村上春樹 (「1973年のピンボール」「羊の冒険」「セカイノオワリトハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」)
ウォン・カーワイ (「天使の涙」「欲望の翼」「花様年賀」)
ガルシア・マルケス (「予告された殺人の記録」「百年の孤独」)
エミール・クステリツァ (「ジプシーのとき」「黒猫、白猫」「アリゾナ・ドリーム」)

ということを考えてみました。
これらの作家の共通点やどうして、僕がこれらの作家に惹かれるのか
教えてください。
また、同じような喪失的な物語を描く作家を教えてください。
よろしくお願いします。

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A 回答 (9件)

失礼、カーワイとエミール・クステリツァは映画監督なんですね。

これは読めません。観ようと思います。
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村上春樹とガルシア・マルケス以外は未読ですが、趣味が少々重なる様子。


私も読んでみます、カーワイとエミール・クステリツァ。

イギリスの作家、イアン・マキューアンはどうでしょうか。
「時間のなかの子供」などお趣味に合うかと思います。
レビューなど読まずに、ストーリーを一切知らずに読んでいただけるといいのですが。

あなたのことはわかりませんが、。私が村上春樹とガルシア・マルケスに惹かれるのはつまりカタルシスなのではないかと時々思います。実際のところはわかりませんが。
でも目を背けてはいけないことだと思います。多分根底に流れているものです。
でも、彼らの物語は結局は前向きだと思いますよ。喪失的ではありますが、人生を諦めてはいません。全然。
私はむしろ、喪失感を抱えながら日常をうまく生きていく方法を彼らに教えてもらっているような気がするのです。
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それと、年齢に応じた経験をする事(恋愛も含めて)が、実際に、社会にでて、嫌も応もなく、人の中にいないといけない状況で生きている事が続くと


若い頃、仲間(利害関係のある社会人になってからのつきあいと違い・・・)や女の子との(純粋で、ちょっぴり、不器用で・もどかしい)との
恋愛経験がどれほど貴重なものであるか、そしてそれを踏まないで年を重ねてしまう事がどれほど、寂しいものか・別の意味での、心の欠如として
たわいない日常を送っているのに、心を、責めるか、を悟る日もくるでしょう。

かつて、私も若い日に読んだ本の中でも、それを嘆いていた方もいました。でも、経験は、若さでしか許されない経験、人とふれあう事の経験は、時間は取り戻せない貴重なものです。本は、いくつになっても読めます。
でも経験は、あなたの年での経験は今、しておかないと、もう、2度とは
経験する事はできません。私は、あなたの心の中に、一生取り返せない心の
隙間を造らないでいられるように、あと、わずかな期間の経験を大切にされる事を(面倒がらずに、ぶつかってみる事を)希望します。

何度も失礼しました。
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追加です。

あなたがもし、現在の孤独(人との接触を求めているだけ)のままにい続けるなら、どんなに有名な大学の学生さんでも、社会からの落伍者になるでしょう。(私はそういうかつかつの生活を送っている人を沢山しってます。人との接触なくして社会にでて、生活する事は出来ないんですよ。)

あなたは、秀でている所のある人だと察します。旅がすきで、いろいろな事をしっているなら、出来るだけ早く、それを社会にでて活かせる様な職業を今から目指して、そのつきあいの中に飛び込み、(多少は人間関係の摩擦はありますが、努力しないで逃げていたら、あなたも、落伍者です)今をきづいてゆかないと、これから大変ですよ。

全く求める回答でなくて失礼しました。
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この回答へのお礼

プラトンの「恋愛論」、トーマス・マンの「トニオ・クレガー」
ですね。
まだ、読んでいません。
この機会に読んでみようと思います。
今大学にいるし。

バイト先で人間関係は多少生じます。
僕はそれを楽しむことが多少できるので、努力すれば何とか
なると思います(僕は人間関係が苦手とか、苦しいとか
ではなくて、ただ単に面倒くさいとか、ややこしいとか
感じてしまうだけなんです。これは慣れの問題だと思うように
最近なりました。)。

秀でているなんて、そんなことはよくわかりません。
おだてられると調子に乗るので(しかも避けがたく)、うまく
回答できるかわかりませんが、僕も別に世捨て人ではまったくないし
社会でよく生きていこうという気持ちは少なからず持っています。

ただ、ちょっぴり社会に対しはすに構える癖があるので
(癖です。多分、人生がうまくいかなかったときに身に付
けてしまったのでしょう)、社会の落伍者になる可能性が
無きにしも非ず。そこら辺に気をつけて、精進して行きたいと
思います。

話に付き合っていただきありがとうございました。
喪失感など後ろを見るより、強制的にでも前のほうを見て
生きていきたいと思います。そういう人のほうが魅力的だし。
では。

お礼日時:2002/12/10 13:32

4の方と逆なんですが。

あなたの喪失感を追求するのもいいかもしれませんが、連帯感を感じられるでしょう。それなりに。

プラトンの<恋愛論>って読まれましたか?あの時代より、喪失感は大きな結びつきの前提でしたよ。誰もが皆、喪失感を、抱き、そして、埋める為に書いていると思います。(逆もあるようですが、)

かつて、ベストセラーになったトーマスマンの<トニオ・クレガー>には、2種類の芸術家が出てきます。一つは、芸術に専念する人達。もう一つは、あなたと同じ様な、人間関係の喪失を自分自身の根源的な希求として意識せざるを得ない芸術家です。質問者様は、外国の放浪の旅に人とのつながりを求めているのをお聞きし、あなたは、前者かと思いましたが、認識している点では、後者でもあると思います。

日本文学や、マルケス(他は私は知らないので)の喪失は、アジアの特色で
弱い人間に優しい、風土から出ていると思います。アジアもまたしかり。今のアジアは、発展途上ですから、喪失感に酔い、孤独を語る作家は私は若く将来のある若者には、必要以上に薦めません。あなたはそれで連帯感を得られるかもしれませんが、(あなたの素質にもよるので、これ以上は自分で判断されるでしょうが)

