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ドイツが「ローマの牝牛」と呼ばれていたのはなぜでしょうか?
またそれはいつの時代ですか??

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A 回答 (2件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B4%96%E5%AE%A5% …

16世紀、贖宥状がドイツでドンドン出された。
その金がローマに届けられたから。
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16世紀頃、ドイツは皇帝権が弱体で、政治的に分裂していたので


ローマ教皇の財政的な搾取(贖宥状)や政治的干渉を受けやすい状態
でした。これを「ローマの牝牛」と言います。この言葉の由来は
ドイツ農民の歌で「わしらは牝牛だ、角がないだけだ・・・」
から来ているそうです。
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Qドイツ農民戦争の意義は?

高校の世界史で宗教改革を勉強するとき、ドイツ農民戦争が出てきますよね?

ところが、せいぜいこの戦争でルターが「うそつき博士」というあだ名をもらって保守化したことが分かるくらいで、わざわざ教科書に載せる事項でもないような気がしてきました。

教科書に出てくるということは、ドイツ農民戦争がアウグスブルクの宗教和議にいたる宗教改革史、またはドイツ史になんらかの影響を与えているのだと思うのですが、ではどんな影響を与えたのか、農民戦争の意義をどなたか教えてください。

Aベストアンサー

ドイツ農民戦争(大農民戦争)は中世の終わりを象徴づける
決定的な出来事であって、
実はルターの宗教改革よりも重要な出来事なのです。
だから宗教改革とは同じ時間軸で進展して
ともに関連して影響しあってはいますが
これは宗教改革が起こらなくても起こったであろう
ヨーロッパ最初の農民の革命であって
宗教改革が起こったことでより残忍になり
血なまぐさい歴史の惨事として記憶されますが
別に理解する必要があるのです。

貨幣経済と発展による農民の地位向上と
逆にその貨幣経済によって
支配の基盤であった荘園制が揺らいた領主が
農民に重税を課そうとしたときに、
ちょうどルターの教会改革、聖書への回帰を求める運動がおきて
福音主義のもとづくキリスト教原理主義の考えが
農民の間に浸透したことから
キリスト者の自由という平等を求める社会革命に発展しました。

ミュンツァーらは革命の神学をうちだして
ドイツに農民の理想郷を築こうと農民団を集結しますが
宗教改革をただの教会内の教義闘争としか考えてなかった
ルターはこれに恐れをなして悪魔の手先だと糾弾しはじめ
諸侯との同盟をつよめて
「(反乱農民は)何者でも刺し殺し、打ち殺し、絞め殺せ」という
過激な主張をルターがし始めるのはこのためです。

ドイツ農民戦争はほとんど新教側の諸侯によって弾圧されていて
農民戦争の後で新旧両派の宗教戦争が始まるわけで
この期間は事実上の停戦に近い感じですから
これが宗教改革を停止してでも潰す必要がある
重大問題だったということがわかるでしょう。
宗教改革も要するに宗教の名を借りた
諸侯や皇帝、教皇間の勢力争いにすぎません。
三十年戦争は最初の欧州大戦ではありますが
信仰とはあまり関係ありません。(実際、新旧どちらにも多くの転向がある)

だから社会の根底を揺るがした出来事として
大農民戦争は決して省けない重大事で、
封建制度の打倒と、平等を目指した革命運動として
その後の市民革命のさきがけであるのです。

ドイツ農民戦争(大農民戦争)は中世の終わりを象徴づける
決定的な出来事であって、
実はルターの宗教改革よりも重要な出来事なのです。
だから宗教改革とは同じ時間軸で進展して
ともに関連して影響しあってはいますが
これは宗教改革が起こらなくても起こったであろう
ヨーロッパ最初の農民の革命であって
宗教改革が起こったことでより残忍になり
血なまぐさい歴史の惨事として記憶されますが
別に理解する必要があるのです。

貨幣経済と発展による農民の地位向上と
逆にその貨幣経済によって
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