専門家の方のみ投稿頂けるよう、お願い致します。

まず、僕は、作家を目指している者です。近代文学が好きで、特に、所謂、心境小説等と言われる部類が好きです。はっきり言って、現代の大衆文学一辺倒はあまり好きではありません。(間違っていましたら訂正ください)又、推理小説などもその類に入ると思いますが、如何でしょうか。それに、伴い、昨今の純文学の定義も、若しくは昔からなのかもしれませんがわかりません。
次いで登竜門となる、芥川賞についてですが、その不定義によって引き起こされる弊害等はないんでしょうか。そのようなことを踏まえ、題名通りですが、日本的私小説と云うものが、再度復興する事はあり得るでしょうか。

追記
文章に誤りがありましたので、再再度、訂正いたしました。

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A 回答 (2件)

現在、日本の文壇には、大きく分けて純文学とエンターテインメントが存在するのは事実です(大衆文学という言い方はすたれたと思います)。

賞も、前者は芥川賞、後者は直木賞というように、2つに分かれています。新人賞の募集も2つに分かれています。
しかし、この2つの区別はきわめてあいまいで、エンターテインメントの新人賞でデビューした作家が芥川賞を受賞したり、純文学でデビューした作家が直木賞を受賞したりしています。純文学として出版されているが、エンターテインメント小説として人気を博したり、エンターテインメントとして出版されたが、純文学のような奥深さがあると絶賛されたりする作品は多いです。
このほか、ライトノベルと呼ばれる若い人向けの小説や、性的刺激を目的とした官能小説があり、これらは上に述べたような一流のエンターテインメント小説よりは下位に見られます。が、こうした部類からも、乙一のように、上のレベルの作品として評価される作家も出ています。
このように、現在、日本の小説は多様になっており、明確な区分けはできません。なので、質問者様の問いは、あまりに画一化されていて、現実に合っていないように思います。作家をめざすのでしたら、もっと柔軟に、現代の小説を見回してみる必要があるでしょう。

小説の出版とは、事業であり、大金がかかります。ある程度の部数を買ってもらえなければ、赤字になるだけです。なので、出版社は読者が買ってくれるような作品を出版します。現在では売れないような作品は当然、出版されません。日本的私小説も、過去の名作をそのまま焼きなおしただけのものは売れません(過去の名作を読めば十分なので)。現在の読者に求められる私小説ならば、出版は可能でしょう。
売れなくても出版する価値がある、将来、必ず認められる、と思うのでしたら、自費出版をおすすめします。

この回答への補足

因みに、僕のような人間にも読める、現代の作家作品で云うと、誰のが、お薦めでしょうか。予定では、宮本輝や中村文則を読もうと思っています。

補足日時:2008/03/09 15:03
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この回答へのお礼

そうですか。貴重なご意見ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/09 11:41

Q.ochiudoさんの「日本的私小説」とはどのような


作家、作品を指しているのでしょうか?
正宗白鳥、島崎藤村、田山花袋にはじまり宇野浩二につながる
自然主義文学の系譜が一般には「日本的私小説」と言われます。
それとも上林暁や小山清などを想定されているのでしょうか?
また、ochiudoさんの言われる「大衆文学」、「純文学」の
定義を具体的にお書きください。
現在の芥川賞選考委員はご存知ですか。
また、その作品をすべて読まれましたか?
そのうえで歴代の選考委員との差異を端的にお書きください。
先ず、ご自身が考えておられることを述べたうえで、
意見を求めるのが本道ではないでしょうか?

私見ですが、最近の芥川賞受賞作を読むかぎり、
私小説の表現手法は連綿と現代の作家に
受け継がれていると思います。

この回答への補足

回答有難うございます。まず、初めに上林暁や小山清、等と言われる作家がいたとは、初耳です。それと、僕が想う日本的私小説とは、一般に言われている自然主義の系譜で間違いありません。
あと、大衆文学の定義についてですが、辞書にもあります通り、世間受けがしやすい、安易な文学だと認識しています。又、芸術に重きを置かない等の点も挙げられると思います。
純文学については、これも又、昔辞書で読んだ程度ですが、純粋に芸術のみを追求する事と認識しています。それから、芥川賞歴代選考委員については、本文通りですが、存じ上げません。しかし、過去のものならある程度は、わかります。

