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人と話す機会が多くなればなるほど人と切り離された感じがします。
一人で家にこもって本を読んでいる時は、人とつながっている気がします。
これって変なのでしょうか?

周りの人を見ていると、人と話すことを楽しんでいるように見えます。
何がそんなに楽しいのかわかりません。

例えば、何かを人に話して共感してもらえたとしても、本当にその人が共感してくれているかはどこまでいっても謎だと思うんです。
人に自分が面白いと思ったことを話して、笑ってもらえたとしても、相手がそのことを本当に面白いと思っているかも謎です。

心からそう思っているかどうかは別として、表面上共感してくれたその人の思いやりに喜べばいいんでしょうか?
もしかしたら無理してくれているのかもしれないと思うと、私は申し訳ない気持ちになってしまうことの方が多いです。

無理していることが相手の反応からある程度読み取ることができた場合には、それこそ相手と自分との間の距離が広がってしまったように感じてしまいます。話せば話すほど相手との距離が広がるように感じることもあります。
そんな時、話すのは何のため?と思ってしまうんです。

みんな話すときには多かれ少なかれ演技していて、演技している相手ごと認めている、相手に言葉を発することそのものに意味がある、ということなのでしょうか?

まとまりのない文章ですみません。ご回答よろしくお願いします。

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A 回答 (16件中1~10件)

えーっとね。



真面目に、真剣に考えたのですが。

キャッチボールで肩を温めるときは、一々どんな球投げるかなんて考えないのです。

投げてみて、ちょっと力んでいたなら「わりー」みたいなフォローです。

肩を温めるためのキャッチボールは、何も考えることなく、とにかく相手の胸の辺り(相手が一番取りやすい)を狙って、自分の肩やひじや手首、指の掛かり具合、自分なりに確認しながら、投げ合うのです。

肩が温まってきたなら、自分の体軸のブレが無く、全く力を入れずにしなる様にボール投げれる時が、一番速いボールが投げれるのです。

解りにくい例えで、申し訳ないのですが。

肩を温めるキャッチボール無しに、いきなりクリーンアップのバッターに向かっているように見えます。

絶対、自分の狙いのボールは投げれないし、第一、肩壊します。

何気ないキャッチポールで、相手の反応を見て、お互い、肩のあったまり具合を確認する。その時相手が取れないボールの時は、自分のフォームが崩れていたり、体軸がぶれていたりするのです。

それを修正しながら、笑ってウォームアップのキャッチボールの、練習した方がいいと思うよ。
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この回答へのお礼

色々考えるより、とりあえずまず試しに話してみろ、ってことですね。

キャッチボールの例え、わかりやすかったです。
どんなキツい回答が来るかと怯えていたのですが、優しい例えだったので助かりました。

受け取りやすいボールをありがとうございました^^

お礼日時:2008/02/23 18:04

人との「話し」ではなくて


人との「付き合い方」と受け取りました。
質問者さんは「表面的な」(外面的な)お付き合いではなくて
内面的な付き合いを求めているように、私は感じました。

ですから、外へ発するだけの「言葉」のやり取りとなる会話では
相手の本心(内面)ではないので、楽しめない・・・という事なのでは?

そもそも「言葉」とは何でしょう。
意識の伝達手段・・・と私はとらえています。
相手が居て、自分と相手との相互の言葉のやり取りがあって
初めて会話は成立します。
互いに、好き勝手に思うことを言葉にするだけでは「会話」にはなりません。
要は、自分の意識の表れである「言葉」を
その相手へ「どれだけ」伝えたいか?とう事なのではありませんか?
いつも、どの相手にも、自分の心の奥底までを「伝える」必要などありはしません。
意識のごく表面だけを伝えるだけでよい場合もあるはずです。
あるいは、心の全てをさらけ出してみたい相手の時もあるでしょう。
相手によって伝えたい部分が違えば「言葉」だって違うはずですから
当然、言葉のやり取りである「会話」も違っていて当です。

言葉にも「口頭」で述べるモノと、文字に表した「言葉」というモノとがあり
どちらかが不得意だというような人も居るでしょうね。
そういう事ではありませんか?

