プロが教えるわが家の防犯対策術!

60歳の母が8ヶ月前に交通事故で脳挫傷を受け、高次脳機能障害となりました。
現在の後遺症としては、失語症のほかに集中力注意力散漫で、軽い顔面麻痺、難聴です。片耳の神経が損傷しているせいでめまいがひどくて、立っていられないときもあります。
他に自暴自棄な発言もあり、うつ状態なのかもしれません。

2ヶ月間脳外科に入院して、その後のリハビリ科の通院を希望しましたが、母の場合は日常生活でのリハビリで十分と言われました。

現在家事や近所の買い物までもすべて自分でできますが、年齢と入院期間が長かったせいもあり、体力も以前のようにありません。

体力回復のリハビリ通院やこころのケアまでやってほしかったのですが、そういうことはしないのでしょうか。
めまいに関しても薬だけだしておしまい、っといった感じでどの医者も向き合ってくれないと感じています。

その薬も効かず、先に述べた後遺症に悩む毎日です。

趣味の世界を薦めても、めまいを理由にやりたがりません。
どこかへ連れて行ってもすぐに疲れて帰りたがります。

これから先どうしたらいいでしょうか。

A 回答 (6件)

まずは心中お察し申し上げます。



私は40代の男性ですが、数年前脳血管疾患で脳出血を患い、現在右手が不自由な状態です。
脳出血後は2週間の低体温療法を受けましたが、右半身不随と判断され、また失語症にもなりました。
(現在は自発的なリハビリで、ほぼ失語症はなくなり、右手の細かい動作のみ不良)

うろ覚えなんですが、脳疾患あるいは脳の外傷などでは半年間、保険点数が付き、病院でのリハビリ可能なんですが、医師側の判断で短縮されることもありえるでしょう。
また、体力回復のリハビリ通院を受け入れてくれる病院は少ないと思います。(何故なら保険点数が付かない→医療報酬が貰えないから)

私の個人的な経験ですが、まずしっかり散歩すること。
これは弱った足腰の筋肉を復活させるのに役立ちます。
また、誰でもいいから会話すること。
病院では言語聴覚士の先生がいろいろ訓練させてますが、実生活での会話は、先生の訓練を10時間受けるよりも、実生活での会話1時間分の方が効果があります。

失語症に罹った人はわかるんですが、深い海の中を言葉を捜すようなものです。言いたいことが言えない、でも聞く方が急かさず辛抱強く待つ姿勢があれば必ず回復します。また思うように言葉が出なくても、
「ほら、赤い果物で、齧ると甘いヤツ、、、りんごだ」みたいな連想記憶を繰り返すことによっても回復します。

趣味の世界・・・これはやはり本人のヤル気です。
本当に自分ができると自信を持てば大丈夫です。

家族の支えがあってこそ、回復の道は開けます。ただお母さんにも、また貴方にも、「あせらないで」と申し上げます。

一度失った脳細胞の記憶は元には戻りません。しかし、新しく記憶を構築することで、その代用はできます。
90%、いや50%の機能回復ではあっても。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても元気づけられました。
t-sazenさんの後遺症は最初の診断より回復されたんですね。
初めは散歩や、3歳の孫とのあぞびの中でリハビリをしていたのですが最近の母は体調不良を理由にウチにこもっていました。
でも、t-sazenさんの経験談を聞かせたらきっと前向きに取り組んでくれそうです。
あせらずに、支えていきます。

