禅の世界とはどういうものなのでしょうか。

私は神経症などで悩んでおります。
どんな嫌なこと不快なことにもぶれない気持ちでいられるようになりたいと、切に願っております。
そのためには禅を学ぶことが私には合っていると思ったのですが、実際に禅とは学べるものなのでしょうか。
様々な派もあるようです。

こういったことに詳しい方がおられましたら、何がお知恵をお貸ください。
よろしくお願い致します。

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A 回答 (6件)

>>そのためには禅を学ぶことが私には合っていると思ったのですが、実際に禅とは学べるものなのでしょうか。



禅には、いろいろな流派があるようですが、「不立文字」つまり「禅というのは文字を弄するものではなく、最後の最後のところは文字を超越する」とよく言われるようです。理屈をこねていますが、結局は、言葉で表現できないってのは誤魔化しでしかありません。本当のところ、釈尊のような「悟り」を得ていないのです。悟りの「雰囲気をちょっと嗅いだ」あるいは「悟った」と勘違いしただけです。

また、言葉が無いってことで、仏教とかキリスト教のようにテキストベースでの学びはできないでしょう。

たとえば、道元禅師の言いたいことを簡単に言えば「真剣に今を全力で生きる」ってことになるでしょう。これは間違いではないでしょうが、「道徳」のレベルでしかないでしょう。

なぜ、人間は生まれてくるのか、どこから生まれて、どこに去っていくのか?人生に意味はあるのか?神様は、なぜこういう不公正な世界をそのままにしているのか?なぜ自分はこんな苦しみを味わっているのか?こういう疑問に回答は得られません。また、現実レベルで、「なぜ僕、勉強しないといけないの?」とか「売上不振で会社が危ないんです。借金も多くて資金繰りが大変です。どうしたらいいのでしょう?」って質問への回答は得られません。

つまりは、禅を学んでも

>>どんな嫌なこと不快なことにもぶれない気持ちでいられるようになりたいと、切に願っております。

という願いはかなわないと思います。

とはいえ、毎日、毎日仕事で追われて、心を落ち着けて瞑想などする暇もない人、神経症でお悩みの方にとっては、どこかの山寺で修行するってことは、きれいな空気を吸って、体に良い食事を食べて、健康的なリズムで過ごすってことで、良いことでしょうから、体験されればいいのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。
なるほど、禅とはそういうものなんですね。
私の場合、何をしていても頭から雑念が消え去らないことに悩んでおりまして、ある方から雑念はそのままであっていいものだと言われました。
その方に禅の世界を学ぶと解決できるかもしれないと言われたので、今回、質問させていただいた次第です。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/23 02:39

一般人としての感想を述べてみます。



G・ベイトソンの本に出ていたのですが、禅の公案にこういうのがありました。
師匠は弟子を、「この杖が見えるというならお前を打つ。見えないというならお前を打つ」と意図的に追い込みます。

こうした状態(ダブルバインド)においては、弟子は悟りへと脱皮できるチャンスともなりますが、失敗すれば神経症(禅病)が悪化する危険ともなるのです。

禅を取り入れた神経症の治療法に森田療法というのがありますから、そのへんを調べてみたらよいかと思います。
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございました。
非常に興味深いお話です。
森田療法に関しては以前から少しずつ調べております。
やはり効果は大きいようですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/26 03:54

曹洞宗の僧侶です。



現在、書籍やテレビ番組などで言われる日本の「禅」は、中国で体系化されたもので、大きく看話禅と黙照禅の流れに分かれます。日本の禅宗3派(臨済宗、黄檗宗、曹洞宗)のうち、臨済・黄檗は看話禅、曹洞は黙照禅の系列に属します。
看話禅は、おもに「公案」と呼ばれる”お題”のようなものを坐禅をしながら考究し、師僧に自分の見解を示して悟達を目指します。
黙照禅は、「公案」を重視せず坐禅することそのもによって一切の世知を遮断して自分の仏種に出会うことを目指します。

ヨーガやテーラワーダ仏教の瞑想、天台宗の止観などなどと「禅」は親戚ですが、同じものかと聞かれれば「違う」と答えざるを得ないようなものです。どう違うのかは、限られた字数で説明するとどうしてもウソクサクなってしまうので、関連書籍やネットのサイトをできるだけたくさんご覧になってください。いろいろ実際に体験してみるのも良いのではないでしょうか。
以下に体験先を探す時に参考になりそうなURLをのせてみます。

