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第二次世界大戦中、フィリピンのマニラ市街戦での死者は日本軍1万6555人、米軍1010人、マニラ市民10万人だそうです。
どうして一般市民がこんなに多く犠牲になったのでしょうか?
普通市街戦が始れば、戦闘地域から逃げると思います。
この場合、アメリカ側に逃げればよいわけで、逃げ遅れたにしても10万人は多すぎます。(東京大空襲と同じ)
逃げることのできない理由があったのでしょうか?
スターリングラードの戦いの場合は、ソ連軍が市民が逃げることを禁じていたと記憶しています。

よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

>フィリピンのマニラ市街戦で~どうして一般市民がこんなに多く犠牲になったのでしょうか?


 
 まず、マニラ市民の死者は、1945年2月の市街戦だけで発生したのではありません。それ以前の44年9月21日から始まったアメリカ軍の空襲からすでに生じていました。

>普通市街戦が始れば、戦闘地域から逃げると思います。

 つぎに、さかのぼって42年の日本軍進攻の時にマッカーサーがオープンシティ宣言をしたため、日本軍は平和進駐を行いました。そのマッカーサーが今度はマニラを徹底的に破壊するなどとよもや市民たちは思いもよらなかったので、疎開しなかったのでした。
 
 さらに、マニラ防衛の日本軍は、陸海軍とも寄せ集めの兵と歩兵火器中心の武装でしたから、よもや頑強に抵抗するようにもみえなかったでしょう。当初日本軍も、一定の抵抗をしたのちに東部の山中へ退却する予定でしたから、一方から歯磨きのチューブのように押し出せばどちらの側にも多くの犠牲者が出なかった可能性があります。しかし、実際には米軍は包囲作戦を採ったため、日本軍の退路は限られてしまい、また、日本軍自ら橋梁を破壊してしまったため孤立化したので多くの市民を巻き込んでしまった、というのが実情でした。

 大岡昇平は『レイテ戦記・下』(中公文庫版)にこう記しています。

 彼(註・マッカーサー)はフィリピン解放を十分に果たした。~軍事的拠点の徹底的砲爆撃という戦闘方式の結果、フィリピン人は家を焼かれ、多くの非戦闘員が死傷した。~マニラは徹底的に破壊された。~ニミッツによれば、彼は自分の赴くところ、常に激戦地にならなければ気がすまなかった男だ。この処置には、日本軍に強要された形式的なものであるとはいえ、対米戦争状態宣言をしたラウレル政権に対する懲戒の意味が含まれていよう。~そのためにマッカーサーは破壊的攻撃をしなければならなかった。破壊と放火はこれらの日本の部隊が行なったものだ、ということになっている。そのため実際には責任がなかった山下大将が、不法な手続きによって絞首刑になったのだが、これは実際は米軍の行なったマニラ破壊を日本軍に転嫁するするためであった。(同書308・309頁

 昨年8月、NHKBSで『ハイビジョン特集 証言記録 マニラ市街戦』という長編ドキュメンタリーが放映されましたが、この中で赤十字のマークを掲げた病院を米軍が爆撃して多くの市民が殺されたとか、米軍がガソリンを流し込んだため地下に潜んだ市民が焼き殺されたという生存者の証言でも明らかです。

 日本軍によるマニラ市民殺害について。基本的に軍事基地の所在をシビリアンが敵軍に通報するのはスパイ行為に当たり、これは処刑の対象となります。米軍のフィリピン攻略は、殆どのフィリピン人の協力があったので、マッカーサーは「これほど楽な戦いはない」といったそうですが、マニラにおいても、住民が日本兵の潜むのを見付けるとすぐに米軍に知らせ、すぐに猛烈な砲撃が始まり、日本兵は逃げ場もなく物陰に隠れるだけだった、と当時の日本陸戦隊将校が回想しています。(峰尾静彦「マニラ海軍防衛部隊の悲劇」による)

 さきに回答のなかに「日本軍がマニラ市民を攻撃した」という表現がありますが、陸戦隊将校の回想を見る限り、市街戦で圧倒されるなか、個別の例はあっても組織的な余裕はなかったようです。こういう追い詰められた状況にあって、日本兵は市民の誰もが通敵者に見えたというのも無理がない部分があります。しかし、それで市民殺害が正当化されるわけではありませんが。

 日本兵の戦死が約1万6千に対して米兵はわずかに千名。市民が10万名。その数字を見ると米軍に協力して日本兵に殺され、米軍の無差別攻撃に殺され、また何の関係もない無辜のマニラ市民がさまざまな理不尽な理由で殺された、というのが事実に近い、と思います。
 


