アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

自分の弱みをさらすと、相手はそれを利用されるだけだと思うのですが。それでも分ってもらいたいと思うのはなぜですか?教えてください。

A 回答 (7件)

なんだかとても悲しい人生を送られておられるんですね。



>自分の弱みをさらすと、相手はそれを利用されるだけだと思うのですが?
という事は質問者さんの頭の中では人という生き物は【弱みを見せるのが弱者であり、弱みをみせられた人は見せた人を利用する人】という二極化した人達しか存在しないといっているようなものではないのでしょうか?
私はそんな事はないと思います。
悲しい事があったら共に悲しんで、嬉しいときには共に喜んでくれる人達がたくさん存在していると実感しています。
私が生きて来た中で接して来た多くの人がそういった人達だけしかいないことはない事の証明になっていると感じます。
私は今まで生きてきて利用するかされるかしか人が存在しないという考え方をしたことはありませんし(逆に人の事を顕著に利用しようとする人が存在する事は詐欺師や犯罪者がいるので理解はしていますが友人や家族やお付き合いしている人にそういった考えの人はいないです)、またそういった事を言われる方とはおつきあいしたりしなかったのでビックしたとともになんだか悲しい気持ちになりました。

質問者さんは目にごみが入った以外の理由で“涙を流された”事はありませんでしょうか?
以前テレビで見たのですが、悲しい時に涙を流すのは生物学的に人間だけ(ここではそういっていましたが・・・)だそうです。何故流すのかというと、他人に自分が悲しいという事を“伝える手段の一つ”として相手に自分の感情を示すために流す役割があるといっていました。
つまり、人間は他人に自分の感情や意志を表現することによってコミュニケーションを取る生き物なのだそうです。
その事から考えてみても弱みといわれていることがどういう事なのかは分からないのですが、感情や状況を他人に理解して欲しいと思うのは自然の摂理なのではないかと感じます。

逆に相手に利用される、または利用されないということばかり考えている人生は果たして本当に楽しいものなのでしょうか?
本や映画を見て共感して涙がでたり、また、他人の相談にのったり逆に相談にのってもらったりして助け合って生活していくのが本当の人の姿なのではないのかと感じますが、質問者さんの人生ですので利用されたくないと感じて人をを弱いとおっしゃるのもまた自由なのかもしれないですね・・・。

>自分の弱みを利用されるというデメリットのほうが大きいのでは?
弱みを利用されまいとしていつも気を派って生きていく人生と、どんなことでも気を許せて素直な感情で生きてゆける人生。私は後者を選びます。
確かに自分の周りに他人を利用しようとしている人ばかりでは前者の方が安全かとは思います。後者の人生を選ぶにはまず、信頼できる人作りが大切なのかもしれないと感じました。
    • good
    • 0

大方の人間は利用されそうな相手には弱みはさらさないでしょう。



親しい友人やパートナー、同僚、家族などには
自分の弱みをさらすことで、励まされ時には叱咤されて前に進む力を貰う事が出来ます。
また自分の弱みを話す事で相手もまた自分の抱えている問題を挙げ、
互いにこう思う、こうしたらいい、ということを伝え合う事で支え合うのではないでしょうか。
それもまたひとつのコミュニケーション能力です。
    • good
    • 0

たしかに弱みを知った相手がその気になれば、弱みにつけ込むことだって可能ですね。


にもかかわらず人が弱みを見せるのには、いくつか理由があると思います。

・単純に援助を期待する。
・「自分が弱みを見せてもあなたは付け込まないと思うほど私はあなたを信頼している」というメッセージを暗に送ることで、相手の信頼感を高める。
・自分の弱点を知らせることでその弱点が所属する集団全体に与えるリスクを共有でき、結果的に自分の身を守ることに繋がる。

などでしょう。
このようなメリットがある限り、弱みを見せることで安心感が得られるのは当然ですね。

また、弱みを見せてはいけないと思ってしまうのは、相手を信用できないと自分が警戒している場合でしょう。
もし信用できない人に対して弱みを見せたいと思ったら、それはその人に自分を信用して欲しいと無意識に願っているからかもしれません。
    • good
    • 0