私は、下のかたの紹介された本は読みましたが、私の心には、全く残りませんでした。それでも喪失感に無縁だったわけではありません。破戒やこころなどには言いたい事山程!の人間です。

なぜ、自分がその作風に引かれ、どこにたどり着くのかは、自分自身で回答をだしてください。自分自身で、自分と作品を向き合ってゆくしかないと思うのです。ぴったりの回答を他者から得ることはできないでしょう。
でもしいて言えば、私も、1の方と同じに、違った方向のものに手を出すと
道が開ける場合があると思ってます。

マンの<詐欺師>は、あなたの様な一般人とは違う人間が、一般人のふりをして生活しているその苦悩を告白したものだと聞きます、ドイツの文学には
概して、ヨーロッパの超有名作家には、そういう傾向があります。一般人と
同じ生活をする事、その為の精進、勤勉さを勤める事、それでも癒されない孤独や悲しみを作品を書く事に依って癒している。そういう方達の作品もたまには、どうでしょう?

そして、私は思うのですが、あなたは行き着いたのではないかと、つまり、
そろそろ空想では、満足できない時にきているのではないでしょうか?
学生さんで、これから社会人なら、最適ですね。これからは実生活に邁進したらいかがでしょう?実生活は孤独などという贅沢は、そうそう得られません。人との接触が贅沢なのではなくて、人は一人では生きられないので。
親の庇護下の学生さんくらいしか。

そろそろ、時がきたのでは。実生活に羽ばたくべき。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

僕も実社会で生きていくことに興味があります(なんか変?)。
実学に。でも、なぜかそれを追及していかない自分がいます。
なぜだろう。
実社会で力を持つために勉強する人(資格試験その他)に対し、
昔は反発を抱いていましたが、今はまったくありません。
逆に自分でもやってみようと思っています。
就職活動も始まっているようだし、ちょっとがんばってみようかな
と思います。

お礼日時:2002/12/10 13:22

こんにちは。


なぜかボロボロになられた・・ということですが
喪失感を追い求めているのでしょうか・・
そこから、何かを見出そうと思っておられるのですね。

さて、お勧めの文学は、純日本文学です。
今から書くものは、喪失感や虚無感がただよっていて、
なんてこの世は汚いんだろう・・とか人の心って・・って
考えさせられました。

太宰治「斜陽」
島崎藤村「破戒」
田山花袋「布団」
正宗白鳥「泥人形」
夏目漱石「こころ」

なんかがいいですね。。。読んでいて、切なくなります。
きっと自分だけがそうなのではない、と思われると思います!

あと、サガン「悲しみよ、こんにちは」
とか、著者忘れましたが「ゴリオ爺さん」なんかも
「人はなんのために生きてるんかな・・・」とむなしくなりました。

よかったら、読んでみてください!
Evianusさんの求めている答えがみつかるかどうかわかりませんが・・
人とのふれあいを求めて、旅をされているとのこと、
私はいい経験をされていると思います。
人生に無駄な経験なんて、一つもないと思います!
私は太宰治が大嫌いでしたが、作品を読んで、ますます退廃した彼の
考え方に、キライだな~~と思いました。
でも、、、なぜか、彼がそれを書いた心境がわかる気がして、
それを高校の卒論にしました。

とおい外国で自分探しもできるけど、
日本にいながらにして、いろいろな作品にふれて、
いろいろな考えや感じ方にふれたり、共感できることも多いと思います。

是非、頑張ってほしいです。
お役に立てば、これほどうれしいことはありません。

この回答への補足

追加です。
僕の抱いている感情や、fushigichanさんに紹介していただいた
本に共通して流れている感覚に名前を付けるとしたら、
どういうものになるでしょうか。

なにかアイディアがあったら教えてください。
よろしくお願いします。

補足日時:2002/11/09 02:30
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この回答へのお礼

こんにちは。
お勧めの作品の中では
「斜陽」
「こころ」
はすでに呼んでいます。
田山花袋の「布団」は買ったまま、本棚に眠っていそうです。
正宗白鳥、島崎藤村も機会を見つけて読んでみようと思います。

「斜陽」と「こころ」について、そうですね。
なんだか、いいですね。
僕もこの二つは高校時代に読みましたよ。
特に「こころ」はとても印象深い作品でした。
なんと説明すればいいのだろう。
とても、静かで透明で、人生を真摯に見つめる目?
よくわかりません。記憶も確かでないので変な感想になって
いるかもしれません。

「ゴリオ爺さん」は有名なバルザックの作品ですね。
「悲しみよ こんにちは」フランソワーズ・カザン
二人ともフランス人作家ですね。読まねば!!
絶対読むと思います。教えてくれてありがとう!

喪失感を求めている。確かにそうかもしれません。
自分の傷を癒すために、似たようなものを追い求めている
のでしょうね。

お礼日時:2002/11/09 01:49

こんにちは。


人との接触を求めるということが贅沢なことか否か、ということはボクにはよくわかりません。わかりませんが、とりあえず、ボクの勝手な解釈を書いてみます。
>「人との接触を求める」というのは贅沢な感情でしょうか?
もしかしたら一番ゼイタクなことかもしれないし、当然のことかもしれないです。一番贅沢なことになるであろう理由は、その接触した相手に自分の欲求や自分の理想、そして自分のアイデンティティを投影して、それが完璧に満たされることを望めばそれは、かなり贅沢なことでしょうね。
でも、必ずしもそうである必要がなく、ただ漠然と人と接したいと思うことは自然な欲求だと思いますよ。男女の話だけでなくとも、とにかく生物である以上、単独だと絶滅しますからね。とにかく時が来るまで絶滅してはいけないというのは、どうやら自然の摂理みたいですから、絶滅を避けるためにも接触を求めるんでしょうねぇ。
ただ、Evianusさんの文章を読んでいる限り、喪失しそうになっている、自分のアイデンティティを再発見するために人との接触を持とうとしていて、さらにそれを、物理的に、時間的に、さらに文化的にも違うところに求める傾向があるようなので、ものすごく贅沢なことになっているかもしれません。ちょっとその辺で、ということにならない所は贅沢と言えるかもしれませんね(気持はわかるけど)。

