プロが教えるわが家の防犯対策術!

まだ高校3年なので、国語能力がないですし、専門用語も全くわからないので質問も幼稚になってしまうのは大目にみてください。質問が多すぎるので暇などある時に回答してくると幸いです。

1.あやふやなんですが、哲学は考えや思想とは違って、決めたテーマの根本的な理由の事だとどこかの本で読んだような気がしたんですけど、哲学は考えないと哲学になりませんよね?なので哲学が考えと違うといのはありえないと思うんですがどうでしょうか??

2.ある人が言った言葉なんですが、水をテーマにして、「乾いた時代だったり乾いたシーンが多いけれど、そうゆうことではなくて、もっと潤った気持ちで人を愛したり、人に愛されたりする時代に、僕達は入らなければいけない」という事を言っていたんですが、これは哲学ですか?

3.哲学は理系と文系どっちに入るのでしょうか?

4.哲学はどこからが哲学なんでしょうか?例えば、神はいるのか?をテーマにして、「自分が見たことがないのでいない」というのも哲学なるんでしょうか?

お願いします。

A 回答 (9件)

1. 私もそう思いますよ。

考えることですね。
2.それも考えた末のことでしょうから哲学ですね。
3.全部を含んでますね。どこから入っても哲学。
4.どこから入っても哲学。思考と気づきは無限だけど同時にどこにも結論はあるからね。誰にでもわかるのも哲学、より深遠さを求めるのも哲学。
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この回答へのお礼

色んな形の哲学があるんですね。
勉強になりました!ありがとうございます。

お礼日時:2008/04/10 14:17

専門用語なんて覚える必要ないですよ。

あなた様が普段使われている日常の言葉で一人で「考える」事が一番大事です。そうすればどんなに悪い翻訳の哲学書でも専門用語などすっ飛ばしても読める様になります。
そうすると哲学書の翻訳の善し悪しが自ずから分かる様になりますよ。あわてなくて大丈夫です。と言いますか極端な話、哲学書なんて読まなくてもただ「考える」=「哲学する」って云う事なんですよ。
お勉強家の感じのする人っていますよね。そういう人の本や言葉は信用しなくていいです。あなた様はお若い分、そういったものを直感で感じられるのではないですか。そういう直感的なもの、ずっと大切にして頂きたいです。
「哲学」って決して勉強ではありません。だから文系理系なんて意識しなくていいです。
哲学は単に「する」ものであって、「持つ」ものではありません。思想はこれの逆ですね。
ただもう、あなた様が「本当のことが知りたい」って言う気持ちがあり、自分で考える事が大事です。哲学書を読んで全てを暗記しても何にもなりませんよね。
一番大事なことは「何なんだこれは」って驚くことなんですけど、こればっかりはあなた様にしか出来ませんので、って当たり前ですよね(笑)けど本当なんですよ、これ。
池田晶子氏の「14歳からの哲学」若しくは、プラトンの「ソクラテスの弁明」をおすすめします。
ご質問には全然答えられていませんが、ご参考になれば嬉しいです。
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いろいろ小難しいこといってる人がいますが、日本の哲学書といわれるものの読みすぎですね。

まさに記号によって編み上げられた世界の住人です。有名な哲学書といわれるものはほとんど平易な言葉によって書かれています。日本の権威主義にはとてもついていけません・ナニをそんなに排除したいのですか?

哲学なんてものは世界認識の方法です。世界がどうなっているかってことです。それを深く考えると、いろんなことが見えてくるからやったほうがいいですよ。

たとえば、絵を描くということ。日本のほとんどの人は何のために絵を描くのと聞いたとき書きたいから描くといいます。
また美術ってナニと聞くと美を追求する行為といいます。

これでは世界に通用しないし、売れるための絵はかけるかもしれないけど、絵画の本質には絶対とうたつできません。

じゃあどうすればいいってことがわかります。

1-4の質問ですが哲学史上一応の解決を見ている問題ばかりです。
あとは自分で調べて新しい発見ができるなら提示してほしいと思います。

できれば原文で読んだほうがいいですよ。小難しい哲学の専門用語と下手な翻訳を理解する間にフランス語くらいかんたんに覚えられます。こっちのほうが労力が少ないです。
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この回答へのお礼