 
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「陸軍部隊戦史」 近現代史編纂会 編  新人物往来社   の中に


軍医としてマニラに居た、小島温氏が次ぎのように語っています。
「負け戦になってから、日本軍に協力しようというフィリィピン人はいなくなったから、みんな敵みたいだった。   マニラを戦場にした事が一番まずい。   死守といいながら、半分は撤退している。   有る時期になったら撤退する事をはっきり伝えておけば、こんな大きな惨劇にもならなかつただろう。」
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私もNo1のご回答と同意見です。


日本軍にはフイリッピン人は敵でこそあれ、味方ないし無害とは思えない存在でした。
事実フイリッピンゲリラに攻撃されていました。

従って接近を試みる現地人は全て敵と見なされたわけです。
既に重火器を失っていた日本軍は狙撃や銃剣で刺殺したでしょう。

一方米軍は遠距離から日本軍の立て籠もると思われる施設を砲撃、爆撃し現地人の被害を考慮しませんでした。
つまり現地人は日米両方からの攻撃に挟まれ逃げまどうだけでした。

10万人というのは過大かもしれませんが、この場合数字の大小は問題ではありません。
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そもそもマニラ市民の犠牲者とされる10万人は戦後のマニラ軍事裁判で示された数字です。


この裁判は1945年10月に始まったものであり、マニラは焼け野原と化し、また終戦までフィリピンでは戦闘が行われていたことを考えれば、正確な犠牲者数を算出できたとは思えません。
そもそも「10万人」という数字が怪しいと見るべきでしょう。
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http://www11.ocn.ne.jp/~mino0722/phillipin9.html
この文を見て、2つの理由があることがわかりました。
1.アメリカ時代を懐かしむフィリピン人がゲリラになって日本軍を攻撃したため、日本軍はフィリピン人誰もがゲリラではないかと疑心暗鬼になり、丸腰の市民に対しても殺害するよう命令があった。(このあたり、南京事件を連想します)
2.アメリカ軍がマニラを無差別に爆撃したこともあります。
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ちょっとスターリングラード状況が違いますね。


日本軍にとってマニラ市民どころかフィリピン国民全体が
防御の対象でないばかりか、抗日ゲリラの活発になったことから
完全に日本軍がマニラ市民を”敵”と判断していて、
攻撃したからこういうことになったのです。
アメリカ軍の方も、市街戦が始まると市民の犠牲を
余り考慮せずに日本軍関連施設を攻撃したので
市民の犠牲はさらに増えることになり、
要するにマニラ市民は日本軍とアメリカ軍の双方から攻撃を受け、
挟まれた多くが逃げる場も無く、
10万人近い犠牲者を出すという結果になったのです。

潜伏を続けた小野田少尉なども住民を敵として
しばしば殺害していたことでもわかるように、
フィリピンの住民が米軍に内通しているとか、直接ゲリラが紛れ込んでいて攻撃を受けるとか、
反乱が起きるとか、という被害妄想というか、一部は実際にあったんで
完全に妄想じゃないわけですが、ともかくそういう事情から
日本軍はかなりまともに住民を攻撃して虐殺しました。
これは生還した日本兵が広く証言しているところです。
要するに日本軍は敵地で死守しているという感覚だったのでしょうな。
ハーグ陸戦協定を遵守するという意識はあまりもともとなかった、
というか、多くは最後に陥落するときは自決してますから、
後先余り考えていなかったというのが実情かな。
死に物狂いとはこのことか。
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Q太平洋戦争でのフィリピンにおける戦死者

最近太平洋戦争での日本兵・軍属の戦死者がほぼ50万人と、中国本土での戦死者45万人と較べても突出して多いことを知りました。 なぜ、フィリピンでこれほど多くの日本兵が亡くなったのでしょうか? 南方での戦死者は、戦闘による死者よりも、病死・餓死が圧倒的に多かったと言う話は聞いたことがありますが、実際50万人も戦死した原因は何か教えてください。

Aベストアンサー

アメリカ軍の進攻の軍事上の価値が高い地域だからです。しらみつぶしに攻撃したわけではありません。
 グアム、サイパンでは、アメリカはグアムは必要とせずグアムの死者が少ないのに、サイパンを必要としたのでサイパンでは多数の日本兵の死者がでています。
「バンザイクリフ」にいってきましたが、崖から飛び降りたのはどんな思いだったのかと暗然たる気持ちになりました。
 南硫黄島では、爆撃と艦砲射撃で守備隊は全滅しています。

