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僕は35歳5歳と3歳の息子を持つ親父ですが父が亡くなり早いもので来年は7回忌です。ふと僕が自分の息子の時代に大阪旭区からかかる18問鉄橋、(城東貨物線)の淀川付近でお正月に凧揚げをして大空高く舞いあがりました!糸が全然たらなくては母が近くのお店に行っては何度も往復し当時黄色い筒状の1本の糸が100メートル位あったのか?定かではないが、’7、8本買って繋ぎ合わせてあげました。それはそれは伊丹空港へ向かう機構機をもびっくりさせたことでしょう!沢山の見物人でごったがえしましたよ。最後辞める時は淡路の駅の方へ墜落してしまいましたが・・・皆さんもそんな忘れられない親との信じられない変わったいい聞かせてください。

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A 回答 (2件)

特別変わったものでは無いですが良いですか?


といいつつ書くんですけれど(笑)。

今日、また一本寝台車が廃線になりましたね。
寂しいものです。。。

私は幼い頃、父の実家に行く時にはこの寝台車に乗りました。
今では飛行機の方が安く、小一時間で着きますが、私はずっと寝台車です。

あの何とも言えないワクワク感が堪らないんですよね。
発車の「ゴトンッ・・・」という振動、横になっていると頭の下で揺れる列車。

客が少ない時には当時3段でしたから、猿の様に登ったり下りたりして。。。

半ズボンで座っているベッドの縁のスチール製の枠の冷たさとか、アナウンスのメロディとか、揺れるトイレで壁を支えに用を足した事とか、折り畳みの紙コップに水を汲んで飲んだ事とか・・・、忘れられないですね。

子供の頃の幸せの記憶です。

夜中に停車時間の長い駅で父がうどんを買って来てくれて、「早くしないと発車しちゃう!」と焦っていたり、そのプラスチックの容器の手触りとか、いつもより美味しいうどんとか。。。

父は今ではi-podなんか聴きながら飛行機でぴょーんと行ってしまいますけど、i-podも持っていない私は未だに寝台車で一日掛けて行っています。

タンタンタンターンタンタンタ~ン♪
タンタン、タンタン、タ~~ン♪
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18歳の頃の話です。


かれこれ30年前になります。父は海外の航路の商船の船員でした。
職業柄、神戸に入港することが多く、休暇に二人で神戸に行きました。
当時、流行のキャメル色のブーツを買ってくれると言うので。

しかしロングのブーツは、5万以上でとても買える価格でなく、諦めその当時、流行のこげ茶に近い色のストッキングを買い帰りました。

今のように、1万を切る価格で買える、中国製品も無く当時はそれでもそんな事も思いも付かなかったことが、今は普通であること。
時代を感じます。

船員をしていたので、当時輸入していないフロリダ産のサンキストオレンジやキスチョコを山ほど食べていた事など、父のお土産は、わにの剥製や文房具など多岐に渡り、多感な年齢の時に色々な世界のものに接し驚いた事を懐かしく思い出します。

凧揚げは1歳違いの兄も1歳下の弟も、母がレース編みの仕事をしていたので、強く長い糸でいつも、小学校では他者に負けることなく一番高く揚げていました。表彰はいつも兄か弟でした。
あなたと同じように自慢に感じたものです。

懐かしい想い出です。
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