国際ヨガ協会
http://www.kokusai-yoga.net/
日本テーラワーダ仏教協会
http://www.j-theravada.net/
臨済禅・黄檗禅 公式サイト「臨黄ネット」
http://www.rinnou.net/
比叡山 居士林
http://www.hieizan.or.jp/kojirin/kojirin.html
曹洞宗大本山永平寺(体験修行)(非公式サイト)
http://www.mitene.or.jp/~katumin/eiheiji/sonota/ …
曹洞宗大本山總持寺(参禅会)
http://www.sojiji.jp/open/sanpai/zan/index.html

蛇足ながら、曹洞宗の高祖、道元禅師には「普勧坐禅儀」という著作があり、曹洞宗における坐禅の要諦が説かれています。
このサイトが現代語訳もあり便利です。よければご一読ください。

http://enlighten.fc2web.com/fukanzazengi.html
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この回答へのお礼

専門的なご返答、ありがとうございました。
非常に参考になりました…とお礼を言いたいところですが、まだ私にはピンとこないお言葉ばかりでした。
しかし、禅を調べていく上でのきっかけにはなりそうですので、ご紹介いただいたサイトを参考にいろいろと調べていこうと思います。
この度はありがとうございました。

お礼日時:2008/02/26 03:50

No1の者です。



ご実家がお寺ですか?
と聞いたわけでは
ないですよ。

宗派を聞いたのです。

人にはそれぞれに
御先祖様がいらっしゃいますよね?
各お寺に墓石があり中に納骨されて
墓石がなくても納骨堂に
おさめられ
供養されているハズなんですよ。
その時のお経が宗派により違うのですよ。
*真言宗
*日蓮宗



代表的な宗派でも5ヶ
あるんです。

ですから体験なさるなら
御先祖様と同じ宗派が
良いかと思いまして
お知らせしました。


説明不足で申し訳ございませんでした。
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この回答へのお礼

こちらこそ意味を取り違えてしまい申し訳ありませんでした。
実家の宗派は…何だったでしょうか?(笑)
神棚に何か書いてあったような気もしますが。
そこは確認しなければならないとこですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/26 03:45

大元のテーラワーダ(上座)仏教の瞑想はいかがでしょうか?



サンガ出版「現代人のための瞑想法」に詳しく載ってます。

慈悲の瞑想などから始めてみてはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2008/02/23 02:41

ご実家…


お父様の宗派は
どちらですか?

その本山に行かれる事を
おすすめします。

宗派がないのであれば
どちらへ行かれても
自由ですね。

高野山、比叡山に各寺々があります。
修行や禅の心を学ぶ
体験が出来る寺々がありますから申し込んでみては如何でしょうか。

1日体験~1ヶ月…
等々様々
あるみたいですよ。

無料では
ないみたいです。
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この回答へのお礼

ご返答、ありがとうございます。
私の実家はお寺ではありません。
個人的に興味があり、質問させていただいた次第です。
とりあえずは体験してみないとわからないですよね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/23 02:32

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Q「禅」って何ですか?

「禅」って何のことですか?

外国にいて、たまに外国人に「ボク『禅』が好きなんだよ~」と話をふられます。
わたしが日本人だからいってるのでしょうか?
座禅の話ではないですよね?

老荘思想と関係していますか? 関係性もよくわかりません。


"Zen" は、好きな人の間ではけっこう流行ってるみたいです。
Zen House などというシェアハウスもチラホラあるようです。
なんかステキな感じの家の写真でした。どことなく和風というか。
でも高い! 高収入者の趣味なのでしょうか・・


お手数ですが、「禅」って何なのか、
基本のとこを
バカでもわかるように、やわらかくお願いします。

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外の物事に対して心の動揺が静まっていること、だったように記憶しています。
ですから、座って目をつむることが禅と言うわけではなく、禅は心の状態を表す語句と思われます。
ヨーロッパでは、ライフスタイルの一環のように思われている節があるようです。
日本で言うロハス?みたいに。原義を理解するのは難しいかもしれないですね。

Q男には自分の世界があるらしいのですが、例えるならどんなものですか?

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空を駆ける一筋の流れ星
風を払い荒れ狂う稲光
らしいよ。

あ~ばよ~とっつぁ~ん!

