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右派、左派という言葉がよく使われますが、私はとても意味が曖昧なように感じています。

共和制vs王制も既に終わっていますし、社会主義vs資本主義も、もう決着はついているので、現代においては、特に対立する二つのイデオロギーがあるというわけではないですよね。それなのに右と左、二つで分けられるものなのでしょうか。仮に社会主義的な主張をする人々でも、中国などのように、資本主義的な手法を取り入れている場合もあります。

右派はタカ派、左派はハト派というような意味合いで使われる場合もありますが、中南米で強硬な反米左派政権が誕生しているのを見れば、左派=ハトという図式も成りたちませんよね。

右派が自由主義者、左派が保守主義者、という場合もありますが、政策の分野によっても立場は異なってくるのが自然ですよね。

見当違いなことを言っていたら申し訳ないです。
ただ私が不勉強なだけなのかもしれませんが、
なぜこのような曖昧な意味の言葉が使われているのか疑問です。
自由主義だと言いたいときは、わざわざ右派と言わずに自由主義と言った方が
意味がよっぽど的確に受け手に伝わるはずです。
なぜ曖昧なこれらの言葉が使われているのかその理由が知りたいのですが、、知っている方、
もしくはなにか参考になる本やサイトなど教えて頂けましたら
幸いです。

A 回答 (6件)

こんにちは



言葉と言うものは由来があって使われます。
今では失われたものが由来となっていても、それが名前、名詞となり受け継がれていくのです。
それは言葉のイメージでもあります。
>わざわざ右派と言わずに自由主義と言った方が
これは逆なんですね。
穏健でありながら中道でない、などの包括するイメージを伝えるため、わざわざ言っているのです。
個別的に言うならずばり自由主義と誰でも言うでしょう。

今はティンカーベルと言えばピーターパンのかわいらしい妖精の名ですが、ティンカーとは元は鋳掛(いか)け屋を指す言葉だと、ほとんどの人は知りません。
その由来を知るだけで、ベルが生き生きとしてくるのです。
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この回答へのお礼

言葉というのは面白いですね。いろいろなイメージを含ませたいが為に使っているというのはなかなか思いつかなかったので参考になりました。

お礼日時:2008/03/26 23:37

左右は二元論だという点を利用してるのだと思います・・



たとえば・・
自由主義者とは・・というと
自由の定義そのものがとても広く
しかも階層がいくつもあり
しかも・・
自由は相手の不自由から成立することもあるわけで・・

そいういうあいまいな定義を
単純な二元において、
資本主義=自由平等という前提の下で、
自由平等主義を【右】にすると
左は大変、悪いものになってしまいます・・

つまりは・・・
ここのところのトリックを
議論するときに利用したということではないでしょうか・・??
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この回答へのお礼

悪者、敵を作り出すのがとても簡単だから、ということでしょうか。
確かに、味方の反対は自動的に敵になってしまいますね。

おっしゃるように単純で明快な議論を展開することができそうです。

お礼日時:2008/03/26 23:56

>右派が自由主義者、左派が保守主義者、という場合もありますが、


保守主義と自由主義の定義によりますが、これは逆の場合が多いですね。自由主義が強硬なアメリカチックな新保守を指すのなら別ですが。
右が保守主義、左が自由主義
右が自由主義なら左は民主主義
右が民主主義なら左は共産主義
タカ派、ハト派が右派、左派を指すときは、保守的な同じ思想、同じ方向性を向いているグループ内での切り分けでしょうね。保守的に強硬路線では右派、消極的な場合に左派ですね。自民党内での性格分けには使えるでしょう。共産主義者内では、タカ派が左派、ハト派が右派になります。
今では相対的な使用方法しかできませんよね。
今でも、分かりやすい政治とか言いながら、実はイデオロギー対決時代の白か黒かを選択する政治を懐かしがっている人が多いので、単純な切り分け方法の一つとして残っていくのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど、昔のイデオロギーが対決していた時代を懐かしがるという感情も一要因としてあるということなのですね。

お礼日時:2008/03/26 23:50

私も質問者様と同意見ですね。


ただ、この言葉が無くなるか?というと、無くなることは無いでしょう。

「右派・左派」というのは、レッテル貼りの意味合いが強くなってるようです。
というより、もともとが「政敵を非難」する為に生まれたようなモノですしね。
相手のことを「お前は右派だ」「その意見は左派の意見だね」と言った場合は、私は「思考停止を宣言しました」という風に受け取ってます。
というのも、レッテル貼りと言うこと自体が、相手の事を理解しようと思わないから出来る行為です。
そうすることによって、「自分が正しい」と思いこめて安心するんでしょうね。

「言葉」というのは、多義的であり前後の文脈や行間から「相手の言わんとしていること」を注視しないと、誤解して終わるだけですね。
そして、「右派・左派」と相手を非難することは「聞く耳もちません」と宣言しているのと一緒だと感じています。
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この回答へのお礼

なるほど、レッテルを貼るのは簡単に白黒つけられるのでスッキリして気持ちがいいですが、細かなところの吟味がおろそかになってしまいますね。

言葉は難しいですね。いろいろ考えさせられます。

お礼日時:2008/03/26 23:44

そのとおりですね。



冷戦が終わって、社会構造が複雑化するにつれ、ばっさりと右、左、で主義を区別するのは難しくなっていると思います。
小泉政権で言えば、靖国参拝にこだわる姿は右っぽいけど、改革を断行する姿は左。
今の日本では、たとえば嫌韓、嫌中といったナショナリストが右、その逆の自虐史観主義者が左、として使われることが多くなっている気がします。
これは昔の名残でしょうね。
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この回答へのお礼

言葉はそう簡単に無くなったりすることはないのですね。

お礼日時:2008/03/26 23:41

わかる人にはそれが一番伝わるからです。



質問で言う右派はタカ派、左派はハト派なのか?という話も
そうですし、
日本で言う右派という人と
中国で言う右派という人は
おそらく真逆の考えでしょう。

そんなこともわからない人、右派・左派という一言で
伝わらない人はそもそも記事の読者として相手にしてないからです。
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この回答へのお礼

なるほど。知識人がわざと難しい言葉を使うのと同じということですね。

お礼日時:2008/03/26 23:35

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