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協調性があるor協調性がない。
社会人になってから、協調性への意識が強まりました。
ただ、最近になって本当の意味で協調性のある人というのはどういう人なのかが解らなくなってきました。

例えば、会社の飲み会などへ積極的に参加する人=協調性がある人
ということなのでしょうか?
飲み会などには不参加=協調性がない人
ということでしょうか?

私は会社というのは、仕事をする場所であって、必ずしも同僚と仲良くなる必要性はないと考えています。もちろん、仕事をする上で最低限のコミュニケーションは必要であるとは思います。ですが、社会人としての協調性が会社行事への参加の有無などで決まるのはおかしいのでは?と思ってしまいます。

みなさんは、社会人として協調性がある、ないというのをどういう部分で判断されていますか?

A 回答 (10件)

飲み会の出欠だけで言うなら、質問者様と同じように「飲み会嫌い、無駄、意味がない」と思ってるけどそれを我慢しておくびにも出さずに参加してる人が「協調性のある人」で、質問者様は「協調性がない人」です。



ただ、飲み会への出欠だけで協調性の有無を判断されるのはおかしなことです。

質問者様は飲み会だけでなく、自分に不必要なものは全て拒絶してしまうような性格ではないでしょうか?

飲み会だけで協調性がないと言われていらっしゃるのであれば全く気にしないでいいと思いますが、飲み会以外でも協調性のない行動をされていませんか?

細かいことの積み重ねに、毎度毎度の飲み会拒否がダメ押しして「協調性のない人」とされた可能性もありますよ。

とこう書いてる私も同じ理由で飲み会できる限り拒否人間ですし、会社では協調性のない行動をしているほうだと思います。

私の場合は自覚してるので気にしてません。
私にとって会社は「できれば居たくない場所」なのでそんな場所でどう思われても気になりません。

出世欲もありませんし、できるだけ馴れ合わず、自分の作業と関連する周りの人の作業が滞ることなくスムーズに回る程度の協調性だけを心がけています。

学生のころでも同じじゃないですか?
「みんなでイジメてるのに一人だけイジメないのは協調性がないからイジメられる」とか。

そんな協調性いらねー。

協調性は本当に必要なときだけ発揮したらいいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分に不必要なものは全て拒絶してしまうような性格

このご指摘は的確でした。

もちろん、全てではありませんが、傾向としてあります。

私はかなり合理的な性格をしていて、必要か不必要かを判断する傾向があります。どうしても、無駄なこと、無駄なものが意味のあることには思えないんです。

お礼日時:2008/03/28 21:38

協調性がある、なしというのは、和を乱すかどうか。

ということだと思います。

昔と今とは、会社や飲み会に関する考え方が変わってきている途中なんではないでしょうか?

バブル前までは、一生同じ会社に勤めて、年功序列で給与が上がっていく仕組みでしたので、家族的でしたよね。同じ釜の飯を食う的な。

その名残があなたの会社にはあるのかもしれませんね。

「英語でしゃべらナイト」で外国の方が「日本では、仕事で散々顔を合わせた相手と夜も酒を飲むというのは、ありえない」と言っていました。

飲み会が必要ないという考えは欧米的なのかもしれませんね。

まあ、飲み会に行かなくても、みんなの和を乱さなければ、協調性がないとは、言えないと思います。あなたの場合、飲み会に行かなくとも、酒の力を借りなくとも、十分コミュニケーションが取れているから、飲み会の必要性を感じないのでしょう。

逆に、酒の力を借りないと、本音が言えないという人が結構いるのかもしれないですね。

私も飲み会のあと、「無駄な時間だった」と感じます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

飲み会が必要ないという考えは欧米的なのかもしれませんね。

正にこの通りです。
私自身が欧米人同様に合理主義者ですので、無駄なことは切り捨てる傾向があります。

ですので、日本的というか伝統的な社風の会社が合わないのかもしれません。

お礼日時:2008/03/29 01:41

  少し違う観点からレスさせてください。


 協調性が必要な仕事、必要のない仕事があります。
 スポーツなど協調性が必要な場面や種目も考えられます。
 海外試合や対外試合では、ずるして混乱させて、審判に見つからない で勝つこともあります。会社も他社と競争です。
 男の出世も当てはまるでしょう。
 日本が以前のように強くなくなりました。協調性は必要です。
 いろんな本が出ています。タイトルと見開きだけでも見てください。
 
