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先日、映画館で鑑賞していたら知的障害者が近くで騒いでいました。

付き合いで見に行った映画ですので今回はどうでもよかったんですが、
もし楽しみにしていた映画だったら腹が立っていたかもしれません。

もちろん、障害者の人を責めるつもりはありませんが、あれ以来、
健常者と知的障害者が共存する上で、社会制度上、ある程度の区別は必要なんじゃないかと考えるようになりました。

でも、同時に障害者専用映画館とかができる社会を想像するとぞっとする自分がいます。

自分は障害者に対してどういう気持ちで接したらいいのか、
どういう社会システムを作れば解決するのか、
自分ひとりでは答えが出せないので、質問させていただきました。

みなさんはどうお考えですか?
わたしはこう考えます。とか、
こんな法律をつくったらいい。とか、
なんでもいいのでご意見ください。

A 回答 (12件中1~10件)

例えば



1.
自分に知的障害がある子か身内がいた場合、ポケモンが好きだったら映画を見せに連れて行ってあげたい。
多少は静かに観るよう気を配るけど、それでも騒いだとしても他の客に深く詫びる気持ちは無い。

2.
自分に子(健常者)がいて、知的障害のある成人に突然わけもなく殴られたら、そいつを同様に倍返しで殴ってやりたい(と思う)。
その場合においては、障害があることを考慮する余裕は持てない(だろう)。


※ 知的障害者と接する活動をしていたことがあります。
※ 実際に2に似た事が以前ありました。
※ 私も答えを出せませんし、知的障害者をサポートする仕事に就いている人でさえ、社会の中での知的障害者を語り合うと話は長引くそうです。 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分と同じような考えの人がいることに少し安心しました。
答えが出せずにいるのは私だけではないんですね。

安易に答えを出そうという考えが間違っていた気がします。

お礼日時:2008/05/19 21:38

質問者様の思う解決案は、まったく思いつきません。


それらを考慮したよい答えがあるのかどうかもわかりません。
私が持つ、人権を無視した解決法ならいくらでもあるのですが、
それは非人道的なので、こちらで述べるわけにはいきません。
ただ、私が障害者に対してどう言う気持で接しているのかを、
今回の回答しておきたいと思います。

私は障害者を障害者として認知した事がありません。
障害者の人も障害者でない人も完全に同じ存在です。
「障害者だから」と言う考え方をした事がありません。
人の言う「障害者には」と聞いたら、
なるほど人はそう考えるのかと知らされますが、
それを知ってもなお私は障害者の人と障害者でない人を区別しません。
私に害があればそれに対応するし、
私にできる事があればそれをするし、
私に利益があるのならそれを得ようとするし、
私に無関係な事はまったく関わりを持ちません。
正直、障害者のように見える人を見ても、
障害者なのかどうなのかがよくわからないので、
そうでない人を見たのと同じ反応を私がするだけなのです。
障害者を障害者として見ないのは人間としても見ていない、
との言い分があったと思いますが、
私はこれと同じに障害者でない人も人間として見ていないのです。
大げさな表現になりましたが、
よく言うとどの人間も同じような人間として見ていると言うわけです。

『なんというか、偽善的な考えで「ハイ、終了」ってできないんです。』
たぶん、私も、かつてそのように思った事があるのだと思います。
けれど、結局、自分では何もしない、何もできない、と思って、
同じように思う仲間さえも集めませんでした。
偽善とは偽悪や悪よりはいくらか効を為すものだと信じていますから、
そのような考えに基づく行動をした事もないわけではありません。
そうして、結果、現在、行き着いているのは、
この解決しがたい問題にたいして、これを解決するのではなく、
問題視しなければよいのではないか、と言う事。
そうする事で、障害者の人も障害者でない人も同じように見ているのです。
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この回答へのお礼

障害者とそうでない人の区別をしない、ですか。
もしかしたら障害者のひとが望んでいるのはそれかもしれません。

でも、私はこの問題について考えることをやめることができません。
dell_OKさんの、「偽善とは偽悪や悪よりはいくらか効を為すものだ」
という言葉を忘れないようにします。

