マンガでよめる痔のこと・薬のこと

桂小五郎は一般には「剣の達人」として通っているようですが、彼が練兵館の塾頭になったのは、剣術ができたからではなくて道場主の斉藤弥九郎がスポンサーである長州藩に便宜を図ったため、という記述を目にしました。実際のところどうなのでしょう?

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A 回答 (4件)

そういう面もあったかも知れませんが、


実力の無い人を、塾頭にしたら、同情の
面子に関わりますから、かなり実力は
あったのではないでしょうか。

尚、桂小五郎は一度も人を斬った経験が
無いと伝えられています。

一度も人を斬ったことがない人の実力
なんて、はっきり言ってどうかな、と
思いますが。

オリンピックのような大舞台で勝つには
メンタルが欠かせません。
専門家によると、勝敗の50%はメンタル面
で決まると言います。

殺し合いである真剣勝負なら、その比率は90%
を超えるのではないでしょうか。

実戦経験豊富な新撰組の猛者にかかったら
いちころだったのではないですか。
彼は頭が良いですから、そういうことは
よく理解していたと思います。

だから「逃げの小五郎」なんですよ。
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藩費で練兵館に入塾した長州藩士が多かったのは事実です。

斉藤先生も長州に多少気を使った面はあるかもしれません。しかし、桂の場合は藩費ではなく、江戸遊学はあくまでも私費ですから、塾頭になれたのは実力でしょう。塾頭が弱くて阿呆だと道場の名折れですから、便宜だけでは塾頭は選べないでしょう。

練兵館で一番強かったのは仏生寺弥助だと言われています。斉藤先生でも勝てなかったそうです。でも強いだけでは塾頭にはなれません。塾頭に求められるのは、剣の実力、学問、統率力、人格等々の総合力です。他の流派でも同じでしょう。例えば、士学館の塾頭は武市半平太です。やはり桂小五郎は剣も剣以外でも秀でていたのでしょう。

もちろん、桂小五郎は実戦でも強かったはずですよ。練兵館は「力の斉藤」と言われた位ですし、先の仏生寺だけでなく、「鬼」「天才」の異名をもつ斉藤勧之助、竹刀で胴を叩き割ったという豪剣の渡辺昇など錚々たるメンバーがそろっています。稽古は相当ハードだったはずです。しかも、桂は当時の日本人男性としては大柄の方ですから力強い剣法だったはずです。現代の竹刀剣術と一緒に考えるのは間違いでしょう。桂が小柄ですばしっこく、曲芸のような竹刀捌きだった云々は司馬遼太郎の影響でしょう。

おそらく桂が本気になれば永倉、斉藤クラスの新撰組の猛者とも互角に渡り合えたでしょう。
でも維新の三傑ですからねぇ。志が高く、天下の大事しか頭にないですから、強いだけの小者達と斬り合うことに本気出すのは馬鹿馬鹿しかったんじゃないですか?
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桂小五郎は竹刀剣術は上手だったそうです。

  小才が利くということでしょうね。   真剣ではたいした事は無かったかも知れません。
近藤勇の道場は実戦主義で竹刀剣術は不得手でした。
竹刀剣術の道場破りが来ると、待たせて錬兵館へ応援を求め、小五郎たちが駆けつけ負かしたという伝説が残っています。
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両方でしょう。


一番強い門下生が塾頭になるわけじゃないし。
家柄とか、血縁とか、いろいろあるでしょう。
平等社会じゃないからね。
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