 会社のお花見会や新人歓迎会などの飲み会は別です。
 
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協調性と一言でいっても、実際には多面的なものではないでしょうか。


少なくとも、日本で、会社環境での協調性ということであれば、会社の方針に従う以外に、行動でも従うことが求められると思います。
あなたの考えは、合理主義であり、もしくは個人主義ですね。欧米ではそれでかまわないのでしょう。ただ、ここは日本です。「飲みにいこー」「お断りします」では、協調性がないといわれる可能性は多大にあります。あなたは思ってなくても、周囲にそう思わせれば、仕事を振りにくかったりという不都合も生まれます。
また、そういうものを楽しめないような、一見無駄と思える行為に対してでも意義を見いだすことができないような頭が固い人間が、本当に仕事ができるようになるかも疑問です。
今は使われる身でも、将来は下をまとめなければいけない時が来ます。まあ、飲みニュケーションだけが唯一のコミュニケーションではないでしょうが、割と簡易な人心承諾の場であったり、そういう場でこそ見える人間性をつかんだりという利点もあるのでは?

頭で考えるだけでは、本当の実務者ではないということです。
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4で回答したものです。



>飲み会が負担→全員参加が基本であろうと気が進まない→仕事が終わっても帰れないため仕事へのモチベーション低下→同僚とあまりコミュニケーションを取りたくない、話したくない

先ず、飲み会そのものが負担に思うという事に何か問題があるのではないでしょうか。
会社にもよると思いますが、質問者様の参加している飲み会のどの部分が負担に思うのかを考えてみて下さい。

・会社が終わっても会社にいるような気分になり安らげない
・時間を拘束されて自分の好きな事をする時間が減る
・費用の一部または全部の負担をしなければならない
・もともと会社の人たちと仲良くない
・話をする人、話が合う人がいない
・店選びに不満
・飲み会が月1など頻繁にありすぎる

>飲み会があることで、逆にコミュニケーションを阻害してしまう可能性はないでしょうか?

飲み会のせいでコミュニケーションを阻害する、ということはありません。
意思や感情、思考を伝達し合うことがコミュニケーションであり、コミュニケーション=良いものというわけではありません。
不満に思っている事やマイナスの感情であったとしても、それを伝え合うことがコミュニケーションを取る事だと思います。

思っている事を腹の中だけに留めておいても何も変わりませんし、モチベーションは下がりますよね。
もし皆が同様に思っているのだとしたら、不満に思ったままそれを隠して仕事をしているからコミュニケーション不足だと言えるのです。

飲み会が不必要だと思っているなら、それを上司や同僚に言ってみる、それで、質問者様はそういう人なんだと周りが理解する、周りの人も賛成とか反対とか色々な意見が出てそれを聞いたり話し合ったりしていく、これがコミュニケーションを取る事になるのではないでしょうか。

飲み会が必要なのかどうかはその会社の方針によっても違うと思いますし、それを決定する人の価値観にもよるとは思います。
結局不満を抱いているだけで何もしないのであれば、コミュニケーションを取っているとは言えないと思います。

また、最初の質問である協調性についてですが、
協調とは、「互いに協力し合うこと。特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと」とあります。

飲み会が好きな人、嫌いな人、参加したくない人も互いに協力し合て参加することに協調性があると言えるのではないでしょうか。
それがその人や会社にとって良い事なのか必要なのかは私には分かりません。
しかし、それを決めているのは会社であるなら、会社の方針ということになります。
ただ、自分に都合の良いものだけ参加する事は誰にでも出来ます。
嫌いなものに合わせる事が大切なのではなく、合わせる姿勢が大切なのだと思います。