この回答を見てて思ったんですが、日々ささいな事でも疑問を持って追求していくことが練習にもなって、少しでも、ひらめきや、狭い視野に留まることなく自由な発想ができる能力が身についてくるんじゃないかなと思いました。勉強になりました。ありがとうざいます。

お礼日時:2008/04/10 15:03

 恣意的(自分勝手)に回答の順序を変更します。



3・本来、学問とは理系・文系に関係なくするものです。
便宜的に理系・文系と分節化(分けた)だけ。
 何か物事を考える時、視野を狭くしてはならない。

4・物事の根本を考える場合に哲学といえる。

1・「晩御飯何にしよう?」では哲学ではない。
「晩御飯を食べる理由とは?」という発想で哲学に到達する。
 物事の原因まで突き詰めて、初めて哲学と成る。

2・哲学ではなく、意見である。


 質問者は語彙力と論理力を鍛えた方が良い。
『新・入試評論文読解のキーワード300』等の、受験参考書で、読解力・語彙力・語彙の背景知識を学ぶ事をオススメします。
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この回答へのお礼

なるほど、やはり原因突き詰めていったら自分なりの結果にたどり着ききますよね。そこまで行かないと哲学にならないということですね。勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/04/10 14:55

1、哲学は、哲学をすることが目的ではなくて、知ること(知見を得ること)が目的です。

ですので、考える事自体は、哲学の目的ではありません。
2、これはメッセージだと思います。これを僕は求めているんだと言う、この人のメッセージだと思います。
 
何時の時代にも、(もちろん今にも)、やさしい人がいます。そんな人に、誰でもなれます。

3、どちらでしょうか。
4、見えるものにこだわらなくてよいとおもいます。そして、見えなくて当然のものは見えないものだと思います。見えるはずのものを見て、知見を得ることができます。

哲学は、知る人にとっては必要のない思索です。だからだれも、それ(思索すること自体)を否定しません。哲学は、知りたい人の、汗みたいなものではないでしょうか。だから、知を熱心に探究している姿が哲学(汗)の本性で、汗はその人が苦闘している証です。涼しく考えて(考えに汚されず)、スマートに知見を得る人が、賢い人だと思います。誰でも、そのようになれるのだから、探求者は苦しい戦いの原因(こだわり)を捨てて、自由(本当の歩み)を得るのが正当です。そうすれば、その人は最高の境地に至り得るからです。
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この回答へのお礼

見えないものと見えるはずのものは似ているけど全く違う言葉ですよね。見えないものを見えると証明したくてもできませんよね。勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/04/10 14:44

1.


哲学は考えることが含まれます。学問自体そうです。しかし哲学は人が
てんでばらばらに勝手な言葉の定義で語らないように共通の認識を作る作業を
担っています。いわば共通の世界観や認識の土台をつくるような仕事です。

2.これは哲学ですか?

それは、オカルトです。アクエリアスエイジという考え方ですね。キリスト教はおひつじ座の
時代に生まれ、20世紀までは、うお座の時代だった。21世紀からはみずがめ座に
はいるという、そういうニューエージサイエンスという考え方が一部で流行しています。
これは、共有化されていないから哲学には入りません。

3.哲学は理系と文系どっちに入るのでしょうか?

むずかしいです。狭い範囲では文系です。しかし素粒子論や宇宙の根源、数学の理論には
哲学と密接につながっています。論理学そのものは数学に近い。

4.哲学はどこからが哲学なんでしょうか?