ちょっときついことを書いてしまいます。
>といっても、このようなバックパッカー・スタイルは、今となってはありふれて
>ますけどね。
このスタイルは、今、自分の住んでいる所から離れる人の定番のスタイルですよね? 全員がそうだとは言いませんが、このスタイルをしてまったく違う世界をを歩いていることによって、バックパッカーの一人だと思って安心してませんか? つまり、出かけた先の外国でのそこの住人との接触よりも、自分と同じ格好をしている(同じ種族)人間との接触を求めている所はありませんか? 結局、自分はどこかに属したい、そんな気持が強いからこそ、僻地に定番の格好をして出かけるのではないでしょうか?

>実際その逆で、「傷を負わな過ぎた」のだと思います。
これに関しては、ある部分に関してはやはり傷ついているのだと思いますよ~。
というのは、傷つかないようにする、人とほんとうに四つに組んで関わるようなことをしないでいる、ということはつまり、使われていないということと一緒で、家や道具も使われていないで放置されているほうが痛みやすいんですよ。逆にしっかりともまれているほうが、メンテナンスが行き届いていたりして、細かい傷は付いているかもしれませんが、本体のほうはまったく問題なく、どこも壊れていなかったりするものです。
だから、傷ついている、ボロボロになっていると思っていたのであれば、それはそれとして認めてるというのだって、自己認識としては間違ってないんです。
しばらく乗っていなかったクルマに久しぶりに乗るとき、いくら見た目がピカピカでもやっぱりエンジンやブレーキのことを考えるといきなり本調子で運転するようなことはボクはしません。まずは徐々に慣らし運転をして、それから様子を見て、直す箇所があればなおして乗りますよ。とりあえず、自分のペースをつかむ、それから自分なりに考えることがあれば考えればいいのではないかなぁ、と思いますけど、いかがでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>このスタイルは、今、自分の住んでいる所から離れる人の定番のスタイルですよね? 全員がそうだとは言いませんが、このスタイルをしてまったく違う世界をを歩いていることによって、バックパッカーの一人だと思って安心してませんか? つまり、出かけた先の外国でのそこの住人との接触よりも、自分と同じ格好をしている(同じ種族)人間との接触を求めている所はありませんか? 結局、自分はどこかに属したい、そんな気持が強いからこそ、僻地に定番の格好をして出かけるのではないでしょうか?

ここに関してちょっと意見の相違がありますね。
僕はなぜ自分がバックパッキングが好きなのか。ということ
を過去に考えてみたことがあります。世間に疑問を抱いていたのに
既存のスタイルを踏襲して、恥ずかしくないのか?
しかし、当時僕はそういうことを考える心の余裕があるはずもなく、
とりあえず行動。ということで、既存のスタイルから自分い
最もあったバックパッキングという方法をとったのです。
その理由としては本当に簡単なのですが、
「人とコミュニケーションをとりたい」ということです。
だから、現地であった日本人とも交流するし、現地人とも交流します。

この前フィリピンに行ったときは最初の5日間は、宿では
日本人とばかり話していました。(豪州人、韓国人、比人少々)
しかし、それ以外の2週間半はマニラを離れたこともあり、
一人も日本人と会いませんでした。片言のフィリピノのと
英語で旅をしていました。

中国では日本人についで韓国人の旅人が多いのです。比較的
大きな都市の場合は、彼らと宿で出会う確立も高く、行動を
ともにすることも多いです。
しかし、中国にはもう数ヶ月も旅をしています。そのときに、
日中辞典を持って行って毎日持ち歩きことあるごとに言葉を
勉強しているし、ある程度文法もできるので、簡単な会話は
現地人と「北京語」(公用語のようなものです)で行います。
移動のとき、中小都市の場合は十何日も日本人と会えない。
ということもざらです。
宿は、中国人のふりをして自分で交渉し、格安の値段で泊まります。
ちょっと危険でした。

モロッコに3週間滞在したのですが、このとき日本人はほとんど
いませんでした。
会話はアラビア語は無理なので、公用語であるフランス語で行いました。
会話帳に乗っている程度の会話です。


海外である日本人はとても魅力的です。
だから、日本人に会いに海外に行っているといわれても、
それは間違いではありません。しかし、退屈な場合もあり
そういう時は、その場を去るだけです。

格好は定番のイメージがあると思いますが、実際さまざまです。
僕は、きれいに着飾るのが多少面倒くさいということもあり、
適当な格好、人に迷惑をかけないような格好で旅をしますが、
このスタイルも人それぞれです。予算もそれぞれ。
旅の目的もそれぞれです。
バックの形もそれぞれです。
バックじゃなくたっていいですし。
この前中国に行ったとき、ちょっと大き目のデイバックで
旅行してきました。
そんなに荷物は必要ではなかったし、格好も普段着でした。3週間だったんで。


僕が海外に出かけるのは、とても簡単にわかりやすく異文化交流
(コミュニケーション)ができるからだと思います。
日本人にコンプレックスを持っていた僕も、さまざまな日本人と
出会うことでそれを払拭することができました。