Q禅の言葉と思われる英文の出典(日本語)について質問です。

禅の言葉と思われる英文の出典(日本語)について質問です。“There is nothing to seek and nothing to find. You. are already enlightened, and all the words in the. world won’t give you what you already have. The. wise seeker, therefore, is concerned with one thing only : to become aware of what he already is, of the true self within."この文章でググるとhttp://www.wellnessgoods.com/aboutus.aspにたどり着き、どうやらZenの言葉のようなのです。日本語の正確な文章がわかる方、どうぞお助けください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 禅の「本来の面目」について述べているものと思われます。

探求すること見つけることも何もない。
人はすでに悟りの境地にある。
そして,世界のすべてのことばは,人がすでに持っているもの以上を与えてくれない。
賢明な探求者は,それゆえ,唯一つのことにしか関心を持たない。
すでにある自分,真の自分自身を知ることにしか。

http://www.manpukuji.net/zenkotoba.html
(「禅の言葉49」参照)

Q心身症・精神障害・神経症のちがい

精神保健学を勉強していると、心身症・精神障害・神経症のちがいがいまいち抽象的でよくわからず、考え出すとこんがらがってきてしまいます。簡潔に説明してくださる方を探しています。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

 心=精神=脳の機能という観点から説明を試みたいと思います。
 心身症:ストレスによって下垂体‐副腎皮質系や交感神経の活性化が起こるが、これが過剰(量的、時間的)になって種々の臓器に障害を来たす病態(例:気管支喘息、胃潰瘍、過敏性大腸炎)。
 精神障害:精神症状を呈する脳の器質的または機能的障害(例:脳炎、統合失調症、うつ病、アルツハイマー病)
 神経症:いわゆるノイローゼのこと。一昔前は、性格+心因→結実因子→発症といった心因論(力動論)による説明が一般的であり、神経衰弱、不安神経症、心気神経症、抑うつ神経症、病的恐怖、強迫神経症、離人神経症、ヒステリーなどと分類されていたが、今日の国際疾病分類やアメリカ精神医学会の分類では、神経症から心因という概念は取り去られ、一定の症状が具備されれば、パニック障害、強迫性障害、解離性障害などと診断される。
 (心因といっても結局、自然科学的に見れば、外部環境が脳内の神経回路に何らかの事象を生じさせているのである)

Qイギリス人の友人から禅に関する質問を受けました。私は禅に関する知識がほ

イギリス人の友人から禅に関する質問を受けました。私は禅に関する知識がほとんどなく、その上現在海外駐在中のため、日本語の文献が手近になく困っております。

以下、『正法眼蔵』の禅問答の一つだそうです:
Zen master Daowu visited the assembly of master Shitou.
Daowu asked, "What is the fundamental meaning of Buddha-dharma?"
Shitou said, "Not to attain, not to know".
Daowu said, "Is there some turning point in going beyond, or not?
Shitou said, "The vast sky does not hinder the white clouds from flying”

友人が知りたがっているのは、最終行の"The vast sky does not hinder the white clouds from flying" の日本語です。(もし、漢文でもわかればそちらもご教示頂きたいです。)

私自身の知識不足のため、上記内容にもおかしな箇所があるかも知れませんが、どうぞお許し下さい。

ご存じの方、どうかよろしくお願い申し上げます。

イギリス人の友人から禅に関する質問を受けました。私は禅に関する知識がほとんどなく、その上現在海外駐在中のため、日本語の文献が手近になく困っております。

以下、『正法眼蔵』の禅問答の一つだそうです:
Zen master Daowu visited the assembly of master Shitou.
Daowu asked, "What is the fundamental meaning of Buddha-dharma?"
Shitou said, "Not to attain, not to know".
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Aベストアンサー

どこまでのことを書けばいいのかわかりませんので、簡単に書いておきます。

これは、石頭希遷(せきとうきせん)と天皇道悟(てんのうどうご)両禅師の間の、わりと知られた問答です。

道悟「如何なるかこれ仏法の大意」
石頭「不得不知」
道悟「向上さらに転処あるやなしや」
石頭「長空白雲の飛ぶを礙えず」

最後は「長空不礙飛白雲」。
「不礙」は「さまたげず」と読んでもよいのですが、「さえず」と読む方が一般的でしょう。とりあえず、文字通りの意味は読んだままです。

少し気になったのは、ご質問中の道悟の「向上さらに…」という部分の訳が、「転処」に引っかかってしまって、あたかもturning pointの有無を問うているかのようになっている点です。この部分で大事なのは「向上」であって、「転処」ではありません。「転」もよく使われるのですが、それは方向を変えるというニュアンスではなくて、逆に(こちらこそが正しい方角だ、というような)方向性を感じさせずに「変わる」ということを意味する言葉です。