Q旧日本軍は、フィリピンでも住民を大虐殺したのですか?教科書に載っていません。

高校生です。
よろしくお願いします。


先日、NHKのニュースを見ていたら「今から70年前の今日は、旧日本軍とアメリカ軍によってフィリピンで行われた市街戦が終結した日です」という内容を放送していました。

NHKのナレーションで「日本軍は現地住民を体育館に集め、手榴弾で虐殺しました」と言っていました。

また、日本軍の悪行を旧日本兵から直接聞き取り調査している団体の人物が出てきて、その人が旧日本兵のおじいさんを取材している様子がありました。

その団体の人物は、旧日本兵の人がフィリピンの人達へ謝罪する映像を記録し、その映像をフィリピンで現地の子供たちに見せていました。

少ししか映像が流れなかったので、詳しくわからないのですが、「日本軍がフィリピンの人達に本当に酷い事をした。本当に申し訳なかった。」という感じの内容でした。

それを見たフィリピンの子供たちに対して、取材陣が感想を聞いていましたが、「日本人はフィリピン人に対して、そんな酷い事をしたんですね。今まで知らなかったです。」のようなコメントでした。

わたしは、フィリピンで旧日本軍が住民を大虐殺した歴史を知りませんでした。
学校でも習っていませんでした。

ニュースの内容的には「日本軍がフィリピンを侵略して酷い事をしていた。しかし日本の戦局が悪化し、ついにアメリカ軍がフィリピンを助けに来た。その時に日本軍は住民を大虐殺した。日本人はフィリピン人にも謝罪していかなければならない。」というイメージの内容でした。
アメリカ軍に付いては一切触れていませんでした。

公共放送局であるNHKのニュースが報道しているのだから事実ですよね?

でも学校で「日本軍はフィリピンで現地住民を虐殺しました」なんて事は習いませんでした。
教科書にも載っていなかったと思います。

かなり前の事ですが、日本と台湾の間に起きた戦争「日台戦争」という話題をNHKでやっていました。
こんな戦争も学校で習ったことがないです。


なぜ、日本の歴史教科書には日本に不利になる内容が削除されているのでしょうか?

NHKの報道や番組で、旧日本軍がアジア各国で行った蛮行を初めて知るケースが多いです。

NHKが報道してくれなかったら、日本軍がアジア諸国に対し、どれだけ酷い事をしてきたのかを知る事が出来なかったです。

NHKのニュースや番組で日本軍の蛮行を知るたびに、日本人であることに誇りが持てなく無くなってきました・・・。

高校生です。
よろしくお願いします。


先日、NHKのニュースを見ていたら「今から70年前の今日は、旧日本軍とアメリカ軍によってフィリピンで行われた市街戦が終結した日です」という内容を放送していました。

NHKのナレーションで「日本軍は現地住民を体育館に集め、手榴弾で虐殺しました」と言っていました。

また、日本軍の悪行を旧日本兵から直接聞き取り調査している団体の人物が出てきて、その人が旧日本兵のおじいさんを取材している様子がありました。

その団体の人物は、旧日本兵の人が...続きを読む

Aベストアンサー

■乙未戦争(いつびせ戦争)※日台戦争
日清戦争の残敵掃討戦であるため、日本政府はこの戦闘を日清戦争の一部としています。
当然、わざわざ歴史教育で取り上げる内容でもありませんが補足します。
教えていないということですが、中学以上の歴史授業で教えていますし、許可書に記載されています。
なので認識不足でしょう。

■マニラの戦い 1945年
これは、日本軍が虐殺云々以前に、アメリカ軍指導で、マニラの70万人という市民がゲリラ化して、日本軍と戦闘した死者数が10万人という話です。
虐殺ではなく”戦死者週”です。

話を戻しますが、そもそも下関条約を守らない清の残存勢力が日本軍に襲撃したのが乙未戦争であり、台湾に独自の国があったわけではありません。
ただのテロ組織との戦いです。
いちいち歴史授業で教えることでもないと思います。

日本軍の手榴弾で~のくだりも、NHKのいつもの偏向報道です。
ま~事実ではありますが、全体像ではない一部分です。
そこだけ取り上げればそうともいえなくもないレベルですが、虐殺は大げさだと思われます。
もちろんNHKは中国でも放送されるので、無駄な配慮というやつですね。

あなたが日本軍悪い悪いいうのは自由ですが、それだと白人植民地のままの方が良かったとでも言いたいのでしょうか?









