「三途の川」とは仏教で、人があの世に行く途中で渡ると信じられている川。以前私が読んだ本(漫画でしたが)に“女性は初めての男性に背負われてその川を渡るという説がある”と書かれてありました。
それを読んだ時、もしそうならあの世に行く前に自分の初めての恋人と最後に再会できるんだなぁと思ってなんだかロマンチックに感じたものです。
仏教はもちろん宗教にはてんでうといので、このような説は初めて聞きましたし、その本以外で見聞きしたこともありませんが、ちょっと気になっています。
もしご存知の方、自分も聞いたことあるゾ~という方がいらっしゃったら教えて下さい。

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A 回答 (2件)

どうもはじめまして、Kumosukeと申します。


「源氏物語」と聞いて、しゃしゃり出てきてしましましたm(_ _)m

え~
「源氏物語」朝顔 [第五段 源氏、藤壷を供養す]
にこのことが出てきます。
"亡き人を慕ふ心にまかせても影見ぬ三つの瀬にや惑はむ"
源氏の独詠歌ですね。

「亡き人」「影」は藤壷をさをさしてまして、「水の瀬」「三つの瀬」は掛詞。
『新日本古典文学大系 源氏物語』第二巻(だったかな?)では、「女は最初に契った男に負われて三途の川を渡るとされる。冥界でも面会ができぬとする源氏の絶望を詠んだ歌」とか訳されてます。

コミックのほうは知らないので、なんともいえないのですが……
おそらくここからの引用だと思いますよ。
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この回答へのお礼

w( ̄△ ̄)wおおっ!
kumosukeさんのご回答で、「源氏物語」にしっかりこの説についての記述があったことが分かりました。どうもありがとうございます。
源氏の詠んだ歌の藤壺は、ナルホド彼のお父さんの奥様なのですからなんとも切ない歌ですね~。ちなみに漫画「あさきゆめみし」では、源氏がこの恋人を亡くした場面が、ストーリーを通してもっとも悲しく美しく描かれていたという覚えがあります!(^o^)

お礼日時:2001/02/09 07:00

その漫画って大和和紀さんの「あさきゆめみし」じゃないですか?ちゃんとした確認は取れないのですが、私もそれ、読んだことあるようなきがします。

または、原作の「源氏物語」に出てきたのかも知れません。ただ、背負ってではなく、手をとられて、といったかたちでだったような気もしますが・・・。不確かですみません。
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この回答へのお礼

bahhoさん、早速の回答ありがとうございます。
私が読んだ漫画は秋里和国の「空飛ぶペンギン」です。(←これはかなりコミカルなストーリーでした)
私も学生時代「あさきゆめみし」を読みました!田辺聖子著なら「源氏物語」も。当時はそういった記述に全然気づきませんでした・・・(失笑) でも、異なる本で同じ内容の説が描かれていたということですから、やはりこれはまったくナイ話でもなさそうですね。
仏教も難しい説法ではなく、こういう神話的な話には心惹かれるものがあります。
でも、男性が聞いたらちょっと引いてしまう説かな?(笑)

お礼日時:2001/02/09 00:11

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先月、祖母が亡くなり、葬儀をしたのですが、出棺のときに「三途の川を渡るためのお金」ということでお棺の中に600円を入れました。
この600円というのは本物のお金ではなく、葬儀場が用意した、この世では通用しないお金です。

「三途の川にお金がいる。」というのは漠然と聞いたことはあったのですが、なんで600円なんでしょうか?
ネットである程度は調べてみましたが、いまいちつかめません。
この分野には全くの無知なもので、ご存知の方教えて下さい。

Aベストアンサー

まず、三途の川の渡し賃というのは六文と古くから言われていて、江戸時代頃は一文40円~50円くらいと言われていますが、葬儀屋さんが一文100円と考えたんでしょうね。
また、本物のお金でないというのは、実は法律の問題で、今は貨幣に傷をつけると貨幣損傷等取締法違反となってしまいます。
これで一年以下の懲役又は20万円以下の罰金となりますから、この世では通用しないお金とごまかして、使っています。
ちなみにこの法律が施行される前は、実際にお金を入れていたそうです。

