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梶井基次郎の『檸檬』に、
「私はまたあの花火という奴が好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、様ざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆った。」(『ちくま日本文学全集 梶井基次郎』より)

とあります。

この文中の「中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき」とはどのようなものでしょうか。

書籍によっては語句注釈があるかと思い、複数のテキストを確認してみたのですが、注釈のあるものが少なく、付いていてもこの部分の説明はないものばかりでした。(この後に出てくる「びいどろ」や「南京玉」などには付いていたのですが。)

前後の文章から察するに、花火の種類(図柄?)かな?と思うのですが、うまく想像できません。
ネットで検索もしてみましたが、検索のかけ方が悪いのか、そもそもの(花火の種類という)前提が間違っているのか、それらしいものにヒットしません。

そこでどなたか、ここに登場している「中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき」が何(どのようなもの)であるか知っている、もしくは、これらの解説が載っている書籍やサイトなどを知っているという方がおられましたら、どうぞお教えください。よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

Robert Ulmerという人の英訳です。

質問者さん同様に「花火の名前」と解しているようです。

I also found solace in gazing at packages of cheap fireworks. Some came in garish striped bundles of red, purple, gold, and blue and had names like ‘Falling Stars of Chusanji Temple’, ‘Flower Wars’, and ‘Withered Pampas’. Others, called ‘rat firecrackers’, were stacked like pinwheels in a box. Things such as these held a strange appeal.
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

今回寄せて頂いた回答で、件のものを「花火の種類」と考えてよいというひとつの根拠を得ました。今後調べる際に活かして行きたいと思います。
また、日本文学の何かを調べる場合に、「多言語によるテキストを読んでみる」という発想を知り得たことは、大変勉強になりました。

早い段階で回答頂いていたにもかかわらず、お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/07/12 21:08

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Q「興がらせた」←なんと読むのでしょうか?

「ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、……… 私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。」

梶井基次郎の小説「檸檬」の一説なのですが、
「興がらせた」とはどういう読みと意味なのか
調べたのですが分かりませんでした。

国語の先生などや、
詳しい方がおられましたら是非ご教授ください。

Aベストアンサー

辞書で調べてしまいました。
http://dictionary.www.infoseek.co.jp/?spa=1&sc=1&se=on&lp=0&gr=ml&qt=%B6%BD%A4%AC%A4%EB&sm=1&sv=KO

きょうがらせた、が正解みたいですよ。

Q梶井基次郎の檸檬

梶井基次郎の檸檬を読んでいるのですが、よくわからない表現があります。

何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている

という部分です。

「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」=主人公にとって美しいと思える果物

「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに」=後に書いてある「青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている」ということから「美しい果実(いくつかの量)が石化したように積まれている」

ということでよいのでしょうか?
教えてください、お願いします。

Aベストアンサー

たしか、京都寺町にある果物屋の陳列光景でしたね。
この陳列台は急斜面になっていたはずで、そこを思い浮かべながら解釈されるとわかりやすくなるように思います。

「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」
=主人公にとって美しいと思える果物【の陳列状況】
だろうと思います。
つまり、斜面が急なので今にもそれぞれの果物が転がり落ちそうな危うい印象のまま陳列されている、という動的なニュアンスを「快速調の流れ」と表現したのでしょう。

「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに」
=そのような危うさの中に陳列されているにも拘わらず落ちないのは、
「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられ」
「あんな【鮮やかな】色彩やあんな【不安定なままの】ヴォリウムに凝り固まった」
とでも思いたいぐらいである。

ということでしょう。
「青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている」
という箇所は、あくまで、青物も果物のような陳列のされ方をしている、という付随的な描写に過ぎないと思います。
 

たしか、京都寺町にある果物屋の陳列光景でしたね。
この陳列台は急斜面になっていたはずで、そこを思い浮かべながら解釈されるとわかりやすくなるように思います。

「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」
=主人公にとって美しいと思える果物【の陳列状況】
だろうと思います。
つまり、斜面が急なので今にもそれぞれの果物が転がり落ちそうな危うい印象のまま陳列されている、という動的なニュアンスを「快速調の流れ」と表現したのでしょう。