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■乙未戦争(いつびせ戦争)※日台戦争
日清戦争の残敵掃討戦であるため、日本政府はこの戦闘を日清戦争の一部としています。
当然、わざわざ歴史教育で取り上げる内容でもありませんが補足します。
教えていないということですが、中学以上の歴史授業で教えていますし、許可書に記載されています。
なので認識不足でしょう。

■マニラの戦い 1945年
これは、日本軍が虐殺云々以前に、アメリカ軍指導で、マニラの70万人という市民がゲリラ化して、日本軍と戦闘した死者数が10万人という話です。
虐殺ではな...続きを読む

Q太平洋戦争のフィリピン・マニラでの戦について

 ビデオ「名将たちの戦場13マッカーサー対山下大将」の中で次のことがいわれていました。

1.米軍がマニラに迫ったとき、山下奉文は部下を守り、かつマニラの大規模な破壊を防ぐため、機を見てすぐに撤退をするように命じた。しかし守備隊司令官は命にそむいて、2万名を率いてマニラに踏みとどまった。
2.その結果マニラは戦場となり、10万人を超す市民が犠牲となった。そのほとんどは日本兵の虐待によるものだった。
3.米軍は当初重要な建物の砲弾攻撃を避けていたが、立てこもる日本兵のためそれもかなわなくなり、最終的にはほとんどの建物が破壊された。

 上官の命令にそむくことは重大な軍規違反となるのに、何故あえてそむいたのでしょうか?
 日本兵がマニラ市民を虐待したの理由はなにでしょうか?市民がゲリラとなって立ち向かってきたのでしょうか。
 そもそもマニラ市民はどうして疎開しなかったのでしょう?戦いは1ケ月続いたので時間はあったはず。
 映像では建物を破壊しているのは米軍のように見えます。米軍によって殺害された市民も多かったのではないでしょうか?
 太平洋戦争、日中戦争でマニラに匹敵するような激しい市街戦が行われた場所はありますか?

 

 ビデオ「名将たちの戦場13マッカーサー対山下大将」の中で次のことがいわれていました。

1.米軍がマニラに迫ったとき、山下奉文は部下を守り、かつマニラの大規模な破壊を防ぐため、機を見てすぐに撤退をするように命じた。しかし守備隊司令官は命にそむいて、2万名を率いてマニラに踏みとどまった。
2.その結果マニラは戦場となり、10万人を超す市民が犠牲となった。そのほとんどは日本兵の虐待によるものだった。
3.米軍は当初重要な建物の砲弾攻撃を避けていたが、立てこもる日本兵のためそ...続きを読む

Aベストアンサー

それぞれの質問についてお答えします。

1.守備隊司令官は命にそむいたのは何故か
 
 人間だからです、質問者さんは、納得できなくても上司の命令ならば、絶対に従いますか?それに、この時期は戦争末期で軍隊の規律は、随分と乱れていました。守備隊司令官は撤退する事を潔しとしなかったのでしょう。

2.10万人を超す市民が犠牲となった。そのほとんどは日本兵の虐待によるものだった。

これは、正直、言ってアメリカ側の視点ですよね。何か問題が起きたときは、責任者(悪者)を決めなければなりません。当時の日本軍は補給も途絶え米軍とまともな戦闘ができる状態では、ありませんでした。日本軍は自分の命を守るのに精一杯で、とても市民の防衛にまで手が回らないというのが実情でした。実際は戦闘中に巻き添えを受けて被害を受けたというのが本当の事です。

3.最終的にはほとんどの建物が破壊された。

市街戦では当たり前の事です。現代のイラク戦争でも多くの建物が破壊されて、1年以上経った今でも、電気、水道が使えず信号も点かないという地域が多数あります。イラク人のせいですか?微妙ですよね

当時のマニラ(フィリピン)は日本が占領する前まではアメリカが統治していました。当時のアメリカは裕福で、厳しいのですが、自由でした。(お金持ちはお金持ちの事しか考えず、普通の人がお金持ちになるのは、今よりずっと奇跡でした。)物がある事が幸せとは限りませんが、物とお金を使い、フィリピンをそれまでとは、まったく違う国に変えてしまっていました。それをフィリピンの人は素直に受け入れて喜んでいました。
ところがいきなり戦争が始まり日本軍が乗り込んできました。貧乏国の日本はフィリピンに対して行ったのは、学校教育を日本式にして八紘一宇の精神を教え、日本風の神社を作り、戦争に必要な資源を得るため、本来フィリピンの風土に合わない作物を栽培させました。そうです、貧乏な日本は、物資は何も与えられませんでした。そのくせ徴用といって食料等を現地の人から、むりやり取り上げました。
この事が、アメリカ=豊かな生活、日本=カツアゲというイメージを与える事になりました。どうして疎開をしなかったのか当時の日本の占領軍はフィリピンに対する知識を殆ど持っていませんでした。(アメリカと戦争する事すらまともに考えては居ませんでした。日本の敵は中国とソ連だったのです。)ですのでまともな統治はできずに、恐らく疎開の支持も出来なかったのだと思います。