僕がいいたいのは、日本でこのような出会い方が僕にはし
ずらかったということです。

お礼日時:2002/11/08 17:07

こんばんは。


>僕はぼろぼろに壊れたような気がします。
>そこから回復しません。
結局、ここなんだと思いますよ。
ボロボロになるという状態は誰しもがなる危険はあるわけです。その時に、おもりを乗せられて、潰れそうになる、足取りが重くなるタイプもいれば、ほんとうに自分の一部が粉々になってしまう人もいますよね? そういう場合に、壊れてしまったものをどうやって修復するかの作業の方法が、質問にある作家とEvianusさんが近い作業をするのだろうと思います。
何かを自分のなかで整理するとき、はたまた自分にわからないことを納得させるときに必要になってくるのは「言語」である可能性が高いわけですから、この質問の作家はある部分まで、Evianusさんのやるべき作業を代わりにやってくれてしまうのだと思います。作家の描く世界は読者にとっては疑似体験の世界になるわけですから、読んでいる最中は読者の中にも本の中で描かれる世界が生き生きと再現されて行くわけです。
先の回答では、詩をお勧めしましたが、今度は逆にまるっきり違う世界の文章に飛び込んでみると言うのも自分の回復方法だったりしますよ。文明国の住人が砂漠に行くことによって一息ついてくるということもあるわけですからね。ばかばかしいと思うかもしれませんが、椎名誠の『岳物語』あたりを読んでみてください。もしかするとほっと一息つけるかもしれません。
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この回答へのお礼

いちお僕も文明国の住人ですよね。
で、僕も例に漏れず旅人になってしまったわけで、
親に借金をして、サハラ、ゴビ砂漠と行って参りました。
サハラは一応目指していったのですが、ゴビは”流れ着いた”
という感じで、中国旅行の際にちょっと寄ってきました。
敦煌付近です。

砂漠で癒されましたね。
何ででしょうね。
何もないからいいのでしょうね。
外国なので金銭的にも少し余裕ができるし。
砂漠だけではないのです。旅をしているときはいつも、少し
づつ癒されていきます。
僕は人との接触を求めているのだと思います。
本当に。

【追加で質問させてください。できればこれだけでもいいので返答お願いします】
「人との接触を求める」というのは贅沢な感情でしょうか?
これが少なすぎて死にそうなので、僕は休みになると金をためて
海外旅行をします。個人です。飛行機の手配からその日の宿まで。
といっても、このようなバックパッカー・スタイルは、
今となってはありふれてますけどね。

【ぼろぼろ】
どうして僕が傷ついたか。
ということを考えているのですけど、本当は僕は傷ついては
いないんです。
実際その逆で、「傷を負わな過ぎた」のだと思います。
傷というのはコミュニケーションの失敗などで、僕はコミュニケーション
自体希少でしたから、傷つくことにまで達しない。
そして、その不足の感情から自らを苦しめるにいたったのだと思います。
ちなみに、彼女や親しい友達はほとんどいません。

回答ありが乙ございました。
椎名誠は「熱風大陸ーダーウィンの海をめざして」と「中国の鳥人」
を読みました。
「中国の鳥人」はこれを原作にした三池崇史の同名映画で
初めて知りました。
映画『中国の鳥人』は癒し系映画の最高峰です。

それでは、本当に回答ありがとう!

お礼日時:2002/11/08 02:39

こんばんは。

Evianusさんお久しぶりです。
多分、それらの作品が、心の中にある原風景の断片をたぐり寄せるようにして、モザイクのように組み立てたものだからではないでしょうか?
Evianusさんにとって体験や感情とは過去から未来へと明確に線として連続するものではなく、その時々に体験することや感じることがその都度、強烈な刺激となり、それまでの体験や記憶が一時的にせよ破壊されてしまい、破壊されてしまったその記憶や風景を再度自分のなかに作り直そうとすると、これらの作家の描き出しているような世界になって行くからなのではないでしょうか? 
壊れたなくしそうになっているその瞬間に拾い集め、組み上げ直す、そんな作業をしている感じの作家ですよね。
今度は散文ではなく、詩の世界に行くしかないのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

お久しぶりです。

僕はぼろぼろに壊れたような気がします。
そこから回復しません。

少し新しい自分に気が付きました。
ありがとう。

お礼日時:2002/11/05 00:37

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Q「リレーショナルデータベース」と「データベース」

「リレーショナルデータベース」と「データベース」は何が違うのでしょうか?
accessはリレーショナルデータベースとの事ですが,普通のデータベースと何が違うのでしょうか?

[データベースはこうだけど、リレーショナルデータベースはこうだよ!]
って教えて頂ければ助かります。

Aベストアンサー

データベースというのはデータの集まりのことで、ソフトウエアのことではありません。データベースという用語は法律でも定義されています。
著作権法第2条第1項十の三
 データベース 論文、数値、図形その他の情報の集合物であつて、それらの情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したものをいう。

リレーショナルデータベースとは複数のデータベースを組み合わせて(関連付けて)一体として管理するデータベース構造(スキーム)のことであり、組み合わされる個々のデータベースのことはテーブルと呼びます。もちろんリレーショナルデータベースもデータベースの一種です。上記の法律の条文に照らしてみれば明らかでしょう。
EXCELのような表計算ソフトでもデータベース(テーブル)を構築することはできますが、リレーショナルデータベースを構築するには専用の管理機構が必要で、表計算ソフトでは構築不能です。

Accessのようなソフトはこのデータベースを管理・操作するためのソフトウエアであり、分類上「データベースソフト」あるいは「DBMS(データベース・マネジメントシステム)」と呼ばれます。素人向けはデータベースソフト、業務用はDBMSと呼ぶのが普通です。なお、マイクロソフトではAccessのことを、一般向けにはデータベースソフトウエアと呼び、技術者向けにはDBMSと呼んでいるようです。これらのソフトウエアで管理・操作する対象がデータベースでありリレーショナルデータベースなのであって、Accessなどのソフトウエアがデータベースなのではありません。

パソコンが仕事で使われることの少なかった初期(主にホビー・家庭用途)は、パソコン上で動作するデータベースソフトは「カード型」などのリレーショナル機能のないものが主流でした。住所録管理程度であればこれで十分でしたし、当時の表計算ソフトは現在のような大量データは扱えませんでしたから(最大500行とか)、Windows普及以前はデータベースソフトと言えばリレーショナル機能のないカード型ソフトが家庭や零細企業では普通に使われていました。
リレーショナルデータベースがあっても高価で(ビジネス用で一番普及していたdBASEは定価268,000円だったはず)、システム構築も簡単ではないので、システム化の進んだ大手企業やその関連会社でもなければ導入していないのが普通だったと思います。

