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 私の祖父から聞いた話です。

 終戦直前、祖父の部隊は敵の本土上陸を想定して、熊本の海岸で塹壕を掘っていたそうです。
 8月9日の昼前にふと空を見上げたら一機のB29が悠々と飛び去るところだったそうです。そのときは何とも思わなかったようですが、もしかするとあれは長崎に原爆を落とした飛行機だったのかもしれない、と思っているとのこと。

 これについてふたつ質問させていただきます。

1.長崎に原爆を投下した後、B29は熊本上空を飛んでいったのでしょうか。
2.熊本の海岸に塹壕の跡のようなものは残っているのでしょうか。

 どうぞよろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

1.長崎に原爆を投下した後、B29は熊本上空を飛んでいったのでしょうか。



 原爆を投下した部隊のうちの1機である可能性は高いです。

 原爆投下部隊は6機のB29爆撃機で編成されており、原爆投下のほかに、事前に目標地の天候等を調べて、原爆投下機を先導する機体、爆発の様子を写真に撮ったり、科学的な調査をする機体などです。

 各機は、グァム島の南西にあるテニアン島の基地を飛び立ち、屋久島付近の上空で連絡をとりながら、第一目標の福岡県の小倉に向かいましたが、小倉上空の天候が悪く断念しました。
 この間に熊本上空を飛んだという記録があります。
 
 第2目標として長崎へ向かった各機は、まず、気象偵察機が上空を通過し、続いて、原爆投下機と、撮影・観測の合計3機が、間隔をとりながら、進入し、原爆を投下しました。

 原爆投下後は、撮影・観測の機体を除いて、テニアン島に帰る予定でした。
しかし、原爆を投下した機体は、燃料系統のトラブルで、当時、すでにアメリカ軍に占領されていた沖縄の基地へと向かいます。
 長崎-沖縄であれば、熊本上空を飛んだ可能性は微妙です。
また、このときは、もう1機が万が一に備えて随伴していたので、2機編隊だったのかもしれません。

 原爆投下後も、撮影と観測の機体は、しばらくの間、長崎上空を飛んでいた可能性は高く、各機が任務を終えた後で、バラバラに帰投した可能性が高く、そのうちの1機を目撃されたのかもしれません。



2.熊本の海岸に塹壕の跡のようなものは残っているのでしょうか。

 すみません、こちらは分かりません。
図書館や郷土資料館に行くと、残っている記録を見せてくれたり、そのような史跡に詳しい方を紹介してもらえるかもしれません。
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。
 B29は用意周到に日本へ飛来していたのですね。炎天下、海岸で塹壕掘りをしていた祖父はどんな思いで上空の敵機を見上げていたのか、想像すると複雑な気持ちになります。
 機会をみて熊本の図書館に行き、さらに調べてみたいと思います。
 またよろしくお願いいたします。

お礼日時:2008/06/07 20:13

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