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学校で今年度歴史や古典を勉強したのですが、何のために勉強する必要があったのか全くわかりません。

文系の仕事でも、それらの知識が必要な仕事ならばわかるのですが、世の中そうでない仕事の方が多いように思えてしまいます。

実際、バリバリの理系で自動車関係で最前線で研究してきた人が、二~三年の間、文系の人達に交じって本社の企画系の仕事を担当してる人もいます。

結局、文系の人でも何のために歴史を勉強したのかわからない人が多いのではないかと思います。

学校の教師なんか特に、歴史や古典が好きで専攻したが働く先がなくて教師になった人も少なからずいると思います。

本当に教師になりたかったら学芸大などが王道ですよね?

つまるところ、自分達の趣味に「学問」という肩書きをつけて正当化してるようにしか思えません。

同じ過ちを繰り返さないためなら、固有名詞は必要ないように思います。

どなたか、歴史や古典を勉強する意義や意味を教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

先ず学問とか学習を自分の仕事に直接役立つから勉強するという考えを捨てなければなりません。

初等の教育でも「読み書き」以外に社会系・歴史・理科系その他芸能・技能などの教育が施されているのはご存知でしょう。将来の仕事に役立つから数学や理科だけ勉強してほかのものは勉強しなくてもよいという親がいるとしたら悲しいことです。それに子供の今から伸びる能力や可能性を摘み取ることになります。
 次に歴史を学ぶ意義ですが、身近な例で言いますと個人個人には履歴があります。どこの会社でもパート以外は人を雇う場合は履歴書が必要ですね。履歴書なしで雇う能天気な経営者はいないはずです。個人では履歴ですが、国や民族では歴史が当てはまります。
 今日本で抱えている外交問題で北方領土問題があります。日本政府をはじめ国民こぞって返還を求めていいます。北方領土は旧ソ連が不法に占拠したものです。返せと言ってもこの島がどのような過程を経てとられたのかを知らずして返還要求できるでしょうか。あのような情けないことになった理由は、歴史を学ばなければなりません。
 この問題は旧島民だけのものだけでなく国民全体の問題とし、考える必要があります。私には関係ない、自分の生活には影響ないと言って歴史を学ばなくてもよいといのは社会人として情けないことです。
 質問者さんの身辺でもいろいろと問題があると思います。会社に勤めていたら、そこには歴史があります。指導的な立場に立とうとすれば当然、会社の歴史を知らなければならないでしょう。歴史は生きていく行く上で必要かくべからざる問題です。
 古典でも同様です。なるほど日常の会話では古典文法などは必要でないかも知れません。しかし、言葉を突き詰めていくとどうしてもどうしても古典の言葉に行きあたります。特に書く文章の場合は古典の知識が必要になることがあります。現に上の文章で2箇所ほど古い言い方で書きましたがどこかお分かりですか。 

 
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この回答へのお礼

自分の興味や才能が見い出せていない段階では、多くの選択肢を持つことは必要かもしれませんが、明確な目標を定めたら、それに向かって精一杯になろうと思うのです。

しかし、学校教育では足を引っ張る部分が多少なりともあると思いました。

意義については、納得させられました。ありがとうございます。

なるほど、突き詰める
ですか(^_^;)?

お礼日時:2008/03/21 08:35

中1の子供を持つ親です。


中学の数学の問題を子供といっしょに考えて思うに、このレベルの数学とは子供の頭を良くするためにあるんだろうと思う。

歴史、古典は「教養」の世界だよね。
歴史から学ぶといわれても、「パクス・ロマーナ」が滅びたように「パクス・アメリカーナ」もそのうち滅ぶと言えるかもしれないが、歴史は数百年単位なので、あなたが生きているうちに実現するかどうか分からないし。
 私は理系だが、歴史好きな人は学校で学んだ後にいろいろ本読んでるじゃないですかね。今の政治の権力構造がよく分からないように、昔の権力構造も本をいろいろ読まないと分からないんで、年代覚えるなんてあんまり意味ないと思う。
 歴史に詳しいと、例えば、アメリカ人と中国人とか韓国人に日本の歴史のことで無茶言われたときに論破できます。
 また、近代のヨーロッパの歴史を勉強すると、なんで日本が戦争することになったのか、なんで今の日本の社会がこんな感じなのかルーツが分かります。まあ、教養の世界だけど。
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歴史は、「現在は過去によって成り立ち、過去を知ることによって未来の展望を語る。

」(E.H.カー)事と、「歴史は繰り返す」ことを知り、場合によっては「繰り返してはならない事もある」ことを学ぶ学問です。常に、現代社会と共に「歴史」はつくられています。
古典は、古の文学や芸術などを知る為には欠かせない学問で、歴史とも連動をします。例えば、現代の日本語と古代・中世・近世の日本語の違いは、その時代ごとの芸術を探求する助けとなっています。

> 本当に教師になりたかったら学芸大などが王道ですよね?

