プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

本日の読売にあった「安全なはずの小学校で…」というくだりに疑問を感じました。
小学校の安全性って全てが学校の責任において保障されるべきものなのでしょうか?
杉並の事例は施設設計面の問題も考えられるので、こちらの話は除外して考えます。

私は全て保障されるものではなく、保護者の教育がありある程度の維持ができるものと考えます。
私の小学校時代を思い出してみてそう思い至りました。
窓のそばでふざけあったり、窓から身を乗り出して窓掃除をしたり、用具室には自由に出入りできたり。
危険性など何所にでも在ったと思うのです。
こういった危険性があったにもかかわらず事故に至らなかったのは、保護者のしつけによる危険意識のおかげです。
教師による注意もありましたが、そこから危険を認識できることは保護者からしつけられているからだと思うのです。
最近の報道を見ていると、学校だけに限らず、どうして管理側に責任があるとされているのだろうと思うものが少なくありません。

皆さんはどう思われますか?

A 回答 (14件中1~10件)

一歩学校など公共施設の敷地内に入ったなら、敷地内で起きる事に責任があるのは当然の事と思います。



特に学校では、安全に留意し子供を事故から守る事は教師の義務であると思います。

昔は「保護者の躾による危険意識」は学校に限らず非常に重要で、子供達、個人々の危険回避意識の要素の大半を占めていたと思います。

しかし今の保護者意識を考慮すると、昔の様な危険回避意識を子供に持たせる事が出来る事を保護者に期待するのが難しい状態になってきました。

そうなると施設側は自衛手段として、徹底的な立ち入り禁止と危険部位の排除、及び安全策を講じるのが最低限必要な時代だと思います。

また学校では生徒の問題点を教師が把握し、団体行動を統率しなければなりません。

今回の事故では、その様な危険な行動を起こす恐れがある生徒がいる、と言う事を先生は知っていたはずです。また無届で屋上に上がった事も問題ですし、あのような天窓の経年劣化を考慮していたかも問題ですし、万一の落下防止策もしていなかったようです。

まあ話を「全てが学校の責任」に戻しますと、保護者が学校に甘え、学校が行政にオンブして、行政は問題点を個々の学校に押し付ける、という歪んだ構造から発生した事だと感じます。

この回答への補足

ご意見ありがとうございます。
「保護者に期待するのが難しい状態」。
自分の周囲のみからの判断ですので、これがどの程度深刻なのかあまり実感がありませんでした。
施設側・管理側での自衛が必要な程度には深刻になっているのかも、という認識に改まりました。
杉並の事故については判断材料が不足していると思っておりますので、現時点でのコメントは控えさせていただきます。

補足日時:2008/06/19 14:15
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この回答へのお礼

保護者に教える能力がそもそも存在しない状態
しらべて見ると本当にそういう状況があるようなのです。
幼稚園の事例が多かったのですが
福祉相談や、消費者相談のサイトに
まったくしつけがされていない子供が入園してくるという例が数多くあがっていました。
そういった子供に自分の子供が被害に遭って、どうすればいいのだろうという相談でした。
解決までの過程などが詳しく載っているサイトもあり、今回の質問の参考になりました。

今回の解決の糸口になりましたのでポイントを入れさせていただきます。

お礼日時:2008/07/01 19:34

「モンスターペアレント」という言葉は好きになれませんが、理不尽なクレームの増加は深刻です。



実は、学校以外の企業や役所でも似たような傾向はあるのですが、学校の場合は群を抜いているようです。

理由として考えたことは

(1)学校は反撃しない
 例えば、見知らぬ人に文句を言いたいと思っていても、相手がヤクザ風なら躊躇するのが普通でしょう。
 接客業の場合は、「お客様は神様」という「常識」がありますから、文句は言いやすいのです。
 学校は、昔は、権威ある場所であり「子どもを人質にとられている」ということがありましたから、クレームが来ることはまれでしたが、今や、世間での評価は下がる一方ですし、子どもを預けていない人々からは、他の官公庁と同じように、一応は丁寧に応対してくれますし、絶対に怒られないという気持ちがあるのだと思います。

(2)「教育は消費活動」という宣伝
 公立小中学校をファーストフードのメニューのように選択するという制度が広がっています。
 そこには、「職員と保護者と地域が団結して良い子どもに育てる」という発想はありません。
 したがって、お金に見合った商品でなければ抗議する、という消費者の論理がそのまま持ち込まれるのです。

