プロが教えるわが家の防犯対策術!

※ 標題に関し次のように考えています

学校の授業の一分は真実~真理を教えるものではなく、大多数が正しい、と思い込んでいる事に同調し試験に出たときにはそう答えるべき事~コレを常識とすべき事を教える場。(真実や真理の追究などは困難極まりない事、よ~く分かっては居ますが)

 例えば-飛行機を発明したのはライト兄弟(二宮忠八は?)  活版印刷を発明したのはグーテンベルク(世宗王は?)

-ま、ほんの一部ではありましょうがコレを否定出来るものでしょうか?

A 回答 (2件)

そのような部分があるということはご指摘の通りです。



しかし、困難とわかっていても、真理の伝達や社会性の育成などに挑戦している教員が少なからずいるということも確かです。
そういうことをご存じなかったり、軽視されている方が多いと思い、申し添えさせていただきました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

※ 非常識をそうは感じていない父兄を御す必要なく、授業に専念出来る環境などは望むべくもない現状において「胃潰瘍」一歩手前、
  という先生も多い事お察し申し上げます。
 -有難う御座いました- 

お礼日時:2008/03/27 09:11

「学校教育とは?」とは・・・



学校教育(の実情)とは?
学校教育(の現在の目標)とは?
学校教育(の究極の目標)とは?
etc...

と何を指していますでしょうか?もし、学校教育の究極の目的であれば・・・【様々な知識、論理的かつ柔軟な思考力を持って、新しい物事に意欲的に取り組み社会に貢献できる人間を育てるもの】などになりそうです。


現状であれば・・・難しいですね。テストでは事実と反していても教科書に書いてあることを書くことが正解となりますし、確かに教科書に教えてあることを覚えるものが勉強になっている側面が多くあります。

しかし、厳密な真実~真理という話をしてしまうと、アメリカ陰謀説などのように真実とされることが本当に真実でないかもしれないという疑念を払拭できるだろうか。「ビンラディンは実在しない」「太平洋戦争って本当にあったの?関東大震災って本当にあったの?当時の世界中の人が口裏を合わせているだけじゃないの?」という話さえできてしまいます。
また、そもそも・・・「ここに存在している私という人間は人間か。蝶が人間の夢を見ているだけで、今私が存在していると感じている世界は夢の世界かもしれない。そうであれば、ここでの真実など現実の真実ではない」などといった議論も浮上してきそうです。

そう考えると、どうしてもその信憑性に差こそあれど「正しいとされていること」を教えざるを得ないとも言えるのではないでしょうか。

また、そもそも学校が勉強の全てではなく、あくまで学校教育では1つの物事の見方を教える場で、他の見方は別に勉強するべきものでは無いでしょうか?
学校に全ての見方を期待するのは、ブッダの弟子となって儒教も仏教もキリスト教もイスラム教もユダヤ教も教えてくれというようなものでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

* 有難う御座いました *

おっしゃるとおりだと思います。様々な考えがありうる以下の事どもの目的に関し個人的にはこう考えています。

(1) 勉強~読書 ⇒客観的に物ごとを見、合理的な判断を下しうる能力と感受性を養う。
(2) 外国語の学習⇒自国語を外国語の立場から振り返る能力を養う。
             これで行くと、「話せる様になる」は「おまけ」の様になってしまいますが。

お礼日時:2008/03/27 09:27

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!