太平洋戦争、日中戦争でマニラに匹敵するような激しい市街戦が行われた場所はスターリングラードヤレニングラードにくらべれば遥かに規模は小さいのですが、中国の南京、上海、沖縄などでしょうか

それぞれの質問についてお答えします。

1.守備隊司令官は命にそむいたのは何故か
 
 人間だからです、質問者さんは、納得できなくても上司の命令ならば、絶対に従いますか?それに、この時期は戦争末期で軍隊の規律は、随分と乱れていました。守備隊司令官は撤退する事を潔しとしなかったのでしょう。

2.10万人を超す市民が犠牲となった。そのほとんどは日本兵の虐待によるものだった。

これは、正直、言ってアメリカ側の視点ですよね。何か問題が起きたときは、責任者(悪者)を決めなければな...続きを読む

Q日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国があるのですか

先日、テレビでパラオは、過去の戦争で日本軍がいたのですが、すごい親日国だということを知りました。
過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。

韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようです。


まず、東南アジア諸国についてですが、日本は植民地にはしていません。
大東亜共栄圏構想は、欧米から独立してアジア諸国による民族自決を目指したものです。
当時のアジア諸国の国力は日本だけが飛びぬけていた為に、日本の主導になっていたことは事実ですが、「日本によるアジア支配」という解釈は歪曲です。
日本は、白人を排除した後に大東亜会議を開いて、彼等の自治を認めています。

【大東亜会議】
http://www.youtube.com/watch?v=3mvHRVlrFUU

アジア諸国は「日本の戦争は侵略ではない」という認識から、連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。(しかし、日本はそれに対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています)

【日本が支払った戦争賠償金】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI


ソムアン・サラサス(タイ側交渉団)は終戦後の訪日時に、↓のように語っています。

「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。
そして、皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。
アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」
「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。
けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」

大東亜戦争中、日本はタイから20億バール(当時の10億ドル以上)の借金をしていました。
タイはそれを2500万ドルに値引きしてくれています。


フィリピンについてですが、
私は、戦争がなくてもフィリピンが(タダで)独立できたか については疑問があります。

オランダはインドネシアの独立の時に60億$を請求しています。
他にも、インドネシアにオランダ人が所有している土地財産の保全と、スマトラ油田の開発費用の弁済を要求しています。(独立戦争をしてすら、このような要求をされています)

実は、フィリピン国民は「フィリピンの独立記念日」は1898年だと思っています。
フィリピンは元々スペインの植民地でしたが、スペインがアメリカと戦争したとき、アメリカは独立を条件にフィリピンを味方に付けました。
戦争はアメリカが勝利し、フィリピンは独立を宣言しました。
しかし、アメリカはスペインからフィリピン統治権を買い取り、新たな宗主国としてフィリピンを統治しました。

日本は占領後の1943年にすぐ軍政を撤廃し、「フィリピン共和国」として独立させています。

その後日本の敗戦により、日本に亡命したラウレル大統領によって「フィリピン共和国」は解散されます。
その後、1946年にアメリカ統治下での選挙で当選したロハスによって、「現在のフィリピン共和国」が独立します。


台湾とパラオについてですが、
【植民地】というものについては、欧米の支配の実態から誤解されていますが、
植民地の本来の目的は、宗主国の国民を入植させつつ遅れた地域を開発し発展させることです。
台湾とパラオが親日なのは、その通りの事をして、それらを評価しているからです。
(それらの領有の経緯と是非については、質問されていないと判断しました)

【日本とパラオ ~歴史を越えた友情~】
http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A

【日本と台湾は一心同体】
http://www.youtube.com/watch?v=gwPwOrmdlMs

反日の台湾人の多くは、中国大陸で共産党との権力闘争に敗れて台湾に逃れてきた国民党(蒋介石)の人たちです。
どちらも日本とは戦っていたので、反日でした。


韓国と北朝鮮ですが、
無知な人は日本が朝鮮を侵略して植民地にしたと思い込んでいますが、
日本は、失政で破綻した朝鮮の要請を受け入れて併合したのであって、侵略してはいません。
世界も併合は両国の合意に基づく平和的なものであることを認めています。
併合とは、一つの国になることで、他国を一方的に支配する植民地とは全く違うものです。
そして、日本は併合した朝鮮地方に対して、植民地である台湾やパラオより優遇しています。
(当然差別や虐待などはなく、強制連行や、従軍慰安婦や、創氏改名の強制は、事実ではありません。)