お礼日時:2008/06/23 23:20

2チャンネルで検索されれば出てきます。


私の母も心臓が悪いと言われ、多量の薬を30年以上飲んでいました。
骨折で入院して、全身の検査を受けたところ、心臓には何の異常もないことが分かりました。近くの個人医院で家庭医としていました。
残念ながら、医者の言葉を鵜呑みに出来ませんね。
私の突発性難聴も治療不可能と、神奈川の大学病院・東京の都立病院でも告げられましたが、御茶ノ水の耳鼻科専門病院で大分回復しました。
良い医者に診て貰うことが、患者の将来を決定しますね。
お母さんの飲まれていた薬の名で検索しますと、薬の説明と副作用も書いて有りますので、ご覧になってみて下さい。
きちんと説明をせず、質問に面倒がる医者は信用できません。
今までの病気や、事故時・後の治療や退院後の様子をまとめて医者に渡すと、話が早いですね。
お薬手帳はお持ちですね。一緒に飲んではいけない薬を薬剤師が選別し、処方箋を書いた医者に電話して聞きます。
私は61歳ですが、病気になった時泣いてばかりいました。
耳日記をつけ、泣き言を書き連ね、自分を励まし病院探しをしていました。がお母さんは私の比では有りませんね。
どれほど、お辛いか想像もできません。心療内科にかかり、泣きたいなら存分に泣かれたら良いと思いますよ。自殺も考えねばなりません。
病院は、どこへ行っても、転院しても構いません。
良い治療を受けることが一番です。
貴女も大変でしょうが、頑張って下さい。お偉いですね。
私は病気を境に大学に通い勉強を始めました。
お母さんも乗り切って、多病息災でも自分の楽しみを見つけて戴きたいですね。お母さんの心身共のご回復を、祈っていますね。
貴女も自分の身体を大切にして下さいね。
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この回答へのお礼

度重なる回答ありがとうございます。
頼るところは医者でありながら、鵜呑みにしない・・・。なんだか難しいですよね。
母の甲状腺で掛かった内科は名医で信用できると思っていました。
めまい、薬多量の話をきちんときいてくれていればこうならなかったかもしれないのに。
2チャンネル等で検索しながら探っていきます。
母がどのくらい辛いか、正直私も想像できません。
0430さんに心配していただいて、もっと気配りが必要だと思いました。
私の身体までご心配いただきありがとうございます。
私は2児のちびたちのママなので、自分の心配は2の次、3の次、今回のことで4の次でしたが、大切にしないとですよね。

お礼日時:2008/06/26 17:28

No.2のt-sazenです。



ここでは言ってませんでしたが、僕もバセドー病です。
男で罹る人は少ないですが、この病気になって十数年になります。
仕事でのストレスが原因でした。

多数の薬の服用が原因ということですが、バセドー対策にはメルカゾール、そして脳出血後の身体が弱っている時に一度だけ癲癇発作を起こして、その時から飲んでいる抗てんかん薬のエクセグラン、全く関係ないですが中性脂肪の薬メバロチンの3種類です。

それ以外の疾患がなければ、普通はこの3種類の薬でいいはずなんですが・・・

ただ肝機能障害を起こされた場合、事故のとき輸血を大量にすると、肝機能障害を起こす可能性が大です。(経験してます)

やはりセカンドオピニオンは大事だと思います。
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この回答へのお礼

度重なる回答ありがとうございます。
脳疾患、バセドー病。
ここまでくるのに大変に努力されたんでしょうね。
母もメルカゾール、脳挫傷からくる癲癇予防のための薬も飲んでました。
薬剤性肝障害は誰でもなるそうです。甲状腺も多少関係するとか・・・。
t-sazenさんもご注意ください。
輸血には気をつけます(今回の事故の輸血は200cc程でした)。
同じ病とは心強いです。

お礼日時:2008/06/26 16:50

再度失礼致します。


2チャンネルは非常識や失礼な書き込みもきますが、真剣に応えて下さる人も多いですし、何県何市とか書けば、すぐにおおくの病院の紹介が有り、その後にその病院で治療を受けた人の経験が書き込まれます。
私も、あちこち探して2チャンネルでの病院の紹介されたところで、良くなりました。
高次機能障害と相談されれば、多くの意見が寄せられると思いますので、その中から、お母さんの心身の向上に繋がる意見を参考にされたらと思います。このような病気で悩まれているブログなどを見ると、お母様の気持ちも分かりますね。大いに検索してみて下さい。