この回答への補足

たくさんのご回答本当にありがとうございました。

「お礼」の内容を見て、何か良くない癖があるな、と感じた方がいらっしゃったら、教えていただけますと幸いです。

補足日時:2008/02/23 08:07
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>人との「話し」ではなくて
>人との「付き合い方」と受け取りました。
>質問者さんは「表面的な」(外面的な)お付き合いではなくて
>内面的な付き合いを求めているように、私は感じました。

全くその通りなんです。
表面的な付き合いは、何て言うか、「はりぼて」みたいに思えてしまうんです。

>その相手へ「どれだけ」伝えたいか?とう事なのではありませんか?
>いつも、どの相手にも、自分の心の奥底までを「伝える」必要などありはしません。
>意識のごく表面だけを伝えるだけでよい場合もあるはずです。

そうですね。
私は加減が下手なのだと思います。
だから、「意識のごく表面だけを伝え」ようとすると、説明不足になったり、この人にここまで言っても大丈夫だろうか?ここまで言わないと意図が伝わらないけどそこまでは言いたくないような・・・とか思っていると自分でも考えていることがわからなくなってただ迎合したりしてしまいます。結果誤解を招くことが多くて悲しくなるから、表面的な付き合いに魅力を感じないのかもしれません。

お礼日時:2008/02/23 07:42

・人と話すのは楽しいですか?


  私自身は、楽しいと思えることは多くはありません

・これって変なのでしょうか?
  人と話していない時に話しているとき以上に繋がっている感覚は分かるような気がします。もっとも私の場合は、少し意味は違いますが。

・何がそんなに楽しいのかわかりません。
  同感ですね。

・相手がそのことを本当に面白いと思っているかも謎です。
  正確なことを分かるのは無理ですが、経験を積めば、ある程度の推測はできるようになりますよ。知った後の方が地獄だと思います。

・表面上共感してくれたその人の思いやりに喜べばいいんでしょうか?
  そのとおりだと思います。質問者様の感じ方も理解はできますが、それでもそのように思います。

・話せば話すほど相手との距離が広がるように感じることもあります。
  本当に打ち解けていないのであれば、むしろ当然だと思います。

・相手に言葉を発することそのものに意味がある、ということなのでしょうか?
  無視よりは会話があった方が良いのではないでしょうか。それが仮に意味がない会話であっても

 人間生活にはある意味無駄も必要だと思います。意味がない会話もそのひとつだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>人間生活にはある意味無駄も必要だと思います。意味がない会話もそのひとつだと思います。

こんなことを言うと変に思われるかもしれませんが・・・
あまり話したことのない人に、「今日はいい天気ですね」と言おうとしたときに、私がこの人にそう言うことによって、この人に何のメリットがあるんだろう?とか真剣に考えてしまうことがあります(笑)。
でも自分に置き換えてみると、中身のない会話でも、なんか声かけられてよくわからんけど嬉しいみたいなことありますもんね。

無駄も必要な物、確かにそう思いました。

お礼日時:2008/02/23 06:50

おそらくご質問者さんは、まだ自分の想像できるカテゴリーにいる人としか出会ったことがないのではないでしょうか、例えばそれが、ヨーロッパの貴族であったり、石油王の息子であったり、芸能人であったり、著名な教授であったり、ベンチャーの社長であったりすれば、刺激というのは否応なしに受けることができます。

こういう特異な人たちというのは、価値観がまず普通ではないことが多い気がします。見ているものも違うし、見てきたものも違うからです。

会話をすることで相手の価値観を垣間見ることができます。そこに刺激を受けるのが楽しいと感じるから、私は会話を楽しみます。人との会話が楽しくないと感じるのは、失礼ながら毎度毎度お馴染みの顔ぶれと会話しているからではないでしょうか。向上心を以て、成長する過程で人生は大きく開いていきます。その過程で出会う様々な人に感心を示すか示さないかでその後の人生も変わるような気はします。

この人それぞれの価値観による刺激を求めて私は人と会い、会話を楽しんでいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

価値観の全く異なる相手と話すのは、むしろ大好きです。
大学生の時も、研究室にいる時、日本人よりもむしろ留学生と話すことの方が多かったし、楽しかったです。カラっとしてて、オープンな方が多かったせいもあり、とても居心地が良かったです。
違うこと前提で話すので、話のネタに困ることもありませんでしたし。