今の韓国が、反日である理由は、独立後の教育が原因です。
今の韓国の政府のルーツは、併合で特権を失った貴族や、外国(中露)から支援を受けて反日運動をしていた者達が、上海で名乗っていた自称亡命政府です。
戦前の彼らは、世界中が併合の正当性を認めていた為に孤立していました。(犯罪で資金稼ぎをしていた事も原因です。)

その後、WWIIの終戦で朝鮮は日本から独立しました。
終戦時の朝鮮には、日本の教育を受けた者しかいなかった為に、連合国は影響力を行使する為に、その亡命政府を独立した韓国の代表に選びました。
功績も無く他国の都合によるタナボタで権力を得た彼等は、日本の統治の方が良かったと国民に言われることを恐れました。(実際、日本の方が遥かにマシでした)

それを逃れる為に、新政府は朝鮮が独立できたのは、戦前・戦中からの我々の抗日運動の成果である。
朝鮮は昔から日本より優れていたが、日本が卑怯な方法で侵略して、韓国の富を奪って行った。
今現在韓国の発展が遅れているのは、それが原因であると、事実と違う捏造教育をし続けました。

このように、自分達の失政への批判を、日本という敵を作ることでそらし続けてきた結果、反日が韓国人に定着してしまい、今更、教えた歴史が嘘でしたとは言えない状態になってしまっています。
今、それをした場合、韓国人のアイデンティティは崩壊して、国そのものが危うくなってしまうでしょう。

北朝鮮の反日も↑の自国の政府の正当性を、「日本と戦っていたこと」に拠っているからです。


中国の反日も、韓国と同じです。
彼らも日本の侵略を戦って撃退したと言っていますが、事実は全く逆です、
日中戦争は、中国が朝鮮(当時は併合で日本領)を侵略したのが原因です。

当時の中国ですが、清国が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態でした。
彼らは大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、現場の緊張は極限状態に達していました。
日本は、条約や協定による平和的な解決を試みましたが、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)

当然治安も悪く、テロも多発しており、日本人の大尉が中国兵に惨殺される事件も起きています。
これらの結果、現地の部隊が暴発し、独断行動による戦闘が発生してしまい、それが満州事変に発展します。

これによる満州国の建国を、侵略によるものだという意見もありますが、満州国という地域を確保しないと当時日本が所有していた、満州鉄道へのテロを防止できませんでした。

その後の満州国は、日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。

私は、これらの経緯を日本の一方的な侵略と断定できる人の知能と国籍を疑います。

http://www.youtube.com/watch?v=Kiz7N4z7c3M

>過去の戦争で日本軍がいた他の東南アジアの国でも親日的な人は、結構多いと聞いたことがあるような気がします。
>韓国や中国は、反日的ですが、過去に日本軍がいた国で、なぜ親日国と反日国と分かれるのでしょうか?

回答:反日の国は、国民に嘘を教えているからです。

軍隊がいた=反日 というのは無知から来る短絡思考です。
日本には米軍基地がありますが、日本人は反米なのでしょうか。

この類の質問は何度もでていますが、日本を非難する方は何故か資料を出さずに、主観的な推測を語る方が多いようで...続きを読む

Q第二次世界大戦時で最も優秀な戦車は?

ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?

又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
中国戦線では大活躍すると思うのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
これが基本的に理解できなかったのが日本軍。理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。

日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があ...続きを読む

Qどうして南部仏印に進駐したのか?

僕は歴史の授業で、日本軍が南部仏印に進駐したことによって米国が態度を硬化させ、ハル・ノートに至ったと教わりました。
では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

大東亜戦争は自衛のためだったとは思いますが、援蒋ルートを遮断するなら北部仏印まででよかったのではないでしょうか?