補足日時:2008/03/08 16:40
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Q文学は何の為に存在するのか? 文学の存在意義・定義・役割

タイトルの通りです。

文学は何の為に存在するのでしょうか? 社会における文学の存在意義・定義・役割とは何でしょうか? 
無知で大変恐縮ではありますが、他に言い様が無いのであえてストレートに質問させて頂きます。

これにまつわる回答をお持ちの方、意見、ご事情などをご存知の方がいらっしゃいましたら、小さい事でも構いませんので教えて下さい。
同意、反論、ご指摘など何でも結構です。
あるいは私が後述で雑感を記載しておりますので、これに対するご意見があればお願い致します。

尚、私自身は極力本を読むようにしていますが、ここにいらっしゃる皆様方と比べて、読書量は全く少ないであろう事だけ先に申し上げておきます。

佐藤優は亀山郁夫との対談で「文学はインテリと話す為の方便」とバッサリ切っており、私も文学と呼ばれるものに対して、実用にはこの編(会話の種)くらいしか使えないのではないかと思うのです。つまりは実用には耐えないが、芸術的な部分で残っているのかな、と推測しているのですが、そうした場合、大学における文学部の位置が芸術的な位置に行くのかと思いきや、現在はパッと見、実学的な位置に置かれているように思えてなりません。
文学は一見何の役にも立たないように見えるけれども、実はこうした部分でかなり役に立っているんだよ、という部分があるのではないかと現在想像しているのですが、皆目どの部分で現実の社会に対して役に立っているのか分からないので質問させて頂きました。

以下、私が思う雑感です。

1.
「怒りの葡萄」は資本主義における社会的欠陥を問題提起しており、社会に対して注意喚起をするという媒体として役に立っておりますが、これは別に当時のニュースや歴史書でも良い。あるいはその事件を発端とした批判や感想などでも良く、最終的に伝えたいメッセージを搾り出す前に「怒りの葡萄」は不要な描写が多すぎるのです(情景の描写など)。

2.
国語力をつけるというのであれば新書などを読めば事足りるのではないかと思うのです。
無論、基本的な部分で国語力をつける為に必要最低限の本は読むべきなのでしょうが、それが今現在、文学を残す為の理由とするには弱いように思えます。

3.
文学から日本国体の体現の為の下地を作るという実用もあるかと思いますが、
枕草子なんかを読んで「ああ、そうそう」と共感を得たり、
芭蕉の俳句で”閑さや岩にしみ入る蝉の声”を読めば「こんなんあるわー」と思ったり、
そうした感覚というのは文学ありきではなく、日本人として自然に身に付く感覚なのだと思うのですね。
むしろ、日本人の教養としては、古典や名文の前に「学問のススメ」などの社会生活を送る際の気構え入門書のような実学的なものを読むべきだと思うのです。

また、上述で挙げた名文を読む際に感動はあるのですが、それでは近年の文学で良作とされるノーベル文学賞を受賞した川端康成の「伊豆の踊り子」を読んだ時に感動はあるかというと、私見ではありますが感動を受ける事ができませんでした(川端ファンの皆様、申し訳ございません)。

霊長類たる人類が作り得る文化遺産を残す為、あるいは何か人に思想やら感覚やらのテーマを与え、文化的な感動を与えたり、冷酷な事実を突きつける事が文学の役割かなと思っておりましたので、個人的な評価ではありますが、普遍的テーマとしての感動が無い作品郡を書いている方が賞で評価される、といった面を鑑みると、川端康成が世間的に評価されている手前、文学というものの意義というのは私が考えている文学の存在意義と乖離しているのではないのかな、と疑問に思ったのが発端でした。

4.
文章を後世の人の魂が震える綺麗な形で残すのも文学の役割なのかな、とも思っています。
「知もて露西亜は解し得ず。ひたぶるに信ずるのみ。」
「知識を持ってロシアという国は理解する事はできない。ひたすらに信じるしかない。」
という二つの文はどちらも最終的な意味として同じものですが、どちらかというと前者が人に感銘を与える、文学的である、そして上の文を残すべきだと私は思っているのですが、これは当たっているでしょうか? 