問いとそれに対する答えがあったところで、更に問者が「向上」と求める。こういうパターンは禅の問答に頻出します。要するに最初の答えが不十分であったり、さらに境地を確認したいと思った時に、「その先を言ってみよ」とさらに一句を求めるわけです。

ここでは「不~、不~」という回答、仏教では「平等相」ともいいますが、こういう表現自体、ある種万能で何かしら真実に触れているように感じられるけれども、しかしその便利な言葉にとどまってしまっては、逆に真実を表現できないことになってしまいかねません。
真実を表現しようとする言葉を用いるときには、それを発する者の側に常に、その言葉自体が真実を限定する檻になりかねない、という危険性が踏まえられていないといけないわけです。禅宗は早くからそのところに非常に神経を払ってきたのです。

禅には「悟りとはこれだ、というような言葉にとらわれると、杭につながれたロバみたいになってしまう」という言葉があります。「絶対」というものにとらわれることを嫌う感覚がよく表れていると多います。ともかく、問者である道悟はそのところを十分承知したうえで、(それはわかったから)その先はあるのかね、と踏み込んで問い質したのです。そうしないと何も問うたことにならないわけです。

ついでに言うと、この問答を道元さんが引用しているのは正法眼蔵のなかの「仏向上事」という章ですから、名前の通り力点は「向上」ということにあります。つまり、ある境涯を絶対なものとして安住してしまう危険性とその克服がテーマになっているわけです。

デザインに使う程度ならあまり詳しく書く必要もないかもしれませんが、必要ならまたコメントさせてもらいます。

どこまでのことを書けばいいのかわかりませんので、簡単に書いておきます。

これは、石頭希遷(せきとうきせん)と天皇道悟(てんのうどうご)両禅師の間の、わりと知られた問答です。

道悟「如何なるかこれ仏法の大意」
石頭「不得不知」
道悟「向上さらに転処あるやなしや」
石頭「長空白雲の飛ぶを礙えず」

最後は「長空不礙飛白雲」。
「不礙」は「さまたげず」と読んでもよいのですが、「さえず」と読む方が一般的でしょう。とりあえず、文字通りの意味は読んだままです。

少し気になったのは、ご質問中...続きを読む

Aベストアンサー

禅的な精神という意味は、自分が自分に成り切る、という意味があります。全ての自分に降りかかる事をすべて肯定して受け取る、という意味です。

絶対肯定する足場を築き上げるという意味です。自分の死でさえも肯定するという意味が『見性成仏』という体験です。

見性体験をした後で、自分の生涯を、『禅』の紹介に全て捧げた人に、鈴木大拙博士がいます。自分の体験からにじみ出る言葉には、無駄が無く或いは余計なものがありません。

鈴木大拙博士の著書から学ぶ事が良いと思います。

Q禅とは?

五木寛之さんの本で「禅」についてかかれていました。

中国から道灌(名前が違っていたらすみません)さんや、他の方が持ち帰った。

禅は、その国の文化に根付いて、その国特有の「禅」に変化して定着する。

ヨーロッパでも「ZEN」があり、それは無宗派で、「自分と向き合う」「自分を見つめる」ために用いられている。

と言う内容でした。

ここからが質問なのですが、「自分を見つめる」「心が和む」ことを目的として、禅を探すのは不謹慎なのでしょうか?

私は特定の宗教を持っていません。

禅をすることで、上記のようなことが得られるのか?
禅はどこでできるのか?

