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こんばんは。
高校生の男です。

ある日本史の参考書で鎌倉時代を勉強していました。中世の武士、というテーマを読んでいると、次のような文が書いてありました。

「農業経営にもタッチし、荘官や郷司として、荘園や公領の在地、現地の管理をしています。……」

そこで質問なのですが、彼らは郡司はしなかったのでしょうか。
あと、国司は国から派遣されるということは知っているのですが、郡司や郷司はどこから派遣されるのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

国司は、京都に任命記録が残っているので、明確な部分もありますが、郡司は資料が残っていないのでなんとも・・・という段階。



中世の遺跡の土器とかに書いてある文字資料からの推測では、古代の国造階級のあたりが現地任命されていたのが、郡司ではないかと言われています。

○ 中世の武士は郡司はしたか?
したひともいるかと

○ 郡司 郷司はどこから派遣?
現地採用でもあり、二三代前から、居着いた元国司というのもあります。
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中世の武士と言うのは、ほとんどが武装した農民です。


国司は、国が派遣をしますので、基本的に貴族です。
郡司は、国司と違ってその土地にいた有力豪族がおもになります。
だから、派遣されたのではなく、その土地の有力者が指名されたと考えてください。

平安時代に以前に決められた律令制をそのまま受け継いでいくのですが、国司は国衙領といって、天皇の土地を管理するために派遣されます。
平安時代には藤原氏の策謀(墾田永年私財法)によって、荘園と言う天皇の土地ではない土地ができます。
ここを守っていたのも武士(荘官)です。地方では荘園を貴族や寺社が多く所有していましたが、治安の悪い時代、取り合いになると武力が必要になるので、自然発生的に農民が自衛の手段として武器を持つようになり、やがて武士という階級が生まれます。

貴族は自分たちで土地を守りませんから、必然的に武士を雇う形になります。
結局武士を雇って、土地を守らせたり、争いを任せたりしているうちに、貴族よりも武士が力を持ってくるようになり、武士の世の中となっていくわけですが、それ以降は、今後学んでいくところなので、がんばってくださいね。
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ちょっと気になったもので‥念のためコメントしておきます。



ご質問が「鎌倉時代 中世の武士」とのことですが、「郡司」は荘園制の進展によって実体を無くしてゆきますので、平安中期には形骸化し、少なくとも院政期には殆んど消滅したと考えられています。ですから、鎌倉時代の武士にとっても、郡司とは既に過去のものです。
ただ、薩摩の谷山郡司など、それなりの勢力を維持して生きながらえた一族もいるにはいますし、力を無くしてもその地域の伝統ある家柄としての権威を保持し、郡司を私称し続けた一族もあったとは思います。しかし、それらは郡司と名乗ってはいても官職や役職とは異質のもので、武士が任官を希望するような性質のものではありません。

参考URL:http://www.geocities.jp/ktmchi/rekisi/cys_33_1.h …
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