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自然を身近に感じる生活。
自然を身近に感じられる生活。

彼は怖そうに感じる。
彼は怖そうに感じられる。

景気は底打ちしたように感じる。
景気は底打ちしたように感じられる。


上記の例文のようなケースでは、「感じる」と「感じられる」にはどのようなニュアンスの差があるのでしょうか?

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A 回答 (3件)

「感じる」の方が「感じられる」より主観的、自発的要素が強いです。

つまり、感じる主体に重きがある。
「感じられる」は、より一般論的な感じの時に用いる、一般的に自然とそう感じられるというニュアンスだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
とても参考になりました。

お礼日時:2002/11/05 09:18

こんにちは。



○「~感じられる」→何か、そう感じることが出来るだけの理由が明確にあるので、広く一般的に共通して思うことです。

○「~感じる」→理由が明確にある場合もありますが、それよりももっと「自分」がそう思ってしまうことです。

例文はほんとうは、もう少し完成している形になっているほうがわかりやすいですよ。それぞれの例文に具体的に、「誰が」とか、「どうして」とか、「どうなった」などという部分まで含めて書き直してみるとわかりやすいと思います。
前回の「閉まっている」、「閉められている」の時も、もう少し、文章に足して説明してみていますよね? ということで、今回ももう少し文章に上で書いたようなことを足してみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
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お礼日時:2002/11/05 09:18

「感じる」は私が、もしくは主語が「感じる」ときに使い、


「感じられる」は「誰もが」とか「皆が」そう感じる時に使うのではないでしょうか。英語の受け身でby・・・の無い場合になるのかな。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
とても参考になりました。

お礼日時:2002/11/05 09:18

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Q自発の「が感じられる」と「を感じる」の違いについて

 日本語を勉強中の中国人です。自発の「が感じられる」と「を感じる」の違いは何でしょうか。どうも自発が中国語にはないので、その感覚を理解するのに苦労しています。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

誰しも自然に感じられるもの、嫌でも感じてしまう感情を「自発」と言う。「自然発動」、「自動的発動」、「自動的発現」とも考えうる。

一方、「感じる」は、自然発生的に生ずる、本来の人間に備わっている感覚というより、その人の育ち方、教育、思想哲学により、微妙に、個々人によって違うことがありうるもの。

感じるには、様々な感じ方があるが、人間が本来持っているベースの感覚によって自発的に感じられることには、あまり、大差が無いということ。

Q「思う」と「思われる」の違い

疑問に思うことがあるのですが、
自分の意見を言う時にも「思われます」を使う場合がありますよね。
例えば
「今後について一度真剣に考えてみる必要があると思われます。」
と言うように。

この場合の「思われます。」にはどんな働きがありますか。
普通に「思います。」と言った時とどう違いますか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「れる」「られる」には、受け身、可能、尊敬以外に、もう一つ大変重要な用法として、自発というのがあります。質問者さんの例は、まさに自発の「思われる」です。その意味は、自分で意識してそう考えようとしているわけではないのに、自然にそうなってしまう、と言う意味です。

この自発の用法は、日本独特のものだそうで、少なくとも西洋の言葉には存在しない用法なのだと聞いたことがあります。西洋人には無い用法があるとは、何を意味するのでしょうか。それは、日本人には、西洋人と同じ様に、受け身、可能、尊敬という物の見方があるのですが、それに加えて、もう一つ別の物の見方、あるい世界観を持っていると言うことです。物理学や数学の世界で、1次元、2次元、3次元などという言葉を聞いたことがあるでしょう。数学の世界では次元が1次元増すと、その次元の分だけ自由度が増え、それより低次元の世界では不可能なことや、見えないものが見えてきます。「れる」「られる」に関して、西洋人はいわば3次元の世界に住んでいるのですが、日本人は4次元の世界に住んでいるのです。したがって、日本人は、この独特な自発の「れる」「られる」を持っているお陰で、西洋人達には見えないものがみえ、感じることができると言う自由度を持っているのです。

ところが、残念なことに、近年になって、何でも西洋のことが優れていると思うような人が増えてきて、「れる」「られる」の用法の中から、自発の用法が消えかかって来ているとのことです。自分たちの折角持っている、この世界の見方の独特な自由度を減らしてしまうのは、もったいないと思います。質問者さんは、是非この日本人の優れた用法を意識して、世界に誇るべき日本人の財産をなくさないようにしてほしいです。

「れる」「られる」には、受け身、可能、尊敬以外に、もう一つ大変重要な用法として、自発というのがあります。質問者さんの例は、まさに自発の「思われる」です。その意味は、自分で意識してそう考えようとしているわけではないのに、自然にそうなってしまう、と言う意味です。

この自発の用法は、日本独特のものだそうで、少なくとも西洋の言葉には存在しない用法なのだと聞いたことがあります。西洋人には無い用法があるとは、何を意味するのでしょうか。それは、日本人には、西洋人と同じ様に、受け身、可...続きを読む

Q「ご連絡いたします」は敬語として正しい?