データベースというのはデータの集まりのことで、ソフトウエアのことではありません。データベースという用語は法律でも定義されています。
著作権法第2条第1項十の三
 データベース 論文、数値、図形その他の情報の集合物であつて、それらの情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したものをいう。

リレーショナルデータベースとは複数のデータベースを組み合わせて(関連付けて)一体として管理するデータベース構造(スキーム)のことであり、組み合わされる個々のデータベー...続きを読む

Qガルシア=マルケス 百年の孤独 マコンドの終り

ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読みました。
最後の消滅の話なんですが、突然嵐がやってきて消滅ということなのでしょうか?唐突すぎて若干理解できなかったのでどなたか教えてください。

Aベストアンサー

そうです。本に書いてあるとおり、マコンドの町は「風によってなぎ倒され」消えてしまったのです。

質問者さんのおっしゃる「理解できない」感覚は、おそらくわたしたちが慣れ親しんだ小説、西洋の小説の枠組み(日本の文学も明治以降、西洋の小説を一種のお手本として成立していきましたから、この系列に入ります)でもって『百年の孤独』を読もうとするから、「なんでそうなるの?」というクエスチョンマークとともに取り残されるのだろうと思います。けれども、ガルシア=マルケスを含むラテン・アメリカの文学は、そうした西洋の小説とはものすごくちがう。

西洋の小説では、ほかの誰ともちがう、くっきりとした個性を持った主人公がいて、彼または彼女の性格が引き起こした行動によって、事件が起こります。それをめぐってさまざまなことが起こり、事件は解決するとともに、主人公は内面的な成長を遂げるか、あるいは死ぬかします。始め-中-終わり、という直線的な時間の流れがあり、同時に「始め」と「終わり」が対応する、という特徴を持っています。

たとえ常識では考えられないような、魔法だとか、不思議な島だとかが出てきたとしても、主人公はその非日常的な場所へ、行くか投げ込まれるかして、かならず日常に戻ってきます。そうした安定した確固たる世界があるがゆえに、わたしたちもその不思議な現象を、「そういう世界での話」として括弧にくくって、安心して受け止めることができるのです。

ところが『百年の孤独』の中には、そんな「くっきりした登場人物」は登場しません。

もちろん最初のホセ・アルカディオ・ブエンディーアは錬金術師であり、マコンドの村を作り上げるほど、創意に満ちた人物ですし、その妻のウルスラも、そんな彼と互角に渡り合えるほどの強い個性のもちぬしです。その子供のホセ・アルカディオもマコンドで誕生した最初の人間アウレリャーノ・ブレンディーアも、それぞれに「個性的な」人間です。けれども、それがアルカディオ、アウレリャーノ・ホセとなると、それぞれにちがうのですが、ひとつひとつの名前がまるで寄せては返す波のように、少しずつ形を変えながら繰り返され、そのうちにわたしたちにはちがいが判然としなくなってきます。

それに合わせて、さまざまなことが起こります。アウレリャーノ・ブレンディーア大佐は銃殺されても死にませんし、レメディオスは空に舞い上がって天に昇ってしまう。登場人物同様、ひとつひとつの出来事はくっきりしたものなのですが、そうした出来事が、「なぜ起こるか」という因果関係も判然としないまま、これまた寄せては返す波のように繰り返し起こり、わたしたちの「どうしてそんなことになるのだろう」という疑問は答えも出ないまま積み重なっていきます。

そうして、途中まで横にどんどん広がっていった家系図が、最後のただの「アウレリャーノ」一人になり、予言は成就し、一族は消滅します。それと同時に町もなくなる。そうして、時間がぐるっと回って元に戻るんです。

円環する時間の中では、「何のためにこんなことが起こったのか」と意味を求めても、「どうしてこうなるのか」と原因を求めても無駄なことです。意味も原因も、一方向にしか流れない、不可逆的な時間をさかのぼることによってのみ、成立することがらだからです。

西洋とまったくちがう世界観を味わう。円環する時間というものを体験してみる。そんなふうにこの小説を受け取ってみてはいかがでしょうか。

そうです。本に書いてあるとおり、マコンドの町は「風によってなぎ倒され」消えてしまったのです。

質問者さんのおっしゃる「理解できない」感覚は、おそらくわたしたちが慣れ親しんだ小説、西洋の小説の枠組み(日本の文学も明治以降、西洋の小説を一種のお手本として成立していきましたから、この系列に入ります)でもって『百年の孤独』を読もうとするから、「なんでそうなるの?」というクエスチョンマークとともに取り残されるのだろうと思います。けれども、ガルシア=マルケスを含むラテン・アメリカの文...続きを読む

Q【エクセル】データベースシートの値を印刷用シートに2段に分けて返すには?

データベース上では1行で横方向に複数のデータを落とし込んでいますが、
印刷用のシートはレイアウトの関係上1行のデータを2行ずつに返しています。

1人目1行目の各セルは
 A4=IF(データベース!A1="","",データベース!A1)
 A5=IF(データベース!B1="","",データベース!B1)
 A6=IF(データベース!C1="","",データベース!C1)
2行目の各セルは
 B4=IF(データベース!D1="","",データベース!D1)
 B5=IF(データベース!E1="","",データベース!E1)
 B6=IF(データベース!E1="","",データベース!E1)
2人目一行目(上から三行)の各セルは
 A4=IF(データベース!A2="","",データベース!A2)
 A5=IF(データベース!B2="","",データベース!B2)
 A6=IF(データベース!C2="","",データベース!C2)
2行目(上から4行目)の各セルは
 B4=IF(データベース!D2="","",データベース!D2)
 B5=IF(データベース!E2="","",データベース!E2)
 B6=IF(データベース!E2="","",データベース!E2)

これだと下にコピペすると参照先がずれてしまいますので手入力してます。
Row関数などを使って上手く参照させるように出来たらと考えています。
いい方法は無いでしょうか?

