
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
なぜ「分からない」のでしょうか?
世界でも、日本は、貧しくとも子供に勉強をさせるという、他に例を見ない、珍しい国でした。
大東亜戦争当時ですら、日本の識字率は世界一でした。
江戸時代、幕藩体制の下で戦乱の無い、比較的安定した時代が続きました。
そして、江戸時代以前と違い、「知識人」と言える人も増えていたのです。
僧・神職等の宗教関係者、没落した公家、浪人等です。
彼らが、「寺子屋の師匠」となったのです。
平和で安定した時代が続くと、商業活動が活発となっていきます。
商業活動の活発化に伴い、取引上の約束事を定める必要が出てきます。
その約束事を明らかにすることを、「明文化する」とも言いますね。
つまり、契約書(証文)を作る必要が出てきたのです。
最初は、だれか文字の読み書きできる人に頼んだのでしょうが、騙されたり、誤魔化されたり、あるいは自分で出来た方が安心・便利なので、子供にも勉強させるようになったのです。
算術も、同様の理由です。
要するに、読み書き算盤ができたほうが、人に騙されなくて、就職等に便利だからということです。
そうなった背景に、江戸時代という、戦乱のない、安定した時代が長く続いた時代があったということです。
No.10
- 回答日時:
生きていく上で必要だったからではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E9%87%8E% …
『中世から近世にかけての歴史的な百姓身分に属した者達が、決して農民だけではなく商業や手工業などの多様な生業の従事者であったことを実証したことでも知られている。』
とあるように、従来は日本人の祖先のほとんどは、農業従事者だったという定説を覆す説を唱えた人です。
仮にそうであれば、兼業だったわけで、当然商売をやるには文字を知っていなければならなくなるわけです。
計算もできなければ、商売できないわけです。
だから、自分は商売にいそしみ、子供には寺子屋に通わせ、将来にそなえて教育をほどこしていた ということじゃないでしょうか。
日本史を書いたフロイスは、茶店の女給が暇になると本を読んでいるのを見て驚いたそうです。
西洋では考えられない光景だったそうです。
西洋ではそのような身分の者が本を読むなんてありえない ということだったようです。
西洋では男尊女卑が強かったようですが、日本の場合、女性は元気だったようで、いろいろな商売を始めたらしいです。
例えば扇子を作って売ったり、金貸しをしたり。
そういう自由社会だったため、専業で1つの仕事のみやるって人は少なかったのではないかと思います。
農業をしながら、何かを作って売る商業もやっていた。
それで、それをやるには読み書きや計算も必要だったということじゃないかと。

No.6
- 回答日時:
江戸時代の新聞は瓦版ですが、
これは読み書きが出来なければ読めません。
また、滑稽本にしても読めなくなってしまいます。
これでは娯楽すら無くなってしまいます。
武家奉公に入れたとして、物書きが出来なければそれまでですし、
辛い丁稚奉公にしろ、算術と読み書きが出来なければ永久に下使いで終わってしまいます。
これで通用するほど「社会は甘く無い。」
これを熟知していたのだと思います。
社会の荒波や貧乏のどん底や苦境を良く知ります。
今では学校で教科書はもらえます。
何とか職にもありつけるでしょう。
子育ての放棄とすり替え(学校がやる物だ)
はどんどん増えていると思います。
子供を育てるのは「学校」ではありません。
親の務めです。
そうですね。
娯楽がなくなってしまうのも、つらいものですね。
やはり、社会に適応するには、教養がなければいけないのですね。
ありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
No.4
- 回答日時:
江戸時代は世界的に珍しく貨幣経済が浸透した社会でした。
江戸の中期になる1700年ごろには、大阪堂島の米会所が先物取引を世界に先駆けて実施しており、すでに現在に近い経済運営がなされていました。
ここでいう、現在に近い経済運営とは何を指すかというのが、回答の核になる部分なのですが、経済運営とは
・商品取引に貨幣をもちいること
・そのために会計帳簿をつけ、決算をすること
・先物取引や為替相場があったこと(江戸は銀本位:上方は金本位のため、現在の円:ドルの国際取引のような為替があった)
を指します。
そのため
商人なら読み書きそろばんが出来なければ、番頭や独立した商人にはなれませんでしたし、大工などの棟梁になろうと思ったら、木材の相場などを知る為にやはり読み書きそろばんが必要でした。
船乗りなら、各地の経済に明るくないと船頭として、物流で儲けられませんでしたし、漁師でも農民でも自分の作ったものを高く売るためには、相場を知らなくてはならず、やはり読み書きそろばんが必要だったのです。
もちろん、知らなくても仕事は出来ますが、それは物事を知っている誰かに使われるという事を意味していました。
当時、朝鮮の大使が日本に来て、お金さえあれば旅行でも何でもできるということにびっくりしている手記があります。
このように、当時からすでに読み書きそろばんが出来ないとえらくなれなかったのです。もちろん今と違い身分制がありますので、えらくなるといっても限度がありましたが、文字を読め計算が出来るということが、すでに必要な社会だったわけです。
江戸時代から、貨幣経済が浸透していたのですね。
そうすれば、人々がお金(貨幣)を重要視し、読み書き算盤を習ったのも、分かります。
ありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
ぶっちゃけて言えば #2 で言われる通り「行った方が有利だから」です.
この傾向は, 農民の次男 (以下) で特に強いはずです. 長男は家 (農家) を継げばいいんですが, 次男以下は継ぐ家も存在しません. となると, 将来の展望が
1.ず~っと長男の世話になる
2.丁稚にいく/職人見習いになる
3.(少ないけど) 学者になる/武家の世話になる
ということになるわけで, 1 ならともかく 2 や 3 では「読み書き算盤」ができれば有利なのは自明でしょう.
No.2
- 回答日時:
現代でも、義務教育は小・中学校のみで、高校以上は義務ではありません。
なのに何故、義務化も強制もされてないのに「受験してまで高校に行く」んでしょうか?
それは「高校くらいは出てないと、将来、色々と不利になる」からですよね。
寺子屋に通わせるのも、それと同じで「寺子屋くらいは通ってないと、将来、色々と不利になる」からです。
特に「百姓や町人の子はどう頑張っても武士にはなれない」と言う「身分制度がハッキリしてる社会」では、百姓や町人の子は勉学で身を立てるしか無いのです。

No.1
- 回答日時:
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