例えば学生の時に、自分勝手な行動をする人は協調性に欠ける、といわれます。みんながしているのに、○○だけしていない、という言い方になります。
学校行事はみんなが楽しい、嬉しい、賛成しているというわけではないと思います。休みたい人もいるでしょう。
それでも学校行事なのだから、それに合わせて参加しなければいけません。
それは学校の方針です。どんな目的があり、どんな効果があるのかは学校が考えて決めていることです。
個人で良い、悪いの判断をしても、学校が決めた事なのですから、守らなければいけないものはあると思います。
重大な理由があるわけでもなく、それが守れない、参加できない人は協調性に欠けると言われていたのではないでしょうか。

同様に、会社での方針に従えない、その会社のみんなが我慢してしている事を合わせたりできないのであれば、やはりその会社での協調性に欠けると言われても仕方がないと思います。

協調性がないと言われてもいい、社内行事にそこまで参加する義理もメリットもない、と思われるなら無理に飲み会に参加する必要もないかもしれません。

ただ、ここで質問をされたような理由「意味もなくきたがらない、のではなく飲み会に行くこと自体にあまり意味があるとは思はない」を説明しないと、周りは質問者様の事を誤解してしまう可能性はあります。

自分にとって参加しない事に理由があるというのなら、それを説明することがコミュニケーションを取る事に繋るのではないかと思います。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

・時間を拘束されて自分の好きな事をする時間が減る

これは、かなり大きな要因です。
私を含め、業務時間外は個人の時間という考えの方は多いと思います。
あえて、拘束する気もありませんし、されるのも抵抗があります。


飲み会のせいでコミュニケーションを阻害する、ということはありません。

そうでしょうか?私の文章は、業務時間外に飲み会がある→業務外に拘束される→飲み会があることで、モチベーションの低下→周囲とのコミュニケーションがイヤになる、という可能性があるのでは?ということを意味しています。

つまり、飲み会があることで、結果的にコミュニケーションを取りたくなくなってしまうのでは?と思う部分があります。

お礼日時:2008/03/28 21:30

本当の、会社に必要な協調性とは、


会社の目指し方向性に進むためにどうするかを考え、
自分が火中の栗を拾うことも出来る人材。
が集まり信頼しあえる状態が協調性がある状態となるでしょう。

しかしこういうことはなかなかわかりにくいです。
そのため、協調性がある状態かどうかを簡単に見ようとして
みんなと同じ行動が取れるのかなどで判断します。

また、同僚が同じように考えてなく、仲良くならない人間は信用できない。
と言う考えの場合、信頼しあえる状態になく協調性がない状態になってしまうでしょう。
実際に裏切る同僚などいますから、無条件で信頼することは危険ですし。
そして信頼をしあうためには腹を割って話すことが効果的で、そのために酒は非常に便利なツールです。
意味も無くそういう席にきたがらないと言うのは、腹を見せたくないと見られる恐れもあります。

仲良くなる必要は無くてもコミュニケーションをとり、信頼関係は築かないと駄目です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

非常にご丁寧なご回答をしていただきました。
ただ、お言葉を返してしまうようですが、
意味もなくきたがらない、のではなく飲み会に行くこと自体にあまり意味があるとは思はないんです。
図示しますと、

飲み会が無意味→だから行く必要がない

つまり、必要がないからきたがらない、ともいえます。

また、飲み会ではなくとも業務上で十分に信頼関係は築けるという考えも持っています。どうでしょう?甘いでしょうか?

お礼日時:2008/03/28 09:45

コミュニケーションとは社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。

言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。
とあります。
仕事をする上での最低限のコミュニケーションとは何でしょうか?

歓送迎会や新年会、忘年会など、全員参加が基本である飲み会に参加しないのなら協調性がないと判断されることもあるかもしれません。
自由参加の社員旅行とか飲み会ならどちらでも良いと思います。

会社は仕事をする場所ですが、日頃の会話不足から意見の食い違いや衝突が起こりやすいと言うことがあるのでしたら、最低限のコミュニケーションでは不足しているということになると思います。

お互いにプライベートなことまで打ち明ける必要はないですが、一緒に食事をするということで、常識があるかどうか、一緒にいる人に気遣いや心配りができるとか、打ち解けて話せるとか、自分とうまが合う合わないなどを知る手かがりにもなります。