Aベストアンサー

↓の回答は、質問が求めるているものは、↓の南仏印進駐への理由とその経緯であって、それ自体やその後の事への評価や回答者の意見ではないということと、当時の日本の政府や軍人がどのように考えてしまったのか?ということであるという前提でのものです。

>では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

回答:資源の確保と援蒋ルートの遮断の為で、ビルマルートよりは簡単だと判断されたからです。

南進論自体は、スパイ(尾崎秀実)の工作だと思いますが、その細部(南北仏印への進駐)は、それに乗せられた政府と軍人によるものだと思います。

日本は、ドイツのフランス占領を契機に外交交渉をして、1940年に北部仏印に進駐しました。
それが原因で、米国は屑鉄の対日輸出を全面的に止めました。

その3ヵ月後、タイと仏印との間で国境紛争が起こります。
日本は、間に立って調停を行い、1941年タイ・フランス平和条約が成立させます。
(この功績で日本の評価が上がった事に不満な米英は、オランダ領インドシナに日本への石油の禁輸の圧力をかけました。)
その為、日本は南方に資源を確保する必要に迫られました。

一方で、英国はビルマルートから中国に支援をしていました。
このビルマルートの遮断と、南方の資源確保の為に、日本は南部仏印にも進駐する必要がありました。

日本は仏印政府と交渉して1941年に南部仏印に進駐しました。
これは外交による平和的なものでしたが、アメリカはこれを南方への侵略準備と見なしました。

参謀本部の田中第一部長は手記に「仏印、タイを我が軍事的結合圏内にすみやかに編入するため、取りあえず、仏印南部に所要の兵力を進駐させる必要がある。
その目的は全仏印の実質的把握…更にタイに、にらみを利かせ…情勢に応じてはビルマに進駐する為の基地とするにある。
これによって対支封鎖の陣形は完成される」と書いています。

また御前会議の理由書にも
「…最近米国ヲ中心トスル英米蘭支ノ戦略態勢強化…若シ帝国トシテ速ヤカニ之ニ対抗スル措置ヲ執ルコトナク…日ヲ閲スルニ於テハ…支那事変ノ 解決ハ更ニ遷延スヘク…帝国トシテハ此ノ際仏印・タイ全域ニ渉リ帝国ノ軍事的地歩ヲ先制確保スル要極メテ緊切ナリ…」
とあります。

以上から、日本の真の目的は支那事変の解決であり、仏印進駐はその為の資源確保の必要からのものです。

その支那事変ですが、戦争を仕掛けているのは中国です。
英米蘭はそれを理解せずに、被害者である日本だけに制裁をし、加害者の中国には支援をしています。
(彼らはWWIIの終戦後、朝鮮戦争やベトナムでやっと中ソに騙されている事と共産主義の危険性を理解しましたが、既に後の祭りでした。)


スパイ(尾崎秀実)の工作ですが
欧州で独ソ戦が始まったとき、日本は↓の選択を迫られました。
北進論:ドイツを助けてソ連を攻撃する。
南進論:資源確保のために南方に進出する。

ソ連のスパイである尾崎の任務は、日本を南進論に導くことでソ連が日独に挟撃されることを阻止することでした。

日本は支那事変の和平を成立させる方向で動いていましたが、ナチスドイツの快進撃を材料に、近衛と尾崎が三国同盟を締結し南進に向かわせました。

http://www.youtube.com/watch?v=5aowyJM8Cpc

↓の回答は、質問が求めるているものは、↓の南仏印進駐への理由とその経緯であって、それ自体やその後の事への評価や回答者の意見ではないということと、当時の日本の政府や軍人がどのように考えてしまったのか?ということであるという前提でのものです。

>では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

回答:資源の確保と援蒋ルートの遮断の為で、ビルマルートよりは簡単だと判断されたからです。

南進論自体は、スパイ(尾崎秀実)の工作だと思いますが、その細部(南北仏印への進駐)は、...続きを読む

Qタイはどうして植民地にならなかった

タイはどうして植民地にならなかったのでしょうか?
また、第二次世界大戦ではタイは戦ったのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

Aベストアンサー

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代化を進めており、自身の力での独立維持という見方も、わずかながらあります。

さて、第2次世界大戦についてですが、あまり知られていませんがタイは枢軸国として参戦していた日本の数少ない味方国です。(以降は以前の回答から持ってきたものですが、そのまま回答になっています)。
イギリスの爆撃や、B-29の空襲も経験しています。関係としては、日本が仏印(今のベトナムを含めたインドシナ半島の東、つまりフランス領です)に進駐したころから、歩調を合わせ始めています。その前は第2次大戦について中立宣言をしていました。その後、日本が参戦するとほぼ同時に、宣戦布告を行っています。
しかし、最後には完全にそれを翻し(というか日本との同盟など、参戦した理由をうまく自国からそらしたのです)、ついには敵国条項(第2次大戦における連合軍の「敵」リストとでも考えてください)にすら名を連ねていません。これはタイの外交手腕の勝利といえます(今でもそうですが、タイという国は非常に外交が上手です。第2次大戦の前後におけるタイの外交は非常に巧妙で、見事といえます)。
なお、現在の日本との関係は友好的ですね。

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q第二次世界大戦において、日本軍の加害の実態は?

