痔になりやすい生活習慣とは?

硫黄島では日本軍が無数のトンネルを掘ってアメリカ軍とたたかって

日本軍以上の死傷者を出したことで有名になりましたが、その戦法は

ベトナム戦争などの弱小国の戦法にいかされていたって本当でしょう

か?この戦法は日本軍が考案したものなんでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (8件)

> 硫黄島では日本軍が無数のトンネルを掘ってアメリカ軍とたたかって日本軍以上の死傷者を出したことで有名になりました



 硫黄島の戦いが、戦史上注目されるのは、制海空権を完全に失った側が、相手に自軍以上の損害を与えた、という点にあります。

 その観点から言うと、回答者No.1の方が指摘されるのは完全な誤りであって、アメリカ軍の場合は、制海空権をえたうえで負傷者を救護することが可能だったために死亡までに至らなかったのであって、日本軍の場合はそれが出来なかったゆえに死亡した、というのが事実です。したがってそもそも戦死者数だけを比較するのは意味がありません。

>その戦法はベトナム戦争などの弱小国の戦法にいかされていたって本当でしょうか?

 ヴェトナム人が、硫黄島の日本軍の戦訓を知っていた、という証拠がない以上、直接的な関係はない、といえます。

>この戦法は日本軍が考案したものなんでしょうか?

 硫黄島の日本軍の戦法は「籠城戦」の象徴のように捉えられています。古今東西の戦史をみるかぎり、いわゆる「籠城戦」という戦法はそう珍しい物ではありません。興味がおありならば、いちど本格的に調べられてはいかがでしょう?

 しかし、栗林中将の考えた戦法の最大の特徴は、古典的な「籠城戦」といよりも「トラップ」(罠)に近い発想であって、陣地を完全に隠匿し、上陸軍が島の内陸部に侵入した時点で、一挙に殲滅するというものでした。ところが、アメリカの上陸舟艇群をみた擂鉢山の日本軍砲兵部隊が我慢できずに砲撃したために所在を明かしてしまい、本来の計画が崩壊してしまったのでした。

 それから、日本軍とヴェトナム戦争の大きな違いは、日本軍は正規軍であったのにたいして、ヴェトナムのばあいは「民族解放戦線」(ベトコン)と称する民間人によるゲリラ戦術であった点です。ベトコンは農村に浸透して様々な隠れトンネルを作り、武器を隠匿したり、直接戦闘に利用しました。そのため、アメリカ軍および南ヴェトナム軍は、疑わしい村を焼き払い、容疑者をかたっぱし射殺することで応じるしか対処できませんでした。そのために無実の農民が犠牲者となったのでした。ゲリラ戦術が国際的に禁止されているのはこういう無関係の犠牲が多く生まれることによっています。少なくとも硫黄島の戦闘において、日本軍は正規の軍隊として戦っており、ヴェトナムそのほかのゲリラ戦術とは明らかに異なっている、ということを述べておきます。

この回答への補足

小さな島といいますが、東京の東久留米市と清瀬市をあわせた面積があってけっこう広いと思いました。

平坦で水もなく食料もなく硫黄の匂いと暑さであの過酷な状況でたたかった日本兵に合掌です。

今でも公開されないのはアメリカ軍がガソリンを注入して焼き殺し穴を埋めたという悲惨な状況を見せたくないからなのでしょうか?

補足日時:2008/03/11 16:42
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございました。

ベトコンの戦い方と日本軍の戦い方を同じにしてはいけませんね。すみませんでした。

もっと栗林中将の指示した戦術がいきわたっていればもっと有効だったのにと感じました。

あの頃の日本軍は言葉は悪いですけどけっこういい加減なところが多く
よくあれで戦争したなって思います。精神論が先にたち論理的に戦えなかった感があり見切り発車的で継ぎ足し継ぎ足しの戦術で戦って日本兵がかわいそうです。

