・・以下は取ってつけたようなものなので、かぶるところがありますがご了承を。

さて、誰がつけていたかというのをまとめると
1.勝手に名乗る
2.先祖が勝手に名乗ったものをそのまま使う
3.朝廷からもらう

もちろん本来的には3が正しいものです(正式任官となります)。
しかし、戦国時代以降3はほとんどなく、その多くは1,2、つまり僭称です。
なお、明智光秀の日向守については正式任官、羽柴の筑前守についても正式任官となります。
しかし、これは1575年の話で、それ以前になのっていたものは僭称となります(滝川一益は左近将監をなのっていたがおそらく僭称)。織田家については、京に上洛するなど、政治の中心地にいたから正式任官がいるわけでして、非常に「例外的」です。織田家については3でして、信長が朝廷に依頼して、家臣に官職を与えてもらったのです。

なお、僭称は江戸時代になると余計にひどくなり、守が人気のある国は5人くらいいるなどざらでした。

ただし、No1の方がいっているように「知行地と関係のない官位を名乗るのを禁止した」というわけでもなく、理由なんてほとんどなしに官職の名乗りは通されていました(実際にはその土地にかかわりがあるからという理由が必要だったのですが、そんなものはほとんど嘘を書いても通ったようです)。
例外的に「大名藩が丸ごと治めていて、かつその大名藩が名乗っている官職(前田の加賀守など)」については、禁止していました(それと同姓同守もまずいので差し止められました)。
また、これを行っているのは幕府です。本来的には守は朝廷が任官させるのですが、この時代は幕府が、名乗らせるかどうかを決めています。


統治したとか関係あるかというのは、戦国時代においてもほとんど関係ないです。えらそうに聞こえるから適当になのっていたようなものでして、あくまで「箔」なのです(そのため戦国時代以降において、名乗る=任官ではありません)。

まえに出ていた質問ですが、江戸時代の官職についてはこちらで詳しく述べられています。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2222395

参考URL:http://www.ymg.urban.ne.jp/home/kenf/zassou/zassou-nobunagakansyoku.htm

前にも同じようなものがいくつかありますが(定期的に同様の質問が出ています)・・・前に書いたものを多少編集して載せます。

まず、本来的に守職というのは、その地に赴いて政務を行うのが役目です。
古来いわゆるそこに赴任する人に与えられていました(厳密に言うと、与えられるとそこに赴任することになります)。いまでいうところの支社長みたいなものでしょうかね。ただし、官職によっては親王のみがなれるものがありまして、その際は次官である介(スケ)が実質統治する場合がありました。

ついで...続きを読む


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