お礼日時:2008/05/19 21:34

 なんとなく彼ら存在がタブーであり禁句であり見てはいけないもののように扱っている気もします。


 他人にはよくわからない人間にも見えますし、(能力的にも)未知な者であり、不思議で神がかった存在にも思えるし天才かもしれないし。
 弱者でもあります。彼らの権利や存在を守ってらないと存在自体が否定されかなません。
 しかし同時に厄介者であり、出来れば生まれて欲しく無いし、天皇の長男が子供が知的障害者だったらどんな反応をするだろうかとか、手間も金もかかるがその分成人してからたくさん税金を払ってくれるか・・・というとそれも期待出来ない。

 私は彼らの事について本音で語る必要があると思います。知的障害者が悪い事や迷惑をかけた場合は変にかばったりすると他の障害者達にも迷惑が掛かります。

 数自体が少ないと思いますが、若者論はたくさん書かれているのに障害者論というのは見かけませんよね。特に彼らの態度や素行を批判したものは。(知的障害者は成人でも自己責任を問えない子供と同じ扱いを受けているからかもしれませんが)
 障害のない若者が映画館や駅、電車など公共施設と思われる所で大声を上げたりすると直接注意しなくても内心「あいつらバカじゃないか」と思ったり、マスメディアを使って「近頃の若者は・・・」と批判出来ますがこれが知的障害者(成人でも)なら同じように批判したりバカだと罵る事は許されない雰囲気です。 

 またニュースになっていた犯罪の加害者が障害者であった場合など報道がストップしたりする事もあるらしいです。

 ドラマや映画に出てくる知的障害者は純粋で努力家で人々に感動を与える役回りばかり押し付けられています。実際彼らのような人々を支援したりする人から「(知的障害者)彼らは純粋な人で・・・」と発言しているのを聞いた事あります。

 私の近所にロリコン癖があり女の子を発見すると自転車で追い掛け回したり、舐めるように全身を見つめたり、下半身を露出したりする知的障害者男が出没していました。被害にあった子供が学校の教師や駅員に訴えても大して相手にされず「彼も男子から石を投げつけられたり虐められているから・・・」などと訳のわからない言い訳をして話をそらすのです。野放し状態。
 これが健常者ならもっと違う処遇がされていたのにと感じ、正直自分のやった事に責任を取れない人間なら自分勝手に外をほっつき歩かせないでくれよ、と思っていました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃることはよくわかります。
現代になってはじめて「知的障害者」という存在は人間扱いされるようになりましたが、
実際のところ、私たちは「知的障害者」を人間として扱うのにはどうしたらいいのかを知りません。
これから考えていかなくてはいけませんね。

お礼日時:2008/05/19 21:45

私は、障害者だから、健常者だからって区別する問題ではないと思うんです。



健常者でも、障害者でも「他のお客様のご迷惑になる場合は、すみやかにご退場願います。」で良いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

もちろん映画館の運営上仕方ないと思いますが、
仮に自分が従業員だとして、知的障害者を追い出すのは
なんだかいやな気分になりますね。
ほんとうにそれでいいんだろうかと悩む自分がいます。

お礼日時:2008/05/19 21:27

基本的には #6さんの言う事に賛成ですね。



>健常者と知的障害者が共存する上で、社会制度上、ある程度の区別は必要なんじゃないかと考えるようになりました。
すでに 分け隔てが存在していますよね。

>でも、同時に障害者専用映画館とかができる社会を想像するとぞっとする自分がいます。
全国どこにでもある公民館か何かで そういう日を作っていませんかねぇ?

>昔、地下鉄の中で手すりや窓ガラスに鼻くそをつけて遊んでいる知的障害者を見たことがあります。
他人事ですが、あなたが そっと ポケットティッシュを出して拭いてあげたら カッコイイですよね。

>自分は障害者に対してどういう気持ちで接したらいいのか、
「自分の子供だったら」という気持ちで良いのではないでしょうか。

様々な方が「程度の問題もある」とおっしゃってますが まさに その通りだと思います。
1つの基準を作って 全て 1くくりにするという事は難しいですよね。

以前、飲食店で働いていた時に自閉症の子が騒いで他のお客さんから苦情が来ました。
申し訳ない気持ちでしたが そのお客さんの言う事の方が正しいと思い そこのテーブルへ行き事情を伝えました。
そうなる事は 承知の上だったようで「わかりました。すみません。出ます」と言って会計を済ませて出て行かれました。