五木寛之さんは「生きる」ことをテーマに、色々な本を書かれているようです。

禅をきっかけに、「生きるヒント」も同時に得られれば、と欲張りなことを考えています。

禅をなさっている方、経験した方、色々な方からのご意見をいただければと思います。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私は特に若い頃、神経質/強迫観念で苦しみ、以来30年以上も、
森田療法の思想を支えにして参りました。

それで、森田療法の祖 森田 正馬博士の思想・治療法は、
実は道元の禅の世界とごく近いものであったことを見出し、
「今この瞬間に生きる」ということを徹底して実践されたのは、
私の知る限りでは森田博士の直弟子であった、鈴木 知準博士でした。
鈴木先生の本などを読めば、その辺りが実に深い洞察で書かれております。
道元の言葉も含め、森田博士、親鸞聖人、イエス・キリスト、鈴木 大拙氏等…
実は多くの偉人は同じことを言っていたのだ、と。

「自分を見つめる」ことの役には立つと思います。
しかし最後の最後は「道を求めていたことそのものが、間違いであった」と。
それが禅であると。大疑から大悟へ、です。
鈴木 大拙先生の言葉なら「肘外に曲がらず」です。
ですから、自分を見つめることの役には立つのですが、しかして最後は… " " なのです。

「心が和む」ことにはなると思います。「日々是好日」です。

…と言いながら、理屈は知っておりますが、本当にこれに徹底して生きているのか、
と問われれば、未だ私も未熟者ではありますが(苦笑)。

とにかく最後は、禅も神経質も強迫観念も、何も求めなくなったことが大悟です。
哲学的な厭世観で悩むのも、神経質/強迫観念で悩むのも、その本質は同じであります。
又、禅は生活の中で実践することもできると思います。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5056348.html

↑これをご覧いただければ、僅かながらでも、お役に立つものがあるかも知れません。
生活の中で、ということなら、例えば私はタモリさんがそうだと思うのです。そのことも書いております。
それでは、これにて失礼致します。

私は特に若い頃、神経質/強迫観念で苦しみ、以来30年以上も、
森田療法の思想を支えにして参りました。

それで、森田療法の祖 森田 正馬博士の思想・治療法は、
実は道元の禅の世界とごく近いものであったことを見出し、
「今この瞬間に生きる」ということを徹底して実践されたのは、
私の知る限りでは森田博士の直弟子であった、鈴木 知準博士でした。
鈴木先生の本などを読めば、その辺りが実に深い洞察で書かれております。
道元の言葉も含め、森田博士、親鸞聖人、イエス・キリスト、鈴木 大拙氏等…
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Q神経症とは

神経症についてよくわからないことがあります。
神経症の代表的なパターンに、~~恐怖というものがあります。
これは、本質的に見ると、
「自己の生命を脅かすもの」に対する過剰な防衛
という風には捉えられないでしょうか。
もし大体そういうラインがあるならば、神経症というものは、本質的には、
「命への過剰配慮」「死への過剰防衛」
というように捉えられないでしょうか。
なぜ、一般人のように、「死」なんていうものを忘れて生きられなくなるのか、それがどういうメカニズムで発生してしまうのか、はっきりつかめません。なにか納得できる考え型があるのでしょうか。

Aベストアンサー

>神経症というものは、本質的には、
「命への過剰配慮」「死への過剰防衛」というように捉えられないでしょうか。
:これはいいところを突いているように思います。
ただ、なぜ過剰になるのか、という点を考慮する必要があるような気がします。
たぶん、自らの弱さを過剰に感じてしまうために、防御も結果的に過剰になるのではないでしょうか。

「感じてしまう」というところが重要で、実際には弱いと思う必要がないにも拘らずそう思ってしまう、「不合理な思い込み(=イラショナルビリーフ)」が根底にあるように思います。
(これは逆もまた可なりで、一般的に弱いと言われる立ち場の人であっても強いと思い込めば強くなることが可能でしょう。)
イラショナルビリーフは経験・体験によって生じると考えるのが自然です。
現状の解釈ということで言えば、
「どのような経験・体験をしてきたか」ということに尽きるように思います。
「経験」はDNAレベルで捉えることもできるでしょうが、ここでは、単純に胎児を起点に適用するだけで十分でしょう。
記憶が無い場合が殆どでしょうが、少なくとも誕生以来のあらゆる刺激(特に3歳ぐらいまでの刺激)は、相当強い印象を伴ないつつ記憶領域に格納され、後の性格・人格形成に大きな影響を与える場合が多いと思います。

『>なぜ、一般人のように、「死」なんていうものを忘れて生きられなくなるのか、それがどういうメカニズムで発生してしまうのか、』
ということに関連して述べると、
何らかの刺激(あるいは刺激の継続)が、自らの本能、または自我、あるいは超自我のいずれかに対して、本人のキャパシティを超えた力として及んだ場合に、本能や自我や超自我の健全な進展が妨げられる。
その妨げがキャパシティを超えたものであるだけに、自己の不全感が修正のできない決定的な弱さとして(無意識的に)認識されてしまうから。
ではないかという気がします。