(3)背景として大人社会のストレス
 そもそも、クレームをつける側が大きなストレスをかかえているということを直視する必要があります。
 クレームは「きっかけ」であって、満たされない自分を攻撃的に解消するのが「反撃しない相手への高圧的な暴言」なのでしょう。
 内容が理不尽であるものが多いのは、そうした証拠と思います。

もちろん、学校は安全に配慮する義務があります。
しかし、過剰な反応は、本来の教育を疎外する一面を併せ持っているということを忘れてはならないのです。

ナイフを持たせなければナイフによる事故は起きないが、将来ナイフを安易に扱う子どもを育てる結果になるという意見はよく聞かれますね。

風呂場でバーベキューして火事になったのは、それを説明書に書かなかったバーベキューセット販売会社の責任、というアメリカでの裁判を思い出します。(しかも勝訴した)

個々の詳細な分析は必要ですが、マスメディアの報道が無定見である傾向は強く感じています。

この回答への補足

1)に関しては3)にかぶるので後ほど。
2)「教育は消費活動」と勘違いしている方は多いように思います。
ファーストフードよりは、TVのチャンネルに近い感覚で学校や学習教室を選んでおられる。
本当は、テレビを見た後にどう思ったかなどをたずねて、理解を量ることこそが大切なのにね。
少しでも教育について考えたことがあるなら、TVを見せるだけで子供が育つとは思わない。
3)1)に関しても同じなんですよね、消費であり自分は顧客だと思うから無茶なクレームが行える。
過剰な反応というよりは、過剰な期待だと思います。
教育をレンジに入れて3分安全でおいしい、食品と同等に考えておられるような、そういう不気味さを感じるのです。

補足日時:2008/07/01 19:09
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この回答へのお礼

学校で教えられることが、生きて行く為の知識の補助的な役割しか持たないのは、
義務教育を受けられた方であれば理解はされているのではないでしょうか。
今回の質問で頂いた回答から私が導ける回答は、
こういった補助的な役割に加えて、生きて行く為の最低限必要な知識を教えることも必要である。
ということになります。
これを徹底することは、設備対していたちごっこの投資をするよりは確実でしょう。
ただ、この教育に関する費用負担は義務教育の範疇にはなく、子供の教育をうける権利と保護責任の枠内にあると思います。
しつけのなっていない子供に対しては専門家が当たり、その費用は保護者もしくは国の負担となれば、
払いたくない人はちゃんとしつけるでしょうし、しつけのなっていない親に対しても文句が言えますね。
無論これはただの理想論です。
しかしこういった問題に対して、政治の側も思うところがあるようで、06年の教育基本法の改正の中に家庭内の教育について一文がありました。
「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」
これがどういった形となり実効性を持つかはわかりませんが、
しつけができていないため事故が起こる危険性があり、その教育を受けさせる責任の一端を親にも担ってもらうことは可能かと思われます

お礼日時:2008/07/01 19:15

学校は多くの場合、家庭に問題を抱える子供を最初に発見する窓口となります。

もちろん、対処の必要性を児童相談所二通奉仕、そちらに大半を負かせ、一部連携しながら対処するべきでしょう。
そのうえで最初に発見するのは学校であり、問題のある子供がいることが前提の機関なのです。

そして負担が大きいことは子供への責任を逃れる理由にはならないのです。
もちろん安全な設備の確保、問題のある教員の排除など社会が協力してすべき役割も多々あります。ただ責任の所在にかわりはありません。

この回答への補足

いろいろと調べてみたのですが、児童相談所は子供のしつけにまでは、手が出せないようなのです。
こういったことを現時点で行えるのはやはり教師と親しかいないのです。
そして親が責任放棄している場合、全ての責任が教師や学校に集中することになります。
設備面のことはともかくとして、この状況はやはり問題があると感じます。
彼らは基本を忘れておられるのでしょうね。
子供の教育を受ける権利のために、教育を受けさせる義務が親にあるのです。
親にあるのは学校に行かす義務じゃなくて、教育を与える義務なんですよね。
子供の親からの教育を受ける権利をまず親が侵害してるのだからそこを直してやらないと駄目だと思います。

補足日時:2008/07/01 19:07
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人の子を集めて出かけたり、行司を開いたりすることがあります。


