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1950年に中国がチベットに侵攻する前、チベットは独立した国家だったのでしょうか?国際的な見解はどうだったのでしょう?

A 回答 (5件)

 中国と周りの国々の関係は現代のような対等な国家の関係でなく、册封と称し、中国皇帝が近隣の王をその国の王に任じるという形を摂っていました。

これは中国の中華思想に基づくもので、武力ではなく、大量の金品を与えてそのような形を摂るように装っていただけのことなのです。朝鮮もまさにそのような形でした。周りの国は国使を派遣する度に大変な利得があるので争って朝貢使を出したのです。中国は堪り兼ねてあまり使いを寄越さないでくれと頼んだりしたこともあります。ただ一つの例外は日本で、聖徳太子は対等な関係を結ぶための国書を持参させ、煬帝の怒りを買いましたが、それが効いて、義満のような例外はありますが、基本的には対等な関係を維持していたと言っていいと思います。
 このような東アジアの状況を見て周りが植民地であったとするのは認識違いで、殆どすべての民族は王を戴いた国の形態を維持していました。
 チベットも同じで、玄宗皇帝が安碌山の乱で成都へ逃げたとき、チベット王が大軍を派遣してこれを助け、長安帰還を実現させました。その功に報い、今の四川省の一部をチベット王に割譲し、清朝の末期までそれは維持されました。
 その周辺国の一つであった満州族の王が中国を占領して国を建てたことが事を複雑にしたのです。清朝の末期に列強が清朝の領土を侵すようになると、周辺の民族と清朝は良好な関係になったので、お互いに協力して侵略に立向かおうと、モンゴルやチベットは清国に併合することに合意したのです。それを中華民国が継承したために、中国は空前絶後の領土を持つに至ったのです。でもそれは断じて古来の領土ではありません。中国が真の独立を回復した以上、周辺の諸国はそれぞれ独立を回復するのが当然のことだとするのが常識的な考え方だと言えます。
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この回答へのお礼

歴史的なご説明わかりやすかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/25 21:31

清朝期においてチベットは、一応国家でしたが、完全な独立国ではありませんでした。


現在の「自由連合」に近い存在でした。
この辺の認識も、チベット側では、「自由連合」のように認識していても、清朝側では、「自治領」のように認識していた可能性はあります。

自由連合は、一応独立国家ですが、軍事・外交を他国に委託した国を言います。
現在では、パラオ(アメリカに委託)、ミクロネシア(アメリカに委託)、クック諸島(ニュージーランドに委託)などがあります。
自由連合の場合、相互の意志で提携を破棄する事ができ、破棄した場合完全な独立国となります。

自治領は、内政のみ完全自治を認められた地域で、独立国ではありません。
デンマークの自治領のグリーンランド、アメリカの自治領の北マリアナ(サイパンなど)、オランダの自治領アンティルなどがあります。
自治領の場合、勝手に独立する事はできません。

チベット問題の根底には、チベットが自由連合であつたのか自治領であったのかの認識の違いが、独立騒ぎの根底にあるのだと思います。
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この回答へのお礼

自由連合と自治領の違い、知りませんでした。
勉強になりました。

お礼日時:2008/04/25 21:32

下記サイトは1933年のアジアの地図です。


チベット政府はあったものの、中華民国に色分けされ、独立した国家ではなかったのです。

http://www.geocities.jp/keropero2000/china/1933a …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/25 21:25

少なくとも支那の植民地ではありませんでした。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/25 21:25

古代は独立国家でした。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99% …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/25 21:25

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