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今、アメリカ史を勉強しているのですが…1920年司法省による「赤狩り」について調べてレポートを出さないといけなく、アメリカ史をよく知らない私は大変困っています。
どなたか、私に知識を分けてください。

A 回答 (6件)

【非米活動委員会の誕生】


1938年、USAの非米的かつ、破壊活動を調査し、
それに対応する為の立法勧告をするために、
議会の下院委員会の特別委員会として作られた。
【活動内容】
活動は調査から大きく離れ、
反米、反共の取り締まりに重点がおかれた。
この委員会はアルジャー・ヒース(国際連合設立の功労者)を
はじめニューデール政策の立案者や、
第2次世界大戦の対ソ協力者を喚問、投獄をしたりした。
【赤狩り機関】
非米活動委員会は上院の国内治安分科委員会、
政府活動特別委員会(別名、マッカーシー委員会)とともに
赤狩り3機関として活動をしはじめた。
これらの機関の活動は共産主義の調査、取締、投獄を主とした。
【マッカーシズム】
マッカーシ上院議員は第2次大戦後の中国、ソ連の台頭に
危機感を感じはじめた。
とくに中国が毛沢東の革命で、独占資本の中国の市場が失われたことに
危機感を感じ、米国の議会、政府内部の親中国派を抑えるべく
親中思想の取り締まりに全力を注ぐ事となった。
知識人達に密告、裏切りを勧告し、全米に赤狩り旋風を起こすに至った。
【赤狩り旋風】】
マッカーシー議員とその支持者は
スミス法、トルーマンの官吏忠誠令、マッカラン法、
共産党取締法などの法律を駆使して、徹底的な非米活動の
取締を強化した。
とくに、政治警察連邦検察庁の台頭は、ファシスト的と
いっていいほどの恐怖政治の様相を米国民に与えた。
これらの動きを当時の大統領、トルーマン、アイゼンハゥアは
黙認し、押さえる事はしなかった。
映画「真実の瞬間」は、その時の様子を再現し、
映画の製作者、俳優達がお互いに仲間を売る場面が写しだされた。
この時のことを今も、映画人の暗黒時代とされている。
【その後】
そうした活動も世界の動きが民族解放運動の高まり、
自由主義のうねりなどもあって、1954年頃から、下火となった。
しかし、米国の底辺には冷戦時代の反共思想が根付いており、
まだ、マッカーシズムが消え去ったとはいいきれない。
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再度、訂正致します。


私の勘違いで1940年の【赤狩り】を
書いてしまいました。
レポートならゼロ点ですね。
1920年のサッコヴァンゼティ事件を
今から、書きたいところですが、
明日の仕事に差し支えますので、失礼いたします。
またの機会に書く事にします。
では、失礼。
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下記のとおりですので、


参考になさってください。
重複した事に、おわび致します。
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【非米活動委員会の誕生】


1938年、USAの非米的かつ、破壊活動を調査し、
それに対応する為の立法勧告をするために、
議会の下院委員会の特別委員会として作られた。
【活動内容】
活動は調査から大きく離れ、
反米、反共の取り締まりに重点がおかれた。
この委員会はアルジャー・ヒース(国際連合設立の功労者)を
はじめニューデール政策の立案者や、
第2次世界大戦の対ソ協力者を喚問、投獄をしたりした。
【赤狩り機関】
非米活動委員会は上院の国内治安分科委員会、
政府活動特別委員会(別名、マッカーシー委員会)とともに
赤狩り3機関として活動をしはじめた。
これらの機関の活動は共産主義の調査、取締、投獄を主とした。
【マッカーシズム】
マッカーシ上院議員は第2次大戦後の中国、ソ連の台頭に
危機感を感じはじめた。
とくに中国が毛沢東の革命で、独占資本の中国の市場が失われたことに
危機感を感じ、米国の議会、政府内部の親中国派を抑えるべく
親中思想の取り締まりに全力を注ぐ事となった。
知識人達に密告、裏切りを勧告し、全米に赤狩り旋風を起こすに至った。
【赤狩り旋風】】
マッカーシー議員とその支持者は
スミス法、トルーマンの官吏忠誠令、マッカラン法、
共産党取締法などの法律を駆使して、徹底的な非米活動の
取締を強化した。
とくに、政治警察連邦検察庁の台頭は、ファシスト的と
いっていいほどの恐怖政治の様相を米国民に与えた。
これらの動きを当時の大統領、トルーマン、アイゼンハゥアは
黙認し、押さえる事はしなかった。
映画「真実の瞬間」は、その時の様子を再現し、
映画の製作者、俳優達がお互いに仲間を売る場面が写しだされた。
この時のことを今も、映画人の暗黒時代とされている。
【その後】
そうした活動も世界の動きが民族解放運動の高まり、
自由主義のうねりなどもあって、1954年頃から、下火となった。
しかし、米国の底辺には冷戦時代の反共思想が根付いており、
まだ、マッカーシズムが消え去ったとはいいきれない。
完全には消えたとはいえない現実
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No1さんのおっしゃる通りだと思います。


あとは、「サッコとヴァンゼッティ事件」なんぞもちりばめてみたらいかがでしょう?この事件は映画「死刑台のメロディー」のモデルでもあります。
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こんばんは。


※まず、最初にお断りしておきますが、忘れているかもしれませんので、この中から、ポイントになりそうな語句を拾って、検索にかけるなり、何らかの方法を使ってちゃんとウラをとってからレポートにはしてくださいね。当然、レポートになるほど長い文章にはなるませんよ。

当時、第一次世界大戦の実際の戦場にならなかったアメリカは空前の経済成長を遂げていました。それにあわせて、ロシア革命の成功を見たアメリカの労働者が賃上げや待遇の改善を求めて、ストライキなどを起こすようになり、次第に共産主義や無政府の思想がアメリカで広がりを見せてくるようになり、当時の政府や資本家はそれを疎ましく思うようになりました。そうしたなか、1919年に政府の高官宛にいくつかの爆弾が郵送され、さらにその後、当時の司法長官のミッチェル・パーマーの自宅で爆弾が爆発するという事件が起き、犯人は分からなかったのですが、犯行は過激な共産主義者か無政府主義者の仕業とされました。そして、これをきっかけにアメリカでレッド・スケア(赤の恐怖)が本格的に高まり、司法長官のパーマーは司法省に急進派に対する対策本部を設置します。その対策本部が本格的に共産主義者、またはアメリカの利益に反すると思われる人を積極的に取り締まります。これが「赤狩り」です。ちなみに、この対策本部は後のFBIに発展します(長官はJ・エドガー・フーバー)。

概要はこんな感じです。
このなから、固有名詞でも拾えば何か出てくるはずです。あとは、最初にも書いたように、事実の確認はしっかりとしてくださいね。
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