ロッキード事件についての主な概略を教えていただきたいのですが・・・。以前、友人に「どういう事件?」と聞かれて、何となく頭では分かっているのだけれど言語化して伝えるkとおができませんでした。
 できれば、分かりやすく教えていただけるとさいわいです。

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A 回答 (5件)

#3の方の指摘のとおり、法的には非常に危険な裁判でした。


被告人に反対尋問の機会を与えることのできない、検察側の嘱託証人尋問調書を証拠採用してしまった。その結果、一審、二審とも有罪となってしまった。

最高裁では証拠採用されず、結局被告人(角栄氏以外の被告人)は無罪となり、なんとか裁判所としての面目は保ちましたが。角栄氏は既に死亡していたので公訴棄却で終わりました。角栄氏も存命であれば無罪であったはずです。
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こんにちは。

私もロッキード事件を知っているようで知りませんでした。
それが最近すごくよくわかる記事に出会いました!!
「ダ・ヴィンチ」という雑誌の「爆笑問題の日本史原論」です。
今月号(スピッツの草野マサムネさんが表紙です)の176ページです。
語り口に好き嫌いはあるかと思いますが、かなりわかりやすかったです。
ご参考までに!!
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No.1の方が紹介したURLの資料は、なかなか有益です。


ロッキード事件には、戦後の日本の政治の問題がギュッ
と詰め込まれており、この事件の全容を知ることは、
戦後の日本の政治を理解する上で非常に大きなポイント
となります。

個人的な見解ですが、ロッキード事件を以下のように
理解しています。

・アメリカが田中角栄を、政治的に抹殺するために
 仕組んだ事件であること。
・第四権力としてのマスコミの存在。事実上の日本政界
 のドンと言える田中角栄を、権力の座から引きずり
 おろす世論をマスコミが形成した。
・それにも関わらず、田中角栄は豊富な人脈・金脈を
 駆使し、政界の黒幕でありつづけた。自民党金権政治
 の象徴とも言える。
・ロッキード事件の裁判は、中世の魔女狩りとも比す
 べき「暗黒裁判」であったこと。
 マスコミが世論を誘導し、その世論のすじ書きどうり
 に裁判が進行した。
 この事件ゆえに「日本国憲法は死んだ!」と主張する
 人もいる(参考URLの書籍『痛快!憲法学 』を参照)

以上のように、ロッキード事件は政治的に多くの側面を
抱えており、一言で説明するのは非常に困難です。
いろいろな資料を調べて、自分で研究してみてください。

※個人的には、自民党金権政治を確立した田中角栄には
 批判的な立場ですが、ロッキード事件については、
 裁判の公平性に非常に疑問を抱いています。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797670 …
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↓にたいへん分かりやすく説明されています。



参考URL:http://www.nhk.or.jp/kdns/_wakaran/97/0921.html
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検索した方が早いと思います。


↓とか。

参考URL:http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/rokiido …
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 『左近が八麿に「切損じなきよう見届けてやるのでお前からやれ」と言うと弟は「未だ切腹を見た事が無いので兄達の作法を見てそれに続きたい」と述べた為両脇に座る兄たちが作法を教えながら腹を切るとそれを交互に見た八麿は静かに両兄から教えられた範に従って従容として死に就いた』と 記されていると有ります

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他二つの事件との関連などもお教えください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

教科書読むのが一番と思います。
血盟団は日蓮宗の狂気の顕れです。
当時の世の中の矛盾は天皇親政によって解決できる。その天皇の英明を曇らせているのが君側の奸として井上準之助等が挙げられました。政権当事者は世の中の矛盾を解消しなかった、拡大させた張本人として、当然リストアップされました。
5.15と血盟団とは直結しています。
2.26は出発点は異なりますが、倒すべき当事者としては、血盟団と同じ名前がリストアップされたのはある意味当然でしょう。
いずれにせよ、暴力で対立相手を押さえ込む風潮を擁護し、軍部の暴走がますます加速しました。
これ位のことは教科書にある。
それ以上に何か知りたいなら、質問のレベルを具体的にどうぞ。

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Aベストアンサー

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明治維新
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自分は今、小説を書いているのですが、その話の中で『維新戦争』が絡んでくるのです。

なので、大まかなものでいいので、維新戦争について教えてもらえませんか?
と、ざっくりしすぎる質問ですので…

1、戦争中にあった大きな激突
2、その戦争の勝敗(ほぼ新政府の勝ちでしょうが)
3、戦闘状況(最初は幕府が押していたけど、新政府が一気に巻き返した。とか、新政府は幕府の海軍戦力に押された、とか。)

