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映画を見ると、感動したり、或いは、感情を認識する前に、勝手に筋肉が痙攣して涙がいきなり溢れてくるということがあります。そういう経験をする人がどの映画のどの場面でそうなるかは一様ではないように思います。例えば、見知らぬ路上の人が「タニタニック見てチョー泣いちゃった」というようなことを言っているのを耳にしたので、私も見たのですが、撮影技術やコンピューターグラフィックの出来には感心したものの、ストーリーそのものには無感動でした。一方、私だけが感涙してしまい、他人にはそれを理解しがたい映画もあります。映画に感動して泣くことはその人の内面の問題の現れなのでしょうか?また、映画を通じて自分の内面の問題を明らかにできた人がいれば、その方法や経験について教えてください。

あと、この質問内容に関係があると思われる文献(素人向け)をご存知であれば、ぜひ教えてください。

A 回答 (5件)

「泣く」と「共感」が関連しているとありました。

定かではありませんが、ミラーニューロンも関連しているのではないかと思います。

私も「泣く」感情-情動に興味が湧き、感情に関しての書物を何冊か読みましたが、ピンポイントの書物にはまだ出会っていません。ピンポイントではありませんが、ダマシオ「感じる脳」をオススメします。感情とは何か、情動とは何かを教えてもらいました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。生理学的な側面からの回答が来るとは思っていなかったので、興味深く思いました。ダマシオの著書を検索してみました。「感じる脳」以外の著書にもとても興味を惹かれます。

お礼日時:2008/04/21 16:40

それで、言い忘れましたが、この問題は、悲観的に考えると、「私」と「他人」との間に横たわる深い溝を認識しますね。

こんなに感動あるいは笑いの刺激を受けている本人の前で、何の無関心無感動なのか?あるいは、なぜこんな意味不明あるいは意味のあまりにも表層的なものに感動があるのか?という疑問やら蔑み、あるいは理解不能の感。前の回答とあわせると、「私」と「彼」の人生がいかに乖離したものか、まったく違う人間まったく違う問題まったく違う関心知性をもった存在なのだろうということを確認する作業です。

映画は一種の悲劇です。他人との間に埋め合わせのできない溝を認識します。一緒に映画を観るほど精神に悪いことはありませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。確かに、映画の泣きのツボは私と他人が違う人間であることを確認させてくれますね。私は映画を他人と見るときに、あらかじめ、自分にも他人にも無難と思われるものを選ぶ癖があるのですが、なるほど、そういう溝を契機とする不快感を感じるのが嫌なのかもしれませんね。感涙しそうになったときには、一人になりたいと思うので、一緒にそういう映画を見てしまった場合には、相手に悪いと思ってしまいます。

お礼日時:2008/04/23 09:00

私もタイタニックは。

。。参りましたね。
退屈で。

本当に、人によって、感涙どころが違うというか。笑いのつぼにも共通する話な様です。

私の場合、「演出」ということがあまりに表立っているものには拒否反応が出ます。サイコ調の盛り上げとかそういう類の。まず、作者の言いたいことが先にあって、あくまで効果として音楽とか技法で盛り上げる。そういう「メッセージ性」が要るんですよ。

で、感動する感涙するあるいは笑いのつぼを刺激されるなどは、その人その人が持っている心理的課題や人生の関心事、あるいは、もっと「間脳」的な情緒的一種のトラウマ?とか願いとか、そういう深いところに到達する場合があるからではないかと思いますね。大脳で泣きませんから。

なので、まさに「内面の問題の表れ」だと思います。

わたしは、他人の人生を救おうとする他人、あるいは他人の人生にかかわろうとするというテーマに痛く共感しますね。これも、私の孤独がちな生涯に関してトラウマとか希求するところが発しているものなのかと思います。

いっぽう、タイタニックで動く人は何なのか?ムードに弱く、中身が薄いということですかね。こういう人はそれなりに貴重な人でもあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。人によっては確かにトラウマが関係していそうですね。戦場に兵士として臨んでいた経験を持つ人が「プライベート ライアン」を見て、フラッシュバックを起こして泣き出したという話しを聞いたことがあります。そういう場合には具体的な経験との因果関係がある程度特定されると思います。それ以外の内面の表れである場合には、理解するのが難しい場合がありそうです。希求や関心が潜んでいると考えてよく過去を振り返るしかないかもしれませんね。

心理的課題という言葉には感心しました。

お礼日時:2008/04/23 08:55

経験と共感でしょう。



自分と同じ人生のつらさを味わっている登場人物が出てくれば、それが感情の表層に出てきてしまうのでしょう。

が、そのつらさを他の人が味わっていなければ(経験が無ければ)、「何で? 」となるのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。例えば、捨て子が主人公の映画を見て涙が出てきたとして、自分が捨て子ではない場合に、同じ辛さを味わったことはないはず。それも不思議です。何かをそこから連想しているのでしょうか。

お礼日時:2008/04/23 08:45

映画を見て泣いてしまう人が、私以外にいることがわかり安心しました。

泣いてしまうのは、やはりその人に感情移入してしまうのではないかと思います。私の場合は、感情移入しすぎて疲れてしまうので、あまり見ません。
それと、映画館の暗さと音響もあるのではないでしょうか。暗闇の中で光はスクリーンだけで、また画面が大きいので迫力感があります。またスピーカーも大きなものを使用しているので、体に振動として伝わってきます。ですから、映画を家でDVDなどで見た場合は、それほど感涙したことがありません。
私の場合音楽に反応するので、それをセルフコントロールに使っています。落ち込んだ時やうつ状態の時に、スローテンポで短調の暗い曲を聴きます。そうすると、気分はどんどん落ち込んで感涙してしまいます。とことん落ちてこれ以上下がるところが無いというところで、アップテンポで長調の明るい曲を聴きます。涙したことによって、気分がすっきりします。一種のカタルシスだと思います。
脇道に逸れたところがありますが、私の経験から書いてみました。
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この回答へのお礼

回答ありあとうございます。誰かに涙を見せるのが嫌なので、映画館にゆくときには映画を厳選してしまいます。私の場合には、どうやら、音響面ではなく、ストーリーや登場人物の演技といったものに影響を受けるようで、ネット上の画質の悪い動画を見ても、泣いてしまうときには泣いてしまいます。

音楽にも確かに感情をゆすぶられるようなものがありますね。芸術に感動するというよりは、何か経験がそこから連想されているのかもしれません。それが気になっています。

涙を流し終わると呆然として心地よくなります。心地よい肉体疲労に少し似ているかもしれません。カタルシスというのはそういう状態をいうのだろうなと思うことがあります。

お礼日時:2008/04/22 00:24

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