さらに深く考えますと、三途の川の渡し賃の六文は、六道銭とも言われています。
なぜ、三途の川の渡し賃に「六道」の考え方が用いられたのか、その根拠は定かではありませんが、六道と六地蔵にそのヒントがあるようです。
仏教の世界の考え方として、あの世とこの世を行き来できる唯一の存在として地蔵菩薩がいます。
地蔵菩薩の中には、六道それぞれにリンクする六体の地蔵菩薩を並べて配置し、これを一まとめに「六地蔵」と呼ぶ例があります。六地蔵は一体毎に六道の1つ1つを守護する存在であり、善光寺(長野県長野市)の三門の手前右側にも六地蔵が安置されています。

六地蔵の存在が物語る様に、昔の人々の間には死後の最初の行き先であろう六道に対する意識が非常に強く、これが「死者に六道の数にあった銭を持たせれば清く成仏できる」という考え方に発展し、「六道銭」ができたようです。

ちなみに、三途の川のほとりには衣領樹(えりょうじゅ)という大樹があり、その下に奪衣婆(だつえば)、懸衣翁(けんえおう)という鬼形の姥と翁がいて、姥は三途の川の渡し賃(六文銭)を持たない亡者が来れば、その衣服を奪い取り、それを翁が受け取って衣領樹の枝に引っ掛けます。そして、亡者の生前の罪の軽重によって枝の垂れ方が異なります。

あと、参考までに

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa222656.html

まず、三途の川の渡し賃というのは六文と古くから言われていて、江戸時代頃は一文40円~50円くらいと言われていますが、葬儀屋さんが一文100円と考えたんでしょうね。
また、本物のお金でないというのは、実は法律の問題で、今は貨幣に傷をつけると貨幣損傷等取締法違反となってしまいます。
これで一年以下の懲役又は20万円以下の罰金となりますから、この世では通用しないお金とごまかして、使っています。
ちなみにこの法律が施行される前は、実際にお金を入れていたそうです。

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Q世界史の質問です! 大乗仏教 小乗仏教 上座部仏教の違いと関係がよくわからないのですが教えてください

世界史の質問です!
大乗仏教 小乗仏教 上座部仏教の違いと関係がよくわからないのですが教えてくださいm(__)m

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差別用語なので、今では上座部仏教と呼ぶ
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Q三途の川は誰でも見るの?

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(生かされたことで人生を変えようと思った等)
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こんばんは。

大乗仏教の伝統的な考え方に従うならば、
三法印、または、四法印が説かれているものが仏教(の経典)
です。
〜〜〜〜〜〜〜〜
諸行無常印(梵: sarvasaṃskārā anityā)-「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」
諸法無我印(梵: sarvadharmā anātmānaḥ)-「すべてのものごと(法)は、自己ならざるものである」
涅槃寂静印(梵: śāntaṃ nirvāṇaṃ)-「ニルヴァーナは、安らぎである」
一切行苦印(苦印)-「すべての現象(形成されたもの)は、苦しみである」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%95%E5%8D%B0
〜〜〜〜〜〜〜〜

実在した歴史上の人物であるゴータマ・シッダールタは、法身について説いてはいません。
これは釈迦滅後数百年経過した部派仏教の時代に成立したもので、その意味で仏説ではありません。
ですから、いわゆる小乗のお経では法身は説かれていない。
もし、五分法身が説かれているものを仏教の教えとするならば、小乗仏教(の経典)は仏教ではないということになり、仏教そのものを否定することになってしまいます。

縁起はともかく、四聖諦・五分法身・三宝については、経典で必ずしも説かれているわけではないんですよ。

たとえば、有名な般若心経には、四聖諦・五分法身・三宝は出てきません。
苦集滅道は無いという形で四聖諦という形で出ているとしても、
五分法身・三宝は出てきません。
これをもって般若心経を仏教の教えではないと誰も言わないでしょう。

仏法僧の三宝という考えは、あきらかに、仏教教団という宗教組織ができて以降の考え方でしょうね。
仏教の僧は、世俗を離れ、しかも、農業などの生産活動にすら従事できず、もっぱら信者の寄進・寄付に頼らないと生きていいけない、仏教教団を維持できないので、どうしても、三宝ということを説かないといけないんですよ。

うがった見方をするとですよ。

まっ、そういうことで。

こんばんは。

大乗仏教の伝統的な考え方に従うならば、
三法印、または、四法印が説かれているものが仏教(の経典)
です。
〜〜〜〜〜〜〜〜
諸行無常印(梵: sarvasaṃskārā anityā)-「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」
諸法無我印(梵: sarvadharmā anātmānaḥ)-「すべてのものごと(法)は、自己ならざるものである」
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一切行苦印(苦印)-「すべての現象(形成されたもの)は、苦しみである」
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Q三途の川上、川下

三途の川の上流はどうなっているのでしょうか?
下流はどうなっているのでしょうか?