連絡するのは、自分なのだから、「ご」を付けるのは
おかしいのではないか、と思うのですが。
「ご連絡いたします。」「ご報告します。」
ていうのは正しい敬語なのでしょうか?

Aベストアンサー

「お(ご)~する(いたす)」は、自分側の動作をへりくだる謙譲語です。
「ご連絡致します」も「ご報告致します」も、正しいです。

文法上は参考URLをご覧ください。

参考URL:http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbou_data/a5524170.html

Q「基」と「元」の使い方

経験を"もと"に話す。
上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?>

「基」になります。

1.「経験を"もと"に話す」とは言い換えれば「経験にもとづいて話す」ことと同じです。

2.「もとづい(て)」は「もとづく」の連用形です。

3.「もとづく」は「基づく」という漢字しか存在しません。

4.従って、ここでは元、本、素などの漢字は適切ではありません。


ご質問2:
<経験を"もと"に話す。>

1.「~をもとに」という語感が「~を元に戻す」といった語感になるため、「元」の漢字を想定されたのだと思われます。

2.しかし、ここで使われる「もと」とは「土台」の意味になります。

3.他の漢字「元」「本」などには「土台」「ベース」といった意味はありません。

4.従って、ここでは基が適切な漢字となります。

以上ご参考までに。

Q「を通じて」と「を通して」の使い分け

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。

「を通じて」
1.秘書を通じて社長との面会を乞う。
2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。
3.テレビを通じて広告をする。
4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。

「を通して」
1.書物を通して世界を知る。
2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
3.仲人を通して娘の縁談を進める。
4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。

 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。どうか、よろしくお願い致します。

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を...続きを読む

Aベストアンサー

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。)
なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。
・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない(#4のご回答でも指摘がある。)
・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。

私なら、もっと軽い感じに、
「実践的な臨床経験を積み重ねる。」
「臨床経験を積み重ねる。」
「臨床の経験を重ねる。」
「臨床の実践経験を積む。」
などなどでもよさそうに思います。


#4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、#2と#4は、似ているようです。
特に、思うのは、

>4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。
→このとおり「つうじて」
>2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
→「つうじて」
>3.仲人を通して娘の縁談を進める。
→このとおり「とおして」

この三例は、#2と#4で同じですし、自分が改めて考えても、この通りでおさまりがいいと思います。
改めて、いくつか意見を述べておきます。

一つ目は、
「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、
「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、
ということです。
(短めの漢語は、中間。)

二つ目は、
「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。
「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、
もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。

三つ目は、
「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。
「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。

四つ目は、
「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、
「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。

これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。

改めて考えても、#2#3も、#4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。

#4では
>「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの#3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.)
とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。
#3では
>「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、
>(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。)
>具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、
>ということです。

「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」
というのは、"単なる" に意味の重点があって、
「秘書に重きをおかない」という意味です。


ところで、質問では、
「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。」
とありますが、
この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど...続きを読む

Q「~になる」と「~となる」の使い分け

複数の人で手分けして報告書を作成しており、現在校正中です。
今悩んでいるのは、ある人は「~になりました。」と書き、別の人は「~となりました。」と書いているところがあり、報告書全体としては「に」と「が」が混在している状態なので、この表記の揺れをなくすために、どちらかに統一すべきかどうか、ということです。
「に」でも「と」でも全体の文意は同じのような気がするのですが、ニュアンスや文法的な違い、あるいは使い分け方法があれば教えていただきたいと思います。
よろしくご教示のほどお願いいたします。

Aベストアンサー

格助詞「に」と「と」の違いですね。この質問は過去に2,3回ありましたのでその1つを1部付け加えて回答しておきます。
「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。
「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」
「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。
「すったもんだの末、結局彼が村長となった。」
「すんなりと彼が村長になった」
あなたの会社の報告であれば:
「計算の結果予算は○○円になりました。」
「いろいろ審議を重ねて検討した結果○○円となりました。
また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。

参考URL:http://okwave.jp/qa1126103.html

Q「通して」「通じて」の使い方

ネットユーザーにOKWebをよりよく知っていただくため、年間を通して広報活動を行います!

ネットユーザーにOKWebをよりよく知っていただくため、年間を通じて広報活動を行います!


どちらが正しいですか?