伊豆の踊り子、斜陽、シェイクスピア4大作品、カラマーゾフの兄弟(現在は上巻のみ読了)などを読み、時間を浪費した、という感じが拭えません。
この文学というジャンルはこれからも読む意義や意味があるのだろうかと、時間を割いて読む必要があるのかという疑問が沸いております。
そこで、文学の存在意義、意味を知れば、そうした観点から文学の実用的意義が見出せるのではないかな、と感じました。

乱文になってしまった部分もあるかと思いますが、どなたか思う所がある方がいらっしゃいましたら、ご教授頂きたく宜しくお願い致します。

タイトルの通りです。

文学は何の為に存在するのでしょうか? 社会における文学の存在意義・定義・役割とは何でしょうか? 
無知で大変恐縮ではありますが、他に言い様が無いのであえてストレートに質問させて頂きます。

これにまつわる回答をお持ちの方、意見、ご事情などをご存知の方がいらっしゃいましたら、小さい事でも構いませんので教えて下さい。
同意、反論、ご指摘など何でも結構です。
あるいは私が後述で雑感を記載しておりますので、これに対するご意見があればお願い致します。

尚、...続きを読む

Aベストアンサー

1.

フーバービルまで辿り着けなかった私が言うのもなんですが。
情景描写対象に何を選ぶかに関しては、作家のこだわりというものがあります。

これは私見なのですが、作家が何かをしつこいぐらい描写するとき、その描写対象を深く愛している場合が多い。きっと「俺の中のこれを文章で再現したいんだよ!」と必死で頑張っているので、温かく読み飛ばしてあげてください。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』なんか、なぜか無駄に猫描写がありますし。もちろん、単に小道具みたいな感じで、より物語を現実らしく見せるためだけに書かれる描写もありますが。

言いたいことを物語に仮託する作家の中には、自分のことを直接言うのが気恥ずかしいと思っている方々がいます。照れ屋さんなんです。そういう方々は、物語の中の「私」とか「彼」に自分の意見を言わせるんですよ。物語だと「神を信じる」「神を信じない」というような矛盾した考えが同じ人間に生じたときにも、別々のキャラクターに言わせることができます。そうすれば無神論者だとかつっこまれても言い訳が可能です。
言論弾圧されている場合もしかりです。太宰とかあれな作風なのでナルシストとかいろいろ言われますが、戦時中に戦争礼讃の文学なんて一行も書きませんでした。

何を言いたいか、ということよりも、物語を通して、読者にある世界を追体験させたいと思っている作家達がいます。
ミヒャエル・エンデは読者にこう問いかけます。

「小説でカフカが言わんとすることが、評論家がその小説を解釈して述べることであるとすれば、なぜカフカはそれをはじめから書かなかったのでしょうか?」

安部公房はインタビューでこう答えます。

「日本の国語教育というのは、文章があれば必ず「右の文章の大意を述べよ」とくる。文学作品というのは、大意が述べられるという前提、思いこみ。ぼくの作品も教科書に載っているんですが、「大意を述べよ」といわれたら、ぼくだって答えられない。 ひと言で大意が述べられるなら、小説書かないですよ。 小説というのは、まだ意味に到達していないある種の原型を、作者が提供し、読者はそれを体験する。際限なく読み尽くせるでしょう。無限の情報ですよ、現実は」

二人ともカフカに強い影響を受けているのは、興味深いですね。

2.

まあ、役に立たないと言えば、立たない。単なる趣味です。でも古典を読むようになって、ときどき身につまされることがあります。それは、今私達が何気なく日常的に使っている言葉でも、昔の作家が発明したり、頑張って翻訳した言葉だったりする、ということ。
例えば、「猟奇」は「curious hunting」を、佐藤春夫が訳したものです。

3.4.