申し訳ないという気持ちはありましたが、仕方の無い事であったと思います。
苦情を言って来たお客さんも「周りの人の代理で言った」のでしょうし、「誰かが言わなければ」という気持ちだったでしょう。

ただ それと「子供を叱れない親」とは別ですよね。
何が違うかと言われれば“注意をする時の言い方”が変わってくるだけだと思うのですが
その程度の事しか出来ないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>昔、地下鉄の中で手すりや窓ガラスに鼻くそをつけて遊んでいる知的障害者を見たことがあります。
他人事ですが、あなたが そっと ポケットティッシュを出して拭いてあげたら カッコイイですよね。

>自分は障害者に対してどういう気持ちで接したらいいのか、
「自分の子供だったら」という気持ちで良いのではないでしょうか。

お恥ずかしいですが、、、そこまでは私にはできません。
自然にそれができる人間だったらここまで悩まないでしょうね。

お礼日時:2008/05/19 21:10

理想論は簡単に言える問題ですよねー。



私も映画は好きでたまに映画館も行くので、
一人でじっくり観たいような映画でこういった事態に遭遇すると
正直辛い思いをしそうです。

うーん、私の勝手だと障害者を入館不可というのは
ちょっと違うかなと思うので、
基本的には健常者が我慢をする方向で、
度を超していたら1割程度だけでも申告者に対して劇場が返金対応してくれるとか(あまりに騒がれてしまっては商品価値は下がると私は思うので)、空席がある時にもう一度観られるチケットを発行してくれるとか、
結局私がワガママなんですけど、
そういう対応してくれたら嬉しいかもしれませんね。

劇場側からしたらとんだ赤字になる事必至ですけれど・・・。

障害者の方は偏見の目では見たくないのですが、
やはり健常者と同じように見るというのは、
少し難しいかもしれません><。
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迷惑な子供、誰が叱るんだろうね。


ちょっと意地悪な書き方をしてみたくなったんだけど。

世の中、「他人に迷惑をかけないように」という意識がなさ過ぎると思います。
この辺は田舎、劇団が来て生の演技を見ることなんてほとんどありません。
楽しみにして見ていたら、子供が走り回る。
椅子を触っているのか、「ガタン」なんて音が聞こえてくる。
親はそばで知らん顔してみてる。

自分の子供だから気にならない、他人の子供だから気にするなんて以前の話だと思うけどね。

何でもかんでも法律っていう質問者もどうかと思うよ。
でも、今の世の中「法律」って言葉で縛らなきゃマナーさえ守れない人も多い。
電車での携帯電話なんていい例。
自動車運転中なんて「違反」って言われてもいまだに多いね。

差別するわけじゃないけど、映画館って皆が静かに鑑賞するところ。
「ドラえもん」の映画なら子供が主題歌熱唱しても仕方ないかなと思うけど。

普通の映画なら「静かにできない」人は入っちゃいけないと思うよ。

静かにできない障害者、静かにできない子供、静かにできない大人も。
そして、特に子供の場合「静かにしなさい」っていえない親も入っちゃいけないと思うね。

何でも程度があるよね。
子供がちょっと遠慮がちにお母さんと話す声が聞こえる。
子供だから、結構大きな声になってるんだけど一応気遣ってるのがわかる。
母親も一応話を聞いてやってから「静かにね」なんて言っていたら、「まっ、いいか」ってなるよね。

何でも限度、程度があるから一概に言えないけど。
「子供入場禁止」のコンサートとかあるよね。(最近はない?)

やはり、本人に責任があってもなくても、公共のマナーを守れない人は映画館なんかに行っちゃだめだと思う。

法律以前に皆が他人に迷惑をかけないようにしなくちゃいけないと思うね。
映画館で騒ぐって、普通いけないでしょ。

障害者はダメってするんじゃなくって、騒ぎ出したらとりあえず外に出して落ち着かせる。
そういうことを介助者がしなくちゃいけないと思う。

そういうことがないから、「法律」ってなるんだよね。
どんどん住みにくい日本になっちゃうね。
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#3さんがすごくいい回答を書いておられるので、あまり書くことはないんですが、質問内容で気になるのは



>こんな法律をつくったらいい。とか、
この程度のことで知的障がい者を区別する法律を作って、とか考えてる時点で質問者さんがまだ若くて未熟な人だということがわかります。