失礼な発言があったかもしれませんがすみません。でも今の日本があるのは勇敢に戦った日本兵のおかげだと思っています。

日本兵に合掌です。

お礼日時:2008/03/11 16:32

#2です。


トンネルを利用した戦術は、古くからあります。
中国の三国時代の公孫さんと袁紹との戦いの時、袁紹が公孫さんの守る城を攻略する為に城外よりトンネルを掘って攻めて陥落させています。
日本では、戦国時代に武田信玄が金掘り衆を使ってトンネルを掘らせて井戸枯らしの戦法で城を攻略しています。
トンネルを使った防御陣地としては、第二次大戦の初期のフランスのマジノ線が有名です。
ですが1940年ドイツ軍は、マジノ線に目もくれずルクセンブルクのアルデンヌの森を超えてフランスを攻略しました。
これを見てもトンネルを利用した戦法は、古代からある事となります。
ご参考まで
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

そう考えると地球を味方にしたトンネル作戦はどんな武器でも原爆でも
かなわない最強の戦術ですね。

お礼日時:2008/03/11 21:51

 連続になりますがNo.5です。



>ベトナムとインドネシアは日本人に対して好感をもってる
 あくまで現時点であればですが、以下は引用です。(読売新聞社が、韓国日報社、ギャラップ・グループと共同で、「アジア7か国世論調査」を実施した結果です。)

>日本との関係が「良い」は、インドネシアとタイでは「非常に」と「どちらかといえば」を合わせてそれぞれ96%に達し、ベトナムで計92%、マレーシアでは計91%に上った。この4か国では、同じ質問をした95年調査でも「良い」が9割超だった。初めてこの質問をしたインドでも「良い」は計89%に上った。

>「日本を信頼できる」は「大いに」と「多少は」を合わせてタイが92%で最多。東南アジアで最も低いベトナムでも計75%だった。

>「日本は世界に良い影響を与えているか」では、「与えている」がインドネシアで計91%に上った。東南アジア、インドではいずれも8割を超えた。

 ただ、ベトナムもインドネシアも共産主義に近づいた時には、日本に対して極めて批判的な発言をしております。

 また、先ほどは独立戦争でないので記述しませんでしたが、中国の国共内戦時の共産党側にも、日本兵は参加しています。彼らの大部分は旧国民党軍や旧満州国軍と共に朝鮮戦争時の人海戦術で…。
 韓国も朝鮮戦争開始時点の同国の軍には、旧軍関係者が多くいましたが…。

 一国家の世論は、一つの事例のみで決まるものではないのでしょうね…。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

私は、日本人は好感はもてるが日本は好感はもたれてないという

イメージがあります。

ちょっと質問の主題からそれましたがいい勉強になりました。

お礼日時:2008/03/11 20:22

No.5です。



>ベトコンに元日本兵がいたということでしょうか?日本人の日本兵でしょうか?ベトナム人の日本兵でしょうか?

 日本人の日本兵です。(当時のベトナムには、766人の日本兵がとどまっており、1954年のジュネーヴ協定成立までに47人が戦病死しております。)
 
 なかには、陸軍士官学校を創設して、約200人のベトミン士官を養成した方もいらっしゃいます。

 同様の事例はインドネシアの独立戦争でも有りました。(「ムルデカ」という映画が作られました。)

 ただ、硫黄島の戦法に関しては古くからある戦法を、実戦経験を元に洗練した物である事は事実だと思います。(より極められた沖縄戦は「歩兵戦術の極み(反対斜面陣地戦法と野戦重砲兵の長距離援護砲撃)」と呼ばれているそうです)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

ということはベトナムとインドネシアは日本人に対して好感をもってる
んでしょうか?

お礼日時:2008/03/11 18:36

 直接ベトナムが硫黄島の戦闘を参考にしたかは分りませんが、元日本兵が結構な数参加していますので、間接的には戦闘の経過は伝わっているかもしれません。


(沖縄戦は、硫黄島の戦闘を元に作戦を練っていますから、日本兵であれば硫黄島で用いた戦法を知っていてもおかしくありません。)

 インドシナ戦争(フランスからの独立戦争)の時には、フランスの外人部隊にはナチスドイツの親衛隊出身の者も多く参加していたそうですから、図らずも旧枢軸国出身の者同士が出身国以外の為に戦うと言う、歴史の皮肉が…。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

ベトコンに元日本兵がいたということでしょうか?日本人の日本兵でしょうか?ベトナム人の日本兵でしょうか?