でも、荒っぽい人とか、うわさ話が好きな人とか、苦手意識の強い相手はとことん避けてしまうことが多いです。頑張って話しかけても緊張して頭が回らなくなります。

>会話をすることで相手の価値観を垣間見ることができます。そこに刺激を受けるのが楽しいと感じるから、私は会話を楽しみます。

ご回答者様のように、余裕を持って話すことができたら、と思います。

お礼日時:2008/02/23 06:41

「ボクは若い頃、誰のどんな助けも必要としていなかった。

でも今は愛する誰かを必要としている~」ビートルズのHelp!という歌詞です。

アナタはきっとまだ“若い”のでしょう。自分の可能性が無限だと思っているのでしょう。自分の力で世界のなにもかもを解決できる、と思っているのでしょう。

でなければ、きっとまだ“幼い”のでしょう。やさしい“ママ”のようにアナタの心を満たしてくれるひとに愛されたいのでしょう。

でも、オトナは自分の限界性を知り協力して生きて行かなくてはならないことがわかっています。また、「多く愛するものが多く愛される」ということもわかっています。
「愛する=信頼する」は「裏切られること」も覚悟する、ということです。
裏切られるのがいやだから信頼しない、ということは、それに耐える力を自ら鍛える努力をしたくない、という怠惰な言い訳です。

自分の求めるコミュニケーションの形を相手に求めるだけの態度では相手に受け入れてもらえなくても致し方ありませんね。
これは、立場を逆にしてみればすぐわかりますね。

「友達がどんなに甘美でも、ぜんぶ舐めてしまってはいけない」ということでもあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>でなければ、きっとまだ“幼い”のでしょう。やさしい“ママ”のようにアナタの心を満たしてくれるひとに愛されたいのでしょう。

そうなんですかね~。親なんて、自分の心を満たしてくれない最たる人だと思っているのですが。私は昔から、対人ストレスを抱えやすく、色んな神経症にかかることが多かったです(頻尿・過敏性腸症候群・不眠・うつ+激やせ)。親はずっと、見て見ないふりしてました。辛かったです。
・・・親から得られなかったものを、他の人からもらおうとしているのかもしれませんね。

>「多く愛するものが多く愛される」

この言葉だけはどうしても納得できません。
人との付き合いなんていいかげんでいいんだよ~とか言ってる人の方が好かれてることが多い気がします(私自身そういうことを言う人は好感を持てることが多いです)。それに、人の気持ちを考えずわがままばかり言っているような人がなぜかモテてたりとか。なんか理不尽な気がするけどそれが現実のように思えてしまいます。

心理学用語で「好意の返報性(好意を向ければ好意が返ってくる)」というのがあります。それを初めて知ったとき、「嘘だ~!」って思いました。あんなの、もともと愛される資質がある人にのみしか適用されてないじゃないか、と思ってしまいます。

愛することは宗教でいう所の「喜捨」みたいなものだと、私は思っています。

>自分の求めるコミュニケーションの形を相手に求めるだけの態度では相手に受け入れてもらえなくても致し方ありませんね。

どっちかというと合わせすぎているというのが自己認識だったのですが。自分が思ってないだけで端からはそう見えているのでしょうか?
腑に落ちるまで回答を読み直してみます。

お礼日時:2008/02/23 06:12

循環論法になってしまいますが、そういう疑問を抱いているということは会話を楽しめていないんでしょうね。

逆に、会話を楽しんでいれば、このような疑問を持つことはありません。

なぜ会話をするのが楽しいのか。これも循環論法になりますが、会話をするのが楽しいから楽しいんです。ちゃんとしたロジックなんてありません。

究極的には、相手が相手であるからこそ楽しいんです。相手の個性そのものを楽しんでいるんです。会話はコミュニケーションの一手段でしかありません。相手を黙って見ているだけでも楽しいものです。自分とは違う価値観で、接していると成長できる、共感してもらえるなどというのは動機ではなく結果です。

といっても以上はとても仲の良い人との会話の楽しさですが。。。

その他の人との会話では何が楽しいのか、と質問者様と同様の疑問を持つことはありますね。ただ、楽しいと感じるときは、自分とは違う価値観で、接していると成長できる、共感してもらえるなどと感じるときですね。非常に仲の良い友達のケースとは対照的に、これらは動機であり結果でもあります。