自分が見たことがない・・・という自分というのを哲学では「主観」と呼びます。
主観を一般化するとたんに哲学になります。我思うゆえに我あり、という我はなんだか
どこの我や?という話ですよね。
正しくは「我思うと我思う、ゆえに我ありと我思う。」が正しい。
自分だけの哲学というのでいいです。哲学を商売にしている人、人に哲学を売る人
意外は、「オレの哲学」でいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

オレの哲学ですか、簡単なような言葉でも、何か奥深い感覚がしました。勉強になりました!ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/10 14:37

物事を理論的に考えるのが哲学じゃないでしょうか。



1。
うーん、思想も入ると思います。
哲学は広範囲に及んでおり、だいたい哲学をしているって人は、たった1つではなく、いろいろな分野に精通している人が多いです。

例えば、養老孟司さんは解剖学者ですが、仏教の思想もしっかりしている。
その彼が進める本 脳の中の幽霊 は、医学 とりわけ脳神経の分野にういて、素人でもわかるように説明しており、神の存在は脳の中のこの部分じゃないか と確信に迫っています。
その彼が、その書物の中で名言を述べており、哲学者でもあると思えます。

だから、テーマの根本的な理由じゃなく、総合的に判断するのが哲学じゃないかと。

宗教だととても狭い閉鎖的な思考をしないと、その世界が崩壊します。
哲学は無限の性質をもっているので、多岐の情報を吟味して総合判定をします。
そして、無限の性質をもっているので、いずれ、その判定も後に吟味され、修正が加えられます。
修正される運命を持っているわけです。

今未知だったものが、後世に明らかにされると、それも思考の材料に加えられ、総合判定の範囲が広がって、前とは違う判定になるってことですね。


2.
思想でもありますが、狭い範囲だと思います。
乾いた時代と考える人もいれば、そうじゃないと考える人もいるわけです。
で、乾いた時代と考えるのは、どうしてそう考えるのか とまず その根拠を説明しなければいけないんですね。
その根拠を提示できず、「なんとなく~」とか「交通事故の死亡者より自殺者の方が多いご時世だから、当然乾いた時代だと思うじゃないですか」と言ってくれれば、交通事故の死亡者の換算がどのように変わったかを提示して、必ずしも、自殺者が交通事故により死亡者の3倍とは言い切れないって、説明できるんです。

説明できたら「かわいた時代」と感じるその人が感じる根拠に誤りがあるってことで、勘違いを前提に思考したとしても、何の解決にも何も生み出さないわけです。

「人間が空を飛べるという前提で、これからビルを作りましょう」ってビルの設計を懸命にするって、意味ないですよね?
それと一緒。
現実に則していなければ、いっくら思考しても、そりゃ哲学じゃない。


3.
学問としては文系に入りますが、範囲が無限なので、哲学は理系においても思考に利用されていると思います。
だって、脳の中の幽霊の人が書いた本 哲学的な内容ですもん。


4.
限度なし。
神の存在を否定することは容易なんです。
が、逆に神の存在を証明することは難しく、できた人は一人もいない。

で、否定することは簡単で、「これは神の力だ」と神の存在を主張する人が出した根拠を検証して、自然現象と実権で再現したりすればいいんですね。
中には詐欺して、神がやったと主張したり、噂が事実となり、実際は無かったことが、あったとして広まったりしているって結構多いんです。

じゃあ、神はいると主張した人が10証拠として提出したものが、全部 嘘だったと反証したとしても、まだ神の存在を否定できたことにならない かといえば、まず、存在すると言い張るのなら、それを証明しなければ。

例えば、上半身が人間で、下半身が魚の生き物がいると主張するには、ちゃんとした証拠を出さないといけないですよね。
化石でもなんでもいいですから。
そういうことをすっとばして、「人魚姫って物語があるじゃないか。これが何よりの証拠だ」って言われても、存在したことが証明できたことにならないですよね?

哲学は、現実に則していなけばならないってのが大前提。

宇宙人はいる だから 我々は宇宙人の来襲に備えて、国防費をもっと確保するべきだ もっと税率を上げるべきだ って言われても、納得できないですよね。
防衛大臣がその思想ですから、日本は困ったもんですが。。。。
まず、いるって証明しないと、、、、

あなたは<宇宙人を見たことが無いとしても、だからといって宇宙人がいない証拠にはならず、ということは宇宙人がいる可能性は0ではないので存在すると言える。 その中には地球を征服しようとする宇宙人もいる可能性が0ではないってことはいるってことで、消費税をあげて、もっと地球にもたらす宇宙人から地球を守るために、税率を上げるべきだと主張します?

