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刑法を勉強している学生です。
不能犯と未遂犯の区別の基準について、質問があります。

具体的危険説をとった場合、「一般人が認識しえた事情及び行為者が現に認識していた事情を基礎として、社会通念に照らし、法益侵害の具体的危険性を有すると判断される場合を未遂犯、そうでない場合を不能犯」とするのですよね?

しかし、「行為者の認識については、主観を処罰すべきでないから、客観的事実と合致した場合のみ考慮すべきである」とありました。

すると、「甲は病院の死体安置所に置かれていた死体がまだ生きていると誤信し、殺意をもってこれに切りかかった」という場合、一般人の認識は「甲が切りかかったのは死体」ですが、行為者(甲)の認識からすれば「切りかかったのは生きている人間」ですよね。
しかし、これは客観的事実に反するから考慮せず、「切りかかったのは死体」という一般人の認識を基礎とし、社会通念に照らして判断すると、甲の行為は殺人の現実的危険性を有しないから、甲は不能犯という結論になると思います。

そこで質問なのですが、「一般人の認識しえた事情及び行為者が現に認識していた事情」といっても、行為者の認識が客観的事実に反する場合、一般人の認識を基礎として判断するならば、結局、常に一般人の認識が優先することとなり、「一般人の認識しえた事情を基礎として判断する」といってるのと変わらないのではありませんか?

それとも、「一般人の認識が客観的事実と反し、行為者の認識の方が客観的事実と合致する」ような場合というのはあるのでしょうか?
ちょっと例が思いつきません。

A 回答 (1件)

具体的危険説のキモは、ご質問にも書かれているとおり


「一般人が認識しえた事情及び行為者が現に認識していた事情を基礎として…」
すなわち、行為者の認識とともに大切なのは「一般人の認識」なんです。
「客観的な事実」ではないことに注意が必要です。

そうすると、

>「甲は病院の死体安置所に置かれていた死体がまだ生きていると誤信し、殺意をもってこれに切りかかった」

の場合、

>一般人の認識は「甲が切りかかったのは死体」

なら確かに不能犯なんですが、問題は
「客観的には死んでいるが、一般人の認識としても死んでいるように見えない」
場合なわけです。そういう場合はあると思いますよ。

>「一般人の認識しえた事情を基礎として判断する」といってるのと変わらないのではありませんか?

上記のケースはまさしく「一般人の認識が客観的事実と合致していない」ケースです。

>「一般人の認識が客観的事実と反し、行為者の認識の方が客観的事実と合致する」ような場合

ここで問題なのは前者だけですよね?
(後者は既遂かどうかを論ずるなら考慮すべきですが、
 不能犯かどうかを論ずるならとりあえず考えなくていいです)
「一般人の認識が客観的事実と反」するケースがあるかどうか、が問題で、
通説的にはそう認められるケースはある、という理解のもとに成立しています。

この回答への補足

その後、疑問が解決しました。

多分、法曹の方か、法律に大変お詳しい方に回答いただいたと思うのですが、学生の疑問につきあってくださって、本当にありがとうございました。

補足日時:2008/05/04 21:27
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この回答へのお礼

なるほど、「一般人の認識」と「客観的事実」との違いは理解できました。

すると、以下のような理解でいいのでしょうか?

上記の死体安置所のケースで、「客観的事実として、置かれていたのは死体」という場合を考えるとき、

1)一般人の認識では生きている人間のように見え、行為者も生きている人間に切りつけたと考えている場合
=生きている人間に切りつけたと判断するから未遂犯

2)一般人の認識では死体であり、行為者は生きている人間に切りつけたと考えている場合
=行為者の認識は客観的事実に反するから、一般人の認識で判断し、死体に切りつけたから不能犯

3)一般人の認識では死体であり、行為者も死体に切りつけたと考えている場合
=死体に切りつけたから不能犯

4)一般人の認識では生きている人間のように見え、行為者は死体に切りつけたと考えている場合
=客観的事実と合致する行為者の認識で判断し、死体に切りつけたから不能犯

特に、4のような場合では、一般人の認識はなく、行為者の認識を基礎事情とすると理解していいのでしょうか?

お礼日時:2008/05/02 22:33

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