ただ、我々人間は属性として意志(あるいは意思)を持つように生まれついています。
この意志によって無意識に影響を与えることも可能なので(と確信しているので)、
このメカニズムから脱出しようと試みる人にとっては、後はただ、我々は自身を変革できる可能性を常に持つ存在であるということを信じる、
つまり、自分を疑う勇気を持つ、という当たりが鍵になるのではないかという気がします。
なんか蛇足部分が多かったような気もしますが、素人の見解としてはこんなところです。
 

>神経症というものは、本質的には、
「命への過剰配慮」「死への過剰防衛」というように捉えられないでしょうか。
:これはいいところを突いているように思います。
ただ、なぜ過剰になるのか、という点を考慮する必要があるような気がします。
たぶん、自らの弱さを過剰に感じてしまうために、防御も結果的に過剰になるのではないでしょうか。

「感じてしまう」というところが重要で、実際には弱いと思う必要がないにも拘らずそう思ってしまう、「不合理な思い込み(=イラショナルビリーフ)」が根底に...続きを読む

Q禅について教えて下さい。

最近、自分を見つめなおし、よりよく生きたいと
思いまして、禅に関心を持ちました。

禅についての考え方など詳しく教えて下さい。
例えば禅の道を極めると、どのような変化があるの
でしょうか?

また、禅について掲載されているお勧めのサイト
本などありましたら是非教えて下さい。

全くの初心者なのですが、私はたまに自分で坐禅を
組んだりすると、その後、とても心が落ち着いてきたりします。
坐禅会などにも参加したいと思っているのですが、
初心者でも気軽に参加でき、禅について教示
頂けるようなお寺等、都内でありますでしょうか?

よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

かつて数年間、参禅した経験のある者です。
(今ではすっかり禅とは疎遠になってしまいましたが。^_^;)
坐禅会は多くの禅宗のお寺で日曜日などに開催されています。
臨済宗や曹洞宗のお寺の門前には掲示板があって、坐禅会の案内も書かれています。
本格的におやりになろうということであれば、師家(しけ=修行僧の指導をする資格を認められた高僧で、一般には「老師」と呼ばれる方々)が指導する禅会に参加すべきです。
東京都内でしたら、文京区白山の白山道場(龍雲院)、台東区谷中の全生庵などがあります。
こういう所では、年に何回か、1週間ほど集中的に坐禅修行する、「接心」と呼ばれる期間があります。

私もそうでしたが、まず取りあえず普通の禅寺で普通の和尚さんが指導する禅会に参加して手ほどきしていただき、ある程度の心構えを作ってから、上記のような本格的な禅会に紹介していただくのも良いかもしれません。

↓の二つのサイトが参考になると思います。

http://park2.wakwak.com/~zen/index.html

http://www.tcn-catv.ne.jp/~obousan/
「禅の世界」→「序章」(一)(二)

書籍では、大森曹玄老師著「参禅入門」が参考になるかと思います。

参考URL:http://park2.wakwak.com/~zen/index.html, http://www.tcn-catv.ne.jp/~obousan/

かつて数年間、参禅した経験のある者です。
(今ではすっかり禅とは疎遠になってしまいましたが。^_^;)
坐禅会は多くの禅宗のお寺で日曜日などに開催されています。
臨済宗や曹洞宗のお寺の門前には掲示板があって、坐禅会の案内も書かれています。
本格的におやりになろうということであれば、師家(しけ=修行僧の指導をする資格を認められた高僧で、一般には「老師」と呼ばれる方々)が指導する禅会に参加すべきです。
東京都内でしたら、文京区白山の白山道場(龍雲院)、台東区谷中の全生庵などがあり...続きを読む

Q神経症について

授業で神経症について話すことになりました。
神経症の方の症状など、なぜ神経症になってしまうのか知りたいです。
神経症について知ってる方、また周りに神経症の方がいるという人、症状など教えてください。

Aベストアンサー

今の医学ではその原因は分かっていませんが、早期治療で早く良くなります。とインターネットなどに書いている医師がいましたが、神経症が治った経験から、神経症を説明したいと思います。

神経症の原因は『心の矛盾』が全てです。心に矛盾があるという意味は『脳の機能分化に原因があって、そうしてその事を誰も説明出来なくて、神経症の治りも、悪化するという意味も誰も説明出来ないでいるからです。

