朝鮮正史が下関の赤間関に関するものを歌った歌で、
「月出るの・・・ むらさきの海の硯・・・」(すみませんうろ覚えです)
それについて、韓国語を当時の日本人が日本語のカタカナで書きとめているものを見たのですが、
(「シャリ ヒョンサン ハテ・・・」というもの)
全く解読できません。
どなたか、この歌に関すること何でも結構ですので、何かご存知であればぜひ教えていただきたいのですが、よろしくお願いいたします。特に、その韓国語のもとのハングルを知りたいです。

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A 回答 (7件)

多分、ハングルではなくて漢語(または漢詩)の形式で読まれているのだと思います。


元の片仮名がもっと分かれば多少は分からないわけでもないですが、
> 「シャリ ヒョンサン ハテ・・・」
では、短すぎて難しいです。

この部分だけを考えれば、多分「出於釜山・・・」とでもなるのでしょうか。この形式だと七言の形に近いですが、実際がどうだったかは私には分かりません。
またハテについてはなにも漢字を当てていません。

この回答への補足

>×手がかりがつまめそう…
 ○手がかりがつかめそう…
急いで書いて、文章が「~ので~ので」を多用してしてしまい、読みづらくて申し訳ございません。

補足日時:2008/05/26 17:25
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この回答へのお礼

そうですか。漢詩形式は間違いないと思います。
私がみたのその資料は、朝鮮正史が読んだ詩を日本人がカタカナで書き取ったものです。ですから、当時朝鮮正史が発音したものを日本人の耳で聞き取った言語です。という意味では正確には「ハングル」ではありませんでした、すみません。

ただ、そのカタカナ表記のものと、その日本語翻訳の意味が対応していると明記されているので、全文がわかれば解読の手がかりがつまめそうですので、カタカナの全文を今週あたりにコピーしてきますので、分かり次第もう一度質問させていただくかもしれませんが、よろしくお願いいたします。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/26 17:23

 朝鮮語ではないように思われます。

李氏朝鮮時代の朝鮮語は、語尾以外は現在の朝鮮韓国語とかなり似ていますが、単語として意味が取れる部分がありません。
 キヤルメイ キヤルメイ キヤサン  という部分が言葉遊び風なので、詩ではあろうと思われます。
 漢詩にしては短いですし、むしろ都々逸(どどいつ)を連想しました。宿所に来た芸者さんが唄った下関の古い民謡?でも日本語としても意味が取れないですね。
 キヤルメイ は、べらんめー江戸弁だとしたら、 来やしねーだろう と解釈出来なくもないです。
 ヒンシャ は何だか花札の名前のような。
 トラサン を、トラソン だとすると(aという母音と oという母音はこんがらがって聞き取られることがあるため)、 背を向けて立った、振り返って立った、裏切った・・・などの意味になります。
 阿弥陀寺は当時、神仏混合だったので、神道式の祝詞?仏教のお教の一節?
 さまざまな連想、想像が頭の中を飛び交います。何か他にお分かりになった事がありましたら、教えてください。いやぁー、気になりますね。
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この回答へのお礼

いろいろとご親切にありがとうございました。
本当に参考になりました。今後も、続けて検討していきたいと思います。

お礼日時:2008/06/21 02:28

既にご存知のことも多いかもしれませんが。

赤間関に宿泊した代々の三使(正使、副使、従事官)と学士、書記は、阿弥陀のご本尊(ご神体)である安徳帝像を見た後に、No.5で記載したサミョン大師の赤間関夜泊という詩を元詩として詩を作るのが慣例になっていたそうです。元詩の韻を踏んで作詞する「次韻(次韻詩)」という作り方だそうです。作って贈られた詩は、接待役の長州藩(萩)へ報告され、阿弥陀寺としては安徳帝廟へ奉納しました。また、地元の長府藩(毛利の支藩)もこれを書き写したため、通信使の詩文資料は現 下関市立長府博物館と長府図書館に所蔵されているようです。どうやら他の正使らの詩もある模様です!また、上関町の町役場(教育委員会?)にも関連資料があるようです。カタカナ朝鮮語の記録も意外と多く残ってるかもしれませんね。本当におもしろそうです。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。
下関市立長府博物館、さっそく来月直接訪問したいと思います。

さて、前回の詩の全貌が明らかになりましたので報告させていただきます。

シャリ々(二を斜めにしたもの)○ヒヨンサン○ハテ○ヒンシヤ、
トラサン、キヤルメイ キヤルメイ ○キヤサン○ハチンヒラ

上を大和言葉に翻訳すると

出る月のあけを うち(?)ひし むらさきの(?)硯の海の 
ながめるるけり(?)