アメリカがやってしまいましたよね。
イラクは大量破壊兵器をもっている可能性があるので、やっつけましょう って。。。。
その時の小泉さんもすごい理論でしたよね。
「イラクが大量破壊兵器を持っている可能性があるそうなので、アメリカの戦争を支持します」って。

おかしくないですか?
可能性がある だけで戦争するんかい!
証拠無しに戦争するんかい!


これ、哲学じゃないですよね。
ドンキホーテよりひどい妄想により虐殺。
日本も加担しちゃいましたね。

哲学ってなんでしょうね。
何か役にたつんでしょうかね。

あの頃、かなり戦争に反対したんですが、一人の力じゃ食い止められなかった。
この程度なんですね 哲学って。
力の前には無力なんです。

そういえば、あの頃 キリスト教徒の人とかなりやりあってまして、キリスト教徒の人は、「自分たちの宗派は今回の戦争に反対しています。」って言ってましたが、そのキリスト教徒が一致団結して殺戮戦争を支持したんですね。

あの宗教が無ければ、ユダヤ人虐殺も無かったでしょうし、間違いのイラク戦争も無かったでしょうね。

テレビの番組でイスラム教のビン・ラディンがインタビューに答えていましたが、どうやら言葉(対話)では、もうキリスト教がイスラム世界を乗っ取ることを阻止できない と判定したようです。

言葉が通じないので、対話を放棄せざるを得ないので、武力で押し返すしか手立てが無いってわけですね。

言葉を使わず武力を使う。
動物と一緒。

最終的に人類は哲学を放棄することになりそうです。
言葉が存在しないと、哲学も存在できないという哲学の宿命でしょうか。
哲学の終焉を感じさせるご時世ですね。
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この回答へのお礼

奥深い話ですね。やはり証明ができていないと哲学にならないんですね。根本的な理由=証明という捉え方でいいですよね!勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/10 14:34

哲学、思想、宗教・・・言葉の違いはありますが、どれも人生を生きていくときに役に立つ知識であり道具です。


知識は行動することによって、個々の生活の中で初めて役に立つものです。
知っているというだけで使わなければ道具は錆付いてしまい、いつしか埋もれて見えなくなってしまうでしょう。
そう前置きした上で・・

>1.あやふやなんですが、哲学は考えや思想とは違って、決めたテー
>マの根本的な理由の事だとどこかの本で読んだような気がしたんで
>すけど、哲学は考えないと哲学になりませんよね?なので哲学が考
>えと違うといのはありえないと思うんですがどうでしょうか??

哲学も思想も知識という道具を表現した言葉に過ぎません。
考えるというあなたがあってはじめて成立するものです。
木に釘を打ち込むためにはトンカチと釘が必要ですが、それを使うあなたという存在がなければ全く意味がないということです。
また、その釘を必要な場所に正しく打ち込まなければならないわけですがそれを決めるのはあなただということです。
道具を正しく使うか、誤って使うかもあなた次第ということですね。
哲学と考え・・・つまりあなたという意思決定機関が考えで哲学はその道具です。
あなたと道具は別々です。あなたが常に優位であり主導権を握っているのです。
道具を誤って使い大変な事態を招いてしまったとしても、道具のせいではありません。

>2.ある人が言った言葉なんですが、水をテーマにして、「乾いた時>代だったり乾いたシーンが多いけれど、そうゆうことではなく
>て、もっと潤った気持ちで人を愛したり、人に愛されたりする時代>に、僕達は入らなければいけない」という事を言っていたんです
>が、これは哲学ですか?

誰が何を言ったかということよりも、あなたが何をしたか、どう感じたかということが最も肝心なことです。
それらの言葉にあなたが何を感じ、実際の生活で活かし経験することによってのみ感じ取れるものです。
「愛」というものを言葉で表現しても乾いたままです。
それを実際にあなたが体験することによってはじめて潤うという感覚を得ることができるのです。

哲学という道具だけを見て価値があるかないかという事を決めることはできません。
それに価値を付与するのはあなた自身なのですから。

>3.哲学は理系と文系どっちに入るのでしょうか?

