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江戸時代の子供以外の日本女性は、全員が日本髪(髷)を結っていたはずです。
現在、女性が和服を着ても、日本髪を結うことはありません。結婚式で着物を着る場合はは文金高島田のカツラをかぶります。舞妓や芸者のような特殊な職業の場合は分かりませんが「自前の髪で日本髪を結う」という風俗は今では絶滅してしまったと思われます。

明治時代の女性の写真を見ると、江戸時代と同様に日本髪を結っているようです。日露戦争の頃に新しい結い方が流行し「二百三高地髷」といわれたといいます。

この質問を立てた直接の動機は、新聞で、昭和12年の大阪の富裕な商家の4姉妹が主人公の芝居「細雪」の製作発表の写真を見たことです。4姉妹を演じる女優は、30代から20歳くらい、うち2名が既婚者という設定ですが、いずれも現在の「和服美人」のように日本髪ではない「普通の髪」でした。

芝居の制作時にどのくらい厳密な時代考証をするのかは分かりませんが、果たして、昭和12年の時点で既に日本髪を結う風俗は廃れていたのでしょうか?あるいは、よほど年配の人だけの風俗になっていたのでしょうか?

なお、昭和10年代の日本女性の服装は、

1. 都会では、独身女性は外出時には洋服を着る方が普通になっていた。学校の制服は洋服になっていた。
2. ただし、結婚して家庭に入ると、外出時・日常時を問わずに和服を着るのが普通だった。
3. 農村では適当な和服(古着屋から購入)が普通。これは昭和40年くらいまで変わらなかった。

と理解しております。

gooドクター

A 回答 (4件)

>日本女性が日本髪(髷)を結わなくなったのはいつ頃?



NHKの朝ドラの「おしん」や「あぐり」等の記憶を辿ると、
おしんは明治の終わりか大正の初めに髪結いになり、髪結いの師匠から洋髪結いになるように薦められ成功するような内容がありました。

また、あぐりの中でも大正の終わりか昭和の初めにあぐりは美容師になるのですが、そのドラマのなかであぐりの義理の母親がある日突然日本髪から洋髪にする場面がありました。
また、1920年代にはモボ・モガが流行り、「華麗なるギャッツビー」のようなワンピースでおかっぱ頭に帽子が流行り、その後はパーマが流行ったのではないでしょうか。

昭和40年代頃まで、お正月に日本髪を結う人はいたと思います。
その頃、明治生まれのご近所のご隠居、おばあさんは和装で長谷川町子の「意地悪ばあさん」のような装いでご自身で小さな丸髷を結っている人も居た記憶があります。

日本髪を結うと箱枕でしか寝られませんし、一回横になるとまた、結い直してもらうか撫で付けてもらわないといけなく、時間的にも金銭てきにも結構たいへんです。

参考URL:http://wapedia.mobi/ja/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%AB%AA
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この回答へのお礼

実体験に基づくご回答有難うございます。

「日本髪を結うと箱枕でしか寝られませんし、一回横になるとまた、結い直してもらうか撫で付けてもらわないといけなく、時間的にも金銭てきにも結構たいへんです」
なるほど。それが当たり前と思っていれば抵抗ないのでしょうが、日本髪を結って日常生活を送るのは現代人の想像する以上に大変なことなのですね。

「その頃、明治生まれのご近所のご隠居、おばあさんは和装で長谷川町子の「意地悪ばあさん」のような装いでご自身で小さな丸髷を結っている人も居た記憶があります」
「いじわるばあさん」は昭和41年から46年まで雑誌に掲載されたようですが、あの髪型は当時の「古めかしい年寄り」の風俗を記録しているわけですね。

漫画の「サザエさん」の描写は、同時代の風俗を知る上で参考になりますね。
1) 昭和20年代後半に40歳代の設定と思われるフネさんは終始「着物に束髪」であり、日本髪ではない。その風俗のまま平成のテレビアニメになってしまっておりますが…
2) 手元に、姉妹社版のサザエさんの17巻、18巻(昭和27年ごろに新聞掲載)があったのでめくってみました。これを見ますと、60以上の女性は、いじわるばあさん同様に「丸髷」で描かれているのが基本です。洋髪らしき人は見られません。
3) そして、18巻で登場する「ノリスケのお母さん」は、頭にクシを挿した、江戸や明治と同様の「本格的な日本髪」で日常生活を送っているようです。地方に住んでいるようなのでそれも反映しているのでしょうか。

ご回答を読んで、昔買ったサザエさんの漫画を見直してみるという発想が沸きました。ありがとうございました。こう考えますと、昭和12年に30歳くらいの「細雪」の4姉妹は、「サザエさん」のフネさんと世代が重なります。「既婚女性は和服が基本だが日本髪は結わず、パーマをかけるか束髪とする」というのは概ね正しい時代考証のようです。

お礼日時:2008/05/29 08:53

母親の話で思い出したことがあります


母が子供の頃多分昭和10年ごろには庶民がパーマをかけるようになったがうまくなっていないで、鳥の巣のような頭のおばさんがいたと言っていました戦争が激しくなってパーマ禁止になったと言っていまして、禁止になる前に母はパーマをかけた写真を撮ったのがあります、多分18才ぐらいでしょう
 着物を着ていると、縫い直して洗い張りなど針仕事が多いので裁縫が出来るのが普通だったとおもいます。私の子供のころにも洗い張りの板や干すときの竹ヒゴに針のついたような棒(名前はしりません)があり祖母はしていましたね、しかし祖母は針仕事は得意でないようで、母は祖母をコバカにしていたような感じです、(嫁姑の関係)
 
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大正時代後半から昭和の初めにかけて、髷→中間型→洋髪に変わって行きました。


明治後半生まれの女性の娘時代に変わっていったということです。
この時代の人たちの特徴(中流以上の家庭の娘、中流とは中ほどではなく、かなり上のほう、一般庶民は下流です)
1.名前に子が付く人が増えてきた。
2.高等女学校へ行く人が増えてきた。
3.下穿きが「お腰」からズロースに変わった。白木屋の火事のときは、若い人は大方ズロースに変っていました(^―^)。
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigat2.html

>3. 農村では適当な和服(古着屋から購入)が普通。これは昭和40年くらいまで変わらなかった。

百姓の嫁や娘は、自分で縫う人が多かったように思います。
裁縫は貧乏な家の娘でもできました。
作業着(古い着物とモンペ)は自分で縫いました。
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母親が大正15年うまれでした(今はもういません)


戦前は普通は洋服で正月やあらたまった外出で着物を着る
学校の制服はセーラ服や詰襟 (最近まで同じだったような)
独身とか既婚とかはあまり関係ない 年寄りは普段でも着物だったようですが
昭和40年代ですがこれは私の子供時代です。NHKで「新日本紀行」でよく農村の生活をしていましたが、おばあさんの農作業は和装の作業着(もんぺ?)ですが、男は普通の作業着、若者の普段着は都会と変らない
ただ都会と違い空襲で焼けていないので古い着物はたくさんあったでしょうからきていたかもしれません、古着屋から購入とはまったくきいたことはありあません
NHKの朝ドラマでよく昭和初期からの女性の生活が良くでていましたがやはりこのような感じですね、なぜか女学生はセーラ服に三つ編みを両側にたらしていのが多いような感じですが、母の若いときの写真は三つ編みではありませんでした
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