次に、解釈などがあるのですが、すみません、達筆すぎて和歌の知識のない私には読めませんでした。

結局、上のカタカナは、ハングルなのでしょうか、何なのでしょうか。
原本の写真を撮ったのですが、アップはできないようですので残念です。

お礼日時:2008/05/31 16:33

前記のサミョン大師の詩と1711年(粛宗37年)第8次の副使の詩がわかりました。

サミョン僧のには月が2回出てきますが、副使のほうは月が出てきません。
  
  敬弔日本安徳天皇廟霊
干(1)昔日世多難  八歳金與(2)此間
只有(3)波旧時月  夜来猶似弔紅顔

天皇遺像下関傍  路断(3)波草樹荒
独有中天万古月  年年依旧度蒼茫

  次前韻再弔
興亡宇宙本無窮  一片山河西復東
独(4)紅顔八歳帝  老姑倶(5)此波中
       朝鮮国四(6)沙門松雲書

 私が漢字の知識とパソコンの知識が無いのがバレバレになってしまいました(笑)。
 (1) 戎 という字の中の ナ みたいなのが無い字です。
 (2) 左が タ みたいで、右下が 又 です。
 (3) さんずいに 倉 です。
 (4) 恨 という字の左側(何辺でしたか、笑ってゴマカソッと)に 倉 という漢字 です。
 (5) タ みたいな字に 員 です。
 (6) さんずい に 冥 です。

 わかりにくくてすみません。

 また、第8次の正使、趙泰億という人の詩の一部だけわかりました。

(1)禽木石無窮恨  万古東洋自(2)茫

(1) うかんむり に 免(点が付いている)。意味からしてたぶん、兎 の意の漢字です。
(2) さんずい に 目 に 少 という漢字です。
 「山海経(せんがいきょう)」の悲しい説話と、溺死した安徳帝のイメージを重ねて詠んだものらしいです。
 お探しの詩はどの正使さんの詩だったのでしょうね。

 初めて見る異国の人と、漢字を使ったらさまざまな意思疎通が出来ることに毛利藩の人達はさぞ興奮したことでしょうね。彼ら同士では初めて聞く異国の言葉でしゃべってるし。もし私でもきっとカタカナで書き留めたいと思ったと思います。カタカナのコピー(元の漢詩も?)、是非是非教えていただきたいです♪
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朝鮮通信使が赤間神宮(阿弥陀寺)で詠んだ「赤間関夜泊」という詩が近く手に入れられそうです。

少しお待ちください♪
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この回答へのお礼

本当ですか?大変うれしいです。
わたしが見たのは、一つの詩のみでしたので、ほかにもあるのであれば大変助かります。ちなみに、山口県では下関と上関の二箇所に通信使が来ていて、山口県を中心とした資料を探しております。
その詩のイメージは、恐らく硯(赤間関は硯の産地ですから)をもらった朝鮮正史が、硯を海にみたてて、そこに映る月の光をながめて唄ったものだと推測されます。
内容がもしもこれとは異なったとしても、「赤間関夜泊」という詩ぜひぜひ教えてください。

お礼日時:2008/05/26 17:09

その歌についてはわからないのですが、いろいろ検索してみましたら次のようなことが出ました。


 1604年、朝鮮人帰還問題で来日したサミョン大師が赤間関で、壇ノ浦の戦いで亡くなった安徳天皇を哀悼する「赤間関夜泊」という詩を書いた。
 1711年、8番目の副詞、任守幹が詠んだ詩が赤間神宮(当時の阿弥陀寺)に残されている。
 長州藩の儒学者たちとの交流の記録「両関唱和集」など3冊が、山口県立図書館にある。
 下関と朝鮮通信使に関する本として、郷土研究家、前田博司著「文明の使者朝鮮通信使 朝鮮通信使と下関」という本がある。
 1764年頃に通信使が書いた本「日東荘遊歌」の一月のところに赤間関のことが書いてある。この本は東洋文庫から高島叔郎先生の訳で出ています。またこの本はハングルでも書かれて、当時朝鮮でベストセラーになったようです。

 何かもっと分かるといいですね。おもしろそうですね。下関をどういう風に歌ったのでしょう?私も知りたいです。ご質問の詩は月の出ですが、日が関門海峡に沈む姿もすばらしいですよ。
 また、当時の日本人が漢詩を、「これを貴国のことばで読み下すとどうなりますか」なんて言って、初めて聞く異国のことばに興味津々でカタカナで書きとめた、これは大いに有り得ますね。
 何か分かられたことがありましたら、また是非是非お尋ねいただきたいと思います。
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この回答へのお礼

「日東荘遊歌」という本もぜひ拝見したいです。
ハングルでも書かれているのですね。さっそく調べてみます。

わたしも、先週ある方からその資料を見せてもらったのですが、興奮のあまり?コピーしてこなかったので、今週ぜひ書き写してきますので、詳しい内容(特にカタカナ表記の最初の部分)をお知らせしますね。
わざわざ二度も回答していただきましてありがとうございました。恐縮です。

お礼日時:2008/05/26 17:13

質問者は重大な誤解をしております


ハングルの起源を 何時から一般的に使用されるようになったかを お調べください

当時の朝鮮は 明か清の属国です
公式な表記は全て 明・清の表記法そのままです(いわゆる漢文)

公式な使節である通信使が 宗主国以外の表記を行なうことができるはずがありません
ですから その時ハングルが使用された可能性は ゼロです(朝鮮語の可能性も)
さらに その使節を接待する日本人は漢文の素養は充分にありました
ですから それをカタカナで書きとめた は考えられません
(後世 朝鮮語に訳しカタカナ表記したものが作られた可能性はあります)
ですから 朝鮮語の資料に関しては大した意味はありません

なお なぜ 通信使 なのかは理解されいますか
属国である朝鮮は、宗主国から外交権限を認められていなかったからです。
外交使節を日本に派遣したことが明るみにでれば、(国が保たれません)
その昔の様に 帯方郡・楽浪郡となってしまいます

朝鮮正使 と表現していますが、これだと外交使節になりますから そのような表現がなされたとは考えられません
あくまで 通信使 のはずです

ささいなことと思われるかもしれませんが、当時のことを論ずる場合には非常に重要な事です
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