実学のほうが、確かに万人に受けいれられる「価値あるもの」かもしれません。でも、どうでもいいようなものに慰められることってありません? 道端に咲いている雑草とか、つまらない冗談とか。
文学って、そんなどうでもいいものに似ていて、誰にでも届くものじゃないと思っています。メッセージボトルなんですよ。同じように思っている人間には届くけど、届かない人間もいる、みたいな感じ。要するに合わない人にはとことん合わない。川端がだめな人もいるし、太宰がだめな人もいる。

私が大好きな作家に開高健という方がいて、なぜ書くかと聞かれたときに、「助けてくれのひとこと」だと言っています。また、どんなに絶望的なことを書いていても、字でものを書いている限り、作家はヒューマニストなんだ、とも。
信じられないかもしれないけど、世の中に絶望しきっていて、書かないと死ぬってタイプの人間は確実に存在します。
愛する妻の死後に広島で被爆した原民喜、アウシュヴィッツから生還したプリーモ・レヴィ……
二人とも最期は自殺してしまったけれど、本当に物語を書いていてくれて良かった、と私は思います。

こんな風に必死に文章を書くことで、精神的危機を乗り越えている作家が特に多いのは、文学、今では純文学と呼ばれている分野なんですね。なぜって、絶望的なことだけを書いてもエンターテインメントにはなりにくいから。だからサブカルチャーを楽しむことが多い私は、純文学の偉そうな雰囲気を腹立たしく思いつつも、存続してほしいと思っています。

思うところを書いていたら、長文・乱文になってしまいました。読みにくかったらすみません。

1.

フーバービルまで辿り着けなかった私が言うのもなんですが。
情景描写対象に何を選ぶかに関しては、作家のこだわりというものがあります。

これは私見なのですが、作家が何かをしつこいぐらい描写するとき、その描写対象を深く愛している場合が多い。きっと「俺の中のこれを文章で再現したいんだよ!」と必死で頑張っているので、温かく読み飛ばしてあげてください。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』なんか、なぜか無駄に猫描写がありますし。もちろん、単に小道具みたいな感じで、より物語を現...続きを読む

Q心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。 イギリス文学 心理学 イギリス文学を用いて心理学

心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。

イギリス文学 心理学

イギリス文学を用いて心理学の論文を書こうと思っています。
特にサスペンスやミステリーが好きなので、犯罪心理学の路線で行こうかなと考えていますが、未定です。
集団心理、思い込み(幻想、幻聴など)、多重人格でも何でも、何か心理学的なヒントが見つかりそうなイギリス文学作品があれば教えて頂きたいです。時代は問いません。
和訳されていない作品でも大丈夫です。英語で論文を書くので、むしろそっちがやりやすいかもしれないです。

どんどん挙げてくれたら嬉しいです!
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

シャーロック・ホームズはコカイン中毒だったとのことですから、病理心理学はダメですか?
ルイス・キャロルは幼児性愛者だったそうですが、これも病理心理学として使える?

Q文学や小説を楽しむ

ビジネス書、歴史本、雑誌、専門書など
の書籍はよく読みます。
読もうという気持ちになります。

何かを知りたい、知的好奇心
今まで知らなかった世の中の仕組みや
物事の仕組みや成り立ちなど知るのが
楽しく思えます。

文学作品、小説だと知識を得るための
読書でないので読もうという気持ちが
わいてきません。
文学作品でもストーリーを楽しむことなく
そそくさとあらすじを理解しさえすれば
終わりという感じになって味気ないです。

文学や小説、推理小説などを楽しめるように
なるにはどうしたらよいでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

皆さんおっしゃっていますが、好みの問題があります。

私は小説は好きですが、推理小説は読みません。
まあ、たまには読むことはありますが・・・。

でも、もっと楽しめるようになりたい、とは思いません。
「私はサスペンスやホラーは苦手」それだけです。
すべての人が同じように本を楽しむわけではありませんから。

なので推理小説の楽しみ方は分からないのですが(笑)、文学や小説は、知識を得るためでなくて、感情移入とか共感とか、空想を楽しむとか、人間と言うものや自分自身について考察するとか、そんな感じじゃないでしょうかね。

“文学”と言えば、ドストエフスキー先生の小説なんかは、人間の弱さ、醜さみたいのも出てくるわけですよ。
高潔さもあるんですが。

恋愛小説なら、憧れとか共感とかなのかしら??
でも「恋愛小説」の中でも、好き嫌いがあります。
私はたまに読むけど、恋愛を扱った作品の中には、嫌いなのもある。
好みに合わないのです。

