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自分は40後半の年齢になります。今でも時々思うのですが、自分が今生きている感覚が他人とは全く違った感覚の持ち主で異質な人間ではないかと思うことがあります(今現在も、こんな感覚は、ほかの人には無いと)。
この感覚は、小学校低学年生ごろに芽生え、中学生のときがピークでした。

具体的に言うと、自分はほかの人と違う人、キリストか釈迦の生まれ変わり(神の子などという危ない系の教祖ではないですよ)。

私はこの世に生まれ、特別なことをするべき人ではないのかと言う感覚です。

何だかんだ思いながら40後半になってます。

こんな感覚を持った人ほかにいるのでしょうか。
こんな偉大な感覚を持ちながら、実は小心者でもあります。

訳がわからないことを言って申し訳ありませんでした。

A 回答 (7件)

こんばんは、私も質問者同様、特別なことをすべき人ではないかなんて思うことがあります。


でも昔から「待っている」んです。

・人に認められたい、
・自分は人より経験が劣っていることもありますので
もし生まれた頃から特別だったら格も次元も違うのだから周りと比べる必要はない

って気持ちがあるのかなーなんて思ったりします。
私はあまり宗教指導者が好きではないので、そういう意味での選ばれし民だとは思っていませんけど、もしかして
と思ったので書き込ませていただきました。

「ふーん」という気持ちで目をとおしてくださればと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうごさいます。

お礼日時:2008/03/22 09:10

自分は他と違うと思えるのは、あなたが人間だからです。



脳を働かせ、言葉を駆使し、想像力を沸き立たせている。

それが人間という生き物です。

それ以上でも、それ以下でもありません。
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 たいていの人は黙ってるけど、たくさんいるようです。

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 古希をまわりましたが、幼児のときから似た気持ちと感覚できております。

もちろん親や兄弟、妻にも、友達にも口にしたことはありません。
 しかし、自分より深い思索と表現、生き方、態度の人(年長で同じクラス)に高校で遭遇し、景仰・私淑することにはなりましたが、四十年以上も自信と自己を失ってきました。語彙も豊富、読書も多方面、高踏的哲学ではなく、民衆の、市井のいきる哲学者のなるのだと、放浪、遍歴の人生を送ってはいますが。
 自分も自分としての大事なことをしなければならないと思って小・中・高とはきて、大きな挫折とはなりましたが。
 不遜で大きな自信と自負できたものが、沈没すると浮上には50年以上も要して、しかも曽っての自分意識に接続・継続はできておりません。
 全く転生して新たな人生で、小・中・高の自分記憶を想起しても、戻ることはできません。
 小心ではなく、非力なのに不用意で、不用心、驕りと昂り、驕慢な性格ではあるのが、質問者さんとの違いです。
 いろんな人がいるけれども、やはりみな同じ心、自分、そして、試練というか、経験を、苦労をしていくものなのですね。
 
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この回答へのお礼

共感します。
別の人とは違った何かを自分の中で感じながら、振り返って見ると大それた人間になってる訳でもない。自分はいったいどうあるべきだったのだろう、極一般の生活をしている自分に問いかける。
ご回答ありがとうごさいました。

お礼日時:2008/03/22 09:06

小学校、中学校の頃は、自分だけが特別で、都会も車も電気も人も、


自分の身の回りのすべてのモノゴトが、自分の目の前だけで起こっている…
そんな感覚(妄想?)に、何度もとらわれていました。

後に、河合隼雄先生から、思春期はサナギの時期で、サナギの時期には、
カラの中で幼虫はどろどろに溶けていて、生き物のカタチをしていない…
人間も思春期には、自分自身、自分に何が起こっているのかわからない時期だと聴き、
もしかしすると、あの妄想は、どろどろの自分が感じていたものかも知れないなぁと
すこしだけ、腑に落ちた感じがありましたが…

齢50年余、あの感覚は思い出せますが、沢山の様々な師に出会い、
みずからも学び、感覚の意味は変わってきました。

確かに自分自身は、特別なもの(存在)ですが、
他人もそれぞれに特別なもの(存在)だとも学びました。

特別なことをするべく生まれたのではなく、
(私は私の身体と感覚を通してしか世界を理解できないのですから…)
私が行うこと…私が生きて感じていることそれ自体が、
「特別なこと」なのではないかと思っています。
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この回答へのお礼

驚きました。そして背筋がゾクっとしました。
自分が小学校の頃に抱いていた妄想的な考え方が全く同じです。

周りの人や、車や汽車。そしてテレビなんかも、自分がいる周りだけ
演技していて、それ以外の所は何も無いのでは。そんな錯覚。
田舎生まれの自分だから、テレビで見る東京なんかは作り物の映像で現実味が無く余計そう感じたのかもしれませんが。
大人になってから東京に出たときに、ふと、この事を思い出し何とも言えない気持ちになりました。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/22 12:03

推測ですが、恐らく


・他人との共有意識の低下
・全体を見通す感覚の低下
があるのでしょう。

視野が狭まったのでそうした感覚を受けるのだと思います。

私もそういった感覚は少しありましたが、歴史書を見て「自分は世界で一人の60~80年の生涯を送るちっぽけな人間にすぎない」と思い直した事があります。

塩野七生氏の「ローマ人の物語」がそれに該当するのですが、時間があれば読む事をお勧めします。

絶対的な人間であるなら長命も可能でしょうが、長い歴史の中では、どのような偉大な人間も必ず60~90歳で死亡してしまうのです。
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自分は「何なのか」を14歳のときからずーっと考えて来ました。

そしたら「死ぬ事が」怖いに変わりまして。ずーっと「死」を恐れて生きてきました。その間中貴方と似た感覚を、抱いてきました。ただ貴方の言う事とは違いました。イエスキリストも、お釈迦様も死ぬんだ。そうすると、自分も死ぬのか?という事でした。

それから、本当に辛い毎日でした。縁あって、嫁を貰って、28歳の時に長男が生まれました。どういうわけか、それから、「辛さが」ひどくなって、現実の生活に耐え切れない感じになりました。入院森田療法というものを、2ヶ月間受ける事になりました。

それから、4年後の事、有る日、玄関で自分の靴をそろえていた時です。無意識の意識に会う事がありまして。今までの疑問が全て解けました。自分は神経症の中の「離人症」でした。とても、辛い症状が続きました。自分が自分で無い感じ。生きているのか、何なのか分からなくなる感じでした。

それ以後、すっかり神経症の事を忘れていて、28年たちました。今振り返ってみると、今はその「不安は」在りません。お釈迦様が言った「絶対の安心」というものが、良く分かります。あの経験で、自分が「絶対肯定」という足場を頂いたという事かも知れません。

今は「神経症」を起こしていたものが、何であったのか分かります。それは、自分の中の「自分を働かせている者」と自我の対立と矛盾でありました。人生とは、、、等の疑問を抱かせていた者は、自分自身の心の中の者という事でした。その時に抱いてきた疑問の全てがその問いの中に在りました。自分の「実存」が抱かせた疑問は、その「実存」が答えを持っていました。
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