この回答への補足

回答ありがとうございました。
私はネットにはそれほど詳しくないのですが、2チャンネルというのはココのことですか?
ほかにはどこの2チャンネルがあるのですか?
初歩的な質問で申し訳ありません。

それからもうひとつ。
今日母が熱を出し、念のため血液検査をしたところ、肝機能障害で入院となりました。
現在は脳外科、内科、耳鼻科での多数の薬の服用が原因ではないかという診断でした。事故以前から甲状腺バセドウ病の治療中だったのでめまいも合わせて調べてくれる、とのことでした。
今までの医者にも薬多種のこと、甲状腺のことすべて話していたのでここへきてこの結果が納得いきませんが・・・。
やはり色んな医者にみてもらわないとですね。

補足日時:2008/06/25 22:07
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No.2です。



> t-sazenさんの後遺症は最初の診断より回復されたんですね。

そうです。右半身不随との診断でしたが、現在は右手の”不便さ”と闘っている状態です。
僕も「どうせ何をやっても回復しないんだろ!」と思ったこともありましたし、自殺を考えたこともあります。

しかし死ぬのは精一杯努力してからでも遅くない・・・と思い、リハビリの本を読みまくり、自宅で出来ることを実践して、
現在の”右手だけが不便”という状態までこぎつけましたし、車の運転だって出来ます。

また高次脳機能障害は、脳出血後1年ぐらいはその影響がありました。注意力散漫もそうだし、とりわけ酷かったのが「感情失禁」です。
テレビを見ていて、人の話を聞いていて、涙が止まらない・・・そういった症状です。
お母様と僕は脳に受けた障害も違いますし、一概には言えませんが、治る可能性だってあると思います。

「私は2004年7月24日、脳出血により右半身が麻痺しました。」
上の文章、退院直後にワープロに打ち込んだ文章です。現在は左手だけで10秒で打てますが、当時は1時間以上かかりました。
勿論左手だけで打つことに慣れてなかった所為もあるでしょうが、それより言葉が浮かんでこない、どうやって打てばよいかわからないことが大きかったんです。
失語症は少なくとも克服可能です。

がんばらないで、がんばってください。

脳障害の克服は、日進月歩ではない、月進年歩です。

この回答への補足

補足します。
今日母が熱を出し、念のため血液検査をしたところ、肝機能障害で入院となりました。
現在は脳外科、内科、耳鼻科での多数の薬の服用が原因ではないかという診断でした。事故以前から甲状腺バセドウ病の治療中だったのでめまいも合わせて調べてくれる、とのことでした。
今までの医者にも薬多種のこと、甲状腺のことすべて話していたのでここへきてこの結果が納得いきませんが・・・。
ショックですが、前向きにやっていきたいと思います。

補足日時:2008/06/25 22:37
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この回答へのお礼

どうしていいかわからない日々でしたが、経験者の話をきくことができて方向が見えてきた気がします。
今はまだ雲がかかった状態ですが、本人が障害をしっかりと受け入れ、この先どのように生きていくかを考えさせなければ、と気づかされました。
ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/25 22:06

大学病院の耳鼻科へ行ってみられたら如何でしょう。


幾つもの病院にいかれても、治療すべきです。
現在の症状を抱えて、生活するのは大変です。
家事や買い物をされるのも、お辛い状態と思いますよ。
ここ1年間は、治療に専念すると決め、良くなって趣味なり好きな事を楽しんで、と励まされたらと思います。
私も突発性難聴になり方耳が聞こえなくなり、幾つもの病院で諦めて下さい、と言われましたが、耳鳴り他の症状もあり気持ちが塞ぎこみ、医者巡りを続け、東京の耳鼻科専門病院で聴力が60%以上回復し耳鳴り他も軽くなりました。
少しでも、症状が良くなるように良い病院や名医を探して、診察を受けられるよう、協力してあげて下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
交通事故での後遺症だからなのか、他の病院へ行くと煙たがられているような気がする、と母は言っていました。
しかし、大学病院なら向き合ってくれるかもしれないですね。
早速相談してみます。

お礼日時:2008/06/23 23:40

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