第二次世界大戦において、日本は加害者でもあったわけですが、その詳しい内容が知りたいので、教えていただきたいです。またオススメの本やサイトなどあったら教えてください。主な疑問は以下の二つです。

(1)日本軍による犠牲者の総数は?
中国人 1000万人以上 フィリピン 110万人 インドシナ 200万人 インドネシア 200万人
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/what.html
という数字があるのですが、この根拠は何でしょうか? 主流となっている研究などありますか? また信用できる数字でしょうか? 例えば日本人の死者が310万人であるというのは、戸籍制度が整っていた事もあり、信用できる数字だと思いますが、これらの国で、そのような推計は可能なのでしょうか? 南京大虐殺ですら、20万人かどうかで、揉めているというのに、1000万人以上などという推計が可能でしょうか?

(2)各国の犠牲者の内訳は??
これだけの犠牲があったわけですが、その実態がどのようなものだったのでしょうか? 現地の犠牲者は、軍人だったのでしょうか? それとも民間人? フィリピン、インドネシアなどは植民地だったわけで、日本軍と交戦したのは、欧米軍ではなかったのですか? 現地人も両軍に組み入れられたという事でしょうか?

第二次世界大戦において、日本は加害者でもあったわけですが、その詳しい内容が知りたいので、教えていただきたいです。またオススメの本やサイトなどあったら教えてください。主な疑問は以下の二つです。

(1)日本軍による犠牲者の総数は?
中国人 1000万人以上 フィリピン 110万人 インドシナ 200万人 インドネシア 200万人
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/what.html
という数字があるのですが、この根拠は何でしょうか? 主流となっている研究などありますか? また信用できる数字でしょう...続きを読む

Aベストアンサー

URLを拝見しましたが、客観的資料性には乏しいと思います。
既にHPの制作者が冒頭で
>素人が趣味のために作っているので、専門学術的な質問や指摘にはお答えできない
と書かれていますから。

さて、日本人の加虐的な戦争による殺傷人数ですが、最も大きな戦場であった中国本土が内乱状態であり、中国人同士の戦闘行為の頻発や、内乱の社会混乱による餓死・病死人数が不明であり、かつ中国には戸籍登録制度が有りませんから統計は不可能です。

また、東南アジアでは第二時大戦に引き続き独立運動が発生し、欧米軍(宗主国)との戦闘による犠牲者が多数在った事は明白ですがこの事も客観的な死傷者の統計資料は在りません。
>日本軍と交戦したのは、欧米軍ではなかったのですか? 
>現地人も両軍に組み入れられたという事でしょうか?
戦前、欧米軍(宗主国)と独立闘争運動による現地人犠牲者。
戦中、1、日本軍の独立支持戦争による犠牲者。日本軍・現地人・欧米軍(宗主国)の死傷者。
戦中、2、日本による占領後に日本に対するゲリラ戦を欧米人(イギリス・アメリカ)指揮による現地人との交戦。現地人同士の独立派・反独立派による戦争。
戦後、独立戦争による犠牲者。叉は独立派・反独立派による戦争。元日本軍・現地人・欧米軍(宗主国)の犠牲者。
という形態に分けられると思いますが、日本軍加害を限定して死傷者数を出すのは極めて困難です。

有名な戦闘における欧米軍・日本軍の死傷者数はそれぞれほぼ正確に算出可能ですが、大戦及び独立戦争を通して、中国人及び東南アジアの人々の正確な死傷者数は明確には出来ませんし、逆に明確にした資料が在ればそれはかなり政治的意図を持った資料を疑ってかかるべきでしょう。

URLを拝見しましたが、客観的資料性には乏しいと思います。
既にHPの制作者が冒頭で
>素人が趣味のために作っているので、専門学術的な質問や指摘にはお答えできない
と書かれていますから。

さて、日本人の加虐的な戦争による殺傷人数ですが、最も大きな戦場であった中国本土が内乱状態であり、中国人同士の戦闘行為の頻発や、内乱の社会混乱による餓死・病死人数が不明であり、かつ中国には戸籍登録制度が有りませんから統計は不可能です。

また、東南アジアでは第二時大戦に引き続き独立運動が発生し...続きを読む


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