「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差...続きを読む

Q梶井基次郎の「檸檬」では、なぜ丸善を爆破しようとしたのか。

檸檬は梶井にとって、自分の手に入るほどの西洋の象徴であった。しかし、梶井にとって丸善の存在は手に負えない西洋であった。まだ見ぬ未来である丸善を前に、不吉な塊を感じた梶井は、手に負える西洋(檸檬)で手に負えない西洋(丸善)を爆破しようとしたのではないだろうか。

という風に自分は考えたのですが、言葉足らずでしょうか?
どなたか教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>檸檬は梶井にとって、自分の手に入るほどの西洋の象徴であった。しかし、梶井にとって丸善の存在は手に負えない西洋であった

上記のように解釈される所以は何でしょうか?
あまりよくわかりません。多くの文学者が
西欧を向いていた頃に梶井がその雰囲気の中で活動していたことはありますが。
福永武彦は
檸檬の冒頭「『えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧へつけてゐた』は梶井の「一種世紀末的なデカダンス」を表している。それは梶井の全作品を流れる主調低音である。」と言っています。
その闇の中で唯一彼が見出した光が檸檬。
その檸檬を持って少し幸福になった私は「平常あんなに避けてゐた丸善がその時の私には易やすと入れるやうに思へた」のだが丸善に入るとその「幸福な感情は
段々逃げて行つた」画本がつまらなく見える。
それで画本を積み重ねた上に檸檬を置く。「そして
それは上出来だった」彼はそれをそのままにして丸善をあとにする。
これは「闇(不安)からのロマンティックな脱出で
ある」と評している人もいますし私もそう思います。
梶井がボードレールやセザンヌに傾倒していたのは確かですが、(檸檬は非常に絵画的)
「西欧」の観点でこの作品を捉えた評論は読んだ記憶がありません。参考までに。

>檸檬は梶井にとって、自分の手に入るほどの西洋の象徴であった。しかし、梶井にとって丸善の存在は手に負えない西洋であった

上記のように解釈される所以は何でしょうか?
あまりよくわかりません。多くの文学者が
西欧を向いていた頃に梶井がその雰囲気の中で活動していたことはありますが。
福永武彦は
檸檬の冒頭「『えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧へつけてゐた』は梶井の「一種世紀末的なデカダンス」を表している。それは梶井の全作品を流れる主調低音である。」と言っています。
その闇...続きを読む

Q甲の友達、乙の友達ってどういう意味?

檸檬を読んでいたら、
「私は甲の友達から乙の友達へといふ風に~」
という言葉の箇所があったのですが、これはどういう意味なのでしょうか?

単に友達の家へ行って、また別の友達の家に行ってー
と捉えて良いのでしょうか?

質問続きで申し訳ございません。

Aベストアンサー

> 友達の家へ行って、また別の友達の家に行ってー と捉えて良いのでしょうか?

 原文には

  その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが

 とあります。

 「友達の下宿を転々として」 という説明まであるので、それ以外の読み方は出来ないように思います。

Q「一銭」はいくらですか。

「其の入院料の如きも、二十銭にして足れりと云ふ」

それは『支那漫遊記』からの文章ですが、一銭っていくらですか。
大正時代の一銭の購買力は今の何円に相当しますか。

Aベストアンサー

それは『支那漫遊記』からの文章ですが、一銭っていくらですか。

1円の百分の1です。
     10厘(りん)=1銭(せん)
     100銭=1圓=1円
    下記をご覧下さい。語源は1ドルの100分の1の1セントです。音がセント(cent)に似ていて、鋤を意味する「銭(銭)」を流用したものです。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%AD

     大正時代の購買力は、#1さんのおっしゃる通りです。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qこの世おばわがよとぞ思う望月の 歌の解釈 

「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」

この歌はたしか学生時代(小学校か中学校で)に習いましたが、
教師に教わった解釈は 満月のようになにも欠けた所がない、栄華を極めたワタシであることよ』というような自慢っぽいものでした。

