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本の起源について調べています。
一般にグーテンベルクの活版印刷から本の歴史は始まるのかもしれませんが、私は粘土板文書やパピルスのあたりから調べていました。
そこで質問なのですが、粘土板文書やパピルス(他にも石版など)は「本」として捉えてしまって良いのでしょうか?
ただの「記憶媒体」という訳ではありませんよね。

それか、発表時間が10分なので、もう少し焦点を絞って調べたほうが良いのかも知れないと考えています。

答えていただければ幸いです。

A 回答 (3件)

洋の東西でそれぞれ成立過程は違いますので、それぞれについて比較して調べるというのも面白そうですね。


ちょっとした小ネタですが、洋本は本棚に立てて保管し、和本は横に積み立てて保管するという違いもあります。
とはいえ、西洋中心との事ですのでその前提で浅薄な知識から回答を試みてみます。

まず、なんらかの意味を持った「記号」を記録する媒体としては、

石版、粘土板、パピルス、羊皮紙など

が主に西洋で使われていました。
なかでも「パピルス」と「羊皮紙」は重要な位置を占めます。
「パピルス」は巻物として使われていました。
「羊皮紙」は、無造作に束ねられていたり、ヒモを通して束ねたりしていたようです。
余談ですが、ローマの名将であるユリウス・カエサル(シーザー)がパピルスの巻物を交互に折り曲げて「見開きの束」にする事(つまり、今のほんの形)を思いついたという伝説が残っています。

とは言え、直接の起源は「羊皮紙をヒモで束ねたモノ」という説の方が信憑性がありそうですが。
羊皮紙というのは、主に中世に使われた「記録媒体」です。
羊皮紙は、パピルスのように巻物にするのには適しておらず、結果として「ヒモで束ねる」形となりました。
しかし、丈夫で両面に文字が書けるので重要な位置を占めるようになりました。

6世紀のベネディクトゥス修道会の修道士達が、25cm×45cmの羊皮紙を半分に折り、そこに聖書の句を写し取っていきました。
そして、4枚ごとに皮ひもで束ね、それを幾つも重ね、皮で覆い今で言う表紙としました。
そして、小口に金具を付けたり、表紙を宝石で飾ったりとして装丁し一冊となりました。
それ以後、主に修道院で聖書や古代の書物の写本が作られていきました。
中には、挿絵を描いたモノもあります。

その後、751年のタラス河畔の戦いで紙が中国からイスラム社会に伝搬し、その後、アラブとの交易を担ったイタリア人によって、ヨーロッパ社会にも伝搬されます。
1276年にはイタリアのファブリーノで初めて製紙工場が造られました。
紙は、羊皮紙に比べ軽く扱いやすかったので少しずつ普及していきました。

しかし、出版業界の発展は、やはりグーテンベルクの活版印刷に始まります。
それまでは、職人によって一冊一冊、手書きで書き写していました。
手書きなので、当然数冊~数十冊も作れれば良い方でした。
もちろん、高価になりますので、人気のある古典なんかは回し読みされていたようです。
この、冊数の限界を一気に広げたことは、本の歴史に大きなインパクトを与えました。
冊数が増えれば価格も下がりますし、庶民でも気軽に読める媒体となったワケです。(とはいえ、識字できる市民層・商人層・貴族層に限りますが)

また、ヴェネチア共和国は当時でも比較的言論の自由があったので、出版業界も一気に発展しました。
とくに、アルド・マヌッツィオという人物が創設した「アルド社」は、小型の今で言う新書本を発明したり、それに合わせてイタリック体という字を開発したりして一気に読者層の開拓に成功しました。
それまでは、活版印刷本でも、中世の羊皮紙本のように大型で華麗な装飾を施し、また字も「ゴシック体」と言われる余計な飾りの付いた字が主流でした。

・・・と、まぁ大まかにはこんな感じになりますね。
参考になりましたら、幸いです。
※参考リンクは、本の各部分の名称と綴じ方が分かり易く纏めてあるサイトです。

参考URL:http://www.youart.co.jp/dtp/toku/jiten/book01.html
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この回答へのお礼

そうですね。調べていて東西で異なることを比較するのは、とても面白いです。
羊皮紙を冊子状に変化させたのがカエサルという説もあるというのは初めて知りました。

紙が西洋に渡った理由については焦点がずれてしまいそうなので詳しくは書かないつもりですが、
中国から直接伝来したのではなく、イスラム経由で紙は西洋に伝わったんですね。
参考にさせていただきますね。

参考リンク&ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/27 23:41

「冊」という字があります。


これは、紙が発明される以前の古代中国では、板や竹に文字を書き、それを紐で一まとめにしました。この一まとめにした板(木簡)や竹(竹簡)を「冊」とよびました。
これなどもう立派な本の体裁だと思います。
ついでながら、「韋編三たび絶つ」ということばがあります。
これは、司馬遷の『史記』孔子世家のなかにある言葉で、孔子が易を好んで
読んだために、書物のとじ紐が3度も切れたということから、読書に熱心な
ことを表すことばですが、孔子が読んでいたものは、紛れもなく紐でつづられた木簡か竹簡だったでしょう。
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この回答へのお礼

竹簡は現在でも使うことがある、と聞いていたので、粘土板文書やパピルスとは別の意味で本とは違うカテゴリに分類されるもののような気がしていました;
孔子のその話の中で扱われていたのは実は竹簡、木簡だったんですね。
西洋中心の内容になりそうなのですが、「本」の起源を語る上で中国は外せそうにもないですね。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2008/05/27 18:41

粘土板やパピルス、羊皮紙などの巻物類は字によってデータを記録していると言う点で「本」と共通する部分がありますね。


しかし本(近代的な意味での)はそれ以前の巻物などの書物と比べて、画期的な機能があります。
つまり、表紙、目次、ページ番号、タイトル、本文、脚注など複数の機能が大量生産された同じ版でおなじ形態で装備されていると言うことです。
おかげで「○○出版の◎◎著「××」(書名)のpxxに書いてあるように」と言った具合に人とデータの共有が簡単にできる訳です。
また紙のページをめくると言う作業で古典的ながらランダムアクセスが実現されていると言えます。
というわけで巻物類から近代的な本への進化はまことに大きなものがあったと言えると思います。
せっかく粘土板文書から調べられたのでしたら、「本」以前の書物と近代的「本」の機能の進化なども視点に入れられてレポートしてみては?
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この回答へのお礼

本とは少し概念が異なるものの、その進化の過程はとても重要ですよね。
「本の起源」として調べていましたが、もう少し視野を広くして、今の「本」に至るまでの流れを含んだものに仕上がれば良いなと思います。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2008/05/27 18:23

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