計画の段階で、私の他にも数名で集合から解散までイメージして、
危険を探します。

どんなに人の子どもと接するキャリアが長い人の企画でも、想定外があります。
そして、その想定外をやるのは、たいてい男の子です。(小学生として)
女の子は状況判断をするので、突拍子もないことはしません。(傾向として)

そして、時代とともに子の傾向も変わるし、人の子の性質を本当に捉えられるのは個人的には3年はかかると思います。(信頼関係構築もそのくらいかかると思う。)

もし、今以上の安全の保証を求めるなら、昔のような体罰あり、怖い先生あり、の軍隊のような規律ガチガチの学校に戻すしかないように思えます。

この回答への補足

危険予測については課外授業や理科実験を行う場合は必ず行うものだと私も認識しています。
教育実習でそのように習うのだそうです。
ご指摘のとおり予測しなかった事故なのでしょう。
きちんと躾られたかに見える子供でも、想定外のことは起こってしまうものということですね。
その子供の性質を3年かけて捉えていたとしても想定外を防ぐのは難しいのでしょう。
おそらくは子供を締め付けて管理したとしてもそこは変わらないと思います。
この質問を行ってみてわかったことは、こういった想定外のことに対して学校はあまりにも無力であるという点です。
事故事件に対して原因や責任を求める社会の体質がある以上、
子供は想定外のことをするものだ、だから仕方なかったんだという理論は通らないのが悲しい現実です。
万全と思われる対策をとったとしても起こってしまう事故事件について、学校側はこれだけのことをしたんだと説明するしかないのでしょう。
安全に対して手を施すことで、遊具が消え、課外学習が減り、総じて子供の経験や危険に対する認識が減る、これが時代の流れなのでしょう。

補足日時:2008/07/01 19:05
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この回答へのお礼

どのような場合でも想定外が起こり、それに対応することが必要だと思い出させていただけました。
ポイントを入れさせていただきます。

お礼日時:2008/07/01 19:20

私は全て保障されるものではなく、保護者の教育がありある程度の維持ができるものと考えます。


回答者私は上記の通りと思います「安全なはずの」という偏見に満ちた報道に問題があるのです。なぜなら安全の確保のためには異常なほどの資金が必要ですがそんな資金などもともと有りませんから、よって事故に関しては保険で担保するしかないと思います。

この回答への補足

ご意見ありがとうございます。
同じ部分に違和感を抱かれている方がいて少しほっとしました。
No.11様にあるのが現状の対応だと私は思います。
ただ、この現状は問題があると思うのです。
これを変える為にどう周囲があるべきか。
この部分がほしいと思いました。

補足日時:2008/06/20 18:12
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>「全てが学校の責任」というところを強調させてください。


いや100%学校の責任です。国家が強制的に子供を集める以上、責任は100%学校にあります。もちろん親も危険回避について指導すべきです。ただしそれは、びた一文学校の責任を薄めるものではありません。

それから学校とは駄目な親、異常な親から学校が子供を保護し代わりに教育すべき機関でもあるのですよ。親を当てにする時点で間違っています。学校の責任や役割や意義というのをいささか軽んじているかと。

元来学校運営とは馬鹿親がいる前提でなされるものです。現実にその能力があるかどうかは別として。
そして被害者は遺族ではなく、犠牲となった小学生です。

この回答への補足

ご意見をまとめるとこのような感じでしょうか。
親としての教育義務が正しく行われていない状態で、小学校に入学する子がいることを認識し、足りていない部分の教育は学校が行うべきである。
家庭で教育が行われないことは仕方がない、しかしそこから起こる様々な弊害は対処しないといけない。
言葉にすると短いですが学校の負担の大きさが心配です。
親としての教育義務が果たされない事に対処するための機関が学校に必要なのでしょうか、
確かに学校で行うことが一番確実性があると思えます。
しかし、それは自治体の福祉が担うべき部分であるような気もします。

補足日時:2008/06/20 18:11
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管理者だから責任があるのですよ。



>こういった危険性があったにもかかわらず事故に至らなかったのは、保護者のしつけによる危険意識のおかげです。

 そうでは無いですよ。たまたま起こらなかっただけです。

この回答への補足

偶然の要素は否定しません。
年代や学校での経験にもよるのかもしれませんね。
ふざけるときの力加減やその危険性の認識・喧嘩における手加減などは私は親から学びました。
教師の目の届かないところで行う悪いこと、このときに自分の身を守るための判断要素はどこから得るべきでしょう。
私はやはり親ではないかと思うのです。