よろしくお願いいたします。

データベース上では1行で横方向に複数のデータを落とし込んでいますが、
印刷用のシートはレイアウトの関係上1行のデータを2行ずつに返しています。

1人目1行目の各セルは
 A4=IF(データベース!A1="","",データベース!A1)
 A5=IF(データベース!B1="","",データベース!B1)
 A6=IF(データベース!C1="","",データベース!C1)
2行目の各セルは
 B4=IF(データベース!D1="","",データベース!D1)
 B5=IF(データベース!E1="","",データベース!E1)
 B6=IF(データベース!E1="","",データベース!E1)
2人目...続きを読む

Aベストアンサー

ANo1です。

A4に
 =INDIRECT(ADDRESS(INT(ROW()/2)-1,COLUMN() + MOD(ROW(),2)*3,,,"データベース"))
を入力して、右、下方に必要なだけフィルコピーでいかがでしょうか?


※ ついでながら・・・・ご提示の式で
 =IF(データベース!A1="","",データベース!A1)
などは、『A1が""だったら""を、それ以外の場合はA1の値を表示』という意味になりますので、結局のところ
  =データベース!A1
で良いことになりませんか?

Qガルシア=マルケスとカリブ文化

この内容の本、又はホームページをご存知の方ご連絡ください!レポートの課題なのですが、資料がなくて困っています・・・。

Aベストアンサー

ガルシア・マルケスの翻訳本は多数ありますが読破するのはどれも大変です。
レポートの課題は漠然としていて先生もよく分かっていない感じを受けますね。
ガルシア・マルケスの世界はカリブだけではないし、カリブ文化と言えるものが果たしてあるのかどうかも問題です。なぜならカリブ海諸国はスペイン系(キューバとドミニカ共和国)、イギリス系(ジャマイカ、トリニダッド・トバゴなど多数の国、オランダ系(キュラサオ、アルーバなど)フランス系(マルティニーク、グアダループなど)とカリブ海を取り巻く大陸諸国からなりひとつの文化圏とするにはあまりに複雑だからです。多分先生の考えているのは『族長の秋』にある架空のカリブ海の国か『大きな翼を持った老人』(キユーバ)でしょう。

http://www.fsinet.or.jp/~fight/illust/gal2/ZOKUCHO.HTM

カリブ海諸国の概況については『ラテン・アメリカ』国本伊代著 総合法令出版
ガルシア・マルケスの世界については『族長の秋』鼓直訳 集英社 の解説が参考になると思います。

参考URL:http://www.page.sannet.ne.jp/megmeg/viaje96/latino/garcia_marquez.htm

ガルシア・マルケスの翻訳本は多数ありますが読破するのはどれも大変です。
レポートの課題は漠然としていて先生もよく分かっていない感じを受けますね。
ガルシア・マルケスの世界はカリブだけではないし、カリブ文化と言えるものが果たしてあるのかどうかも問題です。なぜならカリブ海諸国はスペイン系(キューバとドミニカ共和国)、イギリス系(ジャマイカ、トリニダッド・トバゴなど多数の国、オランダ系(キュラサオ、アルーバなど)フランス系(マルティニーク、グアダループなど)とカリブ海を取り巻く...続きを読む

Q別のACCESSデータベースのテーブルのレコードを追加したいのです

別のACCESSデータベースのテーブルのレコードを追加したいのです

同じ内容のデータベースが二つあります
データベース1とデータベース2を其々別の人がデータを入力しています
データベース1にデータベース2のテーブルで T_データT_データ明細の二つのレコードを追加したいのですがどの様にすればよいでしょうか

ご指導をお願いいたします。

Aベストアンサー

レコードカウントで採番する場合は、

rsInMain.AddNew
rsInMain!番号 = rsInNUM!番号 + 1
rsInMain!項目1 = rsOutMain!項目1
rsInMain!項目2 = rsOutMain!項目2
j = rsInMain!番号
rsInMain.Update

のところで、

rsInMain!番号 = rsInNUM!番号 + 1



rsInMain!番号 = rsInMain.RecordCount + 1

に置き換えればいいです。

それと、

'T_番号の更新
rsInNUM.Edit
rsInNUM!番号 = rsInNUM!番号 + 1
rsInNUM.Update

の部分はコメントアウトするか削除します。


こちらの環境では、レコードソースを
クエリ、テーブル、SQLどれも問題はないのですが。
一応、簡単にT_テーブルでオートフォームでフォームを
つくり、あとボタンをくっつけた簡単な
フォームでやっています。

Qフランス文学のルソーの「エミール」を読んだ方へ

今、ルソーの「エミール」を読んでいるのですが、エミールとは想像上の人物ですよね?実際、ルソーには子供がいたのでしょうか?この本はルソーが子供を産む前に書かれたものなのでしょうか?それともその反対でしょうか?この本を読むにあたってどんな点に注意すればよいでしょうか?

Aベストアンサー

> エミールとは想像上の人物ですよね?

その通りです。

> 実際、ルソーには子供がいたのでしょうか?

ルソーは五人いた自分の子供をつぎつぎと養育院(孤児院)に送っています。
そのことは、以前
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4004558.html
で回答しているので、興味がおありでしたら、参考にどうぞ。

> この本はルソーが子供を産む前に書かれたものなのでしょうか?