いずれにしてもいろんな意味で日本軍の戦い方を参考にしていたんでしょうね。

日本兵に合掌です。

お礼日時:2008/03/11 16:37

陣地戦自体は、どこの発明ということはなく、陸上戦では通常の戦術。


古代ローマ軍が強かったのは、優れた土木作業員であったためでもあります。

硫黄島が喧伝されるのは、太平洋戦線における主導の変化です。
太平洋戦線では主導が海軍であり、陸軍は補助戦力であったので、それまでの島嶼防衛では陣地をあまり作らなかった。硫黄島からは陸軍が主導するようになったので、陸軍らしい防衛手段を執ったと言うことになります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

日本軍は海軍と陸軍がひとつの組織ではなかったことを最近になって

わかりました。あれでは鉄も兵器も燃料も圧倒的に負けてる状況でプライドだけで戦った上層部に怒りを感じます。

日本兵に合掌です。

お礼日時:2008/03/11 16:17

ベトナム軍は、無数の連絡トンネルや塹壕を掘って米軍と戦いました。


特にダナンの攻防が有名です。
>この戦法は日本軍が考案したものなんでしょうか?
基本は、第一次世界大戦の西部戦線の塹壕戦術が元になっています。
ご参考まで
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

イギリス軍がトンネルを掘って大量の爆弾をしこんで地上にいるドイツ軍を全滅させたことを聞いたことがあります。

やっぱりトンネルの発想はむかしからあったんですね。

お礼日時:2008/03/11 16:12

 Wikiを読む限りでは、これ以上の負け方はないと言うほどの悲惨な負け方です。

(日本側戦死者20129名守備軍全体の96%が戦死、米軍側戦死6821名・戦傷2万1865名の計2万8686名)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84% …

 ベトナムのゲリラ戦は日本軍を手本にしたと言うより、毛沢東の「遊撃戦論」の方が影響が大きいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

私はあの制空権と制海権がないなかあれほどの戦いをした日本軍が

あってアメリカは日本国土の地上戦を嫌ったのではないかと思ってます。

あと当時のことを考えればアメリカの受けた被害状況はショックだった

のではないかと思います。

お礼日時:2008/03/11 16:09

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q大東亜戦争(太平洋戦争)での日本兵の戦い方について

大東亜戦争(太平洋戦争)での日本兵の戦い方について
戦争映画が好きで、よく第二次世界大戦のものを見ます。
最近wowwowでThe pacific(太平洋戦線)やband of brothers(ヨーロッパ戦線)等、第二次世界大戦のドラマや映画が放送されています。
それで、日本兵の描写について少し気になるのですが・・・
日本兵が大声を上げ、九九式短小銃を構えて私を撃ってくださいといわんばかりに敵めがけて突進していくのですが、アメリカ兵に射撃されてしまいます。
うまく説明できないのですが、戦時中本当に日本兵はこのような戦い方をしていたのでしょうか?
万歳突撃等が有名ですが、あまりにも自殺行為な気がしてなりません。
アメリカ海兵隊のような感じではないですよね
銃撃シーンもありましたが、部隊が全滅後にに上記のような感じです(万歳突撃でしょうか)
お国を守ってくれた英霊についてよく知りたいと思い質問しました。
わかりにくい質問かと思いますが、当時の日本兵の戦い方、戦術、環境などを教えていただければ、と思っています。
そこら辺詳しくお願いします!