楽しみ方は相手によるし、もちろん楽しめない相手もいるということでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>究極的には、相手が相手であるからこそ楽しいんです。相手の個性そのものを楽しんでいるんです。

相手自身が興味の対象だから(と言うと語弊があるかもですが)相手と話すのが楽しい、なるほど、って思いました。
そして、興味のある人と、仲良くなる。

思えば私は、興味のない人に無理に興味を持って、打ち解けられるようにならなきゃ、と、無理をしていたように思います。
それで、人と話すのしんどいなぁ、ってなってました。
そういうのも、相手に伝わっていたのかもしれないなと思いました。

>楽しみ方は相手によるし、もちろん楽しめない相手もいるということでしょうか。

楽しめない相手とは楽しめないけど会話する、という感じになってしまうのは仕方ないことなのでしょうか?

お礼日時:2008/02/23 05:40

私も、20代の頃は、あなたみたいに考えていた事があります。



読んで、自分のものに出来るか、実践する事が、もっと大事だことだと思うよ。

捨てるもの、造る物、両方にトライしていくうちに、自分の姿って、できてくるものだと思う。

まずは、自分のありのままの姿を、受け入れる事。

自分の心を自分で受け止める。

そして、皆人は、一枚岩では社会と繋がって生きていくことは大変です。

例えば、職場というのは、民間企業であれば、利益を生み出し、永続的に活動を続けるという共通目的が前提にあります。
要は、お客様に価値を認めてもらい、適正な利潤を上げるという共通目的がある訳です。
そのメンバーたちは、その共通目的の為に、自分の置かれた「立場」というものを理解して、行動し、報告・連絡・相談等行なうわけです。

その人その人の持ち場で、例えどんなにプライベートで、辛い事があったとしても、笑顔で、元気で職場の人や、お客様に接する必要があって、そのために行動するのです。当然、自分の意志や感情を抑える事の方が多いわけです。

趣味や、習い事の仲間だって、楽しめるレベルになるまでは、それなりの努力が必要です。初心者が自分らしい表現が出来るまでは、基礎練習を体が覚えるまで我慢して練習しなくてはなりません。
とても、独りだけで出来る事ではない。だから、共通目的を持つ仲間と、癖や問題点を指摘しあって、励ましあって、時には笑いあって、お互いの成長を確認して、人との関わりの大事さを実感するわけです。

だから、色んな考え、行動の人がいるけど、肯定したり、否定したりする事から入るのでなく、まず、その人の「存在自体」を同じ地球の上で、同じ時間帯に、偶然存在する事を「認める」事が大事だと思う。

出会う人は、皆、何らかのご縁が会った人。これだけは間違いない。
でも、みんなと仲良くなるなんて、とてもじゃないけど、愚かしい事だよね。

人によっては、嫌われるのを恐れるあまり、八方美人的になって、自分を見失ってしまう人がいるけど、だいだい、己を良く知ろうと、してなくてジレンマに陥っている。

人によっては、人との関わりを絶ち、ひとりの世界に入り込む。
自分だけの逃げ場は、絶対必要だと思う。でも、ずっと入ったままだと、他人が何故変わっていくのか、解らなくなってしまうよね。

相手によって、置かれた立場によって、目的の為に、一番あった行動をする。目的を達成する為に、助け合う。このときは言葉が必要にどうしてもなります。ひとり3役位やっているのが、普通だと思う。


時に、人生を考えるとき。

私は、いざというと何があろうと駆けつけたい人を、5人作ることが夢です。事実何人か出来て、実現可能なことを実感していますし、その途中段階にいることも認識しています。

逆に、自分に何かあったとき、駆けつけてくれる人が、もし、1人いたならこんなラッキーな事は無いと思っています。

あくまで、私見なので、ご参考まで。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>読んで、自分のものに出来るか、実践する事が、もっと大事だことだと思うよ。