ルソー自身が『告白』の中で言っているのですが、『エミール』は「二十年間の思索と三年間の労作」がかかったものだということです。執筆されたのは、五人の子供を孤児院に送ったあと、ということになります。

そのことは、『エミール』の中でもふれられてあり、
「父親の義務を果たすことができない者は、父親となる権利はない。貧困も、仕事も、世間への思惑も、自分の子供たちを、自分の手で養い育てる義務から免れる理由にはならない。

読者よ、わたしの言葉を信じてもよい。誰でも子供を持ちながらこれほど神聖な義務を怠る者に予告しておく。その人はいつまでも自分の過失について後悔の涙を流し、しかもけっして慰められはしないだろう。」(『エミール』第一篇)
という箇所などは、ルソーの自責の念があらわれたものでしょう。

つまり『エミール』というのは、正規の教育を受けなかったルソーが、独学で本を読むことで自分の教養を築いていく過程で思い描いた理想と、当時のイエズス会による「不断の監視」をモットーとする厳しい学校教育に対して批判、『人間不平等起源論』などの人間と社会に対する考察、そうして自分が子供に与えることのできなかった理想の教育といったものがこめられている、と考えることができると思います。

> エミールとは想像上の人物ですよね?

その通りです。

> 実際、ルソーには子供がいたのでしょうか?

ルソーは五人いた自分の子供をつぎつぎと養育院(孤児院)に送っています。
そのことは、以前
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4004558.html
で回答しているので、興味がおありでしたら、参考にどうぞ。

> この本はルソーが子供を産む前に書かれたものなのでしょうか?

ルソー自身が『告白』の中で言っているのですが、『エミール』は「二十年間の思索と三年間の労作」がかかったものだということです。執筆さ...続きを読む

Qデータベースの正しい定義は?

初歩的な質問ですが、データベースを正しく定義するとどのようになりますか?

SQLとファイルシステムを一緒にしたものがデータベースですか?

また、データベースとデータベースエンジンの境界ってどこになりますか?

データベースを論じる記事を頻繁に目にしますが、さっぱり分かりません。データベースとオラクル、DB2、あるいは、SQLサーバーなどは必ずしも同じではないと思うのですが.. これらは単なる製品ではないでしょうか。製品の使い方を論じることはデータベースを論じることではないような気がしています。

データベースって何ですか?ご意見をお聞かせください。

Aベストアンサー

データを寄せ集めて整理したファイルを、データベース(以下、DB)と呼んでいる人をネット上でたびたび見かけますが、それはDBの構成要素の一つに過ぎません。

DBを管理するソフト(DBMS)は、以下のような機能を持っています。

(1)データを統合させ、重複データを極力、持たせないようにする。
(2)データの構造変更が、直接、変更部分をアクセスしないアプリケーションには影響を与えない。(データの独立性)
(3)複数ユーザから検索、更新などがあっても、データに矛盾を発生させない(排他制御)
(4)部分回復、全面回復
アプリケーションの更新を無効にできる。更新したアプリケーションが異常終了しても自動的に回復。システム全体がダウンした場合の回復。
(5)セキュリティ機能
(6)DDL(=データ定義言語)で定義、DML(データ操作言語)で操作できる
 →リレーショナルDB用の言語は、DDLやDMLを総じて、SQLと呼ぶ。
(7)検索のオプティマイザ
(8)再編成
などなど。。。

>データベースを正しく定義するとどのようになりますか?

単に「データベース」というと、DBの実体(ファイル群)を指す場合やDBMSを指す場合があります。

>SQLとファイルシステムを一緒にしたものがデータベースですか?

SQLを解析して実行可能にしている部分や、OSのファイルシステムに近い部分は、DBMSを構成する一部分の機能です。

>データベースとデータベースエンジンの境界ってどこになりますか?

データベースエンジンとは、SQLを受け付け、DBアクセスを制御し、結果を返す部分でしょうから、DBMSの中核機能ということになると思います。

DBエンジン以外に、DBMSには(オペレータ)コマンド、コンパイラ、ユティリティなどが備わっています。

SQLは国際標準化団体により、標準仕様が提示されています。しかしこれだけでは、「ただのペーパー」であり、その仕様通りに動くソフトウェア(DBMS)を誰かが設計・製造しなければ、誰も使えません。

商用としてリレーショナルDBMS(RDBMS)を開発しているメーカーには、以下のような製品、会社があります。

(1)Oracle・・・オラクル
(2)SQL Server・・・マイクロソフト
(3)DB2 UDB・・・IBM

国産でも、以下のような製品、会社があります。
(1)Symfoware・・・富士通
(2)HiRDB・・・日立
(3)RIQSII・・・NEC

オープンソースとして無料で提供されているRDBMSもあり、代表的なものにMySQLやPostgreSQLなどがあります。
オープンソースは無料で使える反面、以下のようなサポートの問題があります。
(1)トラブルがあった場合のサポートがない
→有償契約でサポートを請け負う会社はある
(2)不良があった場合にいつ誰が調査、対策するのかが不確定
(3)機能サポートが、いつ誰によりされるのかが不確定

商用RDBMSの場合は、これらが明確です。

各RDBMSは、段階的にSQLに準拠して行っているものが多いですが、標準仕様のSQL内でも未サポートの部分、標準仕様と仕様差がある部分、独自機能があるのが一般的です。
これはSQLの標準仕様が出来上がってから、各メーカーがゼロから開発している訳ではないことやメーカー各々に独自の技術があるからです。

データを寄せ集めて整理したファイルを、データベース(以下、DB)と呼んでいる人をネット上でたびたび見かけますが、それはDBの構成要素の一つに過ぎません。

DBを管理するソフト(DBMS)は、以下のような機能を持っています。

(1)データを統合させ、重複データを極力、持たせないようにする。
(2)データの構造変更が、直接、変更部分をアクセスしないアプリケーションには影響を与えない。(データの独立性)
(3)複数ユーザから検索、更新などがあっても、データに矛盾を発生させない(排他制御)
(4)部...続きを読む