Aベストアンサー

現代人の目から見ると狂気の沙汰としか思えないバンザイ突撃ですが、当時の日本軍が置かれた状況から考える必要があります。当時の日本軍は、中国で国民党軍と共産党軍と戦争していたわけですが、これらの相手というのが「突撃すればなんとかなった」相手だったのです。
機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退してくれたのです。だから、知らず知らずのうちに日本軍の中で「突撃すりゃなんとかなる」というノウハウが積み上がってしまったのです。

それが甘い考えだったと思い知ることになったのがノモンハン事変を始めとするソ連軍との国境紛争でした。一般的に、ノモンハンの敗戦は「現場部隊がフヌケだった」ということで総括されてしまったといわれていますが、実は日本軍とてバカじゃないのでちゃんとそれはそれで調査はしました。しかし、その結論というのが絶望的なものだったのです。
どういうことかというと、ソ連軍は日本軍より大砲の性能が優れていて、弾薬量も格段に多かったのです。しかし、これはどうしようもない問題でした。なぜかというと、製鉄技術がソ連に比べて劣る日本では、ソ連軍に対抗しうる性能の大砲はどう頑張っても作れませんでした。さらに、弾薬についても当時の日本ではそんなに湯水の如く使えるほどの大量生産をすることはできなかったのです。なにしろ当時の弾薬の生産といったら関西の町工場でちまちま作っていたのです。ご存知のように、大量生産するためには大規模工場が必要で、それによってコスト圧縮効果が発生するわけです。ソ連やアメリカのような重工業の大規模工場なんてものが当時の日本では作れなかったのです。
だから、それを認めると「もう国として日本はソ連に対抗できない」という絶望的な結論に至ってしまうので、「現場が悪い」と責任を押し付けてしまったのです。

緒戦の勝利による驕りもあり、日本軍は米軍に対しても自信満々で突撃戦術をかましましたが、諸兵連合効果の戦術を得意とする米軍によって叩きのめされてしまいます。どうも米軍相手に突撃じゃ歯が立たないと分かって、The Pacificで再評価されることになったペリュリュー島戦から持久戦術に切り替えることとなります。The Pacificでも原作として使われているユージン・スレッジ氏の回顧録を読むと、ベテランの海兵隊員がペリュリューで「日本軍がバンザイ突撃をしてこない」と戸惑っている姿が描かれています。

この持久戦術は大変に効果的で、ペリュリューのノウハウを積極的に取り入れた硫黄島戦で米軍が大変な犠牲を強いられたことはご存知のとおりです。
しかし、日本人つーのは大変にストレスに弱い民族でございまして、この「押されてもじーと我慢して粘り強く戦う」つーのはなかなか耐えられないんですね。いいや、日本人は粘り強いだろと思うかもしれませんが、日本人てのは自分たちで思っているほど粘り強くありません。てか、逆境にはとても弱いんですね。なぜかっていうと、サッカーで日本代表が相手チームに押されると見てる方がもう耐えられなくなりますよね。大概「負けてもいいからもっと積極的に攻めないとダメだ」と批判されます。これが南米のチームなんかだと相手に攻めさせて、それでいてカウンターの機会を粘り強く待っています。そういうことができない。
だから、沖縄戦では持久戦術を主張する八原参謀に対し長中将が「こんなグダグダやってないで一発突撃でパーッといけ!」と主張して司令部は内部崩壊します。

また、捕虜についてですが、日本兵は捕虜になってはいけないと教えられていたので、基本的に捕虜も取りませんでした。また、味方の兵士を救出しようとする米兵にも容赦なく銃撃を浴びせました。また死体のフリをして近づいた米兵に襲い掛かることもよくやったようです。それを米兵は分かっていたのである意味当然なのですが「相手が捕虜を取らないんだから、こっちも捕虜を取る必要はない」と負傷している日本兵も情け容赦なく殺しました。ユージン・スレッジ氏の回顧録にはそういった「むき出しの獣性と敵意」が戦場に満ちていたことが書かれています。太平洋戦線で日本兵の捕虜が極端に少ないのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という思想が根本にはあったのですが、そういった事情も影響していたようです。

現代人の目から見ると狂気の沙汰としか思えないバンザイ突撃ですが、当時の日本軍が置かれた状況から考える必要があります。当時の日本軍は、中国で国民党軍と共産党軍と戦争していたわけですが、これらの相手というのが「突撃すればなんとかなった」相手だったのです。
機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退...続きを読む


人気Q&Aランキング