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1950年代の日本の女性の暮らしについて
くわしく知りたいです。
「私のベネチアシンデレラ物語」という本を読んだのがきっかけで
昭和の女性の暮らしに興味をもちました。
彼女は芸大で知り合った男性と
22・23歳で結婚して2年後離婚します。その後演奏などの
仕事をながら28歳(1960年頃)でベネチアに留学して
大富豪に見初められるのですが、
本の中での彼女のバイタリティに感動しました。
現代だったら、28でバツイチで安定した定職にもつかず、
お金もない状態だったら肩身が狭い思いをしそうですが、
昭和30年代ではどうだったのでしょうか?
そのほか、何でもいいので女性の暮らしで
現代と違う点、同じ点など教えてください。

A 回答 (4件)

僕は道楽で30年以上楽器を弾いています。


チェスキーナ洋子さんは、NYフィルの北朝鮮公演のスポンサーとして、クラシックの世界でも話題になり、その人生に付いて雑誌などでも取り上げられた記憶があります。
彼女の本は読んでいません。

どんな時代の女性にも様々な暮らしがあります。
キャンティ物語の川添浩史・梶子夫妻というのは、この時代でのまさに国際人であり、その周辺の人間の事が書かれているのが興味深いです。
勿論、こういった人間は超少数派であることは理解してください。

チェスキーナ洋子さんは、偶然にもオノ・ヨーコさんと同い年。
才能と努力、能力と技術と運で人生を切り開いた人間の話って、確かに面白いですよね♪
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この回答へのお礼

そうでしたか。その雑誌は私も読みたかったです… オノヨーコさんもチェスキーナさんも、形は違えど何か似たものを感じますもんね。二人が同い年とは知りませんでした。オノヨーコの本も読んでみますね

お礼日時:2008/05/03 12:35

51年生まれのおばちゃんです。



>昭和の女性の暮らしに興味をもちました。
彼女は芸大で知り合った男性と・・・・・

この時点で、相当なお金持ちです。
好きに生きて何の問題もないようなうちの人でないと、
「芸大」には行かない。
まず、楽器として、ピアノが相当なうちでないとナイ。
更に、そこから音大へ行くという選択肢がないです。
我が家は、没落のためにピアノまで手が届かずに、オルガンです。

実母は今80代でぼけてますが、大学(医専・薬専)をでています。
普通に、資産家の子息と結婚をしましたが、没落して、
中年離婚しています。
その長女が私ですが、その資産家の息子の(実父)は
「オンナが大学へ行ってどうする」と私に言いました。
自分の連れ合いは大学を出ているから妻にしたのですが・・、自分が没落すると、そのように言いました。

そういう時代です。
公立の小学校へ通い、50人学級でその後の同窓会で会ったときに、
短大でない大学へ行ったのは、私を含めて、3人。
独身で公務員なのがひとり。
コモチで共働きの私。
専業主婦でコナシのもうひとりデス。

エピソードとして一つ。
実母が私が高校生のときに、同級生のお母さんともめました。

デ、電話口で、相手のお母さんが「私は、○○高等女学校を出ているのよ。」
(だから、あなたも生意気な口をきくんじゃありません・・・という意味だったようだと後から母が面白がっていましたが)」

そういう学歴?程度の、「母親」たちに育てられてきたのが50年代の子供たちです。

その程度の暮らしが、一般的なのです。
北海道では炭鉱が閉鎖になって、どんどんと京浜地区の工場に転職、転居する人が同級生にも多かった。
当然に、一間のアパート暮らし。

いまや、日本に炭鉱は一つもナイ。

ヒロインの立場はシンデレラ以前に、正に、モトから、「姫」です。

よく、美知子皇后様が「粉屋の娘」と民間から入られたという表現をするのですが、あれは間違い。
民間ですが、お嬢様であることには間違いはないのだから。
このランクの人のお話です、そのヒロインさんは。

当時、私は、小学生でした。
TVがありましたので、ご近所がターックサン集まって、大変でした。
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この回答へのお礼

当時の生の様子がわかってうれしいです。著者は幼少期は金持ちだったけれど、父の死で貧乏になって一応苦労したみたいです。 ただ、やはり大学出でしかも音大というのはかなり強味だったのかもしれませんね。

お礼日時:2008/05/01 21:41

20年代から30年代の水商売の女性を描いた「ぬかるみの女」というテレビドラマ(原作小説もあり)があります。

また、まんがの「3丁目の夕日」でも、女性の話が頻繁に出てきます。

インテリや富裕層の女性はともかく、一般の女性は、型にはめられ、身動きとり辛い時代だったようです。結婚してよい妻になって、子供を産んでというのが当たり前、それができないものは存在価値がないぐらいの感じでしょう。職業婦人というか、安定した職種も限られてた時代。先の小説では、看護師(婦)とかの手に職があるか、水商売でもやらなければ、バツ一子持ち(当時は戦争未亡人なんかも多かったので)では生活費も稼げないみたいな話も出てきます。
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この回答へのお礼

とても詳しい回答ありがとうございます。著者はインテリだったので、肩身の狭い思いをすることはなかったのかもですね。紹介された本も読んでみますね。

お礼日時:2008/05/01 21:34

1950年代、昭和30年代の生まれの男です。

といっても、その時代の記憶があるわけじゃあない。(笑)

チェスキーナ洋子にせよオノ・ヨーコにせよ、戦中派のインテリ女性のある種の開き直りを感じる事はあります。
上手く説明できませんので、一冊の本をご紹介します。

「キャンティ物語」と言う本で、文庫本にもなっているはずです。
昭和30年代にオープンした六本木のイタリアンレストラン、キャンティをオーナーである川添夫婦と、彼らの周辺の人間にかかる事が書かれています。
一番若い常連が、加賀まり子あたり。

勿論、彼女たちは当時の多数派の女性ではなく、「特別」な人間ですが、どんな時代にも自分に忠実というか、バイタリティあふれる女性、物事を真正面から考える女性はいると言う「当たり前の事実」が楽しいです。
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この回答へのお礼

チェスキーナ洋子さんの名前を知ってらっしゃるということは、もしかして本を読まれたことがあるんですか!?だとしたらなんかうれしいです('-'*) ちょうど、似たような本を探してたので、早速読みますね

お礼日時:2008/05/01 21:31

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