飲めない人にまで無理やり酒をついでくる上司や、酒を注ぎまわっている部下など、人間観察の場所としては最適なのではないでしょうか。
人の癖や好みなどを理解しておくことで、ちょっとした時に役に立つこともありますし、困った時に助けてもらえたりもします。

仕事だから、と質問者様のように皆が皆全て割り切れているわけではありません。
ロボットや機械人形ではないのですから、どこかで感情が入る部分はあると思います。
やはり好感情を持っている人が困っていたら助けたいと思う気持ちが働くでしょうし、嫌な人には手を差し伸べたりしたくない、と思うかもしれません。
どんなに言葉遣いが丁寧でも、冷ややかな視線だったり、悪い印象があれば誤解されることはあると思います。

参加しても楽しくはないかもしれませんが、人間関係を円滑にすることが社内の業務を少しでも円滑に進める手段だと考えれば、自分の仕事をする上で必要かもしれないと少しは思えるのではないでしょうか。

参加しても楽しくない、のはやはり会社の行事であり、家族や親しい友人との食事とは違うからです。
出席しているみんながみんな楽しいと思っているわけではありませんし、全く飲まない人や新人であったり、普段から人に気を遣う人は参加するだけでも疲れるものです。
楽しそうに振舞っていても質問者様と同じ様な気持ちの人はいると思います。自分と同じ様につまらなさそうにしている人を探してみたり観察するのもいいかもしれません。
意見が合う人をみつけて愚痴でも言えば少しはすっきりするのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

補足させていただくと、

飲み会が負担→全員参加が基本であろうと気が進まない→仕事が終わっても帰れないため仕事へのモチベーション低下→同僚とあまりコミュニケーションを取りたくない、話したくない

こういう精神状態になることがあります。
回答者様にお言葉を返してしまうようですが、飲み会があることで、
逆にコミュニケーションを阻害してしまう可能性はないでしょうか?

お礼日時:2008/03/28 09:58

再度回答します。


まったく問題ないですよ。
まわりにあわせてふるまえていればそれで十分協調性があると思います。
私も「あーつかれた」って感じでしたよ(今は働いていないため過去形)
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合わない人との飲み会は苦痛ですよね。


でも大多数の相手がそれを望んでいる質問者様とは全く逆の価値観であるとしたら(つまりはそういう社風であるといえるなら)

>社会人としての協調性が会社行事への参加の有無などで決まるのはおかしいのでは?と思ってしまいます。

こう思っていても口にも態度にも出さないことです。
できれば断るばかりではなく時には出席もすることです。そして楽しく振舞うことですね。毎回我慢というわけではないけれど、時にはそんなことも必要だと思いますよ。
質問者様の考えはちっともおかしくありませんが、それが楽しいと思って誘う人が多い会社では「楽しい気分に水をさす」ことになるのですから協調性がないというふうに感じられるでしょうね。

決して自分を殺して人に合わせろ的なものではないですけど、自分の考えがあってそれが相手とは違ってもまっこうからぶつからず、妥協点を見つけたり相手が受け入れられるような方法を考えたりできる人かなと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
確かに、やりたい人に水を差す、というのはあると思います。

もちろん、参加する場合もあります。
ただ、どうしても終わった後に「無駄な時間だったな」と感じてしまうことが多いんです。こう感じてしまう私にも責任があるのかな?と思うんですが、どうしても無意味に思えるんです。

やっぱり自分自身に問題があるんですかね。

お礼日時:2008/03/28 08:17

相手の立場に立って考え、複数の意見を取りまとめながら物事を円滑に進めることが出来る能力を指します。

自分の意見を持ちつつ、相手の意見も取り入れることができる素直さと柔軟性を兼ね備えている人は、協調性が高いといえます。

飲み会とは無関係です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
飲み会は無関係ですよね。
頭では理解しているつもりですが、
本当に会社の方が回答者様のようなレベルで考えてるとは思えないんです。どうか社会全体が回答者様と同様のレベルで判断できるようになってほしいと願っています。

お礼日時:2008/03/28 08:11

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