しかし、ふと思ったのですが

『月が欠けることが無ければ、この世は自分のものだと思えるのに・・・』
という意味、とれるように思うのです。
満月を見て詠んだのではなく、ほんの少し欠けはじめた月をみて詠んだのではないかと。

作者の藤原道長は源氏物語のモデルと言われている人物でしたよね。
たしか光源氏は晩年、さみいしいというか、落ちぶれていくという結末ではなかったでしょうか。

栄華のなかにあって、ふと自分で何かを予感するような、そんな歌のような気がしたんですが・・。

今の国語の解釈ではどうなっていますか?宜しく御願いします。

Aベストアンサー

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞している。
4)「望月の歌」を詠んだ翌年には、出家している。

No3のkogotokaubeweさんの情報と以上の事を踏まえて、
質問者usiodonさんの解釈を敢えて採用するようにしてみるとこんな感じになります。
○病気が多くてそれは道長の悩みだったようで、
 病気がちの道長は晩年「糖尿病」だったそうです。
 自分個人の自信は失いかけていたかも知れません。
 また、「望月の歌」の前後で、役職を辞したり、出家してますから、
 自分の人生の事後処理モードに入っていた=欠けはじめた月の状態にあったとも
 取れます。
 「望月の歌」はそんな中で読まれているので、
 そんな本心の裏返し=強がりとして、酒の酔いにまかせて
 「いままさに栄華の絶頂にある」と詠んだ可能性はあると思います。

 それでも、出家後8年ほど生きていますので、役職は辞していても外戚政治で
 まだ権勢を奮っていたかも知れません。

質問者usiodonさんの解釈には共感できる点もありましたので
ちょっと余計な事まで回答してしまいました。

参考URLは、
「藤原道長の悩み」 http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm
です。

参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞し...続きを読む

Q経済学部と経営学部の違いは何でしょうか?

経済学部と経営学部は何がどう違うのでしょうか?
たいした中身の差はないのでしょあか?

経済学部経営学科もてあるみたいですね。
これでますます分からなくなりました。

将来。起業するのなら経営学部の方が良いのでしょうか?
経営、経済にとらわれなくても良いのでしょうか?

どうぞ教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私自身、経営学部を卒業しましたが経済学部か経営学部で、学習する内容も違ってきます。特に、経済学部経営学科だと、理論や政策などの講義が多くなります。また、経営学部経営学科だと、より「実践的な内容を学習」するといった感じです。

 経営学と経済学は似たようなものですが、経済学は、「理論・政策・歴史」を中心に勉強します。「ミクロ経済学」「マクロ経済学」「経済原論」「財政学」など高校数学の知識が必要になります。経済学は、経営学と比べて数学関係の講義も多くなります。グローバルな問題に対して常に関わっていくのが経済学であり、家計や企業や政府といった単位で経済の仕組みを考えるのが経済学で、それに対して経営学は、経営者として企業をどう動かしていくのか考えるのが経営学です。経営・会計・流通・情報などに興味があるのだったら経営学部です。

 特に、ブランドや洋服に興味があるんだったら「流通論」や「マーケティング」が絡んでくるから経営学部でしょう。「マーケティング」では、企業の戦略や小売業・卸売業・メーカーが一体となって商品の在庫管理などをとりあげたりして、企業側の戦略や業務分析など現場と密接な関係を持った感じの講義がたくさんあります。将来、企業家を目指すのであれば、経済学より、実践的な経営学をお勧めします。特に、中小企業論や社会起業家論などのゼミを選択されると良いと思います。また、大学によっては起業家をよんできてセミナーをひらいたり、ベンチャービジネスをゼミ単位でやっている大学などもあるようです。

 経済学部は、公務員試験に向けた講義が充実しているから、金融や公務員などを目指す人にお勧めでしょう。経営学部は、流通やサービス・金融などを目指す人に向いていると思います。経済学部に比べて、経営学部は、「実務や現場重視」といった感じがあります。商学部は、経営学部に似ていますが、「会計」「流通」「マーケティング」の比重が高くなります。商学部と経営学部は、商学部・経営学部は、ほぼ同じようなカリキュラムで、似たような講義をしているところもかなりあります。

 リクルートの進学系サイトのURLを載せておきます。大学の教授や学生などの情報ものっているので、参考にされてはいかがでしょうか?