そうですね(ここでご回答をいただいた内容を含めて・・・)。
頭でっかちにならないよう、頑張ります。

お礼日時:2008/02/23 05:28

相手に拠ります。



>相手がそのことを本当に面白いと思っているかも謎です。
そうですね。
でも別に問題ないのでは?
相手に「自分はこれが面白いと思った。」と伝われば良いだけですから。
結果冗談だと伝わらない場合や不快感を抱かれることもありますが、それも発見の一つでしょう。
同じ内容については話せば話すほど洗練されていきます。
そういうのは結構楽しいですよ。
見聞も広がりますし。

>無理していることが相手の反応からある程度読み取ることができた場合には
「ごめん、つまんなかったか。この話は。」と打ち切ってしまいます。
反応できる話にだけ反応してもらえれば良いわけですから。
わざとらしい態度に距離を感じるのは普通ですよ。

>演技している相手ごと認めている、
演技だとわかるなら、なるべく裏を読み取るべきでしょう。
勿論読み取る必要のない人、読みたくない人は言葉通り受け取れば良いです。
どっちも間違ってませんから臨機応変しかないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>結果冗談だと伝わらない場合や不快感を抱かれることもありますが、

その時点で「この人とは合わない」と思って引いてしまってその話は他の人にも二度としないことが多いです。私はそういう所が問題なのかもと思いました。

伝え方の工夫や・臨機応変な対応、心がけていきたいです。

お礼日時:2008/02/23 04:58

共感と言う部分にとてもこだわってますが



コミュニケーションの一番の有益な部分は、相互作用にあると思いませんか?

人は、コミュニケーションを通し、学んだり、感情を共有することにより、変化していきます。
私は、友人との会話で、いい影響をたくさん受けています。たとえば私は、自分の許せないことをする人間に対し、強い不快感を持つほうでした。でもある友人と知り合い、会話を重ねるうちに、自分の怒りの度合いが大きく、そんなに大きな怒りをもつことがあまり意味ないものとわかり、人に対する考え方が変化しました。その友人も、私にとてもよくしてくれますので、私も彼女に何かしら、影響を与えているように感じます。これからもつきあいつずければ、お互い影響しあい、お互いに人間として変化する部分があるのではと思います。
人間は、完璧ではないですね。ですから、人とコミュニケーションをとることにより、自分に足りない部分、かけてる部分を、相手からのよい影響ある言葉で、知識や智慧を育み、補っていけるのだと思います。そうして相手が変化する、そうしたら、その影響を与えた方も、その相手から、影響を受け変化する、そういう、相互作用が連鎖する、言葉によるコミュニケーションには人を変化する力があると思ってます(悪い方向に変化する可能性も有りますが・・・)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>人間は、完璧ではないですね。ですから、人とコミュニケーションをとることにより、自分に足りない部分、かけてる部分を、相手からのよい影響ある言葉で、知識や智慧を育み、補っていけるのだと思います。

相手のいい所を見よう、って言う言葉は、相手のための言葉だと思っていましたが、自分のためでもあるのですね。参考になりました。

お礼日時:2008/02/22 20:52

自分の価値観の中だけで生きている人間は、非常につまらないものです。


本を読んで納得していても、それは書生自分に都合がよいように読んでいるだけに過ぎません。

他人に接することで、新しい価値観を知ることが多くあります。
受け入れるかどうかはあなた次第です。
理解するだけでもいいでしょう。

活字が伝えるものは微々たる物です。
感情を伝えることはありませんから。

演技なら演技で対応したらいいだけです。
誰もが沿うとも限りませんし、あなたの世界観に接しようとする相手の傾向かもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>自分の価値観の中だけで生きている人間は、非常につまらないものです。

確かにそうですね。私の周りでも面白い話をできる人は大体、色んな人とマメに話をしてる人だと思います。

>他人に接することで、新しい価値観を知ることが多くあります。
>受け入れるかどうかはあなた次第です。
>理解するだけでもいいでしょう。

もし、受け入れられないどころか、反発心を抱いてしまうような場合は、みなさんどのようにされているのでしょうか?

例えば、私が苦手なのは、嫌いな人や食べ物を、恥ずかしげもなく「嫌い」って言い切れる人です(言葉が聞こえる場所に本人がいる場合でも・・・)。そういう言動を見ていると、すごくムカムカしてしまいます。

そんな人を「受け入れる」とは、具体的にどうすることを言うのでしょうか?

お礼日時:2008/02/22 20:43

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