補足日時:2008/06/20 18:09
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自分の子供に関心が無く自分の趣味や仕事に没頭し何かあれば直ぐにでも学校に押し寄せるそんな馬鹿親の塊の結果だね。



あんな強化プラスチックと網硝子の上に人が乗ろうものならどうなるなるのか小学6年にもなって判らない子供が嘆かわしいね。

それまでにもっと親とかが日頃から物の善悪を教えないから予断不可能なものが出るんでしょう。

私の地区だったらそんな事した子供が悪いしそれを教えない親はもっと悪いとなりますよ。

以前校内暴力が酷い中学があり何人も堂々と機動隊に連行されてましたから。
そういう自分の子供に無関心で世間体や外様にとらわれる親の元で育った子供がなんかの拍子に、「誰でもよかったとか社会が嫌になったとか」言って取り返しつかないことするんだとね。

だから、親のご都合主義なんでしょう。それでなくても土地柄「夜スペ」だの中央快速線を連続停車だのやりたい放題ですね。
同じ23特別区と思えません。

この回答への補足

学校による違いでしょうかね。
お受験に参加している家庭とそうでない家庭と完全に二分されてますしね。
さすがに学校内で管理しきれなくなるほど放って置かれるというのは、可哀想を通り越して怖いと感じます。

補足日時:2008/06/20 18:07
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大人社会が、責任はなすりつける。

が常識だからじゃね?
車の事故でも「避けない相手が悪い。」ですからねー。

この回答への補足

ご意見ありがとうございます。
「杉並の話は除外」と書いておきながらどう身近な話題なので引用してしまいがちなのですが、
ブログを見ていても、先に危ないから乗るなと注意をしていない教師が悪いという意見が見られます。
また、どうしてネットを張るなり対策してないんだという意見も見られます。
どちらも死に到ってしまった原因のひとつではありますが、事件の本当の原因ではないように感じています。
私にはどうして6年生にもなって…、という思いがあるからか
根本的な問題から目をそむけているように見えてしまいます。
悪い見方をすれば、責任をなすりつけているだけと捉えることもできますね。
でも、こういった見かたをしている人は少ないようなのです。
私の感覚はやはり世間からずれているのでしょうか?

補足日時:2008/06/19 15:43
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子供の安全は大人が責任を持たねばなりません。



学校に居る大人は教師だけです。

よって、学校が安全保障を行うのは道理です。(建物の場合は専門家を入れると思いますが、その場合でも統括責任はそれを運用する教師です)

逆に安全保障責任がないと定義すると、親が学校を巡回し、教師を監督せねばならなくなります。これは教師側は避けたいので責任は負うでしょう。

教師に出来なくて、各家庭でないと出来ない安全上の指導というのがあるとは思えませんが、あえてあるとすると、親に依頼すればいい話ですね。

普通は子供は、怒る人の目がないところで羽目をはずすものです。親が怒って教師が怒らなくなったら、学校では野放し状態になるのは自明です。

それが管理というものです。

>私は全て保障されるものではなく、保護者の教育がありある程度の維持ができるものと考えます。

>私の小学校時代を思い出してみてそう思い至りました。

郷愁は結構ですが情緒的に過ぎます。

そういう物言いは逃げ道を作るだけで、責任があいまいになり、事故が繰り返し起きる原因となります。

子供にとってなんら良いことはないですね。

この回答への補足

ご意見ありがとうございます。
思うところが上手く伝わっていないように感じました。
たとえば昼休み窓際に立っている子をつついたりしてふざけた経験はあるでしょうか?
滑り台の上で待っている子を押し込んでまとめて滑らしたりでも良いですね。
こういった、遊びの上での危険や恐怖心の認識を議題としてあげたつもりでした。
下であげられている公園の遊具にしても、道路の真ん中を自転車で走る子にしても、
彼らの行為は全て遊びの延長上であり、その行為を彼らが「怖い」とか「危ない」と感じていないため起きているように思うのです。
彼らの遊びの時間を常に監視することはできません。
こういった事まで教師(他人)が教えるべきなのでしょうか?

すいません、人の回答を引き出すのが苦手なもので
自己の結論ありきで書いているところがあります。

補足日時:2008/06/19 14:48
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