まさか、上流の桃農園で腐った桃を川に不法投棄し、ドンブラコと流れてきて、鬼が川べりにいる子供たちを桃に詰め、ドンブラこと流すなんて事はないですよね?

Aベストアンサー

 まず「三途」とは地獄・餓鬼・畜生の世界のことです。地獄は火で焼かれるから「火途(かず)」、餓鬼は刀で責められるから「刀途(とうず)」、畜生はお互い食い合うから「血途(けつず)」、総称して「火血刀(かけつとう)の三途」といいます。

 さて、「三途の川」という概念ですが、これは本来は仏教、というか古代インドの死生観に基づくものではありません。日本で仏教思想に基づく死生観に大きな影響を与えた恵心院源信の『往生要集』にも、その名は表れません。
 偽経(ぎきょう:仏教経典の体裁を借りた支那・日本などで編纂された経典。多くは道教・儒教などの思想に基づく内容)のひとつである『地蔵菩薩発心因縁十王経』に、三途の川の観念が登場します。
 
 もとより日本では古来より「川」は聖・俗、現世・他界を分ける境界と考えられています。橋を渡って聖地や非日常の空間に入るというのは、伊勢神宮の五十鈴川や高野山の奥之院など日本各地にみられます。川に身をつけることにより、穢れを清め神域・聖域に足を踏むというところの影響もあるのでしょう。
 いずれにしろ三途の川は仏教に基づくものではないですが、日本人の他界観と一致するものが多かったので民衆化した死生観でしょう。

 まず「三途」とは地獄・餓鬼・畜生の世界のことです。地獄は火で焼かれるから「火途(かず)」、餓鬼は刀で責められるから「刀途(とうず)」、畜生はお互い食い合うから「血途(けつず)」、総称して「火血刀(かけつとう)の三途」といいます。

 さて、「三途の川」という概念ですが、これは本来は仏教、というか古代インドの死生観に基づくものではありません。日本で仏教思想に基づく死生観に大きな影響を与えた恵心院源信の『往生要集』にも、その名は表れません。
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今週の木曜日、賞金クイズ番組を見ていたら、「三途の川の渡し賃はいくらか」という問題がありました。答えは6文(天界、人界、餓鬼道など6つの世界の担当者に1文ずつ払わなければいけないから)だったのですが、そんな言い伝えは聞いたことがなかったのですが、何が根拠なのでしょうか。

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こんにちは。

これは六文銭、あるいは六道銭とも呼ばれる習慣で、結構一般的です。#2の方も書かれているように、現在は(金属は火葬に適さないため)紙に印刷されたものを棺に入れていますね。名前からして、穴あきの寛永通宝が一般化した江戸時代以降に一般化した風習のようです。

もともとは、六道のお地蔵さんにひとつずつ渡せるよう死人に持たせたのでしょう。六道というのは天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六つの世界で、成仏しなかったものはこのうちのどれかの世界に生まれ変わるという考えから、どこに生まれてもいいようにそれぞれの世界を見守る地蔵さんにいわばお賽銭を持たせたわけです。(お墓へ行くと、よくお地蔵さんが六体ならんでいますよね)

地蔵信仰は平安時代の末ぐらいからありますが、六道銭の記録は近世のものしかありません。恐らく、このお金を「三途の川の渡し賃」と俗に言うようになったことがきっかけで、近世になって急激に広まったのでしょう。
本当に渡し賃ならば一文でも三文でもいいはずですからね。(枕団子を六つ作るなど、葬儀前後の民俗にはこの「6」という数字が沢山でてきます)

専門的には、紙銭を燃やす中国の風習が伝来したもの、という説を唱える人もいますが、かつての貴人の古墳に鏡を入れた伝統が金属である小銭を入れる風習となって残り、やがて仏教的に解釈されてこれが6つとなり、さらに「三途の川の渡し賃」といわれるようになって広まった、という説に説得力があります。

基本にある民俗的な習慣と表面に見える仏教的なものが混交しているわけで、特定の角度から見ただけでは割りと分かりにくいのが仏教の習俗の特徴ですね。

こんにちは。

これは六文銭、あるいは六道銭とも呼ばれる習慣で、結構一般的です。#2の方も書かれているように、現在は(金属は火葬に適さないため)紙に印刷されたものを棺に入れていますね。名前からして、穴あきの寛永通宝が一般化した江戸時代以降に一般化した風習のようです。

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