これをお願いしたいです。
あと、イギリスとフランスが政府と幕府にそれぞれ力を貸していたのは本当ですか?
両国が両軍に接触した場所なんかわかると嬉しいです。

と、面倒でわけのわからない事を聞いてごめんなさい。
よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

まず基本的なことですが、「維新戦争」とは言わないと思いますよ。
研究書などでは、鳥羽伏見~函館戦争(五稜郭)までを「戊辰戦争」といいます。

1、
鳥羽伏見の戦い…新政府軍は先に旧幕府軍が発砲したとしているが、旧幕府軍に参加した兵の日記には、逆に新政府軍が発砲したという記録がある。ここから日本を変えた戊辰戦争に突入する。
上野戦争…新政府が睦仁天皇(後の明治天皇)の軍で、これに対抗するものは賊軍であるとする正当性を主張するのに対し、東北を中心とした奥羽越列藩同盟は天皇の血を引く上野寛永寺の輪王寺宮を盟主としようとした経緯がある。
会津戦争(東北戦争)…戊辰戦争の中で最も多くの犠牲者を出した。会津藩が戦っている間に、同盟の中心で発起人でもあった仙台藩や米沢藩は降伏。最後の数日は、会津藩は自藩以外が既に降伏していることを知らず、いつか助けが来ると思っていた様子。仙台藩に関しては、他藩に出張して戦を行った記録が残っている。
函館戦争…おなじみ、土方歳三最期の地。No.1さんが詳細を書かれているので省略。
※新政府の当初の目的は徳川慶喜と松平容保の首でしたが、二人は生き残り、かわりに主要藩の家老席が処刑されていることは注目すべき。幕府の要と会津藩主の首はどうあっても渡せないのは周知の事実。その無理難題をふっかけたのは、それに反対する旧幕府側から戦争を仕掛けさせようとするひとつの策だったのではと考える研究者も多い。(実際にこのふたりを殺してしまうと、新政府が日本国を治める場合、土地の者の反発を大いに受け、中央集権国家の樹立が危ぶまれるため)
2、
細かく言えば、新政府軍が危ない場面もありましたが、大雑把にいえば新政府軍の圧勝ですね。
3、
新政府軍と旧幕府軍(+奥羽越列藩同盟軍)では持っている武器がまったく異なったので、最初から新政府軍の有利でした。また東北戦争では、戦況が悪くなると、町に火を放って北上したこともありましたから、領民にも大きな被害がありました。
ただ、注目すべきは戊辰戦争が始まった頃、江戸の民衆は奥羽越列藩同盟の勝ちではないかという予想を立てていたようです。というのも、この頃に江戸の町に出回った錦絵を解読すると分かります。
参考書⇒http://www.bk1.jp/product/02947158?t=T

他国がこの戦争にかかわっていたのは事実です。
一時、諸外国との貿易を禁止された長州藩は、薩摩藩の力を借りながら貿易を続け、武器を購入していました。
諸外国の目的は新しい貿易国の開拓です。戦争をすれば武器が売れるし、新政府と旧幕府の後ろにはそれぞれ別の国が味方が付いていました。
勝った方が後の日本を運営するのだから、自分がくっついてる軍が勝った方が貿易を有利に進められるということです。
どの国がどちらについていたか…というのはネットで調べられるレベルです。

そして最後に。余計なお世話かもしれませんが…。
どのような小説をお書きになろうと考えてらっしゃるかは分かりませんが
以前も歴史に関する小説を書こうとしてらした方にアドバイスしましたが
もし、きちんとした小説をお書きになるつもりなら少しお勉強されたほうがいいと思います。
大まかなところは中学校でも習うような内容ですしね、勉強になりますよ。
また、小説家さんはある分野に特化した内容の小説を書くときはアドバイザーをつけたり、ご自分で専門書を読むそうです。

長文になりましたが…良いものが書けるといいですね。

まず基本的なことですが、「維新戦争」とは言わないと思いますよ。
研究書などでは、鳥羽伏見~函館戦争(五稜郭)までを「戊辰戦争」といいます。

1、
鳥羽伏見の戦い…新政府軍は先に旧幕府軍が発砲したとしているが、旧幕府軍に参加した兵の日記には、逆に新政府軍が発砲したという記録がある。ここから日本を変えた戊辰戦争に突入する。
上野戦争…新政府が睦仁天皇(後の明治天皇)の軍で、これに対抗するものは賊軍であるとする正当性を主張するのに対し、東北を中心とした奥羽越列藩同盟は天皇の血を引く...続きを読む


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