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親から多大な期待をされて育った子供は将来的にどうなると思いますか?
また、実際自分がそういう環境で育ったと思う方はいらっしゃいますか?

その人本人の性格次第だとは思うのですが、
どんな大人になる可能性があるのかを知りたいです。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

私は「将来医者になれ」といわれてずっと育てられてきました。


小学校から一流私立に通い、難関中学高校と順調に親の敷いたレールの上を
走ってきました。
高校生の時に、初めて自分の生き方を自分で見つめなおすようになり、
高校3年の12月になって、やっと親に「医学部には行かない」と
言うことが出来ました。

あれから25年。自分の進みたい道に進み、つきたい職にもつけました。

親の言うなりにならなくてよかったと思っています。
(親は今でも愚痴りますが、、、)

自分の道を模索できた理由は「読書」だったと思います。
社会の多様性、世間の広さを実感したら
その中へ踏み出すのは、親の意思ではなく
自分の意思でやるべきだと思えたのです。

若い頃の読書は私に今の人生を与えてくれました。
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この質問タイトルで秋葉原の事故を起こしたあの犯人を連想しました、教育熱心で子どもの進学まで親の関与で進学校へ行ったが結末はべべで卒業、大学入試も旨く行かずに挫折な人生、それが積もり積もり、自暴自棄であの事件です。


 本人が行くと言う立場と、親が全権で決めるでは子どもの立場も大いに違います、勉強するのは子ども自身です。
 無理な強要なら、自爆、地雷に何時変わるか不定です。
 子どもの人生をお仕着せで決めるそれは親でもその権利はない、行く子ども自身と言う原点を忘れた、親のエゴとしか写りません。
 あの犯行を計画する、決して悪く無い能力を犯罪で犯して仕舞う、人生の無駄遣いとしか思えません。
 親の幼児期に関与が如何に大変な結末を知らしめる事例です。
 運良く事が運んでも、支持待ち人間で自己意志は出せない、自分から動く積極な動きは出ないそんな人物像が見えて来ます。
 自分から計画企画出せるゼロを1に変える、地頭力が求める時代です。
 

参考URL:http://allabout.co.jp/career/consultingfirm/clos …
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32歳女性です。


親から期待されて親の言うとおりに生きてきたっていうことですよね。
うちの兄がそんな感じですが、大人になって爆発しました。
母親に対して暴力を振るうようになり「お前のせいでこんなになった」とか。
今は精神的な病気です。

自分からあまり行動出来ない人になると思います。
私も母親から何かをする前に先にいろいろやってもらってたみたいで、自分の意見や自分から行動するっていうのが乏しいです。
後は、自分に自信がないとか。
厳しくても愛情をたくさん注がれてたら大丈夫だとは思います。
言われてる通り本人の性格、周りの環境もあると思います。
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たぶん私も期待されてたんでしょうね。

小学低学年の頃から、いろいろな扉を用意されていました。これは勉強に限りませんでしたよ。勉強など出来て当然くらいに思って育ちましたから……もちろん、塾とか家庭教師とか、それすら存在しないほどの「田舎」での事です。唯一のライバルは校長の息子くらいでしたね。つまり「常にオール5」に近い成績を獲得するのは義務みたいなものでした。ただ、勉強に関しては、うるさく言われた経験はありません。そんなものは「出来て当たり前」でした。用意された扉の中には、書道・絵画・スポーツ・サバイバルの心得…みたいなモノがたくさんプログラムされていたように感じています。サバイバルの心得とは水泳が出来たり、魚(ウナギ、ヤマメなど)や獣(タヌキ、狐、野鳥など)を捕る方法だったり、農林業における最低限の知識取得&実践訓練などでした。強制的ではないにしろ、とにかく体験させられました。勉強は学校でしっかりやれば良い。ただ、トップクラスであれ!…つまり、それ以外の事を色々やらされたわけです。中でも「書道・絵画・スポーツ」に関しては、興味の度合いも強く、気が向いていき、自分から進んで取り組むようになりました。責任感とか義務感のような「追われる立場」から自分の好きで「追い掛ける立場」になっていたように思いますね。
この3つのうち、1つは自分の仕事になってもいます。あとの2つは趣味として、今でも取り組んでいます。扉を用意してもらったおかげで、とりあえず何事にもチャレンジする姿勢と、様々な角度から考える習性を身につける事が違和感もなく出来るようになりましたね。もし、通常の学問(勉強)だけを期待されて育っていたなら、応用力も想像力もない、つまらない部類の人物になっていたでしょうか。言われた仕事はきっと完璧に出来ているでしょうが、自分から進んで「新しい仕事」を作っていけるような
タイプにはなれていないでしょうね。専門分野以外には対応できそうにないそんな「大人」になる可能性があります。言ってみれば「バランス感覚に欠けた人」みたいな存在です。もちろん人によりけりですので、断言はしませんが、そんな気がします。
親から多大な期待をされて育った子供……親の期待に応えようと考え、努力しているうちは義務感で生きているにすぎません。これが、自分自身に対して期待や可能性を感じるような瞬間を持てれるようになれば、そこで本来の自分の進むべき道が見えてくるでしょう。親からの期待……これもあったほうが良いに決まっています。張り合いにもなります。ただ、人生を生きていくのは自分自身です。そこが問題ですね。過度の期待は罪みたいなモノと思います。親から、引き続き「人生の重荷」を背負わっされるのは大変なことですから。
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こんにちは。

