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 最近、江戸時代を「鎖国」と言わないようですね。ではなんと表現しますか?そして、それは誰が何処でそのように言っているのでしょうか?歴史学者?評論家?歴史教科書?政治家?具体的な名前?また、そのように言っている文献があったら教えてください。
 私も「鎖国」という表現は適正ではないと思うのですが、ハッキリさせたいと思います。

A 回答 (4件)

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200 …
現状では 鎖国とは言わない
という趨勢のようです
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講談社現代新書ですが、一般書でも10年以上まえからそういう説明をした本は出ていましたよ。



鎖国 ゆるやかな情報革命 (講談社現代新書―新書・江戸時代) (新書)
市村 佑一 (著), 大石 慎三郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E9%8E%96%E5%9B%BD-%E3%8 …

開かれた鎖国―長崎出島の人・物・情報 (講談社現代新書) (新書)
片桐 一男 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E9%96%8B%E3%81%8B%E3%82 …
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>それは誰が何処でそのように言っているのでしょうか?



鎖国という言葉は、幕末の「開国」に対して便宜的に「鎖国」と言ったのに過ぎません。

鎖国という言葉自体は、享和元年(1801)に志筑忠雄『鎖国論』で初めて言葉が用いられました。
寛永12年(1635)の措置(鎖国政策)を「海禁」という言葉でしたが、嘉永2年(1849)に成立した『徳川実記』に「鎖国」となっています。

紀伊・彦根派=開国派、水戸派=攘夷派でしたが、便宜上「開国に対して鎖国」と呼んだようですね。
明治政府は、そのまま「鎖国」を使用しています。
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現在、歴史家の間ではもはや「鎖国」と言う言葉をそのまま用いることは少なくなっていると思います。

山川の教科書などでも「“いわゆる”鎖国」と言う表現を使いますね。
理由の一つとして、そもそも「鎖国」と言う言葉自体、元々合った言葉ではなく、江戸時代後期に日本にやって着たケンペルと言うドイツ人が書いた「日本誌」と言う本を志筑忠雄が翻訳した際、初めて用いられた言葉だと言うことがあります。
でもそれ以上に大きい理由は、かつて思われていたほど江戸時代の日本は閉鎖的でないことが明らかになってきたということです。
江戸時代には、有名な長崎の出島以外にも、松前藩(余談ですが「藩」と言う言葉も江戸時代にはほとんど使われていません。明治時代に府藩県三治制という体制になって使われるようになった言葉です)を通じてのアイヌとの交易や、対馬を通じての朝鮮との国交、薩摩を通じての琉球との交易がありこれら4つをあわせた「よつのくち」による他国、他地域との交易が行われていました。これは日本が当時の東アジア全体に広がっていた交易ネットワークに加わっていたことを意味しています。
また、長崎の出島を通してオランダからもたらされる情報はとても多く、幕府(この言葉も当時はありません)は当時のヨーロッパ情勢には相当明るく、ペリーがやってくることも事前に知っていました。
これらの点を考えると、江戸時代に幕府が行ったのは「国を閉ざす」事ではなくて、一般の人々の渡航を制限することによって、幕府が貿易を独占しようとした「海禁政策」であったと言えます。
この「海禁政策」という言葉は、「鎖国」と言う表現を避ける場合にはよく用いられているものです。
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