学芸大などの教員養成専門課程がある大学でも、「小学校国語(算数・理科・社会・体育 他)専修」、中学校や高校課程も同様に分かれています。法学部、文学部などでは、学問を究めた上で教職課程で免許を取得するので、教育学部では学ぶ事が出来ない講義もあります。
教師になれなかった場合でも、他の免許(社会教育主事、図書館司書など)が取得出来る大学であれば、そのような道が開けます。
(「…でも」「…しか」教師も少なからずいます。)

趣味がそのまま「学問」につながることは、学者(研究者)の世界には多々あります。この場合は、事実に対する客観性を厳しく問われます。

その学問が好きで学校教師になられた先生に教えを受けた事がありますが、「好きこそ物の上手なれ」の言葉のように情熱的で理路整然とした授業は今も心に残っていますよ。
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学校教育は、学校教育が「社会に参画する人間を育てる」ためにあるという前提に立っています。


社会は、それぞれの社会に固有の歴史性を持っています。そのため、歴史や古典の教育がなされています。歴史を知らない限り、その社会を知っていることにならず、社会に参加できなくなります。

人間は、社会的動物とか政治的動物とか言われています。二つの言葉があるのではなく、古代ギリシャに於いて、ポリス的動物というのを現代語に訳したら、社会的だったり政治的だったりします。古代ギリシャにおいては、ポリスに参加するという意味で同じだったわけです、社会に参加することと、政治に参加することが。
ポリスに参加できるのは、男性の市民、つまり奴隷でない人。
市民が知っているのは、ポリスがどうできてきたかという謂われ、つまり歴史です。

民主主義というのは、構成員が平等に政治に参加できることを原則にしています。民主主義を保つためには、新しい構成員、つまり大人になる前の子供に歴史を教えなければならないのです。

まぁ歴史を教えずに、社会に参画させ無くさせるという方法もあります。社会に参画することは、義務であり権利でありますが、明確な罰則はありません。
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歴史を学ぶ意味は、人それぞれです。


趣味で学ぶ人、人生の教訓にする人、自分の主義・主張を広めるのに利用しようと学ぶ人、今起こってる事件や状勢の原因を探るために学ぶ人etc,,,

歴史は人の数だけ存在します。
決して万人共通の歴史はあり得ません。

とはいえ、「歴史学」では有る程度の「実証性」が無いと学会で無視されますので、なるべく「客観的」になるように努力がなされます。
それでも、限界はあるので研究者・歴史叙述者の「主観」は排除できません。

まぁ、「歴史学に興味がない」というのは仕方ないし、片手間で出来るほど甘い学問でもないので、やらなくても良いと思います。(受験に必要な時だけ覚えて、終わったらとっとと忘れましょ。どうせ「教科書の歴史」は「仮説」でしかないですし)
でも、「歴史」からは絶対に逃れることは出来ませんので、せめて「万人に共通な普遍的な歴史は無い」ということは覚えておいてください。
そして、「情報リテラシー」を駆使して「政治的・思想的に歴史を利用(悪用)しようとしてる人」に欺されないようにしてください。

ただし、他の回答者が仰ってますが、「政治家・官僚・ジャーナリスト・外交官・海外ボランティア」etc,,,の職に就く場合は「歴史の重要性」を認識した方が良いですね。
米国がイラク戦争で泥沼にはまったのも「歴史から何も学ばなかった」結果です。

以下のQ&Aで「歴史の特徴」的な回答をしていますので、ご覧下さい。
http://okwave.jp/qa3672975.html
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哲学と政治を掛け合わせた学問だと思いますが、



それを必要としない人にとっては、

無意味ですね。
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研究を通して歴史が変われば国際情勢も多いに変わる以上、少なくとも政治家や官僚、ジャーナリストは歴史を知る必要はあります。

仮に、教科書問題やら北方領土問題が浮上した時に、政治家や外交官が太平洋戦争があった事自体を知らなければ、議論の段階にすら入れないし、国際的な非難に曝されるでしょう。

また、古代から独裁者は自分の権威付けのために、都合のよい歴史をでっちあげた事からも、いかに歴史が政治的に強い影響を持つかは自明の事です。

以上の事から、国家レベルとしては歴史は必要だとといえますし、歴史学者の存在は不可欠だといえます。そういう意味で、たとえ歴史学者自身がどういう動機で研究しているにせよ、国家から「学問」としての扱いを受けるのは当然の事だといえます。