神経症を説明する場合には、予備知識として『人間の脳の機能と、心に感情や考えが沸き上がる、システム』を知っておく必要がありますので、誰の心(脳内)にも『人格が二人存在する事実』を科学的なデータをコピーして貼って置きます。ウイキペデアからです。

『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

更にこの記事を補強するために、或る脳科学者が『自分自身の内面から』脳の機能分化の体験を脳卒中の為に『体験せざるを得なくなった』貴重な体験談を語っている動画を載せてみます。


もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

右脳に存在する人格は、お釈迦様が『仏性』と書いていた者です。或いは聖書の中では『神』と呼ばれている者です。この者の存在が分かり難くなっている事から『、、、の原因は未だ分っていませんが?、、、』と今の精神医学の分野では、認知されていません。

神経症が完治した場合では『悟りを開く』=『自分の性を知る事』=『見性』と同じ体験をします。ジルボルト、テーラ女史の体験は俗に『宗教体験』=『神秘体験』と呼ばれているものです。

心の矛盾をもう少し説明したいと思います。右脳の人格は人間(生きとし生けるもの全てに備わっている)働きの事です。もう少し分りやすく書くなら『生命を生命として働かせている機能そのもの』の事です。

赤ん坊が生まれた時既に備えているものです。この意味は『生まれて以来既に知っている事』と言う意味です。『生命活動に関する事柄の内、学ぶ必要など無く、既に知っている事』と言う意味です。具体的に書くなら


一つは『心臓や肺やホルモンの調節や体温の調節等』生きてゆくための必要事項のうち『身体としての生命体としての機能』です。心臓の動かし方や神経系統やホルモンの調節方法等は学ぶ事がありませんがしっかり機能させている者、と言う意味です。

二つ目は『心に感情や考えを、外界からの情報を基にして、生命維持活動の為に、沸き上がらせている機能』です。

三つ目は『人間の行動を通しての生命維持活動の為に働いている機能』です。

分かり易くなる為に、三つに分けて書いていますが、複雑な人間の『全人格的な見地から言うならば』この三つは複雑に絡み合いながら、人間を構成していますので、この三つが同時に作用する場合や二つが作用する場合や、一つのみが強く作用する場合も、多種多様な現われ方をしている筈です。


神経症の場合では、二つ目の機能と三つ目の機能が強く作用していますが、心臓神経症という場合では、一つ目の機能も関係しています。

身体の異常を訴える神経症の場合では、一つ目の機能も疑っている事を意味します。

こう言った人間の機能を疑う事が神経症の原因になっています。主に二の行動面が強く出るケースが多いようです。

自分自身に元々備わっている機能を疑う場合に人間は『自分が異常ではないのか?』と考える場合があります。このような事を聖書では『失楽園』と表現しています。

一として説明した、自分自身の『身体の機能に異常感を訴える場合では』自律神経失調症や過敏性腸症候群という具合です。

二として説明した、自分自身の『沸き上がる考えや感情』に疑いを持つ場合では、沸き上がる考えの場合を統合失調症と呼んでいます、沸き上がる感情の場合では感情障害と言う具合です。心を病むと表現出来ます。

三として説明した『自分の行動に疑いを持つ場合』を神経症と言っています。つまり、自分の行動に疑いを持つと言う意味です。行為をしたのかしないのかに疑いを持つ時には『強迫行為』や強迫観念になっています。行動の自在性に疑いを持つ場合では、書く事が出来なくなるしょけいになります。

話す事に疑いを持つ場合では吃音と言う症状になっています。

一にしろ、二にしろ、三にしろ、自分自身の機能に疑いを持つ事を意味します。自分の脳の機能に疑いを持つ事が『障害の元になっています。』

自分の機能に疑いを持たない場合を聖書では、天国に一番近い存在を『幼子』としていますが、それもそのはずです、脳の機能が未分化の為に、疑う事をしないからです。『自分は何物か?』矢『生きがいが欲しい』或いは、自分の裸を人に見せたとしても『恥ずかしいと言う感情さえ湧き上がらない様になっています。

この理由は、脳内に於いて『心が一つの者』として作用しているからです。

思春期頃『自分の裸を人前に晒す事に恥じらいを感じる頃』或いは『人生とは何ぞや?』と思い始める頃、脳の機能分化が完成に近くなっています。その事によって、心はその機能によって別々に機能し始めています。『見ている自分』VS『見られている自分』と言う風にです。