人間は知識だけでなくて、心があります。
愛とか憎しみとか、幸福、落胆、孤独、深い闇etc.etc。
人間の心は理屈では割り切れないから、文学作品を読んで何か実用的に身について役立ったり、理詰めですっきりとかは無いですね・・・・。
エンタテイメントだとそんなに考えないかもしれないけど(好きですけどね。それに、けっこう哲学的なのもあるし)、ブンガクというと、自分の心や経験と照らし合わせて読むような感じでしょう。

>今まで知らなかった世の中の仕組みや
>物事の仕組みや成り立ちなど知るのが
>楽しく思えます。

文学や小説の場合は、
今まで気づかなかった世の中の仕組みや自分の内面、
自分の習慣とは違った視点、などは知ることができるかもしれません。
物語の舞台によっては、異文化や自分が知らない場所・世界を知ることもできます。

多かれ少なかれ皆がぼんやりと持っている気持ちを、作家が文字で書き表して明瞭にしたもの、とも言えると思います。

エッセイなんかはどうでしょうか。
実用書と文学の中間ぐらいな気がしますが。
小説家もエッセイをけっこう書いてます。

皆さんおっしゃっていますが、好みの問題があります。

私は小説は好きですが、推理小説は読みません。
まあ、たまには読むことはありますが・・・。

でも、もっと楽しめるようになりたい、とは思いません。
「私はサスペンスやホラーは苦手」それだけです。
すべての人が同じように本を楽しむわけではありませんから。

なので推理小説の楽しみ方は分からないのですが(笑)、文学や小説は、知識を得るためでなくて、感情移入とか共感とか、空想を楽しむとか、人間と言うものや自分自身について考察す...続きを読む

Q純文学の定義って何ですか?

小説を大衆小説とか純文学とかってカテゴライズしますよね。
大衆小説=エンターテイメントと捕らえると、小説の娯楽としての性質上すっきり理解できるのですが、純文学というのが何なのか良くわかりません。
江戸時代の娯楽としての歌舞伎が現代では古典芸能になったように、明治時代の大衆小説としての文芸が現代の純文学になった。
つまり、明治大正昭和的雰囲気の小説のことを指すと考えていいのかなとも思ったのですが、なにか分類の定義か指針があれば、教えてください。

Aベストアンサー

大衆文学ってのは近代の枠の中でやってるもの。
純文学ってのは常に形式を壊していくもの。

とすれば一応の定義はできるかも。
この場合の近代というのは脱構築と対応する意味での近代ということで。

でも純文学の定義って難しいんじゃないすかね。
第一に純文学って誰にでも書けるものというわけじゃないから、そうした客観的なものさしをつくれないし。

あ、あと念のため言っておくと、芥川賞は純文学を担保するものじゃないですよ。
芥川賞がそういうベクトルに機能したのは戦後のごく一時期だけです。
だって最近の、石原が審査員をやるような芥川賞なんて
獲りたいやついるか?って感じだろうし。
ほとんど意義を失ってるみたいです。

QKKK(クー・クラックス・クラン)関連の小説や文学作品について

今回大学で、19世紀-20世紀初頭のKKK(クー・クラックス・クラン)に
ついてのレポートを書くことになったのですが、
南北戦争前後~ジム・クロウ制度~ハーレム・ルネサンス期が舞台の
KKKが登場する文学作品や小説、映画はありますか?
また、KKKの歴史を纏めた書物や文献等
レポートの参考にできそうな露骨な行為や行動が描写されている物で
20世紀中期以前(初期KKK)の活動等が知りたいです。

内容は、白人至上物や、奴隷制批判物など問いませんので
ご存知の方いらっしゃいましたらどうか教えてください。

Aベストアンサー

 音楽ですが、ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」という曲をお勧めします。http://www.wpcp.org/millerj/music.htmの'Strange Fruit'というところで聴けますが、「奇妙な果実」とは、リンチにあって木からつるされたアフリカ系アメリカ人のことをさします。ビリー・ホリデイは同じ『奇妙な果実』というタイトルの自伝で南部のすさまじい人種差別を語っています。

 映画では『フライド・グリーン・トマト』をおすすめします。

 少し時代的にずれますが、映画『ミシシッピー・バーニング』、小説『評決のとき』(映画版もあり)『処刑室』(映画版『チェンバー』)などもKKKを扱っています。


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