個人レベルでは、質問者さん自身がこのような仕事に就くかどうかは知りませんが、学生さんのなかにはこのような仕事につく人がいる以上、人生の選択肢として歴史を学ぶ価値はあると思います。
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質問者さんにとって歴史はあまり意味が無かったかもしれませんが、例えば文系の私にとっては学校で習った化学・物理・微分や積分などの高等数学などの方が自分の人生では無意味に近いと思っています。



学校の勉強というのは、歴史に限らず授業を受ける子供にとっては必ずしもその後の人生で役立つかどうかは判らないものだと思います。
子供たち一人一人に何が向いているのか、小さな頃は断定できないものだと思います。
勉強の得意な子、スポーツの得意な子、音楽の得意な子、絵など美術的に優れている子など、子供の可能性は様様な分野があるのですから少しでも多くの分野に触れ合うことによって自分が興味がある分野なのか、苦手な分野なのかどうかを一つずつ確認していき、次第に自分の得意なことや興味のある分野を絞っていくというのが学校の勉強ではないでしょうか。

質問者さんの論理でいえば、プロスポーツ選手を目指さない限り学校でサッカーやバスケットや水泳の授業など体育の授業自体が不必要だという論理になってしまうのではないでしょうか。

例えばスポーツといっても野球・サッカー・バスケット・バレー・卓球・ゴルフ等々たくさんの種類があるわけですが、大人になってからはスポーツに親しむこと自体が少なくなってしまいます。
学校時代に各種のスポーツを体験することにより自分がスポーツが好きかどうか、さらには野球が好きなのか、サッカーが好きなのか、水泳が好きなのか、、、体験して判ることではないでしょうか。

学校という場で、様様な勉強やスポーツを体験することによりその結果として質問者さんは歴史が苦手になり、逆に私は歴史が大好きになったということかと思います。
人生にとって必要な科目ということを突き詰めてしまうと、『読み・書き・ソロバン』でことが足りてしまいますよ。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。
やはり、全員が必ずや必要なものとは限らないのですね。

センター試験制度などを考えると、どうしても試験のために無駄な暗記をしているとしか思えません。

文系が得意な理系の人のために、理系が得意な文系の人のために、という意味なのでしょうが、矛盾してますよね。

理系が得意で邁進したい人、文系に邁進したい人の足を引っ張ることにもなりかねません。

その選択のラインをどこに持ってくるか、日本の高校では見極めが必要に思います。

実際、早くから文理で分かれてる高校もありますからね(^_^;)

教員側も、何故あらゆる科目をやるのか、考えて、少しは配慮してほしいものです。

しかし、自分の不満は教育システムにあることがわかりました(^O^)
ありがとうございました!

お礼日時:2008/03/17 19:01

歴史で考えれば『どのような過程を経て今があるのか?』を知るという事でしょう、今を生きている人間にとっては対比するものが過去しかないですから、簡単に言えば~平然と殺し合いをしていた戦乱の時代に先祖が生き延びたから私も相談者様もこうして今生きているのでしょう。

現在~犯罪はありますが世界から見れば平和な国、しかし最初からそうではなかった事!多くの過ちを犯した事!をこの国に生きる者としてある程度は知っておくべきです。

2つ目には『極論で言えば学校の勉強なんて何も約に立たないです』、数学の面積とか『π』だってほぼ使わないでしょう。実際に学校で1番重要な事柄は集団生活ですから、様々な勉強をするのは頭を使わせる為だと思います。自分なりに答えの出し方を考える応用力であったり、興味のある事について考える事、何でもきっかけにでもなれば良いんじゃないですかね。

私も考古学者になりたかったのですが働き先が無いので諦めました、しかし勉強した事は無駄ではなかったと思いますね。1つの事柄を1点からしか見なければ無駄な事かもしれません、でも違う角度から見れば無駄な事なんて無いと思いますね。

相談者様は『歴史が無意味』だと感じた、それを違う角度から見れば『歴史を学んだから無意味だと感じた』でしょう。歴史でも何でも学んでない人は『好き・嫌い・普通・どうでもいい』といった感情すら起こらない…知らないんですから。相談者様は無意味だと感じた~それは学んだ結果で1つの結論です、中には面白い!必要!と感じる人もいる。十人十色ですから相談者様の考え方は間違ってもいないし正解でもないってとこでしょう。
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学校は職業訓練校ではないので、そこで習うことは歴史に限らず社会ですぐ役立つという保証はありません。

ですからあなたの疑問は歴史というより教育一般に向けられているように感じます。

逆の質問をしてくる人もいるでしょうね。教育は職業訓練さえ行えばよいのか? どう思われます? 義務教育、高校、大学などによっても考え方は違ってくるかも知れませんね?
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