 それはですね、「自己肯定感」を持ちたいからです。


 自分自身で自分を肯定できないから、ひとに肯定してもらいたくなるのです。自分で自分を肯定しても構わないのにです。自分自身の肯定より、人にしてもらう肯定のほうが、信用できるという感じ方があるのでしょう。
 人を否定したがる人というのは、よっぽど劣等感の強い人です。じゅうぶんに自分を肯定している人は、人を否定したりしません。時には人を肯定する余裕さえあります。たとえ、その人が機嫌が悪かったり、意地悪で口汚くてもです。守備範囲が広いということです。
 肯定とは…「認められること」=「その人の立場に立って理解すること」、これは自分自身に対しても言えることです。自分の立場に立って、「仕方がないよね。しょうがなかったんだよね。」と自分にも優しく共感してあげてください。それが、「自己肯定感」を持つ方法です。そうして、勇気付けてやってください。

アドバイス; 
 自分にとって都合の悪いことが起こった時、
1)それを自分の弱点と結び付けて考えない。
2)その都合の悪い事態は、いつか終わると考える。
3)その都合の悪い事態を拡大して解釈しないようにする。
 考え方は「クセ」になります。いつも悪いように悪いように考えていると、その考え方のパターンがクセになってしまいます。ですから、1)~3)のアドバイスのように、良いクセを付けるようにしてもらいたいのです。それが、不幸から抜け出す第一歩なのです。
 例えば、誰かから嫌なことを言われた時に、「やっぱり容姿が悪いから…」と考えずに、「そういえば挨拶されても返事もしなかったなぁ、嫌われても仕方がない。次から気をつけよう。」と考える。「もうあの人は口をきいてくれない」と考えずに、「いつかは解かってくれるだろう」と考える。「自分は全ての人に認めてもらえないんだ。」と考えずに、「あの人とは気が合わなかっただけで、自分を受け入れてくれる人はいくらでも他にいるだろう。」と考える。

 まずは、回答者に返事を書くことからです!回答者も人間ですから、無視されるより返事をもらう方が嬉しいのです、反論があったとしても。あなたにも人を喜ばせる力があることを確かめてみてください。たとえ役に立たないアドバイスでも、その暖かい気遣いを汲み取ることはできるはずです。心を通じ合わせてみて下さい。
 確かに、人の弱みを利用しようとする人は多くいます。でもそれは、その人が人の弱みを利用して自分の価値を高めたいと思っているだけであって、実際にあなたの価値が下がる訳ではありません。意地悪なひと握りの人間があなたをどう扱うかによって、あなたの価値が下がる訳ではありません。
 あなたの価値は、あなたが決めて良いのです。あなたの人生なのですから。人の劣等感まで背負う必要はありません。自分がどうするか、自分がどう考えるかだけが、あなたの前にある課題なのです。人がどうするか、どう考えるかは、その人の課題なのです。もし、その人に働きかけたいのなら、どう話すかは貴方の課題となります。いずれにしても、私たちの前にあるのは、「自分がどうするか。自分がどう考えるか。」だけなのです。そうではありませんか? 人がこうしてくれたらいいのに、と考えてばかりいる人は、往々にして自分の課題に取り組もうとしません。人の課題にかまっている暇があれば、自分の課題に取り組むべきです。まず自分が幸せになる。次に余裕があれば周りの誰かを幸せにする。まだ余裕があれば、他の人も幸せにする。この順番でいいのではないでしょうか。
    • good
    • 1

弱みを利用されるだけだと言う、考えもまた一面的だと思いますよね。


それを受け入れてくれる人だって沢山いますから。
弱みが無い人なんていないんですよ。完璧な人間なんていませんからね☆
    • good
    • 0

そんなに弱みを握られることで、利用できる人間なんていない。


そりゃ権力とかを持っている人のなら役に立つかもしれないけど
大体、自分の弱さを分かってもらおうとする人にそういう人はあまりいない。
仮に、そういうことをするのなら親身になって話を聞いてくれると信用しているから話すのでしょう。
まぁ、それでも利用されるかされないかは別にして、なぜ自分の辛さを伝えたくなるかというと
同情してほしいからです。慰めてほしいからです。共感を持つことで安心したいからです。
    • good
    • 0

自分の弱みを言うことは、少しでも自分を知ってもらいたいという思いが表れているのだと思います


自分の強みより、弱みのほうが相手に理解されやすいというのもあると思います
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
人が完全に分かり合えるなんてありえないし、分ってもらったところで何のメリットがあります? それよりも相手に自分の弱みを利用されるというデメリットのほうが大きいのでは?

お礼日時:2008/06/21 19:28

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!