30代主婦です。

自分がどこかあやつり人形っぽい感覚がありました。

でも、だんだん歳をとってくると、すこし「感謝」の気持ちも芽生えてきます。「子供の将来を心配して、できるだけ上を目指せと言ってた節もあるのかも」とか。

でも、(子供が居ないので、まだ分かりません)子育てが怖いです。
「親の期待」が、さらに一段階エスカレートしてしまわないように、
気をつけようね、と夫婦で話しています。
「過度の期待を受け、期待に答えようと努力して育った」私達夫婦が
子育てをすると
「自分達が達成できたことは、自分達の子供もできてあたりまえ。なぜできないのか?」となってしまわないように。。。
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まさに私は、親や祖父母など親戚中に多大な期待をされ、育てられました。


特に、母親は異常なほどでした。

小学生の頃は、テストで90点以下だったらすごい剣幕でビンタされ、ヒステリックに怒られ、「勉強していたら100点が取れるはずだ!小学生からこんな点数でどうするの?!こんなケアレスミスをするのは、完全に気が緩んでいる証拠で、勉強が足りない。どうしてもっと真剣に勉強しないの?!」と言われ、テストのたびに、びくびくしていました。
そうこうしているうちに、小学2年生の私は、親に怒られたくないがためにカンニングをしました。
それも先生の前で堂々と・・・^^;
先生に「やめなさい!」と言われても、無視し続けひたすらカンニングをしました。
先生に注意されようが、親に叱られビンタされるほうが怖かったのです。
親は先生に呼び出され、「ちょっと家庭教育で厳しくしつけすぎなのでは?」と指摘され、私の行動に母も反省し、それ以降は、厳しく言わなくなりました。

しかし、その後も私への期待は薄れることなく、中学、高校とも過剰なプレッシャーと戦ってきました。
そして、高校のときは、思春期も向かえ、反抗期も強まり、自分の自我も芽生え、我慢の限界で、毎日のように母と大喧嘩の日々。泣き叫び、ヒステリックに怒鳴りあい、物を投げたり、母と取っ組み合いの喧嘩・・・親には「あんたの育て方を間違えたのは、私だ。だから、そんなに私のことが嫌いで、恨んでるなら、お母さんを殺しなさい!それであんたの気が済むなら殺しなさい!お母さんは、命であんたに償うしかない!殺せー!私が悪いんだ・・・」と私に包丁を渡してきたこともありました。

でも、喧嘩の中での母を見ていたら、母は、子供を思う気持ちや愛情が強いあまり、毎日必死だったんだと深く痛感し、「親が・・」「親が・・」と親のせいにばかりしている自分が情けなくなり、親を責める気がなくなり、親を悲しませてしまったという罪悪感で一杯になりました。

そして、こんなに高校生の娘に全力でぶつかってくる母を、うっとうしいと思いながらも、少し尊敬しました。

それからは、母も子離れし、私も母の思いに寄り添うことが出来、仲の良い親子です。
私は・・というと、生真面目で、融通がきかず、すごく固い性格ですね^^
でも、普通に社会人として働き、結婚し、妊娠し、自分の家庭を幸せに築いています。
自分の両親のような夫婦になりたいと思っています。

確かに、多大な期待をされるとそのプレッシャーに押しつぶされることもあると思うのですが、そこは、やっぱり基本、親だと思うんです。
親が子供にどういう風に愛情を注いだ上で、期待をかけるか・・・。
どういう絆を作った上で、期待をかけるか・・・。
自分の子供に期待を一切しない親はいないでしょうからね。

私の場合、母との親子関係は基盤としてきちんとありました。
その上で、母の多大なプレッシャーだったので、うっとうしい、苦しいと思いながらも、親は絶対的な私の受け皿でしたし、ぶつかれば受け止めてくれると信じていました。
要は、子どもが本当に我慢できないときには、子どもがドンとぶつかっていけるだけの家庭を、そして親子関係を築いていれば、子供に大きく道を踏み外させることはないと思います。
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大人になりきれない大人になるのではないでしょうか。


「大人」と呼ぶにはなにかが欠落しているという意味です。
私もある程度期待されて育てられた気がしますが、
ある時期ドロップアウトして、ごくごく普通の人生を送っています。
自分が子を持って思うことは、
トンビが鷹を生むことは極めて少ない!!ということです。
この親にしてこの子あり、ですね。
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