山を登ろうとしたら、そのルートはいろいろあるように・・。

それはいろんな個性を持った人々が、それぞれ自分にあった表現を選びそれを見出すために必要なことなのです。
どちらか二つという選択肢で線を引けるものではありません。
理系的な側面からそれを見出す人もいれば、その逆で見出す人もいます。
また、100円玉には裏も表もありますが、お店のレジで裏を出し
ても表を出しても100円です。どちらにも同じ価値があるもの・・・という例えもいいかもしれません。

>4.哲学はどこからが哲学なんでしょうか?例えば、神はいるの
>か?をテーマにして、「自分が見たことがないのでいない」という
>のも哲学なるんでしょうか?

そのとおりです。
哲学とは皆同じものではありえません。
その人にとって、もっともだと思ったものの積み重ねが哲学であり思想でありまた宗教なのです。
おなじ宗教を信仰している人でも、その捉え方がさまざまであっていいのです。
理性が反発するものすらも、とにかく信じなさいとするものが
それであるはずがありません。
すべてはあなたという個性を通じて、理性というフィルターにかけられて濾過され、もっともだと思ったものだけがあなたにとっての哲学になるのです。
自分というものを後ろに追いやり、正しいと思わないものまで、わからないものまで信じるものは哲学ではありません。
あくまで、あなたがその時点で正しいと思う知識の寄せ集めたものが
それになるのです。

ですから、その人にとって神はいないとするならばそれを否定することは誰にもできないのです。
自分の使う道具をかざし、その人に対して
「お前の道具は偽者だ!!」
こんなことをいったら喧嘩になります。
その人にとっての道具がそのひとにとって使いやすければそれでいいのです。
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この回答へのお礼

なるほど、哲学であり思想でありまた宗教ですか。やはり一人一人感じ方、捉え方が違いますよね。勉強になります!ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/10 14:28

まず最初に「学問とはなんぞや?」から考えなければならないでしょう。



・体系化されている
・一般性/法則性/再現性がある
・意味や目的がある

こういった特徴がある知識が「学問」です。
(他にも細かい定義はありますが、今回の話の範囲ではこれで十分)


1.体系化もされていない・一般性や法則もない・意味目的もない…という「考え」では哲学にならない。
あくまでそれらの事を考慮し、意味や一般性(→他の人にとっても意味がある)がある「考え」でなければ哲学にはならない。


2.状況(乾いた時代等)と行動(潤った気持ちで人を愛したり等)は書いてあるが、状況の詳細な説明が無く曖昧極まりない・どういう目的で行動に至るか?・結果何をしようとしているか・それが本当に一般性があることなのかの説明・証明が無い。
なんで、これだけでは哲学という学問としては不足している要素が多すぎる。
全部ちゃんと証明できる説明があって初めて哲学になる。

3.普通文系
もっとも証明のために統計学・心理学等は当然知ってるくらいの前提は必要。


4.哲学自体は、人の考え方(考え方・目的等)の学問。

「神はいるのか?」という事だけでは、人の考え方の研究には無関係。なんでそれ自体は哲学にはならない。
神が居る事を前提として or 神が居ないことを前提として、その結果人間はどう考え、どう行動するべきか?となって初めて哲学に繋がる。

また「自分自身が見たことがないから」というのは、学問として考えると一般性/法則性/再現性に全く欠ける理由なため、他人からすると証明力が全くない。
よって学問の理由として使うには全くの不適切。



あと、よく「○○の人生哲学」などと称する物はありますが、厳密な学問として考えると殆どが学問としては欠けています。
ほとんどが単なる経験則程度であり、特に証明力が根本的に欠如しています。

それでも偉人の経験則ってだけで一般人にとって参考になる程度の事項は多いんで、読み物程度には役立つってだけです。
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この回答へのお礼

やはり哲学は難しいですね;でも哲学にも考えるコツとかパターンがあると思うので自分で見つけて頑張りたいです。勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/04/10 14:24

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