この二つに分かれた自分が、争いを始める事が今書いた三つの障害の元になっています。

別な観点から神経症を説明します、自我意識=顕在意識は左脳の人格です。無意識の自分は右脳の人格です。沸き上がる始めの念=『一念』は右脳の人格からです、それに対して沸き上がる『二念』は左脳の人格です。

こういう具合に心は二つに分かれてしまいますので、自分自身に敏感な人=神経質な性格や不安になり易い人は『自分自身の心の内部観察が鋭くなっています。』そのために『二つの人格が、自分の頭の中に存在する事に気が付くわけです。

そういった自分自身の脳(心)の機能の違いに気が付いて疑う事を、失楽園と書いています。この意味は『答えさえ出無そうな問題に悩み始める事』つまり悩みの底に沈んでしまいそうな問題を悩み始めると言う意味になるからです。

この意味は、世の中には簡単に楽観的に考える人と、同じ問題を難しく、かつ深刻に否定的に考える人がいますので、不安になり易い人の『不安解消のメカニズム』が聖書や仏教の教えの中にあるという意味になります。

動画の中のジルボルト、テーラ女史は、自分の人生にさようならをします、この意味は『一端自我と言う心が全てを諦めてしまう事』を意味します。その時になって始めて、『右脳の人格』=自分自身の命の働きと、脳梁の中で出合う体験をしています。この体験が神秘体験と呼ばれている体験ですが、詳しく説明するなら、

死に対する恐怖症の場合では、自我意識は有限の命と心得ていますが、同時に『死にたくない』と深刻に悩んでいます。この悩みが心の矛盾です。その理由は自我意識は『言葉を使うようになってから、物事を分けて分別する事によって、言葉にしている機能から成り立っています。この脳の機能には永遠を理解するソフトが入っていません。

それに対して右脳の働きは、学ぶ以前から全て整っています、この意味はもう既に永遠を知り尽くしている機能から成り立っている事を意味します。脳梁の中での瞬間的な出会いにも拘らず、自我は『自分の命は永遠の存在で成り立っている事が分ります。』この経験から、『自分が死に行く事には頓着しなくなります。』

恐怖症が完治する瞬間です。

自分の障害を起こしていた者との出会いによって、自分自身の障害の元が何か?体験的に理解出来ます。

従って神経症とは『自分の頭の中で、不安の元を作り出していて、その不安を自分が感じている事』が理解できるようになります。

考え方や、感じ方の変更をする事を意味します。

今までは『沸き上がった感情や考え方』の内良い事を願い過ぎていた事、或いは『悪い事を嫌い過ぎていた事』で、なんでもなかった普通の事柄を、自分の意識する力で症状にまで高めていましたが、

治った後でも『心の中を探すなら、確かに症状らしきものは存在しています。』が選り好みをする心が弱くなったために『症状にはならなくなっています。

同じ症状らしきものが在っても、症状を受入れたために『気にならなくなっています』意識上に上げる事が無くなっています。この時点で症状が消滅しています。是が神経症の治りです。

神経症とは『何処も悪くないのに、自分の意識する癖、或いは意識する力で』症状にしています、そうして症状にまでなった嫌な感じを嫌ってしまって、又更に追い出そうとします。この追い出そうとする心の作用で更に意識に固定されています。この固定が症状として確立された事を意味します。

神経症の治りとは、症状をすっかり受入れる中に存在します。症状を取り除こうとする試みは『返って症状を治らなくしたり、硬く固定させてしまいます。』悪化するという意味です。

従って今の精神科医達のやっている方法『症状の改善』では治らない事が保障されています。本人の意志が固くて一生掛けて症状の改善を望むなら、一生症状に苦しむ事を意味します。

今の医学ではその原因は分かっていませんが、早期治療で早く良くなります。とインターネットなどに書いている医師がいましたが、神経症が治った経験から、神経症を説明したいと思います。

神経症の原因は『心の矛盾』が全てです。心に矛盾があるという意味は『脳の機能分化に原因があって、そうしてその事を誰も説明出来なくて、神経症の治りも、悪化するという意味も誰も説明出来ないでいるからです。

神経症を説明する場合には、予備知識として『人間の脳の機能と、心に感情や考えが沸き上がる、システム』を...続きを読む


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