こういうことは法律を作って解決できるものではないし、法律によって解決を図るべき問題ではないのです。そういうことはその場に居合わせた一般の人たちや映画館の職員などが臨機応変にケースバイケースで対応できるような社会になることが理想だと思います。困ったことは法律を作って警察や役人に解決してもらおうという他人任せの無責任な考え方は私は嫌いです。

そういう迷惑な知的障がい者がいたとしたら、そういうことを考える前にまずあなた自身が自分の責任で何らかの行動を起こすべきです。
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この回答へのお礼

あなたの言いたいことはわかります。
私も法律でなんとかしようと思って書いた訳じゃありません。

前後の文は読まれましたか?
個人の意識的、倫理てきな回答でも、
社会制度上の回答でも、幅広い意見をくださいという意味で書いたつもりです。


感情まかせな回答に生産性があるとは思えません

お礼日時:2008/05/19 21:18

logger_manさんのご回答にすごく納得、同意します。


さすがですね。

しいて私の意見を言うとしたらですが、
知的障害者や幼い子連れの親子が気兼ねなく見れるように、
コンサート会場とかのようにボックスシートがあったりする映画館がもっとできてもいいかなとは思います。
(でも、映画館の雰囲気を楽しんだりとか、席が固定されるというあたりかわいそうだと思うので、
あくまでも問合せのあった知的障害者や幼い子連れの親子方のみへの対応となると思いますが)
逆にどうしても楽しみで見たい方のみへの映画館のスペシャル企画として「スナック菓子も厳禁」くらいの音出し・途中入退席厳禁の回とかあってもいいかもしれませんね。
そうしたら、本当に楽しみたい方は存分に見れるでしょうし。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そんな制度ができたらいいですよね。
実現できるとは考えにくいですが。

お礼日時:2008/05/19 21:22

別に、法律をどうこうするとかいう必要はないだろうな。

オレも、そんなもんができたら、そのほうが気色悪い社会だと思うよ。

知的障害者「だけ」が何か特別に迷惑をかけるわけじゃないんだよな。回りに迷惑をかける人間はたくさんいる。子供、老人、身体障害者、自己中な人、とか。知的障害者が、そうした人よりも明らかに迷惑をかけているか?というと、そうでもないと思う。程度の問題。子供だって、場合によってはものすごいことになったりするわな。知的障害者だって、その障害の度合いによって全然違う。

それに、回りに迷惑をかけて「ない」のに、迷惑な人、というのもある。例えば、ヤクザ。別に何の迷惑をかけてなくとも、そこに住んでるだけで多くの人は迷惑に感じたりするわな。刑務所から出所した人なんかもそうだろうな。ちゃんと罪を償って更生しても、回りからはさも迷惑な目で見られる、そういうことは実際多い。

こういうのは、結局のところ、人々の「意識」が変わらないとしょうがない。こいつは、法律なんかいくら作ったって変えたりできないんだよな。じゃあ、どうするんだ? そいつはオレにもわからん。

ただ、一ついえることがある。例えば、映画館にいったとしても、一緒に言った友だちの声は気にならないけど、どこの誰とも知らない他人のしゃべる声はやたら気になる、ってことだ。障害者に眉をひそめる、子供がキライだ、元犯罪者なんて悪い奴に決まってる、こういうのはみんな「その対象を知らないから」だと思うんだよな。知らないから、「障害者」とか「子供」とかいった抽象的なものに対してあれこれ考える。

世の中に「障害者」って人間はいないんだよな。みんな、山田太郎とか田中花子とかいったそれぞれの個人。知的障害者を、「障害者」という概念でなく、個人としてそれぞれが見られるようになってくれば、意識ってやつも変わっていくんでないか。要は、「いかにして、多くの人が、障害のある個々人とつながるような社会を作っていけるか」ってことなんだろうな。具体的に何をすればってことはちょいとすぐには出てこないけどね。

抽象的な答えしかできなくてすまんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
わたしもだいたいはlogger_manさんと同意見です。
ただ、
「障害者に対してどういう意識をもつのが理想なのか」
「理想に少しでも近づける為にはどうしたらいいのか」
私はこの疑問を解決したいのです。
永遠に解決しないかもしれませんが。

お礼日時:2008/05/19 21:04

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