参考になれば幸いです♪

 

参考URL:http://www.shingakunet.com/cgi-bin/shingakunet.cgi

私自身、経営学部を卒業しましたが経済学部か経営学部で、学習する内容も違ってきます。特に、経済学部経営学科だと、理論や政策などの講義が多くなります。また、経営学部経営学科だと、より「実践的な内容を学習」するといった感じです。

 経営学と経済学は似たようなものですが、経済学は、「理論・政策・歴史」を中心に勉強します。「ミクロ経済学」「マクロ経済学」「経済原論」「財政学」など高校数学の知識が必要になります。経済学は、経営学と比べて数学関係の講義も多くなります。グローバルな問題...続きを読む

Q本のタイトルは『』に入れる?

大学入試の日本語による小論文指導を想定した場合に、本のタイトルを本文中で表記する場合には、単なるかぎ括弧(「」)ではなく二重かぎ括弧(『』)を用いるのがよろしいかと思うのですが。
(1)この理解でいいでしょうか?

もし、そうだとしたとき、この約束事の背景には文部省(あるいは文科省)なりどこかから指針のようなものが出ているのでしょうか? 句点について知り合いに以前に聞いたところでは、文部省から戦後に何か指針のようなものが出ているという話でした。
(2)本のタイトルに二重かぎ括弧(『』)を用いる背景なり根拠なりは何なのでしょうか?

Aベストアンサー

『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)』
(昭和21年、文部省教科書局調査課国語調査室作成)
では、

 「 」(カギ)、『 』(フタヘカギ)
   カギは、対話・引用語・題目、その他、特に他の文と分けたいと
   思ふ語句に用いる。これにフタヘカギを用ひることもある。

として、とくに書名は『 』を使うとは定めていません。

ただし、新聞や書籍では『 』を使うことが慣例になっています。

■標準 編集必携 (日本エディタースクール)
 『 』二重かぎ.「 」のなかにさらにかぎを用いたい場合,書名・雑誌名をくくる場合.

■最新 用字用語ブック (時事通信社)
 引用符の中に出てくる列車名、船名、航空機名、書籍・映画等の題名などには『 』を用いる。

■記者ハンドブック 新聞用字用語辞典 (共同通信社)
 (書名・作品名などは『 』を用いる)

■最新版 毎日新聞用語集 (毎日新聞社)
 作品名などに。 [例]「漱石の『草枕』を読んだ」

■朝日新聞の用語の手引 最新版 (朝日新聞社)
■読売新聞 用字用語の手引 (読売新聞社)
 … 朝日と読売は、『 』の項で書名・作品名などのくくり方には触れていません。

『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)』
(昭和21年、文部省教科書局調査課国語調査室作成)
では、

 「 」(カギ)、『 』(フタヘカギ)
   カギは、対話・引用語・題目、その他、特に他の文と分けたいと
   思ふ語句に用いる。これにフタヘカギを用ひることもある。

として、とくに書名は『 』を使うとは定めていません。

ただし、新聞や書籍では『 』を使うことが慣例になっています。

■標準 編集必携 (日本エディタースクール)
 『 』二重かぎ.「 」のなかにさらにかぎ...続きを読む

Q1丁は何メートルになるのでしょうか?

住所で1丁目2丁目~とありますが、その1丁目から2丁目の距離、1丁分の距離というのは決まっているものなのでしょうか? また、決まっているとした場合は、1丁は何メートルになるのでしょうか? 宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

どうもこんにちは!

「丁」は「町」の略字で尺貫法での長さ、若しくは面積の単位です。
1町=約109.09m、若しくは1町=約9917m2になりますが、住所で言う1丁分の距離や面積が
この1町の長さ、若しくは面積になっている訳ではなく、それぞれの住所でまちまちです。


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