Q村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」について

村上春樹が人気があるとのことで『ノルウエィの森』『スプートニクの恋人』『TVピープル』と読んできて、いまいちわかりにくい印象はあるものの現代に生きる人間が悩まなければならない心の闇のようなものがほのめかされている感じを受け取っています。ほのめかしだけが多い小説というには疲れるもので、ちょっと村上春樹さんから離れていました。
 ところが、村上春樹さんがイスラエルに呼ばれて講演され、イスラエルの人たちにも取材を積極的にされたのに刺激され、長編小説『ねじまき鳥クロニクル』ならクロニクルとつけられているので、多少硬いところもあるのかと期待して読みました。
読後感としては 他の方のブックレビュー;
>ねじまき鳥の存在、海月についての考察、「壁抜け」などなど春樹らしい意味深な描写も盛り沢山である。とにかく難解。あり得ない。設定にぶっ飛んだ人物。クロニクルなのに全然時系列では描かれない。

 と似たことになってしまいました。南京事件、ノモンハン事件、新京動物園の、動物虐殺や中国人撲殺など正視しがたいくらい生々しく描出され、作家の力量が認識されましたが、なぜこれらの事件を絡ませなければならなかったのかについてはよくわからず、ひょっとしたら以前からの村上文学ファンにショックを与える目的を著者が意図したのではないかなどと単純な想像を加えたりしました。
 上述の他の村上春樹の小説なり、エッセイを読んでいませんが、なぜ著者はノモンハン事件などを選んだのか説明しているサイトなり、文章はないでしょうか?
 教えてください。

村上春樹が人気があるとのことで『ノルウエィの森』『スプートニクの恋人』『TVピープル』と読んできて、いまいちわかりにくい印象はあるものの現代に生きる人間が悩まなければならない心の闇のようなものがほのめかされている感じを受け取っています。ほのめかしだけが多い小説というには疲れるもので、ちょっと村上春樹さんから離れていました。
 ところが、村上春樹さんがイスラエルに呼ばれて講演され、イスラエルの人たちにも取材を積極的にされたのに刺激され、長編小説『ねじまき鳥クロニクル』ならクロ...続きを読む

Aベストアンサー

1995年の本で、新潮社の『新潮』11月号に、村上春樹氏が
『メイキング・オブ・ねじまき鳥クロニクル』と題して書かれています。
ノモンハンのことについては、最後のページのところで少しだけ触れています。
できれば、難しいでしょうが、本を手に入れて自分で読まれたほうがいいでしょう。

Qデータベース数 or テーブル数

こんにちは。よろしくお願いします。
ただいまデータベース連動型のCMSを利用しているのですが、1サイトあたり100テーブルほど利用します。
1000サイトのデータベースを
1、1000データベース作成して管理
2、データベースに1000×100テーブル作成して管理
のどちらで管理した方がサーバーに負担が少ないでしょうか?
データベース数とテーブル数に限りはなかったと思うので、負担が少ない方で対応しようかと思ってます。

**現在、2の方法で行っているのですが、
phpMyAdminでデータベースを表示する際に、すごく時間がかかります・・・

Aベストアンサー

サイト間で交互になにか連携するデータや共有するテーブルやレコードが存在するのでしょうか?

1サイト内で完結する構造ならば1サイトに1データベース作るべきです

もし、サイト間で共有するデータやテーブル、レコードがあるならば、共有部分のみを1データベース作って、そこに突っ込む

そのサイト固有の情報はそのサイト用に1データベースを作っておく



サイトA->データベースA、データベースZを参照する
サイトB->データベースB、データベースZを参照する
サイトC->データベースC、データベースZを参照する

データベースA
 サイトA固有の情報
データベースB
 サイトB固有の情報
データベースC
 サイトC固有の情報

データベースZ
 サイトA~C共通の情報

って感じかなぁ
phpMyAdminはご存知のよにPHPで全てを管理しています、どんなテーブル構造やフィールド設計されても対応するように作られてますので大きくなれば大きくなるほど、負荷がかかります。
MySQLへ負荷がかかっているのではなく、PHP部分が重いだけです

大抵の場合はデータベースの負荷が原因というよりも効率の悪いスクリプトやプログラムやSQL文による負荷が大きいとおもいますよ

サイト間で交互になにか連携するデータや共有するテーブルやレコードが存在するのでしょうか?

1サイト内で完結する構造ならば1サイトに1データベース作るべきです

もし、サイト間で共有するデータやテーブル、レコードがあるならば、共有部分のみを1データベース作って、そこに突っ込む

そのサイト固有の情報はそのサイト用に1データベースを作っておく



サイトA->データベースA、データベースZを参照する
サイトB->データベースB、データベースZを参照する
サイトC->データベースC、データベー...続きを読む

Q村上春樹「ノルウェイの森」という題名について

最近流行っているみたいなので村上春樹さんの小説の「色のない多崎つくると彼の巡礼の年」を読み、ラノベのようなノリでとてもおもしろかったので、他も読んでみようと思うのですが、ちょっと気になっていたことがあります。

もっとも有名といっていいと思いますが、村上春樹さんの「ノルウェイの森」、これはビートルズの曲の題名からとったと思いますが、元の意味はノルウェイ製の家具、ですよね?

これを敢えて森としたのは、どのような意味があるのでしょうか?
本を読めばわかるのだとしたらそう教えていただきたく、お願い申し上げます。

ついでに流行に乗って読んでみた私におすすめの作品があったら教えていただけるととても嬉しいです。

Aベストアンサー

こんばんは。自分も気になったので調べてみたら次のことがわかりました。

最初は「雨の中の庭」というタイトルを途中で村上春樹の奥様の提言で「ノルウェーの森」に変えたということ。

またビートルズのノルウェーの森については、英国では「norwegian wood」といえば労働階級のひとが住むアパートの内装に使われる安物の木材を差し、そうした部屋に住んでいる彼女は大して裕福ではない娘を表している。(さらに部屋には椅子も置いてないと歌われている。)

村上春樹の「1Q84」は読まれましたか? これもお薦めですよ。


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