同じのような気がするのですが、どういう違いがありますでしょうか・・・

Aベストアンサー

「通す」は、下記辞書の、
4(イ)全期間、また、全体にわたってする。「夜を―・して話す」「書類に目を―・す」
という用法に該当すると思います。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/157292/m1u/%E9%80%9A%E3%81%99/

「通ずる(通じる)」は、下記辞書の、
6 (「…を通じて」の形で)
(ア)全体に及ぼす。包括する。「一年を―・じて暖かい」「全国を―・じて流行する」
という用法に該当するでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/146333/m1u/%E9%80%9A%E3%81%9A%E3%82%8B/

両者を比較すると、
「年間を通して広報活動を行います」→これからの1年間全体にわたって、順次、継続的に広報活動を行っていきます、というニュアンス。1年間、継続する主体は発言者である、という意図が強い文。
「年間を通じて広報活動を行います」→「広報活動を行います」という他動詞表現でありながら、行為者の主体性が希薄な文になっており、広報活動というものが年間を通じて存在している、というニュアンスの強い文。「通じる」が自他兼用動詞であることも関係しているのかもしれません。
端的には、
「通して」→行為者に重点を置いた表現。
「通じて」→広報活動に重点を置いた表現。
このように捉えることができるでしょう。
よって、意気込みを示す意味では、「年間を通して広報活動を行います!」のほうが自然だと、わたしは感じます。
「通じて」は、「年間を通じて広報活動が行われる予定です!」のような表現の中で使われるほうが適していそうです。
  

「通す」は、下記辞書の、
4(イ)全期間、また、全体にわたってする。「夜を―・して話す」「書類に目を―・す」
という用法に該当すると思います。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/157292/m1u/%E9%80%9A%E3%81%99/

「通ずる(通じる)」は、下記辞書の、
6 (「…を通じて」の形で)
(ア)全体に及ぼす。包括する。「一年を―・じて暖かい」「全国を―・じて流行する」
という用法に該当するでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/146333/m1u/%E9%80%9A%E3%81%9A%E3%82%8B/

両者を比較すると、
「...続きを読む

Q「わかりづらい」  と  「わかりずらい」

「わかりづらい」  と  「わかりずらい」
漢字にすると(判り辛い、解り辛い)なのかと思います。

「わかりづらい」が正しいとおもって使っていたのですが、
最近「わかりずらい」もよく目にします。

二者択一だったら皆様はどちらを使うべきですか?

アドバイスを頂きたいと思います。

Aベストアンサー

goo 辞書より

づら・い 【▽辛い】
(接尾)
〔形容詞型活用([文]ク づら・し)〕動詞の連用形に付いて、その動作をすることに困難を感ずる意を表す。…にくい。
「老眼で辞書が見―・い」「読み―・い本」「無愛想で話し―・い」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

ずらい
検索結果に該当するものが見当たりません。
キーワードを変更して再度検索をしてみてください。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BA%A4%E9%A4%A4&jn.x=29&jn.y=11&kind=jn&mode=0

私は辛い(つらい)→づらい、と考えて「づらい」を使っています。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

goo 辞書より

づら・い 【▽辛い】
(接尾)
〔形容詞型活用([文]ク づら・し)〕動詞の連用形に付いて、その動作をすることに困難を感ずる意を表す。…にくい。
「老眼で辞書が見―・い」「読み―・い本」「無愛想で話し―・い」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C5%A4%E9%A4%A4&jn.x=24&jn.y=14&kind=jn&mode=0

ずらい
検索結果に該当するものが見当たりません。
キーワードを変更して再度検索をしてみてください。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BA%A4%E9%A4%A4&jn...続きを読む

Q拘らず・関わらず??

すみません。以前から気になっていたので正しい答えを教えていただけないでしょうか。

「かかわらず」という言葉の漢字変換なのですが,
例えば

 雨が降ったにも「かかわらず」,彼は傘を差さずにやってきた。

というような文の場合,正しいのは「関わらず」「拘らず」どちらでしょうか。

国語辞典で調べてみたのですが,よく分からなくて(+_+)
すみませんがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。それも「かかわる」でなく「かかる」です。「人命に係(かか)る問題」「係(かか)り結び」など。前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合(常用漢字の基準では)「係わる」でなく「かかわる」です。

結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。

漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的(「関わらない」「係わらない」)にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。

ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。念のため。

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい...続きを読む

Q「あくまで」「あくまでも」の意味

「あくまで(飽くまで)」「あくまでも」という副詞の意味ですが、辞書をひくと「物事を最後までやりとおすさま・徹底的に」とあります。例文も「あくまでもがんばる、あくまでも主張を貫く」などとあります。

しかし、よく話の中で「あくまでも個人的な考えですが・・・」「あくまでも噂です」「あくまで一例です」「あくまでの話しです」などという風に使われます。このような文章中では「徹底的に」という意味ではないと思うのですが、どうなのでしょうか。

Aベストアンサー

あくまでも、という意味の「徹底的に」という所から転じて、「完全に」とか「中途半端ではなく(どこまでも)」という様な意味合いも持っています。


「あくまでも個人的な」
完全に個人的な

「あくまでも噂です」
=「あくまでも噂[に過ぎません]」
完全に噂に過ぎません

「あくまで一例です」
=あくまで一例[に過ぎません]」
完全に一例にすぎません

「あくまでの話です」
・・・すみません、この用法は聞いた事がありません。


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