痔になりやすい生活習慣とは?

 1926年生まれの知人が先日なくなりました。
 この年の12月25日でしょうか、大正天皇陛下がご薨去され、昭和天皇陛下の元号になりました。
 大正の終わりは12月25日で、しかも昭和の開始は同じ日の12月25日となっています。http://ja.wikipedia.org/wiki/1926%E5%B9%B4
 ですから、12月25日は大正時代と昭和時代となるわけで。どうしてこうなったのか判りません
 どうかお教え下さい。

 なお昭和はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8Cで1926年12月25日から、1989年1月7日となっています。
 そして平成はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90で1989年1月8日からとなっています。昭和陛下のご薨去の翌日なのです。
 やは昭和の始まりが、1926年12月25日からというのが間違いなのではないでしょうか?
 昭和天皇陛下は、大正天皇陛下のご在世中確かに摂政殿下であらせられたとは存じますが、それはこの件については関係ないことだと存じました。
 いかがなのでしょうか、どうかお教え下さい。

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A 回答 (3件)

●[大正→昭和]への移行の時は天皇の他界"時刻"が関り、[昭和→平成]への移行の時はそれが無関係で、昭和天皇の他界当日迄は昭和に繰入れたのでしょうね。

(その信憑性はデータが希少で保証出来ませんが)

http://www.nnh.to/12/25.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no.28.htm
即ち1926年12/25に他界した大正天皇の場合、その時刻が1時25分との模様ですから「大正は1926年12/25の1時25分に終焉し、昭和は(同年同月日の)1時26分から始まった(始めた?)と個人的には解釈しています。

ですから(正しく大正から昭和の切替日たる)"1926年12/25"は厳密には85(60+25)分だけが大正で、残る1355(=60*23-25)分が昭和、とされた可能性が有得る訳です。
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この回答へのお礼

 いや厳密にして詳細、しかも具体的なお話を有難う御座います。

 当時の空気や気持ちも何か伝わるようで、私義兄丁度14上ですが、この1926年の12月25日生まれでもあり、病床の兄との話題にもなります。
有難う御座いました。

 でも日本のいや近代法では期日の計算は日数を以ってこれを行う、ということ(民法総則にもあったはず)になっていますので、やはりここらの定まりはやはり曖昧な状態である、そしてあまり困ったことにもならない。ということなのでしょうね。

 有難う御座いました。

お礼日時:2008/05/06 07:18

矛盾があるのではなく



#1の 2が
布告された日の始まりにさかのぼって と さかのぼらない の 二つの解釈が有るだけです
布告や関連する政令で明確に規定されていない場合には、どちらもありえます
(確定させるには、規定した法令を公布するか、訴訟を起こし解釈決定を確定判決
に求める)
当時は そこまで厳密にする必要が無かったから そのままにされたのでしょう
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この回答へのお礼

 明確なご解説有難う御座いました。
 結局、『当時は そこまで厳密にする必要が無かったから そのままにされたのでしょう』というおことばの通りということなのですね。
 法律効果にも、期日の計算にも影響なく、そに日の出来事が大正でも昭和でもあまり問題のないことですものね。
 でも生年月日では元年と書くか、十五年と書くか、どちらも許容できるのでしょうね。そのときにはANo.3様のお教えのご薨去の時間が利いてきますね。
 (規定させる法令も、訴訟で確定するのも、趣味の域をでないですね。)
 有難う御座いました

お礼日時:2008/05/06 07:26

時代時代によって扱いが異なるようですね。


以下Wikiより抜粋。

>明治改元の詔は「○○年を以て○○に改元する」という形式であった為、改元はその年の元日に遡って適用され、それ以後に書かれる書物では、改元前の月日のことでも原則として改元後の元号で書かれた(但し、現在と同様に改元の詔の日から適用するという説もある)。
大正・昭和は改元の詔のあった即日(それぞれ1912年7月30日・1926年12月25日)から、平成は改元の政令が公布された翌日(1989年1月8日)から新元号が適用され、平成の第1日目が始まった(1989年1月1日~1月7日の間は昭和64年であり、平成は適用されない)。

>また改元する際、新元号の起点をどこに置くかが技術的に問題となるが、
1.改元が布告された時点でその年の元日にさかのぼって新元号の元年と見なす場合
2.改元の布告された日から後を(布告された日の始まりにさかのぼって)新元号の元年とする場合(即日改元)
3.布告の翌日から後を新元号の元年とする場合(踰日改元)
4.布告の年の年末までを旧元号とし、翌年の元日から新元号を用いる場合

日本の改元はおおむね1または2であり、「明治」改元は1、「大正」「昭和」改元は2、「平成」改元は3であった。

この回答への補足

 ご説明での期日のことを一生懸命理解使用としております。
 昭和が1926年12月25日から始まるなら、大正は1926年12月25日までではなく、1926年12月24日までですよね。

補足日時:2008/05/05 09:53
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この回答へのお礼

 早速に有難う御座いました。
 『2.改元の布告された日から後を(布告された日の始まりにさかのぼって)新元号の元年とする場合(即日改元)』ということで、1926年12月25日から昭和となっているのなら、大正はその前日の24日に終了していると、考えないとオーヴァー・ラップしてしまいますよね。
 仮に、昭和にはなっているが、前の元号時代は25日まで適用されている、とするとしても、、判りにくい解釈ですね。矛盾がありますよね。
 
 

お礼日時:2008/05/05 09:53

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という話なのですが実際はどうなのでしょうか?

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そのウワサ、聞いたことがあります。

もっともな事だと思います。

私も、そう信じています。

もしかしたら、人工的に年明けまで、生かされていたのかもしれません。

1/7も株価に最も影響の無い、土曜だったか日曜だったかじゃありませんでしたっけ?!

私は、大手飲食店チェーンに、その頃勤めていましたが、
12月の上旬には、各店に喪章が配布され、亡くなった日には、
直ぐに喪章をつける
看板類は消灯する
BGMは流さない
年賀状の番号利用の販売促進活動はしない
等々の通達が早々に出されていました。

財界には、知らされていて、国益を重視した対策の末の1/7だと思っています。

いかがでしょうか?!


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